新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年09月04日
努力をしない50代になりたくないよ〜
以前は仕事場では重要なポジションを務めていたほうだと思う
でも数年前から引き継ぎを兼ねて、別のポジションの仕事をしている
なんでか、仕事の充実感が以前より亡くなった
年のせいで気力がなくなったからだと思ったりもしたが、
(確かに体力はなくなっている気がしているが)
自己有用感が何となく薄い
年をとって以前ほど頭もキレてない気もするし、エネルギッシュでもない
職場の中心が一番働きやすい20代〜40代を中心にまわることは決して悪いことではない
夢中になって仕事ができるし、面白いし、新しいことにチャレンジしようとするし、人からいろいろなことを吸収しようと貪欲になれるし。
50代になって勘所は抑えられるし、先を見通すこともできるし、視野を広く持って事に当たれるし
別に悪いことばかりではない。それなりに経験も積んでいるわけだし。
しかし、何ていっても、中心からは外れているということが、若干寂しい。
でも、その分、プライベートで時間がある。
以前ならば頭の中は常に様々な仕事上の案件が占めていたし、自分の時間を持つよりも120%仕事に没頭していたが、今は少し時間に余裕がある。
だから、勉強をしたいなと思ったり、ブログを書いてみるかと思ったり、好きなだけアメリカのドラマシリーズを見てみたりすることができる。今まで手にしていなかったプライベートな時間がやっと手に入ったわけだ。でも仕事では中心にいない。
環境の変化に慣れるのは、子どもも大人もおんなじなんだなと思う。
小学校から中学校へ入学すると、中1ギャップというハードルがある。そのため、中学に入ってからは不登校の生徒が増える。ポジションの変化だ。仕事内容の変化ともいうか。求められるレベルが高くなり、やるべきことが増える。けれど、中学1年生は一番下の学年で、部活動ではこき使われる。
大人では50代になって、新しいポジションについて、今までのようなやり方ではなく、ICTを活用したコンピューターやインターネットを有効活用しながら仕事に当たらなければならない。新しいものに適応しなければならい状況になっている。
レジリエンスという言葉が流行っている
一度失敗してしまっても、そこからしなやかにもとに戻る力、言い換えると、立ち上がる力を示す
50歳を過ぎても、変化する社会に適応し、受け持つ仕事に適応し、自ら課題を認識して積極的に取り組んでいくことが要求される。言われたことだけをやっているのでは、普通で、仕事上の影響力を発揮することはできない。
果たして自分が仕事場の中心に慣れないことが不満なのか、仕事上の影響力の低下に焦りを感じているのか、この先ちゃんとやっていけるのかどうかに対して不安を感じているのか、よくわからないけれど、
仕事をFlowの状態で取り組むことが少なくなってきている。
他人に認めてもらおうとすると、そうでないときに非常に苦しい
自分で仕事に誠実に、課題をもって取り組むこと、ただやるのではなく、影響力を発揮するためにできることをやっていない自分に腹が立つ
人に認めてもらうことを追い求めるのでなく、自分の今いる場所で、自分のできることを精一杯やって、仕事をFLOWの状態にできるようにしたいと心より思う
でも数年前から引き継ぎを兼ねて、別のポジションの仕事をしている
なんでか、仕事の充実感が以前より亡くなった
年のせいで気力がなくなったからだと思ったりもしたが、
(確かに体力はなくなっている気がしているが)
自己有用感が何となく薄い
年をとって以前ほど頭もキレてない気もするし、エネルギッシュでもない
職場の中心が一番働きやすい20代〜40代を中心にまわることは決して悪いことではない
夢中になって仕事ができるし、面白いし、新しいことにチャレンジしようとするし、人からいろいろなことを吸収しようと貪欲になれるし。
50代になって勘所は抑えられるし、先を見通すこともできるし、視野を広く持って事に当たれるし
別に悪いことばかりではない。それなりに経験も積んでいるわけだし。
しかし、何ていっても、中心からは外れているということが、若干寂しい。
でも、その分、プライベートで時間がある。
以前ならば頭の中は常に様々な仕事上の案件が占めていたし、自分の時間を持つよりも120%仕事に没頭していたが、今は少し時間に余裕がある。
だから、勉強をしたいなと思ったり、ブログを書いてみるかと思ったり、好きなだけアメリカのドラマシリーズを見てみたりすることができる。今まで手にしていなかったプライベートな時間がやっと手に入ったわけだ。でも仕事では中心にいない。
環境の変化に慣れるのは、子どもも大人もおんなじなんだなと思う。
小学校から中学校へ入学すると、中1ギャップというハードルがある。そのため、中学に入ってからは不登校の生徒が増える。ポジションの変化だ。仕事内容の変化ともいうか。求められるレベルが高くなり、やるべきことが増える。けれど、中学1年生は一番下の学年で、部活動ではこき使われる。
大人では50代になって、新しいポジションについて、今までのようなやり方ではなく、ICTを活用したコンピューターやインターネットを有効活用しながら仕事に当たらなければならない。新しいものに適応しなければならい状況になっている。
レジリエンスという言葉が流行っている
一度失敗してしまっても、そこからしなやかにもとに戻る力、言い換えると、立ち上がる力を示す
50歳を過ぎても、変化する社会に適応し、受け持つ仕事に適応し、自ら課題を認識して積極的に取り組んでいくことが要求される。言われたことだけをやっているのでは、普通で、仕事上の影響力を発揮することはできない。
果たして自分が仕事場の中心に慣れないことが不満なのか、仕事上の影響力の低下に焦りを感じているのか、この先ちゃんとやっていけるのかどうかに対して不安を感じているのか、よくわからないけれど、
仕事をFlowの状態で取り組むことが少なくなってきている。
他人に認めてもらおうとすると、そうでないときに非常に苦しい
自分で仕事に誠実に、課題をもって取り組むこと、ただやるのではなく、影響力を発揮するためにできることをやっていない自分に腹が立つ
人に認めてもらうことを追い求めるのでなく、自分の今いる場所で、自分のできることを精一杯やって、仕事をFLOWの状態にできるようにしたいと心より思う
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2018年08月31日
年を取った人は昔の話をするとはいうけれど・・・本当にそうだ
大学院に在学中、同じゼミのメンバーが8人、同じコースの学生が20人、仲良く研究をしていました。フィールドワークというか現場での調査をする人が多いコースだったので、1年目に授業を取りながら、研究計画を立てて、2年目の1学期はほとんどの学生が、それぞれの研究のフィールドとなる場所へ戻ってデータを収集し、夏休み中にデータ分析をして、修士論文を書いていた。
院生室は24時間出入り自由だったため、私はもっぱら夜の8時ぐらいから朝の6時ぐらいまで、夜に明かりを付けて、朝早く来る院生が6時半ぐらいなので、その彼に会わないように、大学の寮へ戻っていく生活をしていた。夜のほうが人の出入りが少ないので、音がせずに集中できた。もちろん、寮の部屋で夜な夜な勉強するときもあった。
朝は、寮に帰る前に、朝早くからやっている食堂で朝食を食べてから、寮に帰って寝るような昼夜逆転の生活が後半続いた。昼の3時ごろ起きて、シャワーを浴びてから、再び研究室へ。他の院生と情報交換をして、ひとしきり交流をして、図書館へ行ったり、友達と待ち合わせをして夕飯を食べに行ったりして、夜の8時ごろから再び院生室へ。
そのころ自分は煙草を吸っていたので、1時間に1度は喫煙所へ行き、ひんやりとした夜風を感じながら(時には寒くてぶるぶると震えながら)タバコを吸ったりしていた。他のコースの学生の中にも夜に作業をする学生がいたので、喫煙所でお友達ができたりもした。
自分の好きなことを研究できるのは、本当に楽しかった。途中膨大なデータを処理するような作業をしているときでも、肩コリと闘いながらも、自分の仮説が指示されるのか、わくわくしながら作業をしたのを、昨日のことのように思い出す。
ゼミでは朝の8時半に招集されて、一人1時間半ぐらいの発表をした。8陣いるのでざっと計算しても12時間の長丁場となる。教授の「今の内容について何か質問はありませんか」の声とともに、自分以外の8人が、さまざまな視点から質問を浴びせかけてくる。しかし、その質問に答えることを繰り返すことによって、自分の視点が深化拡充して、自分よがりでない、広く受け入れられるような研究になっていった。その経験があるからか、人からの質問に対しては感謝をするようになった。自分の気づかなかった視点に気づかせてくれるから。また広く万人に受け入れられるような研究に近づけることができるから。
大学院在学中に、心より尊敬できる教授に出会い、全国から集まった志のある人々に出会い、との当時の最新情報に触れることができ、長時間の会議についていくだけの精神力、集中力、思考力を養うことができ、短時間で他人の研究内容について考えることを訓練し・・・様々な体験をした。
