2022年08月27日
海神様の総本宮・龍の都「志賀海神社」へ
情報
名前:志賀海神社
住所:福岡市東区志賀島877
創始:不明
社格:官幣小社
御祭神:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
御神徳:海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒、健康長寿、家内安全、子供守護
御朱印:有
由緒
福岡市の志賀島に鎮座する志賀海神社(しかうみじんじゃ)は、全国の綿津見神社(わたつみじんじゃ)、海神社(あまじんじゃ・かいじんじゃ・わたつみじんじゃ)の総本宮です。
志賀海神社の創建は明らかではありませんが、古くは志賀島北部の勝馬に「表津宮」「仲津宮」「沖津宮」の三社が建てられ、それぞれ「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」が祀られていました。
二世紀から四世紀の間に表津宮を勝山の麓である現在の場所に遷座し、併せて仲津綿津見神、表津綿津見神が奉祀されたと伝えられています。
綿津見三神を祖神とする阿曇族が代々奉斎してきました。
志賀島は古代から、大陸とを結ぶ海上交通の要衝で、志賀島と海の中道を拠点とした阿曇氏(安曇氏)が、玄界灘の海上を制圧していたと考えられます。
天智2年(663年)の朝鮮半島・白村江の戦いで戦死したのも阿曇氏(安曇氏)の一族、安曇比羅夫(あずみのひらふ)なので、神社の創建は神代にまで溯り、平安時代には日宋貿易の拠点となり、室町時代には大内氏が独占した日明・日朝貿易も行なわれています。
散策
鳥居の前に「御潮井」が置いてあります。
禊祓いの神様であるために、ご参拝の前に御潮井を左、右、左と軽くふり清めて神域に入ります。
禊払いを終えてようやく入れます。
階段を登ると、平らな参道が現れました。
![](https://www18.a8.net/0.gif?a8mat=3HE5ZX+FH9YPU+4H2M+6DZBL)
楼門の前に、今は柵があり、渡ることが出来ませんが15本の石を組んだ太鼓橋があります。
何となく気になり、何枚か写真を撮ってしまいました。
![](https://www13.a8.net/0.gif?a8mat=3HE5ZX+FH9YPU+4H2M+6FWRL)
手水舎で、身をさらに清めます。
拝殿にて、感謝と今後の交通安全のお参りをしました。
私が手水舎で身を清め終わった瞬間、誰もいなくなってしまいました。
いつも人が多い神社なので、不思議な感覚を覚え、ゆっくりとお参りすることができました。
「誠にありがとうございます。」
拝殿の右側には遥拝所があり、雄雌2つの亀石(かめいし)が祀られています。
これは、志賀島に伝わる神功皇后伝説にちなんで奉納された霊石です。
神功皇后が三韓征伐の際に、無事凱旋できるように海の神様・阿曇磯良丸(あづみのいそらまる)を通じて祈願したところ、海から雄雌の黄金の亀に乗った神々が現れ、航路を守り導いたと伝えられています。
後にその亀が、石になって志賀島の海岸に流れ着き奉納されたものだそうです。
ちなみに、遥拝所の一直線上に伊勢神宮を向いているそうです。
参道の万葉歌碑です。
鳥帽子石、陰陽石が奉納されています。
![](https://www17.a8.net/0.gif?a8mat=3HE3NF+5K1VR6+1WP2+63H8H)
参道の石造宝篋印搭です。福岡県で最古とのこと。
最後に
色んな言い伝えや、国家の「君が代」等の話も色々あり、興味深い古社です。
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
私が摂社・末社のお参りを終えるころ、人が雪崩のように参拝にやってこられました。
参拝客が多い神社では、不思議な体験でした。
もしかしたら、歓迎されていたのかもしれませんね。
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![](https://www17.a8.net/0.gif?a8mat=3HE3NF+5K1VR6+1WP2+63H8H)
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