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2022年09月29日

岡田宮の元宮「一宮神社」へ

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情報


名前:一宮神社
住所:北九州市八幡西区山寺町12-36
創始:合祀され昭和25年
社格:県社
御祭神:
   王子神社
    神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこ)=神武天皇(じんむてんのう)
    天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)
   諏訪神社
    建御名方命(たけみなかたのみこと)
    仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
    神功皇后(じんぐうこうごう)
    応神天皇(おうじんてんのう)
   大歳神社
    大歳神(おおとしのかみ)
    事代主神 (ことしろぬしのかみ)
御神徳:開運招福、武運長久、金運、子孫繁栄、商売繁盛、五穀豊穣、勝運、縁結び、厄除け、病気平癒、
    所願成就、家内安全、長寿、難難克服、海上安全、豊漁
御朱印:有



由緒


元王子神社 
古事記によれば神武天皇が豊前の宇佐から筑前の岡田の宮においでになり、一年の間この所にとどまられ軍務を見られた所謂御宮居の地であります。

天皇御親ら祓いをされ、地主の神をまつられたという礫をしきつめた社祠の跡が今も残って居ります。この形式の遺跡は全国でも極めて数少ないもので、神籬磐座と呼ばれるものです。

昔は稀に見る大社でありましたが残念なことには、大友氏の兵火により焼失しました。

また神功皇后が洞海を過ぎられた時、三韓降伏を此の神社に祈られ、皇后崎から船出されたこともよく知られています。


元大歳神社
三代実録や続風土記に表れている古く、且つ由緒の深い壮大な社でありましたが、兵火に会ったり没収のことなどのため衰退していました。

元は熊手字港(現日本アルミ敷地内)にあって、新地のお宮として、又農業ゆかりの深い五穀の神として厚く祭られました。

大正13年に三菱の土地買収のため刑部田(現熊西公民館南側)に遷座され、また昭和16年に区画整理のため、今の一宮神社の北隣の地に遷座されました。


元諏訪神社
花尾城主麻生氏が、信州の諏訪神社を刑部田(現御手洗公園敷地)に分祀し、貞元のお宮として厚く祭られました。

祭礼は非常に盛大であつたことが古文書に記されています。

昭和15年区画整理のため遷座の折に王子神社に合祀されました。


4合祀について 
諏訪神社は前記の理由で王子神社に合祀されましたが、昭和25年に王子神社大歳神社の氏子の総意で両社を合祀して社号を一宮神社と称することになりました。

一宮とは多数の文献によると、もと王子神社が所謂一宮として郷土の尊祟の中心であり一宮と称されていたことによるものだそうです。








散策


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一の鳥居です。

周囲は街の中で、一瞬で自然に囲まれます。


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二の鳥居です。

扁額には「王子神社」と書かれていました。


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鳥居をくぐるとすぐ左を見ると「神蹟山 王子本宮」という石碑が目に入ります。

この「王子」というのが天皇になる前の神武天皇の事です。


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古代祭祀場跡の神籬磐境(ひもろぎいわさか)があります。

この磐境は古事記によれば神武天皇、御東征のみぎり、豊前の国宇佐よりこの筑前の国のこの地に御滞在された旧蹟と言われています。天皇が御滞在中、磐境を設けて天神地祇をご親祭された神座神処です。


神籬(ひもろぎ)とは、神代時代、神霊の憑依する所として、清浄な土地を選び周囲に常磐木(ときわぎ)を植えて神座となしたもの。

磐境(いわさか)とは、神を祀るため磐石をもって築きめぐらした場所。


全国でも大変貴重な遺跡でもあり、神聖な場所です。

露天の祭祀は古代の祭祀場の特徴です。

二つの磐境を作って、神々が降りて来る聖なる形を表しています。


神武天皇がここに滞在して、格別に清らかな場所を選んで祭祀し、それから数百年たって、仲哀天皇神功皇后を伴って来て祭祀をしました。

そして、この場に出逢えた奇蹟。

本当に鳥肌が立ち、感動しました。


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古代祭祀場跡の由緒書きです。


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階段を登ると駐車場になっており、そこから入って行きます。


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手水舎で身を清めます。


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拝殿にて、一宮神社に参拝に上がれた感謝と神籬磐座(ひもろぎいわくら)をこの目で見れたことに対する感謝をしました。

ありがたいことなので、入念に。


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この社付近は、昔、岬の上だったとのこと。

一宮神社の隣が皇后崎(こうがさき)という地名があり、神功皇后が「豊浦宮の時代に船を作る為に来た時」として上陸した岬があります。

神武天皇の時代から数百年後の神功皇后の時代にも、まだ海だったということが分かります。


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御神木です。

社務所の隣にありました。








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八大竜王が祀られています。

「水郷柳川から御縁をいただき、この地に祀られました」とのことです。

御神徳は「運気上昇 水難除 祈雨」だそうです。


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境内社は、蛭子神社、疫神社、道祖神が祀られています。


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一宮神社の由緒書きです。








最後に


御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。

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神籬磐境が書かれている御朱印にしました。



これで、黒崎祇園山笠の神社の最後の一つで、三社を回り終えました。

前々回、前回と記述した春日神社岡田宮と今回の一宮神社です。

黒崎祇園山笠の三社が入った特別な御朱印です。


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枚数に限りがある限定御朱印とのことでいたが、偶然参拝した私は、頂けることができました。

ありがとうございます。

参拝の順番に書かれているので、一人一人の神社名の順番が変わります。

この偶然に感謝しかないですね。


教えてくださった春日神社さんありがとうございます。



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