2018年05月22日
「ライフ・シフト」とお金の意味に関する雑感
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2冊のベストセラー
今回は、PRESIDENT ONLINEの記事です。
・"給料の高低と人間の価値"は本来関係ない
記事の著者はリンダ・グラットン教授。
この記事はベストセラーとなった「ワーク・シフト」の抜粋となります。
また、「ワーク・シフト」以外にも、同じくベストセラーの「ライフ・シフト」という本を、同じロンドン
ビジネススクールのアンドリュー・スコット教授と共著されてもいます。
これら2冊の本は私の勤めている会社でも一時期話題になりました。
その発信源がどこだったかは分かりませんが、会社の上位層なことだけは間違いなかったと思います。
これらの本は2冊とも読んでみましたが、少なくとも日本の会社の上位層が部下に対して勧めるべき本では
ない、というのが私の印象です。
「ライフ・シフト」の中身をざっくりと要約すると、以下のような感じでした。
人生100年時代においては、これまでの伝統的な考え方である現3ステージの人生(教育・就業・老後)という考え方を改め、マルチステージの人生を歩むことが必要になる。
このような人生では、資産だけではなくスキルや健康、人間関係という『見えない資産』をいかに育み利用していくかという問題に直面する。
今後、これまでのロールモデルではない新しい生き方の実験が活発になるだろう。
そしてまた今後は、生涯を通じて変わり続け、適応し続ける覚悟が必要になると思われる。
この本では、人生100年世代に基づく生き方の模索、有形/無形資産の重要性、取り組むべき課題について
書かれています。
特に「取り組むべき課題」については、企業にも変革と痛みを要求し、「人生100年時代」を生きる社員に
必要な手助けと広範な働き方の機会を提供するよう、提言を行っています。
特に日本企業は傾向的に、社員には会社に依存してもらいたいものです。
だと言うのに、こんな内容の本を社員に読ませたら逆効果でしょう。
「ワーク・シフト」の方はまだ仕事よりの内容ですが、それにしても「一つの会社に固執する働き方は、
今後無くなっていく」という根本の考え方には変わりがありません。
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お金は交換用のアイテム
閑話休題、失礼しました。本題に戻ります。
さて、上記のPRESIDENT ONLINEの記事ですが、リンダ・グラットン教授の言葉として
「幸せになるためには、お金を目的としない職業人生にシフトする必要がある」
という内容を取り上げています。
記事の中から一部を抜粋します。
私たちはモノやサービスを購入することを通じて、自分の人間としての価値を立証しようとする。世界の多くの社会では、お金が社会的地位の証として最も強力な要素になっている。そこで、私たちはお金を稼ぐために懸命になる。
問題は、誰もがほかの人との比較を通じて自分の地位を証明しようとすると、競争が生まれて、達成すべき基準がどんどん高くなっていくことだ。こうして、私たちは、ライバル以上に稼がなくてはならないと強く思うようになり、お金と仕事の結びつきがひときわ強化される可能性がある。
まさにその通りだと思います。
お金は現在の世界において最大の流動性を誇るアイテムです。
まさか世界がもう一度物々交換の時代に戻るとは考えにくいですし、今後もそれは変わらないでしょう。
ですから、人生を円滑に進めるため、必要十分量のアイテムを保持しようとするのは全くの道理です。
例え使わなくとも、ラストエリクサーはボス戦に持っておきたいですし。
ただ問題なのは、このお金にアイテムとしての価値以上のものを感じる人が多いことでしょう。
もちろん私もその一人ではありますが、物欲が薄い分こういう感覚は人よりは少ないと思います。
お金が最強の流動性を持つアイテムとしてだけではなく、地位や人格と結び付いているのが現代です。
ある意味自然な、仕方ない事とは言え、どこかでそのラットレースからはおさらばしたいものです。
特に、「消費するために稼ぐ」などという不毛な連鎖からは。
ワークシフトよりライフシフト
とは言え、何もお金が要らないと言っているわけではありません。
生きていくためにはもちろんお金は必要です。
ですが、生きるために必要な物が揃っている場合、「これ以上良い暮らし」は本当に必要でしょうか?