しかし同時に小学校時代からの友達が出産に伴う出血多量で亡くなり、永遠の別れを経験したりもした。
あれから18年が過ぎた。
励ましあって、乗り越えて来た楽しくも苦悩に満ちた日々を共有した仲間に、ひょんなことから連絡をすることになった。みんな一瞬にしてそのころの感覚に戻り、やりとりを始めている。
今年度中に1度はみんなで集まりたいなと計画を立てたいと思っている。
あの頃に比べると、いろいろなことを経験し、自信を深めている。きっとほかの人も同じようなもんじゃないかと思う。そんな今を一生懸命に生きている人たちに会って、昔を思い出すとともに、新たに頑張ろうというエネルギーをもらいたいと思っている。
あの頃は独身だったから、結構危ないこともあった。いや、別に法律に触れているわけではないので、別に隠すこともないんだけれど、好き勝手にやらせてもらった。あんなことや、こんなこと、ちょっと数えると片手では収まらないかも・・・。でもまだ若かったから、若気の至りということで・・。
全国に散らばっている仲間とは普段は会うことはできないけれど、本当に今年は1度あっておきたい。
院生室は24時間出入り自由だったため、私はもっぱら夜の8時ぐらいから朝の6時ぐらいまで、夜に明かりを付けて、朝早く来る院生が6時半ぐらいなので、その彼に会わないように、大学の寮へ戻っていく生活をしていた。夜のほうが人の出入りが少ないので、音がせずに集中できた。もちろん、寮の部屋で夜な夜な勉強するときもあった。
朝は、寮に帰る前に、朝早くからやっている食堂で朝食を食べてから、寮に帰って寝るような昼夜逆転の生活が後半続いた。昼の3時ごろ起きて、シャワーを浴びてから、再び研究室へ。他の院生と情報交換をして、ひとしきり交流をして、図書館へ行ったり、友達と待ち合わせをして夕飯を食べに行ったりして、夜の8時ごろから再び院生室へ。
そのころ自分は煙草を吸っていたので、1時間に1度は喫煙所へ行き、ひんやりとした夜風を感じながら(時には寒くてぶるぶると震えながら)タバコを吸ったりしていた。他のコースの学生の中にも夜に作業をする学生がいたので、喫煙所でお友達ができたりもした。
自分の好きなことを研究できるのは、本当に楽しかった。途中膨大なデータを処理するような作業をしているときでも、肩コリと闘いながらも、自分の仮説が指示されるのか、わくわくしながら作業をしたのを、昨日のことのように思い出す。
ゼミでは朝の8時半に招集されて、一人1時間半ぐらいの発表をした。8陣いるのでざっと計算しても12時間の長丁場となる。教授の「今の内容について何か質問はありませんか」の声とともに、自分以外の8人が、さまざまな視点から質問を浴びせかけてくる。しかし、その質問に答えることを繰り返すことによって、自分の視点が深化拡充して、自分よがりでない、広く受け入れられるような研究になっていった。その経験があるからか、人からの質問に対しては感謝をするようになった。自分の気づかなかった視点に気づかせてくれるから。また広く万人に受け入れられるような研究に近づけることができるから。
大学院在学中に、心より尊敬できる教授に出会い、全国から集まった志のある人々に出会い、との当時の最新情報に触れることができ、長時間の会議についていくだけの精神力、集中力、思考力を養うことができ、短時間で他人の研究内容について考えることを訓練し・・・様々な体験をした。
しかし同時に小学校時代からの友達が出産に伴う出血多量で亡くなり、永遠の別れを経験したりもした。
あれから18年が過ぎた。
励ましあって、乗り越えて来た楽しくも苦悩に満ちた日々を共有した仲間に、ひょんなことから連絡をすることになった。みんな一瞬にしてそのころの感覚に戻り、やりとりを始めている。
今年度中に1度はみんなで集まりたいなと計画を立てたいと思っている。
あの頃に比べると、いろいろなことを経験し、自信を深めている。きっとほかの人も同じようなもんじゃないかと思う。そんな今を一生懸命に生きている人たちに会って、昔を思い出すとともに、新たに頑張ろうというエネルギーをもらいたいと思っている。
あの頃は独身だったから、結構危ないこともあった。いや、別に法律に触れているわけではないので、別に隠すこともないんだけれど、好き勝手にやらせてもらった。あんなことや、こんなこと、ちょっと数えると片手では収まらないかも・・・。でもまだ若かったから、若気の至りということで・・。
全国に散らばっている仲間とは普段は会うことはできないけれど、本当に今年は1度あっておきたい。
タグ:大学院
2018年08月30日
Integrity の難しさ
3月から始めた糖質制限ダイエット
5月の後半の歓送迎会に連続して参加したあたりから、
気が緩んだもの手伝って
いったんは5キロぐらいするすると痩せたのに
今はあと300グラム増えると3月の頃の体重に戻るというレベルまで太ってしまった
この失敗で若干の自己嫌悪に
何て意志が弱いんだ
と自分のことが好きでなくなっていく
でもちょっとだけ、もう一度やってみるか?と思うような出来事が起きた
10月に高校時代に留学していた高校の同級生が東京に遊びにくることになった
今からたったの1か月しかないけど、まずはそこに向けてダイエットを再開するという作戦
5年に1度は同窓会で会ってはいるけれど、日本で会うのは初めて
「写真をいっぱいとったり、出かけよう」
と言われているので、記念に残る写真だからちょっとでも努力しておくという不純な動機
もうひとつは、1999年〜2000年に大学院に在籍していた
そのときの教官がどうも3月に退官するのでは?ということに気が付いた
教官を囲んでお祝いをして、同期のみんなにも会いたいな・・・という気持ちが湧いてきた
そのときに、ボテボテの体じゃちょっと楽しめない気がするので、
ちょっとはぐーたら主婦の自分からかっこをつけたいな〜なんて
いや、一応働いているからキャリアウーマンなんだろうけど、
同期はもうすでに偉い役職についている人たちもいるから、(自分は普通だけど)
少しは小奇麗にしとくかな?っていう,見栄っ張りってことなのかもしれない
自分があこがれているクエーカーは見栄をはったりしちゃいけないし、シンプルに質素に、誠実に、平等に、平和に生きなければいけなくて、本当はそういうのを少し学んで自分も少しでもそういう生き方をしたいなと思っているのに、
現実は人からよく思われたいと願っている自分がいる。
見た目じゃなくて、なかみを磨きたいと思いながら、行動は別のことをしてしまっている
自分の生き方に統一感がないこと
これが近頃きになる出来事
5月の後半の歓送迎会に連続して参加したあたりから、
気が緩んだもの手伝って
いったんは5キロぐらいするすると痩せたのに
今はあと300グラム増えると3月の頃の体重に戻るというレベルまで太ってしまった
この失敗で若干の自己嫌悪に
何て意志が弱いんだ
と自分のことが好きでなくなっていく
でもちょっとだけ、もう一度やってみるか?と思うような出来事が起きた
10月に高校時代に留学していた高校の同級生が東京に遊びにくることになった
今からたったの1か月しかないけど、まずはそこに向けてダイエットを再開するという作戦
5年に1度は同窓会で会ってはいるけれど、日本で会うのは初めて
「写真をいっぱいとったり、出かけよう」
と言われているので、記念に残る写真だからちょっとでも努力しておくという不純な動機
もうひとつは、1999年〜2000年に大学院に在籍していた
そのときの教官がどうも3月に退官するのでは?ということに気が付いた
教官を囲んでお祝いをして、同期のみんなにも会いたいな・・・という気持ちが湧いてきた
そのときに、ボテボテの体じゃちょっと楽しめない気がするので、
ちょっとはぐーたら主婦の自分からかっこをつけたいな〜なんて
いや、一応働いているからキャリアウーマンなんだろうけど、
同期はもうすでに偉い役職についている人たちもいるから、(自分は普通だけど)
少しは小奇麗にしとくかな?っていう,見栄っ張りってことなのかもしれない
自分があこがれているクエーカーは見栄をはったりしちゃいけないし、シンプルに質素に、誠実に、平等に、平和に生きなければいけなくて、本当はそういうのを少し学んで自分も少しでもそういう生き方をしたいなと思っているのに、
現実は人からよく思われたいと願っている自分がいる。
見た目じゃなくて、なかみを磨きたいと思いながら、行動は別のことをしてしまっている
自分の生き方に統一感がないこと
これが近頃きになる出来事
2018年08月26日
新しい 24 twenty-four をHuluで見つけてしまった
見つけてしまった
新しい 24 twenty-four を
今度は主人公が黒人で
キーファーサザーランドのような、誠実で、魅力的なキャラが果たして立つのか
若干不安だけど、一応約束はどんなことがあっても守る男、裏切らない男という感じの主人公です
Huluで見始めました
24 は好きな人はとても好きだと思います
ただ、1つの事件が解決するまでに、一応24時間かかることになってます。
ストリーミングのビデオで見ると、1話が45分ぐらいなので
少し短くなるけれど
