2008年09月30日
医療を考える
いま、医療についてなにを思い、なにを望みますか?―あなたの声を聞かせてください
くわしいことはこちらから
私は特にロハスメデイカルの川口さんの記事に共感しました。
「患者さんが医療者を信用しなくなっていると思います。それには色々な原因があるとは思うのですが、やっぱり一番大きなポイントは、患者さんが求めているものと医療者が提供しているものにギャップがあることでしょうか。患者さんが求めているのは全人的な癒しだと思うのですが、それに対して医師が提供しているのは疾患に特化して治すという行為です。つまり患者さん側の期待と、お医者さんから提供されているものとに食い違いがあって、お互いがそのズレに気づいていないために、患者さんも医療者も不満を持っていると思います。 認識がズレる原因の一端として、逆説的ですが90年代から医療が飛躍的に進歩したことも挙げられると思います。遺伝子解析などは象徴的で、今まで治らなかった病気が治るようになったりしました。ただ、治るようになったのは全体から見ればほんの一部に過ぎず、未だ治せない病気の方がはるかに多いのに、メディアなどを使って成果をあまりにも強調したがために、治せない病気はないという誤解を世の中に生んだと思います。それが実態と乖離した過剰な期待となっているのではないでしょうか。 私としては医療への期待を実態に合ったものにすることが重要だと考えていて「ロハス・メディカル」内でも少しずつですが意識して取り上げるようにしています。」
テレビなどでも良く話題になってる医療制度。
最近入院できない医療難民が増えているとか。
私の周りにも、入院難民います。
私の息子も、そうでした。京都府の日本海側の天橋立の近所でスキー中に骨折し、
太ももから足首までギプスで、全治2ヶ月の診断を受けました。
京都のその地元の町立病院は、大阪に戻ったら入院してくださいと、我が家の家の近所の担当医宛に文書を書いてくれました。
しかし、我が家の近所の総合病院では、手術しない骨折は入院できませんと。
小さな子供ですし、動けないし、自宅で養生するよりも痛みが引くまで入院させて欲しいといいましたが、だめだとのことでした。
私の仲人さんは、脳腫瘍と直腸がんが同時に見つかり、同時に手術をするという大変なことになってしまいました。幸い命はとりとめましたが、麻痺が残りました。
はしが持てず、自分で食事を取ることもトイレに行くことも難しくなりました。
要介護4になりました。
大学病院を退院したものの、リハビリを受け入れてくれる病院がないのです。
もう治る見込みのない病人には、リハビリ期間が限られるのです。
仲人さんは奥さんと二人暮らし。お子さんがいません。すべての介護は、奥さんと時々来るヘルパーさんにゆだねられてます。
もうその暮らしが何年も続いてます。
一方、元気なお年よりもいます。
うちのマンションのおばあちゃんたち3人組。私は町内の役員なので、雨の日などの診察のときは、ボランテイアで、車で病院にお送りしてるの。
でも、、、本当に病気何かな?っってふと思うときがあるの。
私には母がいます。股関節の病気で、車椅子です。母の診察のときに、同じ病院に行くので、お送りしてるけれど、私よりすたすたお元気に歩ける。
実に、、うらやましかったりもします。
うちのマンションのいずれも90歳過ぎてますが、あちこちの病院めぐりが、日課。本当に病院好き。
腰が痛いといっては、整形外科病院に行って、帰りに整骨院へ寄る。
腰の痛いのは、近所のここの先生。今日は駅向こうの先生にひざを診てもらうと、毎日のように整形外科と整骨院へ。
目が見えにくいといっては、眼科へ行く。「白内障でも緑内障でもありません。年齢とともに見えにくくなるんですよ」、の先生の説明には納得しません。
「あの先生は藪や、ビタミンだけくれて、、、。」
こっちの眼科なら、あっちに眼科が出来たといっては出かけていきます。
目だけではありません。
耳もそう。
この前は、幻が見えるとまず眼科。幽霊がついてると、お寺に行き、先祖の悪霊が災いしてると思ったおばあちゃんは、先祖供養をし。それでも見えると、私を呼び、「あんたも見えるでしょ!?」ってカーテンの横を一緒に見ても、私には分からない。
私は気がおかしくなったと、心療内科へ。それだけでは納得せず、脳外科に行って、脳派とっても、「まだおかしいねん!」
MRIして欲しいと。そこまでしなくても、、、、って言う先生に納得しません。電車を乗り継いで言った病院の先生にMRI取ってもらって. 「なんともない。」といわれてようやく納得。「良かったあ。脳腫瘍じゃなかった!」
そのおばあちゃんたちが救急車を呼ぶのも、年に何度あるでしょう。息がしんどくなった。胸が詰まった、と、そのつど、私も近所の一人として心配してますが、
入院もせず、3時間後、歩いて帰ってきてる姿見たら、気が抜けちゃうのも事実。
「薬の飲みすぎや言われたあ。」
たしかに、、、、。整形外科だけでも2件、眼科も3件。あちこちの病院で同じような病状訴えるので同じような薬が出るのをのんでたら、健康な人でも倒れるだろうなあ、、、。
元気なお年より、、、見て思ったわ。
何かしら病名がつくと、それを老人会の話題に集まってお互いに病気自慢しているの。
「あそこの先生は、話し聞いてくれへん!」
「この先生はええねん。話し聞いてくれる。」「親切や。」
O先生の外科には、年寄りがわんさと集まる。先日、私は市民検診の指定医でもあるこの先生のところで、1時間半、待ちました。混んでた?
いいえ、私の前には、たった一人の先客だけだったの。
一人のおばあちゃんの話が長い。
検査するわけでも、採血すらしない。
どこそこの病院の結果では、へもぐろびんっが、、、、。一年前は、どうの、近所の○○さんの奥さんは、同じ症状で、、、、、って長い長い!
「あのオ〜〜、もう市民検診良いです。母を病院のリハビリから迎えに行く時間なので、またきます。」
2度とくるかい!って思って後にしたのでした。
私、思うの。
孤独なお年寄りが多いの。
家族がいてもマンションで昼間は一人きり。一人暮らしの方も増えてるし。
畑を耕し、私の仕事って言うものっがない。だから、不安になって、病気を探す人もいてるんだと思う。自分が頼られてる。自分はまだまだ役目があるって思うと、病気を探さなくていいのでは?
都会だから、医院がわんさとあるから、はしごが出来るのよね。田舎の方と都会の方の医療を受ける公平さにも、違いがありますよね。
本当にしんどい人は、病気自慢を老人会で饅頭食べながら出来ないんだよね。痛いのを我慢しろとは言いません。でも、、何かほかに方法はないかなって思うの。
ある看護婦さんが言いました。
「38度の熱出してる私が、平熱のおばあちゃんに点滴してる。」
すべての人に公平に医療の機会があればいいのにと思うのです。
川口さんのおっしゃるように、治療する側、医療を受ける側の意識のずれ、それがモットなくなっていけば、無闇な病院のはしごもなくなるのではないでしょうか?
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投稿者:satikotonababu|07:55
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