2018年05月01日
上級の話2
それからよく、こういうのが辛い、ああいうのが辛いって言うけれど、ホントはそんなに辛くないんです。
よく、家庭内暴力とかってあるんです。
ウチの子は喘息だったからとか、ああだとかこうだとか言ってますが、暴力振るわれてもみんなが思うほど、そんなに辛くないんです。
ホントに辛かったら出てっちゃうだけなんです。
「この子がアトピーだったから」とか、「この子が喘息だったから」とか、「この子は小さい時にお父さんに死なれて可哀想そうだから」って、その程度に自分を慰めて、殴られていられるような人っていうのは、そんなに殴られることが対して嫌じゃないんです。
人っていろんな人がいますから、自分と一緒にしちゃダメですよ。
本当に嫌になった時、出てっちゃうんです。
置いてかれた時、子供たちも、親のことひっぱたいてたけど、親に産んでもらった、ご飯食べさせてもらって、そういう人を殴ってたら、親がいなくなったとき、自分一人じゃ、殴る相手もいないし、ご飯食わしてくれる相手もいない。
じゃ、腹立つから、隣の親父とか奥さん殴ったら、逮捕されるんです。
そんなことがわかりあえる、ホントに苦しくなったとき、人はわかりあえるんです。
だから、まだ、そんなに苦しんでないから、勉強の時が来てないんです。
だから、人が勉強するっていうのは悪いことじゃないんです。
お金の尊さを知らないで死んじゃったというのは別にいいんです。
人は10万回生まれ変わるんです。
2、3回そんなことしたからって、いいんです。
その人は今、学んでる人だなぁって思えばいいんです。
心ってあるじゃない。
心の修行なんだよね。
心の修行って何ですか、って。
お客さん来ないんですよって、それなら、今まで来てくれてた人にお手紙だす。
この前買って頂いた、調子はいかかがですか?とか相手に聞く。
それを心を配るというの。
心は配るものなの。
あっちこっちに心を配ってあげるの。
今日は暇だから、ガラスでも磨こう。
いい種を蒔くの。
ガラスを磨くとか電話かけるとか。
お客さんにご機嫌伺いのハガキだすとか、今日は暇だから、そういうことができる。
いいことをしてるんだよね。
いいことをしてるっていうのはいい種を世間に蒔いてるの。
心を配るっていうのは、いい種を蒔くこと。
悪いことすれば、悪い種を蒔くの。
いい種を蒔いてたら、それが実ってきて、みんな帰ってくるの。
一番いけないことは、お客さん来ないわねってその暇な時間、心を揉む人がいる。
いい種でも、その種を持って手で揉むと、種はみんな崩れるの。
崩れたら、もう芽が出ないの。
だから、心は揉んじゃだめだよ。
気を揉むより、心を配るようにすればいいんだ、って。
こんなこともひとつの勉強なの。
そうやって、勉強して勉強していくの。
だから、よく転ばぬ先の杖だよって言って、これ学びなさいあれ学びなさい、って。
でも、子供たちは全然学ぶ気がしないの。
なぜなら、困ってないから。
自然界って、困る前に学ばせようというのが親とか、周りの人のことなの。
でも、本当は天の神様って言って、天には偉い神さんがいるらしい。
嘘かホントか知らないよ。
でも、本当は困ってから学んでも遅くないの。
人はそれぞれ個性があるから、何に困るかわからない。
困ってるって捉え方は、しちゃいけないんだ。
困ってるんじゃなくて学ぶ時期がきて今、学んでるだ。
心揉んでいると悪いことが起きるっていうのも、今学んでるの。
やがて、落ち着いた時、やっぱし、いいことしていい種蒔くしかないんだ。
いい心になっていい種を蒔く。
いい種蒔けば、いい結果が出る。
一粒の米から万の米ができるように、いいことがいっぱい起きるんだ。
って、そんなことをみんなが学ぶんだ。
新品価格 |