あるいは檀那の帰依によって、権宗を捨てて実宗に入らず。
『日蓮大聖人御書全集 新版』394頁(守護国家論)
檀那の帰依も多くあるゆえに、利養の心もふかし。
同書 498頁(顕謗法抄)
檀那とは、現在の言葉で言えば、スポンサーとなりますでしょうか。端的に言うとお金を出してくれる人のことですね。
いくら正しい法があるといっても、簡単にその正しい法に移れるわけではありません。しがらみ等もあるでしょう。
ただ、正しい法に移れない一番大きな理由はお金でしょうね。生活がままならなくなるわけにはいかず、命を賭してまで正しい法に移る人はいません。
なんのしがらみもなく、お金の心配の無い人が正しい法に移ることができます。貧者の方が正しい法に移りやすいわけですね。
聖書においても
イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
マタイによる福音書19.23―24
と指摘しているように、財産があることがいいとは限らないのですね。
順番としては、正しい法と出会ってから、財産を築くのが良いでしょうね。