毎週1話ずつ見るテレビシリーズはじれったい
時には用事で見れないこともある
ビデオをセットしてとか、まめな人はするんだろうけど、
私は1ッ見が好き
今は、ツインピークスの最新版 after 25 years かな? これを待ってます
または、グレイズアナトミーのシーズン13
ビデオでは見られるんだけど、早く無料で流してくれないかな~と待ってます
あとはバンバイヤーズダイアリーのシーズン6~8
シーズン5まではちゃんと見ました。でも6と7が無料で見れなくてね
こちらも待ってますわ
Kindle unlimited で無料の本を読み放題するか
Hulu で無料で面白そうなアメリカのテレビドラマをシリーズで見るか
そうやって夜が更けて行っちゃうんだ
新しい 24 twenty-four を
今度は主人公が黒人で
キーファーサザーランドのような、誠実で、魅力的なキャラが果たして立つのか
若干不安だけど、一応約束はどんなことがあっても守る男、裏切らない男という感じの主人公です
Huluで見始めました
24 は好きな人はとても好きだと思います
ただ、1つの事件が解決するまでに、一応24時間かかることになってます。
ストリーミングのビデオで見ると、1話が45分ぐらいなので
少し短くなるけれど
毎週1話ずつ見るテレビシリーズはじれったい
時には用事で見れないこともある
ビデオをセットしてとか、まめな人はするんだろうけど、
私は1ッ見が好き
今は、ツインピークスの最新版 after 25 years かな? これを待ってます
または、グレイズアナトミーのシーズン13
ビデオでは見られるんだけど、早く無料で流してくれないかな~と待ってます
あとはバンバイヤーズダイアリーのシーズン6~8
シーズン5まではちゃんと見ました。でも6と7が無料で見れなくてね
こちらも待ってますわ
Kindle unlimited で無料の本を読み放題するか
Hulu で無料で面白そうなアメリカのテレビドラマをシリーズで見るか
そうやって夜が更けて行っちゃうんだ
タグ:24
自分の中の違和感に気が付いて・・・
Facebookはそもそもアメリカの友達とのやりとりに便利だから使っていたが、最近は
「プラスティック製品を禁止しよう」とか
「2万円で売られる少女を助けよう」とか
国をまたいで考えたほうがいいであろう社会的な事象についての記事やデータを目にすることが多くなった
今まで自分が関心がなかった分野のことや、全くしらなかった社会問題について知ることができて、それはそれで面白い
不特定多数の人に、社会的に意義のある活動を周知するのに、Facebookは便利なツールだ
また、
最近ではよく洋服の宣伝が私のFacebookに入ってくる
それは安いし、デザインもかわいい
昨日はそれを見ていて、一つのサイトではいくつかネット注文をして、もう一つのサイトでは注文を控えた
Wish というサイト
Facebookに入ってくる広告をクリックし、そのHPへ移動
このサイトは90%オフとか80%オフとか
お得感があるような表示の仕方だった
私はこのお得感にめっきり弱い
だから、まあ眉唾物で元の値段はきっとそんなに高くはないだろうけれど、
日本のお店で買うよりも安そうな品物を選び
いくつかネット注文をした
この時はあまり深く考えていなかった
つぎにしばらくすると、別の洋服の広告がめについた
Doresuwe というサイト
これはワンピースが中心のデザインもかわいく、値段も安い、超お得感のあるサイトだった
私はこっちでも少し服を買っておくか~
とHPをくまなくチェック
ふと、口コミサイトまで見てみることに
すると、あらびっくり
このDoresuweでは服を買わないで~
とか
後悔しますよ
縫製やボタンの穴の大きさがまちまちで・・・
とかの口コミが・・・・
でも、これはアマゾンや楽天でも扱っている商品・・・・なぜ?
結局こっちはいま保留にしていて、もう少し調査をして、試してみようと思ってます
Wishは中国産で欧米の体形向け、デザインといった感じのサイト
Doresuweは中国産、アジア向けといった感じのデザインのサイトでした
中国産ということで、カードで払うのが少し心配といえば心配
セキュリティーの部分とか、情報流出とか
今まであまり実感してなかったけれど、自分の中国に対して不信感を持っていることに気が付いてしまった感じ。自分は平和主義で、差別を嫌悪し、人類みな平等・・・といった考えに共感して、そうやって生きていきたいと思っているのに、カード番号流出しないかな???ですからね
よく考えたら日本の企業だって流出してしまう場合もあるし、中国だからといってすぐそう思ってしまうことはおかしいと頭では思いつつ・・・・自分の反応にちょっとあきれてしまいました
あともう一つ
これらはどうみてもFast Fashon なわけです
Fast Fashonが悪いと言っているわけではありません。でも
「値段がやすいからこれくらいの縫い目の粗さはしょうがない」と自分に言い聞かせて着る服で、自分の気持ちがアゲアゲになるのか?
「1シーズン着ることができたから、もとは取れた」
と言って、ごみに出してしまうのか
それって生き方としてどう?地球の環境がどうとか関心があるならば、それってどう?
さらに、Fast Fashon の背後には児童労働の問題も背後にはあるわけです
子どもが学校に行かず、毎朝工場に向かい働かされている実態が
子どもだから、賃金は安いでしょうし、(払っていれば)おとなではこうはいかないでしょう
自分自身の生き方に Integrity がない・・・それが自分の中の矛盾として
最近は無視できない問題になりつつあります
私がすばらしいなと感じる人は このIntegrityがしっかりしている人です
インテグリティとは
英語の本来の意味はオックスフォード英英辞典によれば the quality of being honest and having strong moral principles(誠実であるとともに強固な倫理原則を維持できている状態)ということで正直とか誠実とかよりワンランク上の状態をを言う。英次郎ではa person of great integrityは清廉潔白の人と訳しており、並みの人間が簡単に到達出来るレベルではない高尚な精神の状態を示している
田草川弘という東海大学の外国語教授によればインテグリティというのは特別な言葉だそうである。米国ではインテグリティがあると言えば最高の褒(ほ)め言葉になる.逆にインテグリティを喪失したといえば、それは人格の全否定になる。インテグリティとは、いかなる権力や圧力にも諂(へつら)わず屈しない道義心の堅固さ、この人ならばと人格的に全幅の信頼を集める内面的な強靱さ、したたかさ、行動力と実績を意味する。
後半のアメリカにおけるIntegrityの意味は、おそらく宗教的な意味も含まれていると思う
神の前において、聖書に書かれている言葉を実行に移すことができるといった意味も含まれていると私は感じている。単に人との関係においてのみの評価ではなく。
まあ今回の自分のネットショッピングの行動から、自分の普段見ないようにしていたであろう醜い感情を認識してしまいました
そもそもクエーカーの教えに関心がでてきて、シンプリシティーをモットーに生活していこうと考え、虚栄心を排除しようと思っていたのに、、服を着て気分をアゲアゲにしたい・・・ちょっとは人からよく見られたいという気持ちが湧いてきていることがびっくりです。
もう少し地に足付けて
やっていかないとな~
「プラスティック製品を禁止しよう」とか
「2万円で売られる少女を助けよう」とか
国をまたいで考えたほうがいいであろう社会的な事象についての記事やデータを目にすることが多くなった
今まで自分が関心がなかった分野のことや、全くしらなかった社会問題について知ることができて、それはそれで面白い
不特定多数の人に、社会的に意義のある活動を周知するのに、Facebookは便利なツールだ
また、
最近ではよく洋服の宣伝が私のFacebookに入ってくる
それは安いし、デザインもかわいい
昨日はそれを見ていて、一つのサイトではいくつかネット注文をして、もう一つのサイトでは注文を控えた
Wish というサイト
Facebookに入ってくる広告をクリックし、そのHPへ移動
このサイトは90%オフとか80%オフとか
お得感があるような表示の仕方だった
私はこのお得感にめっきり弱い
だから、まあ眉唾物で元の値段はきっとそんなに高くはないだろうけれど、
日本のお店で買うよりも安そうな品物を選び
いくつかネット注文をした
この時はあまり深く考えていなかった
つぎにしばらくすると、別の洋服の広告がめについた
Doresuwe というサイト
これはワンピースが中心のデザインもかわいく、値段も安い、超お得感のあるサイトだった
私はこっちでも少し服を買っておくか~
とHPをくまなくチェック
ふと、口コミサイトまで見てみることに
すると、あらびっくり
このDoresuweでは服を買わないで~
とか
後悔しますよ
縫製やボタンの穴の大きさがまちまちで・・・
とかの口コミが・・・・
でも、これはアマゾンや楽天でも扱っている商品・・・・なぜ?
