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2022年08月31日
日本三大八幡様「筥崎宮」へ
情報
.名前:筥崎宮
住所:福岡市東区箱崎1-22-1
創始:921年
社格:官幣大社
御祭神:応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
御神徳:勝運、厄除け、商売繁盛、学問芸術、安産、交通守護、家内安全、開運
御朱印:有
由緒
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。
創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)「現:大分八幡宮」より遷座したことになっております。
創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
(筥崎宮公式HPより)
地名の由来
この地は海外交通の要地であると同時に国防の要衝でもありました。
古く葦津ヶ浦(あしつがうら)と称されていました。
その昔、三韓征討から凱旋された神功皇后は、筑紫の蚊田の里(現在の粕屋郡宇美町)で応神天皇を御出産なされます。
その時の御胞衣(ごほうい)を「筥(はこ)」におさめて、白砂青松の葦津ヶ浦(あしつがうら)に御埋鎮(ごまいちん)され、御標(みしるし)として松を植えられました。
「標しの松」は「筥松(はこまつ)」と名付けられて以後、筥松のある岬(崎)ということで「筥崎(はこさき)」の名が起こったと伝わっています。
その由緒から「筥(はこ)」の字は畏おそれ多いとされ、人々の営みの場の名称には「箱崎(はこさき)」の文字が使われています。
散策
海から続く長い長い参道を通って、大きな鳥居を4回程くぐります。
結構歩くので、境内近くの駐車場を利用することをお勧めします。
手水舎にて、身を清めます。
大きいので、沢山の方と清めることが出来ます。
筥崎宮の楼門に掲げられている扁額(へんがく)には「敵国降伏」の文字。
『力でなく徳の力で勝つ』という壮大な言葉です。
拝殿にて、しっかりとお参りをします。
この時、たくさんの参拝客がいらっしゃったんですが、私が清めている時に誰もいなくなってしまい、独占でお参りすることが出来ました。「ありがとうございます」
社務所側から撮影した拝殿と御標である松(御神木)。
立派な建物で、見るものを圧巻する大きさです。
筥崎宮の神様である応神天皇の胞衣(えな)を納めた筥(はこ)を埋め、その目印に松が植えられたと伝わる聖地です。
有名スポーツチームの「戦勝祈願」の絵馬。
勝運の神として知られる筥崎宮では、福岡ソフトバンクホークスやアビスパ福岡などの戦勝祈願に立ち会うことができますよ。
楼門に向かって右側に亀山上皇奉安殿が、あります。
今からおよそ750年前に、博多の町は蒙古襲来により二度戦火にみまわれ、筥崎宮もご社殿を焼失しました。
この際、第90代天皇の亀山上皇様が「敵国降伏」のご宸筆を奉納され、博多の街は無事におさまりました。
その亀山上皇様の木彫の御神像が、楼門向かって右側に奉安されています。
西末社です。
西末社は以下の神様が祀られています。
龍王社 : 海と空の守り神
若宮殿 : 芸能文化の守り神
仲哀殿 : 八幡様の親神・家族の守り神
厳島殿 : 旅行安全の神
民潤社 : 火除の守り神
東末社の前にイベントのテント等があったので撮影していません。
東末社は以下の神様が祀られています。
池島殿 : 手足の守り神
武内社 : 不老長寿・健康の神
乙子宮 : 子育ての神
住吉殿 : 海上交通の守り神
稲荷社 : 商売繁昌の神・田畑の守り神
境内に中も綺麗にされてて、大楠が立派で大きい。
都会の中に癒しの空間。
「湧出石」は筥崎宮のパワースポットとしても有名です。
この石に触れると「運」が湧き出ると言われています。
誰も居なかったので、5回くらいナデナデしてきました(笑)
室町時代の古図「筥崎宮縁起絵巻」にも描かれており、古来より境内に存在する霊石です。
『君が代』の歌詞に歌われている「さざれ石」。
近くに「志賀海神社」に『君が代』の由来があるって言われているから関係してるのかな?
