2018年05月27日
道の話2
それから自発的に「金持札」を
「お財布の中に入れて充電すると良いんだよ」
と言って、楽しくやっているんだね。
それを見かけたら
「それいいですね」
って言ってやっていれば良いの。
「迷信だ」
とか
「私、信じません」
とか言っちゃいけないよ。
そこに行ったらそこのルールみたいなものがあるの。
善光寺に行くとみんなが煙を頭や体につけているんだよね。
そこへ行って
「迷信だと思います」
と言っちゃダメだよ。
みんなが楽しくやっているのにブチ壊したらいけないよ。
あんたが何思っても良いけれど、周りの場面をちゃんと見な。
よく見てみんなが楽しそうな雰囲気で、そこでそんな事やって良いか考えな。
もし、そんな事言うような人だったら、あんたどこでもやっているよ。
「体に煙をつけて自分も清らかになったような気がします」
って言えば相手を傷つけない。
本屋とかでもそうだけど、置いてあるからずっと本を読んでいる人いるけど、立ち読みなんかしちゃいけないよ。
パラパラと見て、買うか買わないかを決めるんだよ。
そういう事をマナーとして、さっさとできるようにならないといけない。
炊き出しとか「愛」を与える為にスープ作ったから
「ごちそうさまって言ってもらわなくてもいいんです」
と無料で配っている人がいるけど、味噌汁作るのだって大変だよ。
味噌買って来て、お湯を沸かして、なかには野菜を持って来てくれる農家の人もいたりして、いろんな「愛」がある。
その中でお礼も言わずに食べている人や
「感謝はしているけど言うのはテレくさい」
と言う人いるけど、それでは社会生活がおくれないよ。
ごちそうになったら
「ごちそうさま」
と言う。
それから
「ついてる神社に来ると癒され楽しいです」
と言う人がいますが、あんたばかり癒されてどうするのさ。
1回2回分からないのはいいけれど、次には新しい人が来た時に今度は自分がお茶を入れてあげるとか、何回も来ていてずっと座っているだけでそれで良いと思っていたらいけないよ。
人生は魂の道場なんだよ。
めったにそういう人いないけど、そういう人がいたら
「あんたダメだよ」
と注意してあげる。
ここで教えてあげなければどこでも教えてあげられるとは思えない。
私ひとりさんの弟子なんですっていっても、お師匠さんに恥かかせているのと同じだよ。
自分の大好きな人に恥じかかせたらおかしいだろう?
誰だってこんな細かい話をしたくないけど、私はそういう人が世間でそういう事をして嫌われるのがかわいそうだと思う。
だから一生懸命教えているんだよ。
誰だって豚汁一杯でお礼を言えと面と向かって言わないよ。
長野の善光寺に行ってみんながそうしていたら自分もそうすれば良い。
「これをやると厄が落ちるんです」
「病気が治るんです」
って言われたら自分もやるの。
どうしてもやりたくないなら、そういう所に行かないの。
行って能書きたれたらいけないんだよ。
『郷に入ったら郷に従え』というのは魂の精神論者としての最低のマナーなんだよ。
ひとりさんの弟子というのは、金払っても
「ありがとう、ごちそうさま、美味しかったよ」
と言える人なの。
愚痴・不平不満・泣き言言ったり、
「ごちそうさま」
を言えない人がひとりさんファンだとか弟子だとかになりたいって……。
その前にやる事考えて日常生活生きていかないといけないよ。
この話が「愛」に聞こえないといけないよ。
誰だってお説教言って嫌われたくない。
そう思って聞いてください。
これが「道」ですからね。
「お財布の中に入れて充電すると良いんだよ」
と言って、楽しくやっているんだね。
それを見かけたら
「それいいですね」
って言ってやっていれば良いの。
「迷信だ」
とか
「私、信じません」
とか言っちゃいけないよ。
そこに行ったらそこのルールみたいなものがあるの。
善光寺に行くとみんなが煙を頭や体につけているんだよね。
そこへ行って
「迷信だと思います」
と言っちゃダメだよ。
みんなが楽しくやっているのにブチ壊したらいけないよ。
あんたが何思っても良いけれど、周りの場面をちゃんと見な。
よく見てみんなが楽しそうな雰囲気で、そこでそんな事やって良いか考えな。
もし、そんな事言うような人だったら、あんたどこでもやっているよ。
「体に煙をつけて自分も清らかになったような気がします」
って言えば相手を傷つけない。
本屋とかでもそうだけど、置いてあるからずっと本を読んでいる人いるけど、立ち読みなんかしちゃいけないよ。
パラパラと見て、買うか買わないかを決めるんだよ。
そういう事をマナーとして、さっさとできるようにならないといけない。
炊き出しとか「愛」を与える為にスープ作ったから
「ごちそうさまって言ってもらわなくてもいいんです」
と無料で配っている人がいるけど、味噌汁作るのだって大変だよ。
味噌買って来て、お湯を沸かして、なかには野菜を持って来てくれる農家の人もいたりして、いろんな「愛」がある。
その中でお礼も言わずに食べている人や
「感謝はしているけど言うのはテレくさい」
と言う人いるけど、それでは社会生活がおくれないよ。
ごちそうになったら
「ごちそうさま」
と言う。
それから
「ついてる神社に来ると癒され楽しいです」
と言う人がいますが、あんたばかり癒されてどうするのさ。
1回2回分からないのはいいけれど、次には新しい人が来た時に今度は自分がお茶を入れてあげるとか、何回も来ていてずっと座っているだけでそれで良いと思っていたらいけないよ。
人生は魂の道場なんだよ。
めったにそういう人いないけど、そういう人がいたら
「あんたダメだよ」
と注意してあげる。
ここで教えてあげなければどこでも教えてあげられるとは思えない。
私ひとりさんの弟子なんですっていっても、お師匠さんに恥かかせているのと同じだよ。
自分の大好きな人に恥じかかせたらおかしいだろう?
誰だってこんな細かい話をしたくないけど、私はそういう人が世間でそういう事をして嫌われるのがかわいそうだと思う。
だから一生懸命教えているんだよ。
誰だって豚汁一杯でお礼を言えと面と向かって言わないよ。
長野の善光寺に行ってみんながそうしていたら自分もそうすれば良い。
「これをやると厄が落ちるんです」
「病気が治るんです」
って言われたら自分もやるの。
どうしてもやりたくないなら、そういう所に行かないの。
行って能書きたれたらいけないんだよ。
『郷に入ったら郷に従え』というのは魂の精神論者としての最低のマナーなんだよ。
ひとりさんの弟子というのは、金払っても
「ありがとう、ごちそうさま、美味しかったよ」
と言える人なの。
愚痴・不平不満・泣き言言ったり、
「ごちそうさま」
を言えない人がひとりさんファンだとか弟子だとかになりたいって……。
その前にやる事考えて日常生活生きていかないといけないよ。
この話が「愛」に聞こえないといけないよ。
誰だってお説教言って嫌われたくない。
そう思って聞いてください。
これが「道」ですからね。
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