結局こっちはいま保留にしていて、もう少し調査をして、試してみようと思ってます
Wishは中国産で欧米の体形向け、デザインといった感じのサイト
Doresuweは中国産、アジア向けといった感じのデザインのサイトでした
中国産ということで、カードで払うのが少し心配といえば心配
セキュリティーの部分とか、情報流出とか
今まであまり実感してなかったけれど、自分の中国に対して不信感を持っていることに気が付いてしまった感じ。自分は平和主義で、差別を嫌悪し、人類みな平等・・・といった考えに共感して、そうやって生きていきたいと思っているのに、カード番号流出しないかな???ですからね
よく考えたら日本の企業だって流出してしまう場合もあるし、中国だからといってすぐそう思ってしまうことはおかしいと頭では思いつつ・・・・自分の反応にちょっとあきれてしまいました
あともう一つ
これらはどうみてもFast Fashon なわけです
Fast Fashonが悪いと言っているわけではありません。でも
「値段がやすいからこれくらいの縫い目の粗さはしょうがない」と自分に言い聞かせて着る服で、自分の気持ちがアゲアゲになるのか?
「1シーズン着ることができたから、もとは取れた」
と言って、ごみに出してしまうのか
それって生き方としてどう?地球の環境がどうとか関心があるならば、それってどう?
さらに、Fast Fashon の背後には児童労働の問題も背後にはあるわけです
子どもが学校に行かず、毎朝工場に向かい働かされている実態が
子どもだから、賃金は安いでしょうし、(払っていれば)おとなではこうはいかないでしょう
自分自身の生き方に Integrity がない・・・それが自分の中の矛盾として
最近は無視できない問題になりつつあります
私がすばらしいなと感じる人は このIntegrityがしっかりしている人です
インテグリティとは
英語の本来の意味はオックスフォード英英辞典によれば the quality of being honest and having strong moral principles(誠実であるとともに強固な倫理原則を維持できている状態)ということで正直とか誠実とかよりワンランク上の状態をを言う。英次郎ではa person of great integrityは清廉潔白の人と訳しており、並みの人間が簡単に到達出来るレベルではない高尚な精神の状態を示している
田草川弘という東海大学の外国語教授によればインテグリティというのは特別な言葉だそうである。米国ではインテグリティがあると言えば最高の褒(ほ)め言葉になる.逆にインテグリティを喪失したといえば、それは人格の全否定になる。インテグリティとは、いかなる権力や圧力にも諂(へつら)わず屈しない道義心の堅固さ、この人ならばと人格的に全幅の信頼を集める内面的な強靱さ、したたかさ、行動力と実績を意味する。
後半のアメリカにおけるIntegrityの意味は、おそらく宗教的な意味も含まれていると思う
神の前において、聖書に書かれている言葉を実行に移すことができるといった意味も含まれていると私は感じている。単に人との関係においてのみの評価ではなく。
まあ今回の自分のネットショッピングの行動から、自分の普段見ないようにしていたであろう醜い感情を認識してしまいました
そもそもクエーカーの教えに関心がでてきて、シンプリシティーをモットーに生活していこうと考え、虚栄心を排除しようと思っていたのに、、服を着て気分をアゲアゲにしたい・・・ちょっとは人からよく見られたいという気持ちが湧いてきていることがびっくりです。
もう少し地に足付けて
やっていかないとな~
タグ:Integrity
2018年08月25日
69歳から48歳までの飲み会
今日は以前勤めていたときに、一緒に働いていた人たちとの飲み会でした
私は比較的若く、上は69歳の女性から、68歳、65歳、50代後半、そして52歳現役、後輩48歳の総勢14人の集まりでした。この飲み会は、退職して人生を謳歌していた年長の男性が、ガンになり、人生を見つめた時に何が大事かを考えて、また一緒に激務の仕事を乗り越えた同紙とのつながりを大事にしたいとくことで、昨年から夏に集いはじめました。
そういった先輩方の集まりに呼んでいただけるのは非常に嬉しいことでした
今からおよそ18年ぐらい前に一緒に困難を乗り越えてチームで働いてきたので、久々にあっても気心知れた仲間として会話が弾みます。今のそうですが、当時からリーダーシップをとって、責任を引き受けて、後輩の面倒もよく見てくれる職場でした。学んだことが本当にたくさんありました。
自分は今、後輩からみてそういった頼れる存在に慣れるんだろうか?とわが身を振り返ってしまいました。
仕事をやめてから、それぞれの先輩方が、今何に夢中になって取り組んでいるのかをうかがうことができました。
一人は、仕事をしている時から、高校時代に取り組んでいたボート競技の指導をしていて、母校のボート部の指導をしているそうです。本当に楽しんで人生を生きているなと感じました
もう一人は、地域の自治会の活動にも積極的に参加していることに加え、政治活動にも参加して、理想のコミュニティーづくりに邁進しています。
ある女性の先輩は、大学に入り、勉強をしなおしている人、
織物や小物づくりをして、陶芸の作品展を銀座でしている人、
来年退職するので、季節ごとの観光(春は花見、秋は紅葉など)仕事の調整することなく、自由に旅行にいくんだと退職を心待ちにしている人、
以前からロッククライミングや沢登りをなさっていた方は、ここ数年岩登りにはまっているという話を伺いました
3人目の孫の世話をしていて、生後一か月の赤ちゃんと毎日幸せな気持ちで過ごしてますという報告や、
新しい職場でまだ慣れなくて困ってるといった話も聞かれました
でもとにかく一番つまらなかったのは、〇〇だから××できない といった、状況のせいにして自分の人生を生きていない人の話を聞くことでした
いつ義理の父母が何かあるかもしれないから、海外旅行に行けない、行けても一泊二日がせいぜいだわ、とか
障碍者雇用の水増しは許せないよね〜とか自民党がとか、関心があるのはわかるけど、年に1度の飲み会なのに、自分のことや面白い話題じゃなくて、社会問題について語られてもなんだかか〜と思いました
「七つの習慣」じゃないけど、影響の輪と関心の輪をしっかりと分けて、自分が動いて何かを変革しようとするとか、何かに影響を与えるとか、自分が動くことによって成果を出すという影響の輪の話は惹きつけられるが、関心の輪の話をされてもいまいちつまらなかった
退職した人たちが、自分の影響のおよぶ物事に取り組み、継続してレベルアップをするなり、拡大していくなりして成長する話を聞くことは、参加にもなるし、ある意味inspireされると思いますが、観念的なことがらを話されても心は動かないんだなと思いました
自分も人と話をするときに、少し気を付けようと思いました。
話をしていて元気になる人って周りに人が集まってくるから、
私もそういう人になりたいと思いました
続きを読む...