あじさい宛の入り口に、「花手水」がありました。
ちょうどあじさいの時期で凄く綺麗でしたよ。
筥崎宮の由緒書です。
最後に
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
参拝後に結婚式があって、良い時にお参りに行けたなと思いました。
縁起が良い参拝でした。
さらには、凄く気が良い感じがします。パワースポットと言われるだけあって、
清々しい気持ちになり、気持ちが一杯になった神社です。
これから、新しいことへの挑戦や気合を入れたい時に参拝に上がるのを凄くおすすめします。
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2022年08月27日
海神様の総本宮・龍の都「志賀海神社」へ
情報
名前:志賀海神社
住所:福岡市東区志賀島877
創始:不明
社格:官幣小社
御祭神:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
御神徳:海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒、健康長寿、家内安全、子供守護
御朱印:有
由緒
福岡市の志賀島に鎮座する志賀海神社(しかうみじんじゃ)は、全国の綿津見神社(わたつみじんじゃ)、海神社(あまじんじゃ・かいじんじゃ・わたつみじんじゃ)の総本宮です。
志賀海神社の創建は明らかではありませんが、古くは志賀島北部の勝馬に「表津宮」「仲津宮」「沖津宮」の三社が建てられ、それぞれ「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」が祀られていました。
二世紀から四世紀の間に表津宮を勝山の麓である現在の場所に遷座し、併せて仲津綿津見神、表津綿津見神が奉祀されたと伝えられています。
綿津見三神を祖神とする阿曇族が代々奉斎してきました。
志賀島は古代から、大陸とを結ぶ海上交通の要衝で、志賀島と海の中道を拠点とした阿曇氏(安曇氏)が、玄界灘の海上を制圧していたと考えられます。
天智2年(663年)の朝鮮半島・白村江の戦いで戦死したのも阿曇氏(安曇氏)の一族、安曇比羅夫(あずみのひらふ)なので、神社の創建は神代にまで溯り、平安時代には日宋貿易の拠点となり、室町時代には大内氏が独占した日明・日朝貿易も行なわれています。
散策
鳥居の前に「御潮井」が置いてあります。
禊祓いの神様であるために、ご参拝の前に御潮井を左、右、左と軽くふり清めて神域に入ります。
禊払いを終えてようやく入れます。
階段を登ると、平らな参道が現れました。
楼門の前に、今は柵があり、渡ることが出来ませんが15本の石を組んだ太鼓橋があります。
何となく気になり、何枚か写真を撮ってしまいました。
手水舎で、身をさらに清めます。
拝殿にて、感謝と今後の交通安全のお参りをしました。
私が手水舎で身を清め終わった瞬間、誰もいなくなってしまいました。
いつも人が多い神社なので、不思議な感覚を覚え、ゆっくりとお参りすることができました。
「誠にありがとうございます。」
拝殿の右側には遥拝所があり、雄雌2つの亀石(かめいし)が祀られています。
これは、志賀島に伝わる神功皇后伝説にちなんで奉納された霊石です。
神功皇后が三韓征伐の際に、無事凱旋できるように海の神様・阿曇磯良丸(あづみのいそらまる)を通じて祈願したところ、海から雄雌の黄金の亀に乗った神々が現れ、航路を守り導いたと伝えられています。
後にその亀が、石になって志賀島の海岸に流れ着き奉納されたものだそうです。
ちなみに、遥拝所の一直線上に伊勢神宮を向いているそうです。
参道の万葉歌碑です。
鳥帽子石、陰陽石が奉納されています。
参道の石造宝篋印搭です。福岡県で最古とのこと。
最後に
色んな言い伝えや、国家の「君が代」等の話も色々あり、興味深い古社です。
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
私が摂社・末社のお参りを終えるころ、人が雪崩のように参拝にやってこられました。
参拝客が多い神社では、不思議な体験でした。
もしかしたら、歓迎されていたのかもしれませんね。
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2022年08月23日