「ワーク・シフト」の中でも、先進国の多くの人たちにとって
「所得がこれ以上増えても満足感や幸福感が高まらない」
という事が言及されています。
「そんな事はないよ、贅沢な生活をすれば満足も幸福も高まるよ」という意見もあるでしょう。
ですが、贅沢な暮らしはいずれ慣れます。
そして慣れた時には、生活レベルを元に戻す事が苦痛に感じるという麻薬でもあります。
(昔、少しだけそんな生活をしていた頃がありました。その時の実体験です)
現在の資本主義において社会とお金は切り離せませんので、お金(それがフローであれストックであれ)が
社会的地位を表現してしまうという事は、残念ながら決して無くならないでしょう。
人は分かりやすいものが好きです。そしてお金は、非常に分かりやすく定量化できる指標です。
ならばせめて、社会的地位と人間の価値とは分けて考えるべきでしょう。
社会的地位は高くとも本質は・・・という人間もいるでしょうし。
ということで、この記事には概ね賛同するのですが、一点どうも首をひねってしまうところもあります。
記事の中で、仕事に関する約束事を書き換える時が来た、という部分があります。
〈第三のシフト〉を推し進める舞台は整った。産業革命以降、仕事に関する古い約束事のもと、お金と消費が仕事の中核をなしてきたが、それを次のように書き換えることが可能になりつつある。
私が働くのは、充実した経験をするため。それが私の幸せの土台だ。
確かにその通りだとは思うのですが、なぜ「働く」事が大前提になっているのかが疑問です。
「働かない」という選択肢はないのでしょうか?
著者がロンドンのビジネススクール教授である以上、そんな選択肢はないのかもしれませんが。
「ワーク・シフト」の中では、組織にしがみつくのではなく多様な働き方へシフトしていくべきだ、という
未来に向けての提言がなされています。
なら、その多様性の中に「働かない(もしくは好きなときだけ働く)」という選択肢もあるはずです。
ワークシフト、ライフシフトという名前を比べた場合、ワークはライフの一部分に過ぎません。
なら私は、働き方を変えるより、生き方を変える方を目指して進んでいきたいと思うのです。
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posted by SALLOW at 10:00
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はい。労働は奴隷の領分でした。
今ではさすがにそこまでの極論はありませんが、それでも「労働している」事が「労働していない」事よりも偉い、という風潮はなんとかした方がいいと思います。
憲法は労働の義務を謳っていますが、そもそも憲法は対象が国家なので、国民を縛るものではありませんし。国民は法を犯さず、なるべく他人に迷惑をかけず生きていくのであれば、それでいいと思っています。
コメントありがとうございます。
アメリカというより、欧米のキリスト教においては、楽園追放の件があって「労働は罪」という考え方が根っこにあるからではないかと思っています。
(それ以前の古代ギリシャでは、「労働は卑しいもの」だったらしいですが)
そういう昔から培われた文化が幹にあるので、学校で教えられなくとも自然とアーリーリタイアを志すのではないでしょうか。
一方日本では、戦国時代は滅私奉公、江戸時代はかなりいい加減な働き方(宵越しの銭は、というやつです)でしたが、その後の富国強兵政策と相まって「労働は美徳」という教育に成功しているのではないかと考えています。
吉岡秀人さん、どこかで記事を目にした覚えがあります。
素晴らしい生き方だと称賛はしますが、共感するには私はちょっと歳を取りすぎたのかもしれませんね(笑)。
最初はお金を稼ぐだけのアルバイトでも何が起こるか分からない、苦労だけが経験ではない。自分の思う自分の価値と、他人に評価される自分の価値が異なるなんて当たり前。
だからそれを気にしてもいいし、気にしなくてもいい。どちらも同じ意味だと思っています。
働きたい人のための学校な訳ですし。
話は変わりますが、アメリカの話題としてアーリーリタイアのことを見るときがありますが、彼らはどこでそういう考え方に至ったんでしょうね。
学校で教えているわけでもないんでしょうし。
文化的にもともとある考え方なんでしょうかね。
働くのが大好きな日本人の場合だと、次のような人生論もありました。
吉岡秀人さんという医師の方です。
最初の太字の所だけを見たら説教臭いかもしれませんが、後のインタビュー全体を読むとバランス取ってるように思います。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/17/hideto-yoshioka_a_23436810/?ncid=fcbklnkjphpmg00000001