私は比較的若く、上は69歳の女性から、68歳、65歳、50代後半、そして52歳現役、後輩48歳の総勢14人の集まりでした。この飲み会は、退職して人生を謳歌していた年長の男性が、ガンになり、人生を見つめた時に何が大事かを考えて、また一緒に激務の仕事を乗り越えた同紙とのつながりを大事にしたいとくことで、昨年から夏に集いはじめました。
そういった先輩方の集まりに呼んでいただけるのは非常に嬉しいことでした
今からおよそ18年ぐらい前に一緒に困難を乗り越えてチームで働いてきたので、久々にあっても気心知れた仲間として会話が弾みます。今のそうですが、当時からリーダーシップをとって、責任を引き受けて、後輩の面倒もよく見てくれる職場でした。学んだことが本当にたくさんありました。
自分は今、後輩からみてそういった頼れる存在に慣れるんだろうか?とわが身を振り返ってしまいました。
仕事をやめてから、それぞれの先輩方が、今何に夢中になって取り組んでいるのかをうかがうことができました。
一人は、仕事をしている時から、高校時代に取り組んでいたボート競技の指導をしていて、母校のボート部の指導をしているそうです。本当に楽しんで人生を生きているなと感じました
もう一人は、地域の自治会の活動にも積極的に参加していることに加え、政治活動にも参加して、理想のコミュニティーづくりに邁進しています。
ある女性の先輩は、大学に入り、勉強をしなおしている人、
織物や小物づくりをして、陶芸の作品展を銀座でしている人、
来年退職するので、季節ごとの観光(春は花見、秋は紅葉など)仕事の調整することなく、自由に旅行にいくんだと退職を心待ちにしている人、
以前からロッククライミングや沢登りをなさっていた方は、ここ数年岩登りにはまっているという話を伺いました
3人目の孫の世話をしていて、生後一か月の赤ちゃんと毎日幸せな気持ちで過ごしてますという報告や、
新しい職場でまだ慣れなくて困ってるといった話も聞かれました
でもとにかく一番つまらなかったのは、〇〇だから××できない といった、状況のせいにして自分の人生を生きていない人の話を聞くことでした
いつ義理の父母が何かあるかもしれないから、海外旅行に行けない、行けても一泊二日がせいぜいだわ、とか
障碍者雇用の水増しは許せないよね〜とか自民党がとか、関心があるのはわかるけど、年に1度の飲み会なのに、自分のことや面白い話題じゃなくて、社会問題について語られてもなんだかか〜と思いました
「七つの習慣」じゃないけど、影響の輪と関心の輪をしっかりと分けて、自分が動いて何かを変革しようとするとか、何かに影響を与えるとか、自分が動くことによって成果を出すという影響の輪の話は惹きつけられるが、関心の輪の話をされてもいまいちつまらなかった
退職した人たちが、自分の影響のおよぶ物事に取り組み、継続してレベルアップをするなり、拡大していくなりして成長する話を聞くことは、参加にもなるし、ある意味inspireされると思いますが、観念的なことがらを話されても心は動かないんだなと思いました
自分も人と話をするときに、少し気を付けようと思いました。
話をしていて元気になる人って周りに人が集まってくるから、
私もそういう人になりたいと思いました
続きを読む...
2018年08月24日
コーチングを受けると、前に進めるのかな?
コーチングビジネスが流行っている
自分はまだ1度もコーチングを受けたことがない
もしかすると1度は受けてみる方がいいかもしれないなと思う
人を勇気づけることができて、人が成長したり、自信を持つようになったり、
前に進もうとすることを支えることができる
今は本当は英語の勉強をしなければならない。だけど、毎日仕事から帰ってくると
ついつい「疲れた〜」を理由に、テレビを見てしまったり、インターネットの前で非生産的な時間の使い方をしてしまう。
週に1度、目標を立てるのを手伝ってくれて、励ましてくれて、歩みが止まらないように、導いてくれる誰かがいるのは、きっと心強いだろう
コーチングは以前から大変興味があった
昨年の夏はそれでもNLP(Nuero Linguistic Programing)というダイジェスト版の入門のお試しコースを8万円で受講した。本当の講座は初級編で10日間、40万近い受講料と高いが、真剣に身に着けることができたら日々の会話の質が変わるような気がする。その1ミリの変化が大きな違いを生み出すということは大いにありうると思った
そもそも自分は Positive Psycholoty (ペンシルバニア大学のセリグマン博士が中心となって構築した2000年以降注目をされるようになった最新の心理学)に興味があった
日本語での著書も少なく、日本でポジティブ心理学を受講できる大学もほぼなかった。今でもそれを専門に教えることができる先生は日本にはそんなにいないと思っている。
10年ぐらいたち、だんだんと海外の大学の英語で書かれた教科書が翻訳されるようになり、日本語でも読めるようになった。本当にありがたいかぎりである
私は2010年に勇気を出して、ユタ州立大学のオンライン講座で、ポジティブ心理学の講座を取っていた。しかし、英語での理解が不十分でなかなか課題が進まなかった。そんなところに、3.11の東関東大震災が起きて、なかなか思ったように勉強が進まず、中途半端な状態で、講座期間が終わってしまった。次にしばらくしてから、再びポジティブ心理学についての講座をオンラインでとることにした。確か、North Calorina州シャーロット校のプログラムだったが、何となくこれも仕事が忙しくなり、途中でやめてしまった。
何事もつづけられない私は、自己嫌悪に陥ってしまうことも多々あった。
しかし、コーチがいれば、予定を立てる部分を一緒に現実的に考えてくれて、さらに励ましてもらい、投げ出さずに取り組めるならば、こんなにいいことはないと思う。
NLPもコーチングも、人々のやる気を引き出して、自らの目標に向かって力強く突き進むことをサポートしてくれるものだと思う。
人は人に傷つけられ、
人は人に癒され
人は人の中で一緒に成長する
自分はそういったことに価値を置くタイプの人間だ
相手に対しては、勇気づけたり、励ましたりできる存在でありたい
しかし
その前に、自分で自分の行動や感情をコントロールすることを覚えないといけない
ダイエットに失敗し、英語の勉強に失敗し、決めたことが実行に移せない私は
誰から見ても輝いている存在とは言いがたい
しかしだからこそ、できない人の気持ち、弱さ、習慣を確立することの難しさなど、共感的に接することができるようになるのではないかと思う
真っ暗な場所に小さな明かりをともすことができないかな〜
立ち止まっている人に寄り添って、少しでも勇気を与えられないかな
それも、出すぎず、本人の思考の邪魔にならないような形で
一人一人の中に美しさや美徳とする部分があって、
その美しい部分を、本人が自覚して、そしてそれを他者に対して開いていく
そんなことができるようになったらなと思う
それにはまず、
自分が自分にした約束は必ず守るようにしなければならない
黙々と、コツコツと、決めた目標に向かってがむしゃらに突き進まなければ
とても人の前に自信をもって立つことはできない
そのためには、健康が大事
そして、規則正しい生活をする中で、自分自身にチャレンジしていきたい
・ALEX奨学金でアメリカの大学院へ留学すること(日本語の授業のTAをするという条件で)
そのためにはTOEFLで100点は取りたいこと
・世界一周をするために、現在服薬しているコレステロールと血圧の薬を、何とかするためにも
真剣に体重を落とす必要があること
・世界一周をするにあたり、その思い出を美しく残すために、写真の撮り方の技術を少しだけ勉強したいこと
・世界一周旅行をするために、まとまったお金が必要なこと
無駄をなくすために、生活をシンプルにして、工夫して生活できるようにしたい
・家族の精神的な安定も含め、部屋の中がすっきりとして、くつろげる空間に変えていきたい
やりたいことがない人は、何を目標にすればいいか悩んでいて、前に進めない
私の場合は、やりたいことがたくさんあるのに、目標に向かって努力できないから前に進まない
疲れや、忙しさを理由に、日々流れていってしまう
もう自分では前に進めないんだったら、
コーチに伴走してもらうのも必要んじゃないか
人間50歳にもなると、一番若いのは今日なんだ
今日という日を大事にしないと、二度と戻って来ないんだから
今以上に若い日はないんだから
今日、知り合いがガンで入院しているといううわさを聞いた
私の友達も、乳がんで1年検診で再発していなかったことが分かった
何が起こるかわからないこの50代
やるの?やらないの?さあ、どっち????
コーチング、真剣に考えてみるか?