粥田荘の総社「天照神社」へ
情報
名前:天照神社
住所:宮若市磯光266
創始:不明
社格:県社
御祭神:天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやのみこと)
八幡大神(はちまんだいじん)
春日大神(かすがだいじん)
応神天皇(おうじんてんのう)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
御神徳:五穀豊穣、疫病退散、諸願成就、病気平癒、交通安全、 武勇長久、勝利祈願、出世開運、子孫繁栄、
国家安泰、学業成就
御朱印:無
由緒
「天照(てんしょう)神社」は宮若市磯光(いそみつ)地区に鎮座する神社で、古代から中世に渡って栄えた大規模な荘園である粥田荘(かいたのしょう)の総社として、古くから人々の信仰を集めました。
神社の起源は、垂仁天皇16年、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が笠置山(かさぎやま)に降臨し、山頂にお祀りしたことが始まりだといわれています。
饒速日尊は、天孫降臨(てんそんこうりん)をした神として知られる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄にあたり、古代の有力な豪族である物部氏(もののべし)の祖という説もあります。
神社はその後、神のお告げによって延慶元年(1308年)に、
『白き鶴の住む里に廟を遷すべし』との神託により、現在地に移ったそうです。
散策
第一の鳥居をくぐると池の橋の手前にある石碑。
文字は風化して読めませんでした。
池の橋を渡ると、右側に「龍神石」が。
「龍神石」の横の手水舎にて、身を清めます。
奥に進んでいくと、立派な門構えが。
拝殿で、感謝のお参りをします。
奉納された馬と牛の銅像が目に入ります。
他人も鶴の銅像があったのですが、写真がぶれてしまってたので、載せません。
御神木ではないみたいですが、何かやたらと気になったので、数枚写真を撮りました。
何か分かる方いたら、コメントで教えてください。
由緒書です。
最後に
凄くきれいにされていて、雰囲気は良い神社でした。
御朱印は残ながらないみたいですが、以前にお正月に頂いた方もいるみたいです。
始まりがとても古い神社なので、多くの文化財や古文書等が見つかった神社みたいですよ。.
境内には、古墳に使用されたとされる石も置いてあります。
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2022年08月20日
崗の浦の産土神「岡湊神社」へ
情報
名前:岡湊神社
住所:遠賀郡芦屋町船頭町12−48
創始:不明
社格:村社
御祭神:大倉主命(おおくらぬしのみこと)
菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)
素戔嗚命(すさのおのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
神武天皇(じんむてんのう)
御神徳:交通安全、事業発展、所願成就、縁結び、厄災除け、病気平癒、病魔退散
御朱印:有
由緒
岡湊神社は、『日本書紀』巻第八の仲哀天皇の条(199)に記される「崗の浦(芦屋古称)」とされています。創祀は不明ですが、大倉主命、菟夫羅媛命の二を主祭神とし、、芦屋町の産土神です。
二柱を聞いてピンとくる方もいらっしゃると思います。そう以前に記述した「高倉神社」です。
そこの御祭神と同じですね。そう、ここは元々、高倉神社の下宮だったそうです。
今は独立していて、同じ二柱を祀っています。
由緒も同じなので、「高倉神社」で確認してみてくださいね。
散策
芦屋町船頭町という地名のように、この地は古代から海運で栄えた町で、神社が海の方に向かって建てられています。
手水舎にて、身を清めます。
拝殿にてお参りをします。
由緒書です。先日記述した「神武天皇社」のことも書いてますね。
境内には、幸桃が置いてあり、その桃を撫でると厄災を払い除くことができます。開運厄徐、延命長寿、病魔退散の御神徳を得られるとされています。
ちょっと見えにくいですが、本殿です。
本殿の後ろには、摂社・末社が祀られています。
拝殿の右側に御神木があります。
やはり、御神木は素晴らしいですね。
