2018年08月19日
2007年浜松講演会1「心は傷つかない1」
<2007年04月14日 アクトシティ浜松講演より>
本当は、心は傷つかないんです。
人の心・魂というのは、実は神様から頂いた分け御霊(わけみたま)というものなんです。
神様の命を頂いてる。
それが心の正体なんです。
神様から頂いた分け御霊(わけみたま)は光なんです。
神様の分け御霊というのは、実は、光なんです。
心の正体は光なんです。
光を傷つける事はできないんです。
映写機を想像してください。
映写機というのは、中に光があります。
それがフイルムを通して映し出されます。
フイルムに光が当たって現実が出て来ます。
例えばですね、30人学級があったとします。
そこに暴漢が入って来ました。刃物振り回して3人が傷つきました。
そうすると、傷ついた人もそうだけど、残りの27人も心に傷がついたから、精神的にカウンセリングしようとか――カウンセリングが要らないって言ってるんじゃないですよ――ただ私が言いたいのは、残りの人に傷がついたから、カウンセリングして治してあげようっていうんだけど、心は傷つかないんです。
なぜかというと光だから。
いいですか、昔の事を考えて下さい。
私たちの親って、戦争を乗り越えてきています。
こっちの防空壕に行ったら死んじゃったけど、こっちの防空壕に行ったから、私たち、助かったんですって人、いっぱいいるんです。
で、その人たち、カウンセリング受けていますか?って。
受けていないんです。
ただ、私たち運が良かったから、で終わりなんです。
戦国時代、昔は子供でも「初陣」といって初めて戦争に行って、周りは死んでも、その子だけ死ななければ、
「お前は運が良い子だから、何があっても死なないよ」
って。
だから運が良い子と言われると、本人はこれから先も怪我も何もしないと、
「ああ、そうなんだ」
と思うんです。
ところが、戦国時代はそれで終わったのに、今の時代は、
「お前は大変な思いをしたから可愛そうだったね」
とか、
「心が傷ついている」
とか言われると、
ちっちゃい子は分からないから
「私は傷ついてるんだ」
と思うんです。
じゃ、傷のついてる部分ってなんですか、っていうと、さっき説明した「映写機」のフィルム――想い――というのがあるんですよ。
想いに傷がついてるんですよ。
フィルムに傷がついているんです。
例えば、私なんですけど、中学しかでてないんです。
この、私が「中卒で馬鹿にする人が出てくる」 っていう思いのフィルムが入っていると、なぜか社会に出たらそれが写し出されるんです。
そうすると、馬鹿にする人が出てくるんです。
でも、私はただの1回もね、馬鹿にする人間が出てきたことがないから、馬鹿にされたことがないんです。
本当は、心は傷つかないんです。
人の心・魂というのは、実は神様から頂いた分け御霊(わけみたま)というものなんです。
神様の命を頂いてる。
それが心の正体なんです。
神様から頂いた分け御霊(わけみたま)は光なんです。
神様の分け御霊というのは、実は、光なんです。
心の正体は光なんです。
光を傷つける事はできないんです。
映写機を想像してください。
映写機というのは、中に光があります。
それがフイルムを通して映し出されます。
フイルムに光が当たって現実が出て来ます。
例えばですね、30人学級があったとします。
そこに暴漢が入って来ました。刃物振り回して3人が傷つきました。
そうすると、傷ついた人もそうだけど、残りの27人も心に傷がついたから、精神的にカウンセリングしようとか――カウンセリングが要らないって言ってるんじゃないですよ――ただ私が言いたいのは、残りの人に傷がついたから、カウンセリングして治してあげようっていうんだけど、心は傷つかないんです。
なぜかというと光だから。
いいですか、昔の事を考えて下さい。
私たちの親って、戦争を乗り越えてきています。
こっちの防空壕に行ったら死んじゃったけど、こっちの防空壕に行ったから、私たち、助かったんですって人、いっぱいいるんです。
で、その人たち、カウンセリング受けていますか?って。
受けていないんです。
ただ、私たち運が良かったから、で終わりなんです。
戦国時代、昔は子供でも「初陣」といって初めて戦争に行って、周りは死んでも、その子だけ死ななければ、
「お前は運が良い子だから、何があっても死なないよ」
って。
だから運が良い子と言われると、本人はこれから先も怪我も何もしないと、
「ああ、そうなんだ」
と思うんです。
ところが、戦国時代はそれで終わったのに、今の時代は、
「お前は大変な思いをしたから可愛そうだったね」
とか、
「心が傷ついている」
とか言われると、
ちっちゃい子は分からないから
「私は傷ついてるんだ」
と思うんです。
じゃ、傷のついてる部分ってなんですか、っていうと、さっき説明した「映写機」のフィルム――想い――というのがあるんですよ。
想いに傷がついてるんですよ。
フィルムに傷がついているんです。
例えば、私なんですけど、中学しかでてないんです。
この、私が「中卒で馬鹿にする人が出てくる」 っていう思いのフィルムが入っていると、なぜか社会に出たらそれが写し出されるんです。
そうすると、馬鹿にする人が出てくるんです。
でも、私はただの1回もね、馬鹿にする人間が出てきたことがないから、馬鹿にされたことがないんです。
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posted by 斎藤一人さんの言葉 at 00:00| 2007年浜松講演会