自分はまだ1度もコーチングを受けたことがない
もしかすると1度は受けてみる方がいいかもしれないなと思う
人を勇気づけることができて、人が成長したり、自信を持つようになったり、
前に進もうとすることを支えることができる
今は本当は英語の勉強をしなければならない。だけど、毎日仕事から帰ってくると
ついつい「疲れた〜」を理由に、テレビを見てしまったり、インターネットの前で非生産的な時間の使い方をしてしまう。
週に1度、目標を立てるのを手伝ってくれて、励ましてくれて、歩みが止まらないように、導いてくれる誰かがいるのは、きっと心強いだろう
コーチングは以前から大変興味があった
昨年の夏はそれでもNLP(Nuero Linguistic Programing)というダイジェスト版の入門のお試しコースを8万円で受講した。本当の講座は初級編で10日間、40万近い受講料と高いが、真剣に身に着けることができたら日々の会話の質が変わるような気がする。その1ミリの変化が大きな違いを生み出すということは大いにありうると思った
そもそも自分は Positive Psycholoty (ペンシルバニア大学のセリグマン博士が中心となって構築した2000年以降注目をされるようになった最新の心理学)に興味があった
日本語での著書も少なく、日本でポジティブ心理学を受講できる大学もほぼなかった。今でもそれを専門に教えることができる先生は日本にはそんなにいないと思っている。
10年ぐらいたち、だんだんと海外の大学の英語で書かれた教科書が翻訳されるようになり、日本語でも読めるようになった。本当にありがたいかぎりである
私は2010年に勇気を出して、ユタ州立大学のオンライン講座で、ポジティブ心理学の講座を取っていた。しかし、英語での理解が不十分でなかなか課題が進まなかった。そんなところに、3.11の東関東大震災が起きて、なかなか思ったように勉強が進まず、中途半端な状態で、講座期間が終わってしまった。次にしばらくしてから、再びポジティブ心理学についての講座をオンラインでとることにした。確か、North Calorina州シャーロット校のプログラムだったが、何となくこれも仕事が忙しくなり、途中でやめてしまった。
何事もつづけられない私は、自己嫌悪に陥ってしまうことも多々あった。
しかし、コーチがいれば、予定を立てる部分を一緒に現実的に考えてくれて、さらに励ましてもらい、投げ出さずに取り組めるならば、こんなにいいことはないと思う。
NLPもコーチングも、人々のやる気を引き出して、自らの目標に向かって力強く突き進むことをサポートしてくれるものだと思う。
人は人に傷つけられ、
人は人に癒され
人は人の中で一緒に成長する
自分はそういったことに価値を置くタイプの人間だ
相手に対しては、勇気づけたり、励ましたりできる存在でありたい
しかし
その前に、自分で自分の行動や感情をコントロールすることを覚えないといけない
ダイエットに失敗し、英語の勉強に失敗し、決めたことが実行に移せない私は
誰から見ても輝いている存在とは言いがたい
しかしだからこそ、できない人の気持ち、弱さ、習慣を確立することの難しさなど、共感的に接することができるようになるのではないかと思う
真っ暗な場所に小さな明かりをともすことができないかな〜
立ち止まっている人に寄り添って、少しでも勇気を与えられないかな
それも、出すぎず、本人の思考の邪魔にならないような形で
一人一人の中に美しさや美徳とする部分があって、
その美しい部分を、本人が自覚して、そしてそれを他者に対して開いていく
そんなことができるようになったらなと思う
それにはまず、
自分が自分にした約束は必ず守るようにしなければならない
黙々と、コツコツと、決めた目標に向かってがむしゃらに突き進まなければ
とても人の前に自信をもって立つことはできない
そのためには、健康が大事
そして、規則正しい生活をする中で、自分自身にチャレンジしていきたい
・ALEX奨学金でアメリカの大学院へ留学すること(日本語の授業のTAをするという条件で)
そのためにはTOEFLで100点は取りたいこと
・世界一周をするために、現在服薬しているコレステロールと血圧の薬を、何とかするためにも
真剣に体重を落とす必要があること
・世界一周をするにあたり、その思い出を美しく残すために、写真の撮り方の技術を少しだけ勉強したいこと
・世界一周旅行をするために、まとまったお金が必要なこと
無駄をなくすために、生活をシンプルにして、工夫して生活できるようにしたい
・家族の精神的な安定も含め、部屋の中がすっきりとして、くつろげる空間に変えていきたい
やりたいことがない人は、何を目標にすればいいか悩んでいて、前に進めない
私の場合は、やりたいことがたくさんあるのに、目標に向かって努力できないから前に進まない
疲れや、忙しさを理由に、日々流れていってしまう
もう自分では前に進めないんだったら、
コーチに伴走してもらうのも必要んじゃないか
人間50歳にもなると、一番若いのは今日なんだ
今日という日を大事にしないと、二度と戻って来ないんだから
今以上に若い日はないんだから
今日、知り合いがガンで入院しているといううわさを聞いた
私の友達も、乳がんで1年検診で再発していなかったことが分かった
何が起こるかわからないこの50代
やるの?やらないの?さあ、どっち????
コーチング、真剣に考えてみるか?
2018年08月23日
今の50代は意外に幸せなんじゃない???
80年代の音楽を耳にすると、その時の特に印象的だったシーンが頭に浮かぶ
80年代はイケイケの時代で、今の50代がそれにあたると思うが、精神状態がやっぱりイケイケの傾向があるらしい。
人生は楽しく、先は明るく、不安も少ない
自分探し の世代で、女性も男性も含めて、独身も多く、自分磨きに夢中になり、3高(高収入、高学歴、高身長だったかな)という言葉が流行るくらい、高望みをみんなしていた
ある意味、身の程しらず ってこと
でも根拠のない自信は時にすばらしい武器になる
確かに私の周りの人を見ても、あまり悲観主義的な人は少なく
前向きに、努力も楽しみながらポジティブに生きている人が多いように思える
それに比べて今の先行きどうなるかわからない時代に青春時代を送っている人にしてみると、
人生、これから先に何が起きるかわからないから、備えよ! みたいな精神構造になってしまうこともうなずける
どの世代に生まれるかということは、様々な影響を受けるんだなあと感じた
確かに社会の要請によって学校教育の指導要領なるものが、改訂され、これからの社会に必要とされる要素を学校教育に盛り込む
現在は、小学校教育における、英語とプログラミングだろうか
少し前の特徴としては、ゆとり教育が打ち出されていた
何でも自分の感じることを大事にして自分のペースで課題を追及するようなないようだったと思う
基礎基本を押さえることなく、自由に自分起点で物事を考える精神構造が育成されたように思う
よい意味でも、悪い意味でも、自分本位な世代ではないだろうか
そしてその揺り戻しとして、知識の定着も大切にしながらも、コミュニケーション活動、課題解決能力、生涯学び続ける、主体性のある生徒の育成のようなものが、来る指導要領改正において、提案される
そもそも、2050年にはAIが人間を超えるという科学者がではじめている
さらに、今の小学生が就職をするときには、現在はまだ存在していない職業に60%強の人々が就くことになるとのこと
まじか〜
こうなると、とにかく健康、その場その場で選択してく能力、先を見通す力、AIが苦手な分野、微妙なニュアンスを扱う判断力、創造する力、集団をやる気にさせるリーダーシップ、納得感の提案(そのための相手の要望の正確な理解と状況の統合など)、提案力など、機械ができない分野の能力を高めていく必要がある
大きく転換していく世の中、世界の流れに注意を向けながら、でも、変わらないもの、人間の幸せの追求、なども大事にしながら、毎日を生きていきたい
人と比べて優劣をつけることは、今はあまり重要なことだとは思わなくなった
それよりも、自分が幸せに感じるかどうか・・・それが1番大事だなと思えるようになった
自分がいった何を大事にして、何がいらないかを知っていることが、幸せになる第一歩であるように思う
一番不幸なのは、他人の物差しで人生を生きること
みんながいいということが、自分にとってもいいことであるとは限らない
80年代はイケイケの時代で、今の50代がそれにあたると思うが、精神状態がやっぱりイケイケの傾向があるらしい。
人生は楽しく、先は明るく、不安も少ない
自分探し の世代で、女性も男性も含めて、独身も多く、自分磨きに夢中になり、3高(高収入、高学歴、高身長だったかな)という言葉が流行るくらい、高望みをみんなしていた
ある意味、身の程しらず ってこと
でも根拠のない自信は時にすばらしい武器になる
確かに私の周りの人を見ても、あまり悲観主義的な人は少なく
前向きに、努力も楽しみながらポジティブに生きている人が多いように思える
それに比べて今の先行きどうなるかわからない時代に青春時代を送っている人にしてみると、
人生、これから先に何が起きるかわからないから、備えよ! みたいな精神構造になってしまうこともうなずける