手を合わせて、感謝をします。
岡湊神社のなんじゃもんじゃの木は、天然記念物で有名な対馬のものや岐阜のもの、アメリカ種など多種にわたり、大小約120本のなんじゃもんじゃを一堂に見ることができるのも特徴です。
春が見頃で、毎年少し日にちが変わるようです。
雪のように真っ白な花を咲かせます。一つひとつは小さな花ですが、密集すると雪が降り積もったかのように見えます。
最後に
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
先日記述した「神武天皇社」の御朱印を頂けます。
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2022年08月18日
東征で訪れた崗之水門「神武天皇社」へ
情報
名前:神武天皇社
住所:遠賀郡芦屋町正門町14−15
創始:不明
社格:県社
御祭神:神武天皇(じんむてんのう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
御神徳:事業発展、産業振興、旅行・交通安全
御朱印:有(岡湊神社より)
由緒
初代天皇の神武天皇が東遷の途上に、この地に1年間逗留したとされる、『古事記』に記載されていて、岡田宮の候補地の一つです。
また、『日本書紀』にも記載があり、この頃から里人が社殿を建立し、祀っていたとされています。御祭神は神倭伊波禮毘古命、つまり神武天皇のことです。
西に、200メートル先の松原の中には、かつて御手水池があり、禊をしたと伝わっています。
何度も兵火で焼失し、芦屋寺が芦屋町に遷され、小祠もそこで祀られていたが、江戸時代中期の延享3年(1746年)に現在地付近に再建された。
昭和17年(1942年)、社用地が陸軍飛行場として徴用されたため、現在地に移転し、御手水池もこの頃失われたとされています。
昭和20年(1945年)、空襲により社殿が焼失しました。このため、御神体は付近の岡湊神社に遷された。
平成12年(2000年)には伊勢の神宮(伊勢神宮)より用材を受け、社殿が再建され、遷座式が行われました。
散策
鳥居の貫の右側がなくなってました。
戦争時になくなったのでしょうか。
神武天皇社の扁額には「神武宮」とあります。
境内は綺麗にされてます。
社以外何もないので、広く感じます。
盥盤(てうづばち)に水がなかったので、たまたま神社到着前に購入していた水で、清めます。
こういうたまたまは良くあることなので、自分自身でも驚きです。
拝殿のところに鉄格子からお賽銭を奉納し、お参りします。
拝殿のところに、神武天皇社の由緒書きがありました。
最後に
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
現在は岡湊神社の兼務神社です。参拝すれば、御朱印を岡湊神社で頂けます。
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別名「八剣宮」と称される「高倉神社」へ
情報
名前:高倉神社
住所:遠賀郡岡垣町高倉1113
創始:199年
社格:県社
御祭神:大倉主命(おおくらぬしのみこと)
菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
御神徳:交通安全、事業発展、所願成就、縁結び
御朱印:有
由緒
旧遠賀郡の遠賀川西24村の総社として崇敬される高倉神社は、熊襲征伐で仲哀天皇が親征したことを記した『日本書紀』に記されている古社です。
仲哀天皇8年(199)の春、正月、仲哀天皇は、熊襲征伐のため親征し、筑紫(九州)に向かいます。
その途上、岡浦(遠賀郡芦屋町)に入ります。
しかし水門に進むと船が進まなくなります。
仲哀天皇は、熊鰐に理由を聞くと、
「私のせいではなく、この浦に男女の二柱の神がいます。男神を大倉主、女神を菟夫羅媛と言います。この神の御心によるものと思います。」と答えます。
仲哀天皇は、二柱の神に祈祷するため、倭国の菟田の人の伊賀彦を神官とし、神事を執とり行うと、すぐに船は進むことができました。
一方、別の船で南の航路の洞海から入った神功皇后も、潮が引いて干潟となったため進むことができなくなっていました。熊鰐は、洞海の河口に急ぎ戻って、皇后を迎えました。
そして、心を和ませるため魚沼・鳥池を作り、魚と鳥を呼び寄せます。
その魚と鳥たちが遊ぶを見て、神功皇后の怒りはようやく解け、潮が満ちた後、岡津に入り、泊ったとされてます。
この御幸の時に、大倉主命と菟夫羅媛命の二柱の神を高倉大神として祀まつり、社殿を古宮の地に建てたのが「高倉神社」の始まりとされています。
八剣宮と称される理由
天智天皇のころ、新羅の道行という僧が、尾張国の熱田宮に祀まつられていた草薙剣を盗み取って、逃げます。しかし筑前国博多まで逃げたものの、取り押さえられます。
このとき奪い返した神剣を送り返すまでの間、再び盗まれるようなことがあってはという配慮から、高倉神社が清浄で、とくに堅固な土地だからということで、剣はこの神殿に安置されたとされています。
それとともに鍛冶工に命じて神剣と同じ剣を七振作らせ、神社に別殿を建てて、八剣を納おさめます。
そのため高倉神社のことを、八剣宮とも称したと伝えられています。
まず、草薙剣がこの福岡の地に少しでもあったということが驚きです。
7本の剣を作らせたのは、どれが本物か分からなくする為でしょうか?
散策
鳥居をくぐって、拝殿に向かいます。
ちょうど鳥居のところを工事中でしたので、写真の撮影はしてません。
身を清めて、いさ拝殿に。
玉櫛を拝殿横に生えてある榊を取って、拝殿の中でお参りすることができました。
神様の近くに行け、参拝できたことは凄くありがたいことでした。
玉櫛の参拝方法です。
初めての方も安心して貴重な参拝を行うことが出来ます。
社殿の向かって左手前の石玉垣に聳える「綾杉」の御神木です。
三韓征伐から戻った神功皇后が神功皇后摂政2年(202)5月の午の日に神祠を創建したのに合わせ御手植えしたものと伝えられています。
手を添えるとパワーを頂ける感じがします・
神輿がいつでも見れるようになっていました。
高倉神社が管理されている高倉稲荷神社です。
この場所で不思議体験が起こりました。
この鳥居の「紙垂(しで)」の一枚がひらひらしていて、くぐった瞬間に、軽い立ち眩みが起きました。
参拝をすませ、鳥居を出ると頭のフワフワがなくなりました。
歓迎されているのか、お叱りを受けているのか、
私は、そういう力がないので、どういった意味があるのか分かりませんが、
感謝をし、この不思議体験をありがたいことと受け入れることにしました。
(嫌な感じがしなかったので)
境内は結構広いです。
大きな木がたくさんあり、古代と変わらない風景を感じられると思います。
境内の神門前左に聳える「大楠」の御神木です。
フクロウの一種で、青葉の頃に鳴き始めるアオバズクが住み着いていて、
幸福・夫婦円満・不老長寿・交通安全・商売繁盛・悠々自適・学業成就
の御利益があると親しまれています。
姿を見れたら幸運が舞い込んでくるかもしれませんね。
私が伺ったときは見れませんでした。残念。
延徳三(1491)年に大江貞盛という鋳物師により造られました。芦屋釜で有名な芦屋鋳造技術を使用してつくられているそうです。
500年以上前に作られたとは思えないほど、精巧に作られていて、技術の高さに驚きます。
高倉神社を出て、少し上がったところに古代祭祀場があります。
写真を撮るのを忘れましたが、清々しい気持ちになりました。
最後に
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
古代から変わらない風景がある高倉神社はタイムスリップした気持ちになります。
良いご縁でした。
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2022年08月07日
宇宙根元運命を司る最高神が鎮座する「摩利支神社」へ
情報
名前:摩利支神社
住所:宗像市東郷1丁目6−16
創始:690年
社格:村社
御祭神:天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)
御神徳:家内安全、商売繁盛、開運必勝、財運福徳
御朱印:有
由緒
古く縁起によりますと、御創建は朱鳥5年(約1400年前)時の宗像大領、秋恵氏が郡の中央の地、東江郷(現在の東郷)に天地創造の神「天之御中主大神」を奉斎し、後に勝運、勇武の神(摩利支明神)現「摩利支神社」と称するようになったのが、始まりとされております。元禄13年大洪水で全てを流失したため、現在の地に移転しています。
なぜインドの神様の摩利支天の名前が出てきたんでしょうか?