どの世代に生まれるかということは、様々な影響を受けるんだなあと感じた
確かに社会の要請によって学校教育の指導要領なるものが、改訂され、これからの社会に必要とされる要素を学校教育に盛り込む
現在は、小学校教育における、英語とプログラミングだろうか
少し前の特徴としては、ゆとり教育が打ち出されていた
何でも自分の感じることを大事にして自分のペースで課題を追及するようなないようだったと思う
基礎基本を押さえることなく、自由に自分起点で物事を考える精神構造が育成されたように思う
よい意味でも、悪い意味でも、自分本位な世代ではないだろうか
そしてその揺り戻しとして、知識の定着も大切にしながらも、コミュニケーション活動、課題解決能力、生涯学び続ける、主体性のある生徒の育成のようなものが、来る指導要領改正において、提案される
そもそも、2050年にはAIが人間を超えるという科学者がではじめている
さらに、今の小学生が就職をするときには、現在はまだ存在していない職業に60%強の人々が就くことになるとのこと
まじか〜
こうなると、とにかく健康、その場その場で選択してく能力、先を見通す力、AIが苦手な分野、微妙なニュアンスを扱う判断力、創造する力、集団をやる気にさせるリーダーシップ、納得感の提案(そのための相手の要望の正確な理解と状況の統合など)、提案力など、機械ができない分野の能力を高めていく必要がある
大きく転換していく世の中、世界の流れに注意を向けながら、でも、変わらないもの、人間の幸せの追求、なども大事にしながら、毎日を生きていきたい
人と比べて優劣をつけることは、今はあまり重要なことだとは思わなくなった
それよりも、自分が幸せに感じるかどうか・・・それが1番大事だなと思えるようになった
自分がいった何を大事にして、何がいらないかを知っていることが、幸せになる第一歩であるように思う
一番不幸なのは、他人の物差しで人生を生きること
みんながいいということが、自分にとってもいいことであるとは限らない
T君来日で思い出されるアメリカの想いで
1984-1985年の1年間、アメリカの高校に留学していた私が感じた小さな町のアメリカ
田舎の町だったし、学校だったから、どの人も素朴で、人をだますような人たちはいなかった
ネット環境もないあの当時、夜の出来事は翌日には皆に知れ渡っているような、情報網が町中に張り巡らされていて、お互いがお互いをケアしているといえば聞こえはよいが、ある意味、世間の目をだますことはできないと感じていた
飲酒年連がその当時は19歳だったアメリカで、18歳の高校生がお酒を飲まないわけがなかった
田舎の町で楽しみといえば、
ボーリングやヘイライド(干し草を積んだトラックの荷台に乗って、牧草地帯を走り回る)
ファウンデーションデーのお祭り(町の創立記念日)、
独立記念日、
ステイトフェアー(州で行われる牛の品評会、育てた野菜の品評会と移動遊園地のような祭り)、
キャンプ、
ボランティア活動、
地元高校のアメリカンフットボールやバスケットボールの試合観戦、
などしか楽しみがない
公の場所ではみんなPopを飲んでいるが(Popとは炭酸飲料のこと、東海岸と西海岸ではSodaと呼ぶ)
高校生だけで週末は集まってお酒を飲むことが、一つの楽しみになっていた
あとは御多分にもれず、SEXだ
さて、アメリカの小さな町のコミュニティーでは、とにかく時間の流れ方が都会とは異なる
優先順位も都会のそれとは異なる
人々の繫がりを大切にしていて、よく話をする
日本にいたときは、よくテレビを見ていたが、アメリカにいるときはテレビはそれほどみなかった
まず、ドアを開けるとリビングになっている。そこにテレビがあった
そのリビングへ朝の7時半にもなると、となりの気さくなおじさんが突然やってきて「モーニング」と言って新聞を持ってくる
ホストマザーはもう年金で暮らしているおばあちゃんだったので、隣の家の新聞をまわして読ませてもらっていたのだ。そしてその町の新聞を切り抜いてはスクラップブックに張り付けていた
なんとも無駄のない、新聞の活用の仕方だと思う
そして隣のおじさんは、ひとしきり町の噂話をしていく。
あ〜 これが小さな町の噂が止まらない、止められない、一度流れてしまうと、どうにもならない町の構造なんだなと、目の前の二人の会話を聞いて、はっきりとわかった
本当に話をすることが好きなんだ。小さなことでも情報を交換していく。
「〇〇で××を買ったけどあれだったら▽▽で買った方がいいよ」
「〇〇さんが◆◆するって言ってるから、自分もそうしようと思ってる」とか
高校生のような若い人は直接リビングへ訪ねていって話をするわけではない
町の中の電話は、基本料金を払えばどこへかけても無料というシステムなので、若者はどんな小さなことでもすぐに電話をかけて、情報交換をする。電話の線も5メートルぐらいあるのは当たり前で、ながーいコードを自分の部屋まで引き入れて電話をしている姿は本当だった
日本は話した分だけ電話代がかかる時代だった
だから、電話は要件をよく考えて、簡潔に話せるように準備してから掛けたものだが、
アメリカでは違った。システムが異なれば、生活様式も違うってことなんだな〜と
漠然と感じていた
さてこれは私の身に起きたこと
実は、ある週末、私は友達の家で結構飲んでしまっていた
うっすらとは覚えているが、数人の男子と人目をはばからずに、メイクアウトしていたとうい自覚はあった
まあ、欲求不満だったんでしょう・・・(笑)
そして、翌日の日曜日の朝、教会のミサを終えて、町で文房具を買っていた私に友達が近づいてきて
「昨日の話聞いたわよ〜楽しかったらしいね」と一言だけ告げて立ち去って行った
あちゃー やってしまったわね〜
どんな言われようをしたのかわからないけれど、一度流れてしまったうわさは回収不要なのはよくわかっていた。そして、人のうわさも75日というのもわかっていた。
Done is Done
その件に関してはあきらめるしかなかった。でもね〜愛しのマイクもこのこと知ってるんだよね〜
それだけは後悔したかな。まあその時には日本に彼氏もいたので、愛しのマイクではないけれども
その後私への対応が大きく変わったわけではないけれど、男好きな留学生というイメージはついたかもな〜と心に若干の不安を抱えながらも、やはり飲むとやりたい放題の私はかわりませんでした。
でもそんな田舎町の世間の目を気にしながら生活することへの窮屈さと同時に、心温まる人々の絆がそこにはある
ホストマザーの隣の家に住んでいる女性は、ベットに寝たきりらしい
ときどき、車で誰かがやってきては、出ていくのを見たことがある
しばらくすると、ホストマザーも昼時に隣に食事を運んでいるのを見た
彼女に聞くと
「教会で(彼女はカソリック)毎日誰が食事を届けるか決めていて、今日は〇〇さんの代わりに私が届けることになっていたの」
と言っていた。
町の中の弱者に対して、行政だけの対応ではなく、教会のボランティア活動の中でも手を差し伸べるシステムが構築されているのかと、感動したことを覚えている
若干監視されているようでプライバシーがない VS 困った時には手を差し伸べてくれる安心感
こんな感じだろうか
おそらく日本の田舎の町もそんな風にお互いを監視しながらも、お互いを助け合っている文化があるんじゃないかと思いながら、ポーチに座って、裸足で芝生を感じながら、リスが木を登っていくのを眺めて感慨にふけっていたのを今でも鮮明に覚えている
T君来日に、アメリカに想いを馳せて・・・・
田舎の町だったし、学校だったから、どの人も素朴で、人をだますような人たちはいなかった
ネット環境もないあの当時、夜の出来事は翌日には皆に知れ渡っているような、情報網が町中に張り巡らされていて、お互いがお互いをケアしているといえば聞こえはよいが、ある意味、世間の目をだますことはできないと感じていた
飲酒年連がその当時は19歳だったアメリカで、18歳の高校生がお酒を飲まないわけがなかった
田舎の町で楽しみといえば、
ボーリングやヘイライド(干し草を積んだトラックの荷台に乗って、牧草地帯を走り回る)
ファウンデーションデーのお祭り(町の創立記念日)、
独立記念日、
ステイトフェアー(州で行われる牛の品評会、育てた野菜の品評会と移動遊園地のような祭り)、
キャンプ、
ボランティア活動、
地元高校のアメリカンフットボールやバスケットボールの試合観戦、
などしか楽しみがない
公の場所ではみんなPopを飲んでいるが(Popとは炭酸飲料のこと、東海岸と西海岸ではSodaと呼ぶ)
高校生だけで週末は集まってお酒を飲むことが、一つの楽しみになっていた
あとは御多分にもれず、SEXだ
さて、アメリカの小さな町のコミュニティーでは、とにかく時間の流れ方が都会とは異なる
優先順位も都会のそれとは異なる
人々の繫がりを大切にしていて、よく話をする
日本にいたときは、よくテレビを見ていたが、アメリカにいるときはテレビはそれほどみなかった
まず、ドアを開けるとリビングになっている。そこにテレビがあった
そのリビングへ朝の7時半にもなると、となりの気さくなおじさんが突然やってきて「モーニング」と言って新聞を持ってくる
ホストマザーはもう年金で暮らしているおばあちゃんだったので、隣の家の新聞をまわして読ませてもらっていたのだ。そしてその町の新聞を切り抜いてはスクラップブックに張り付けていた