摩利支天とは、もともとインドの女神。梵語ではマリーシ。
陽炎(かげろう)や太陽の光・月光の神格化で、曙の神です。
摩利支天は武士たちに人気だったみたいだし、明治時代の神仏分離の名残で、
名前が残っているのかもしれませんね。
造化三神の一柱だけを祀る神社って大変珍しいんです。
この宇宙の創造神である天之御中主大神はすごい神様なんです。
なぜなら、日本神話の筆頭に出てくるんですから。
天と地が初めて開けた時、高天の原(たかまのはら)に出現した神の名は、
天之御中主(あめのみなかぬし)の神。
次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)。
次に神産巣日神(かみむすひのかみ)。
この三柱の神はみな独神(ひとりがみ)となって身を隠されました。
とあります。
天之御中主神の神名の意味
「天」は大地を覆う宇宙・天空。
「御中」は尊意をこめた真ん中。
「主」は主人・主君を意味します。
つまり『天之御中主神』この神名は、
宇宙の神聖なる中央にいる宇宙最高神・至上神であることを意味します。
「天地創成を根本で統括する霊力」と「宇宙の根源神」の神格を持っています。
散策
駐車場からすぐです。
車も数台しか停めれません。
右側に手水舎があり、身を清めます。
最後の鳥居を通り、拝殿に向かいます。
天地創造の神のパワーを感じたい方は、是非御参りにきてみてください。
宇宙のパワーをお借りできるかもしれません。
最後に
天之御中主(あめのみなかぬし)様が有名になったのは、「斉藤一人」さんがお名前を言ってから
注目されるようになった神様でもあります。
「斉藤一人」さんは長者番付にもなった凄い経営者でもあり、不思議な力をもった方でもあります。
気になった方は調べてみてください。素晴らしい方です。
御朱印を頂いたのでご紹介しますね。
神主さんがいないこともあるので、その時は、書置きの御朱印を頂けます。
良い御縁でした。
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2022年08月04日
パワースポットと認知されてきた 「光岡八幡宮」へ
情報
名前:光岡八幡宮
住所:宗像市光岡949
創始:不明
社格:村社
御祭神:神功皇后(じんぐうこうごう)
誉田天皇(ホムダノスメラミコト)
武内大臣(ケケノウチノオオカミ)
闇龗神(クラオカミノカミ)
市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)
素盞嗚尊(スサノオノミコト)
御神徳:成功勝利、子孫繁栄、交通安全、開運招福、学業祈願、厄除け
御朱印:有
由緒
誉田天皇東宮にて未御位に即せ玉はざる時此所へ御遊軍ましまして御車を駐め玉ひたる其陣迹に御社を建てしと云ふ、明治五年十一月三日村社に被定。
祭神闇龗神は同大字字原無格社貴船神社、同大字字大田無格社貴船神社、同大字字損田無格社貴船神社として祭神市杵嶋姫命は同大字字原無格社市杵島神社として祭神素盞嗚尊は字下原無格社須賀神社として祭祀ありしを大正元年十月三十一日合併許可。(参照リンク)
由緒版がなく詳細が分からなりませんでした。
散策
駐車場は少し分かりにくいですが、道路沿いの鳥居の手前に神社側に砂利道があり、
そこに入れば駐車場です。
目印は「宗像四国霊場」の横からです。
二つ目の鳥居をくぐると空気が変わる気がします。
木々が濃くなりますね。
拝殿が見えました。
と、同時に圧倒的な存在感のある御神木が目に入ってきます。
本当に圧倒されます。
思わず、「ありがとうございます」って感謝の言葉が出てきました。
凄いんです。
パワースポットと言われるが分かります。
御神木に御参りする前に、拝殿に御参りをします。
近くで見るとさらにヤバイです。
今は、ロープが張られ、手を触れることは難しいです。
ですが、手を少し伸ばせば根に少し触れることが出来ます。
感謝とパワーの充電。
そして、深呼吸…
私は何も感じない一般人ですが、
「ぶわっ」って感じ?
風ではなく、
「むわっ」って感じがしました。
不思議な体験でした。
「天然記念物の大楠」です。
この光岡八幡宮の参道には、稲荷神社や天満宮などの摂社・末社に祀られており、祠も
いくつかあります。
さらに、奥には磐座(いわくら)があります。
古代より祭事があったのでしょうか。
最後に
以前に記述した「現人神社」と同じく、全然写真を撮ってません…
申し訳ないです。
御朱印の情報ですが、社務所がないので、この光岡八幡宮では頂けませんが、
西福間にある「諏訪神社」で頂けるとのこと。
光岡八幡宮の御神木には、一度御会いしてみてください。
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2022年08月01日
4夫婦8柱 「八所宮」へ
情報
名前:八所宮
住所:宗像市吉留3186
創始:674年
社格:県社
御祭神:土煮尊(ういじにのみこと)
沙土煮尊(すいじにのみこと)
大戸道尊(おおとのじのみこと)
大戸邊尊(おおとべのみこと)
面足尊(おもたるのみこと)
綾惶根尊(あやかしこねのみこと)
伊弉諸尊(いざなぎのみこと)
伊弉册尊(いざなみのみこと)
御神徳:縁結び(結婚)、家内円満、子安、交通安全
御朱印:有
由緒
西暦665年,神武天皇が日向から東征の途,遠賀郡を通った際,神武天皇の先祖神である八所大明神が武士の形に化身し赤馬に乗って現れ,人民を指揮し皇軍に従い,永くこの地の守護神であることを誓ったと言う故事に由来して,この一帯を「赤馬」のちに「赤間」と言うようになり, そして「吉キ所ニ留リ給フ」から神社周辺を「吉留」と呼ぶようになったと伝えられていて,その神武天皇のご神託で西暦674年より現在地に祀られています。
散策
駐車場から鳥居まで少し距離があり歩きます。
さぁ、気合を入れて上るぞー。
鳥居をくぐると別世界に来たような感覚になるほど、自然豊かな木々に囲まれます。
本殿までは、少し上ります。
何個も鳥居をくぐると、平坦な道になり、拝殿が見えはじめました。
凄くきれいな木々に囲まれた参道を歩くのは気持ちがいいですね。
神聖な雰囲気が漂ってました。
やっと上りきりました。。。
少し息が切れてます(笑)
歳ですね。。。
最後の鳥居をくぐると、左側にある手水舎で心身を清めます。
さらに、息も整えます(笑)
拝殿で御参りをしました。
拝殿の横には、「お潮井」という清められた真砂もあり、自由に持ち帰ることができます。
本殿の後ろに、末社・摂社にも御参りをしました。
本殿の周りに、お神輿や弓矢などの倉庫もあり、拝見する事ができます。
毎年10月第3土・日に開催される秋季大祭で深夜に行われる御神幸祭は、無病息災と五穀豊穣を感謝する神事で300年以上の歴史と伝統があります。
神事の際に使用される道具が普通に閲覧できるのですが、写真を撮り忘れてました。。。
御神木です。
御参りをして、手を添えてパワーを入れてもらいます。
ちょっと見切れてますが、案内板と由緒書きです。
さぁ下ります。
最後に行くとこがあるのです。
御手洗池の八大龍王
下りきって鳥居から駐車場に戻る際にある「御手洗池」があり、「八大龍王」が祀られています。
〜
914年間、初代宗像大宮司
清氏が参拝の時、釣り川の上流に
【八所宮】という大社がある
ことを聞き参拝された。
「御手洗池」で手水を使うと
見も心も潔られ、歌を奉納された
と伝えられる。
〜
御参りを終え、清清しい気持ちになりました。
ここ「八所宮」は4夫婦8柱の神様なので、夫婦やご家族で参拝してみてはどうですか??