なんとも無駄のない、新聞の活用の仕方だと思う
そして隣のおじさんは、ひとしきり町の噂話をしていく。
あ〜 これが小さな町の噂が止まらない、止められない、一度流れてしまうと、どうにもならない町の構造なんだなと、目の前の二人の会話を聞いて、はっきりとわかった
本当に話をすることが好きなんだ。小さなことでも情報を交換していく。
「〇〇で××を買ったけどあれだったら▽▽で買った方がいいよ」
「〇〇さんが◆◆するって言ってるから、自分もそうしようと思ってる」とか
高校生のような若い人は直接リビングへ訪ねていって話をするわけではない
町の中の電話は、基本料金を払えばどこへかけても無料というシステムなので、若者はどんな小さなことでもすぐに電話をかけて、情報交換をする。電話の線も5メートルぐらいあるのは当たり前で、ながーいコードを自分の部屋まで引き入れて電話をしている姿は本当だった
日本は話した分だけ電話代がかかる時代だった
だから、電話は要件をよく考えて、簡潔に話せるように準備してから掛けたものだが、
アメリカでは違った。システムが異なれば、生活様式も違うってことなんだな〜と
漠然と感じていた
さてこれは私の身に起きたこと
実は、ある週末、私は友達の家で結構飲んでしまっていた
うっすらとは覚えているが、数人の男子と人目をはばからずに、メイクアウトしていたとうい自覚はあった
まあ、欲求不満だったんでしょう・・・(笑)
そして、翌日の日曜日の朝、教会のミサを終えて、町で文房具を買っていた私に友達が近づいてきて
「昨日の話聞いたわよ〜楽しかったらしいね」と一言だけ告げて立ち去って行った
あちゃー やってしまったわね〜
どんな言われようをしたのかわからないけれど、一度流れてしまったうわさは回収不要なのはよくわかっていた。そして、人のうわさも75日というのもわかっていた。
Done is Done
その件に関してはあきらめるしかなかった。でもね〜愛しのマイクもこのこと知ってるんだよね〜
それだけは後悔したかな。まあその時には日本に彼氏もいたので、愛しのマイクではないけれども
その後私への対応が大きく変わったわけではないけれど、男好きな留学生というイメージはついたかもな〜と心に若干の不安を抱えながらも、やはり飲むとやりたい放題の私はかわりませんでした。
でもそんな田舎町の世間の目を気にしながら生活することへの窮屈さと同時に、心温まる人々の絆がそこにはある
ホストマザーの隣の家に住んでいる女性は、ベットに寝たきりらしい
ときどき、車で誰かがやってきては、出ていくのを見たことがある
しばらくすると、ホストマザーも昼時に隣に食事を運んでいるのを見た
彼女に聞くと
「教会で(彼女はカソリック)毎日誰が食事を届けるか決めていて、今日は〇〇さんの代わりに私が届けることになっていたの」
と言っていた。
町の中の弱者に対して、行政だけの対応ではなく、教会のボランティア活動の中でも手を差し伸べるシステムが構築されているのかと、感動したことを覚えている
若干監視されているようでプライバシーがない VS 困った時には手を差し伸べてくれる安心感
こんな感じだろうか
おそらく日本の田舎の町もそんな風にお互いを監視しながらも、お互いを助け合っている文化があるんじゃないかと思いながら、ポーチに座って、裸足で芝生を感じながら、リスが木を登っていくのを眺めて感慨にふけっていたのを今でも鮮明に覚えている
T君来日に、アメリカに想いを馳せて・・・・
2018年08月22日
T君の来日
アメリカから日本に来る友達に、東京を案内してと頼まれた件
高校留学しているときの同級生で、1年間お世話になったお友達
もちろん日本を好きになって欲しいし、お互いに一生に一度のことにもなるだろうから
おもてなしをして、お互いをもっとよく知り合いたいと思う
そもそも、その友達は、高校の Prom King と Homecoming King に選ばれるぐらいの人気者だった人
いろいろな人たちに気を配り、話しかけ、みんなの居心地をきにかけてくれるアメリカ人にしてアメリカ人らしくない人だった
私がスクールバスに乗っている女の子二人から中指を立てられたことがあった
バスの横を私が歩いていると、窓をドンドンたたく音がした
バスの窓を見上げると、腕が2本見えて、顔は見えず、そして中指を立てていた
しばらくこの件は誰にもいうことができなかった
人種差別なのかなぁ、私のことが個人的に嫌いなのかな、
心は結構重かった
その友達 仮にT君と呼ぼう
いつものように週末のパーティーで
「何か困ったことない?最近はどうなの?」
というようなことを聞かれた
いつも周りの人のこをと気にかけるT君のことだから、まあ社交辞令だったんだろうけど、
そういうのもあまりわかる年齢でもなかったのでそのときに心にひっかかっている 中指の件を
話した
笑顔ではじめは話を聞いていたT君も
たどたどしい私の英語の説明を聞きながら、だんだんと顔が曇っていった
そんなにシリアスにとらえなくても・・・・と話をしたことを半分後悔したけれど
彼は「この件はぼくからその子たちに話をしたいけど、いいかな?」と
打診された
迷惑をかけたくないなと思いながらも、お願いした。
しばらくたってから、別の週末のパーティーで
「あの件だけど、本人たちに注意しておいたから。また繰り返して同じことがあったら、すぐに教えてね。その他にも困ったことがあったら、すぐに教えて」
と言われたことを未だに覚えている
あの1年間はその他のともだちにも恵まれて、本当に素晴らしい1年だったなぁ
5年に1度の同窓会へ参加したいと思えるのも、やはり心に深く刻まれた感動やら、思いやりやら、苦しみやら、を乗り越えて、精神的に成長した場所だから、戻りたくなるんだと思う
され、そんな思いやりのある今ではすっかりセレブになってしまってたT君
どうやっておもてなしをするか、今から頭を悩ませている
これが農家の子どもなら、同じような感覚でおもてなしできると思う
金銭感覚もね
しかし、彼は家は裕福ではなかったけど、努力をして医者になった
今ではファーストクラスで海外旅行に年に2回は出かけてしまうお金持ちになった
宿泊はHiltonTokyoだし、君の連れてきたい人を誰でも連れてきていいよって
軽くいってしまう人
イヤー庶民の私としてはちょっと荷が重いって感じ
でもまあ、素のままの自分でいることが一番大切だと思うから
等身大の自分で楽しもう・・・・・
高校留学しているときの同級生で、1年間お世話になったお友達
もちろん日本を好きになって欲しいし、お互いに一生に一度のことにもなるだろうから
おもてなしをして、お互いをもっとよく知り合いたいと思う
そもそも、その友達は、高校の Prom King と Homecoming King に選ばれるぐらいの人気者だった人
いろいろな人たちに気を配り、話しかけ、みんなの居心地をきにかけてくれるアメリカ人にしてアメリカ人らしくない人だった
私がスクールバスに乗っている女の子二人から中指を立てられたことがあった
バスの横を私が歩いていると、窓をドンドンたたく音がした
バスの窓を見上げると、腕が2本見えて、顔は見えず、そして中指を立てていた
しばらくこの件は誰にもいうことができなかった
人種差別なのかなぁ、私のことが個人的に嫌いなのかな、
心は結構重かった
その友達 仮にT君と呼ぼう
いつものように週末のパーティーで
「何か困ったことない?最近はどうなの?」
というようなことを聞かれた
いつも周りの人のこをと気にかけるT君のことだから、まあ社交辞令だったんだろうけど、
そういうのもあまりわかる年齢でもなかったのでそのときに心にひっかかっている 中指の件を
話した
笑顔ではじめは話を聞いていたT君も
たどたどしい私の英語の説明を聞きながら、だんだんと顔が曇っていった
そんなにシリアスにとらえなくても・・・・と話をしたことを半分後悔したけれど
彼は「この件はぼくからその子たちに話をしたいけど、いいかな?」と
打診された
迷惑をかけたくないなと思いながらも、お願いした。
しばらくたってから、別の週末のパーティーで
「あの件だけど、本人たちに注意しておいたから。また繰り返して同じことがあったら、すぐに教えてね。その他にも困ったことがあったら、すぐに教えて」
と言われたことを未だに覚えている
あの1年間はその他のともだちにも恵まれて、本当に素晴らしい1年だったなぁ
5年に1度の同窓会へ参加したいと思えるのも、やはり心に深く刻まれた感動やら、思いやりやら、苦しみやら、を乗り越えて、精神的に成長した場所だから、戻りたくなるんだと思う
され、そんな思いやりのある今ではすっかりセレブになってしまってたT君
どうやっておもてなしをするか、今から頭を悩ませている
これが農家の子どもなら、同じような感覚でおもてなしできると思う
金銭感覚もね
しかし、彼は家は裕福ではなかったけど、努力をして医者になった
今ではファーストクラスで海外旅行に年に2回は出かけてしまうお金持ちになった
宿泊はHiltonTokyoだし、君の連れてきたい人を誰でも連れてきていいよって
軽くいってしまう人
イヤー庶民の私としてはちょっと荷が重いって感じ
でもまあ、素のままの自分でいることが一番大切だと思うから
等身大の自分で楽しもう・・・・・