きっといいご縁になるはず。
最後に…
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
良いご縁でした。
https://www.instagram.com/ena_0221/
https://twitter.com/ena_0221
2022年07月30日
住吉神社の元宮 「現人神社」へ
情報
名前:現人神社
住所:那珂川市仲3丁目6−20
創始:不明
社格:郷社
御祭神:住吉三神(すみよしさんじん)【底筒之男命(そこつつのお)・中筒之男命(なかつつのお)・
表筒之男命(うわつつのお)】
御神徳:仕事運、商売繁盛、就職、転職、航海安全、水難守護
御朱印:有
HP:http://arahito.com/
今まで、神社の写真や御朱印など興味もなかったのですが、たまたま御参りしたこの「現人神社」で目覚めてしまい、神社巡りのきっかけを頂いた大切な神社です。
なので、極端に写真が少なく、撮り方も下手なので、ご理解ください。
目覚める前も、神社巡りをしていたのですが、由緒や境内の雰囲気などには余り目をくれず、参拝だけをメインにしていたので、日本の歴史・八百万の神々の再勉強を始めました。
Instagramも再開したきっかけでもあります。
現人神社とは
現人神社は全国2千以上の住吉神社の中でも最も歴史ある「始祖」である住吉神社(博多)の更に元にあたる。
現人神社から分霊され始まった住吉神社(博多)は大阪の住吉大社、下関の住吉神社と共に日本の三大住吉の1つです。
全国に多く広がった住吉神社の元宮である現人神社では住吉三神を祭神としています。
季節ごとに本殿前の回廊が飾りつけられています。「インスタ映えスポット」として女性に人気の神社です。
私のときは、風車が飾り付けられていました。
今は夏なので風鈴が飾りつけられてます。
現人神社のご祭神とご神徳
昔、神功皇后(じんぐうこうごう)というお后様が日本を治めていました。お后様は国内だけでなく、海外へも目を向け、海を渡った先にある国とも国交を結び、更に国を豊かにすることを考えられました。
しかし、当時は乗船技術も乏しく、海を渡るのは大変危険とされ、また相手の国からは"敵がやって来た!"とみなされ攻撃を受ける可能性もありました。そんなお后様の窮地を救ったのが、現人神社(あらひとじんじゃ)の神様の住吉三神(すみよしさんじん)です。
住吉三神は人の姿でお后様のもとへ現れ、船旅の間、荒れ狂う波風を鎮め、また相手の国の人々が矛を納め、誰も傷つくことのないよう働きかけ、無事に国交を結ぶことができ、日本の国が豊かになりました。このことから現人神社の神様は仕事を成し遂げる上で助けてくださる「仕事運の神様」として知られるようになりました。仕事をする上では日々さまざまな困難に立ち向かう必要があります。
そんな皆さまを現人神社の神様はきっと目に見えないお力でサポートしてくれるはずです。
※参照抜粋(公式HPより)
仕事運のご利益を受けるためにたくさんの社長達が参拝にきています。
写真が少なくてすいません。。。
最後に
初めて御朱印帳を購入し、御朱印を頂けました。
この日から私の新しい神社参拝が始まったのです。
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