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2021年02月22日

ウィリアム・トムソン_【原稿投稿】

本日、以下記事を改定します。ベクトルの考え方を作り、数々の後輩を育てた先人です。本稿のURLは”Baron Kelvin”を使っています。名前としてはトムソンなんですが、ケルビン男爵としての別名も持っていたからです。ご覧下さい。

【以下、改定原稿とします】



その名を正確に記すと、
初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン
William Thomson,
1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE

トムソンは熱力学や電磁力学で
沢山の研究成果を残してます。
彼は僅か10歳でグラスゴー大学へ入学
しました。トムソンの父がグラスゴー大
で教鞭をとっていた時事はある様ですが、
それを別にしても早熟ぶりに驚かされます。
その後、トムソンはケンブリッジで勉学
を進め、22歳でグラスゴー大学の教授になり、
イギリスの大学で初めての物理学研究室
を立ち上げました。

1845年の論文では、ファラデーの理論を
数学的に整え回路近辺の空間を考えてます。
この発表は後のマクスウェルに示唆を
与えたと言われています。後の電磁場
の考え方に原型を与えたのでしょう。
また、トムソンは数学でのベクトル
を使い始めた人であると言われています。
物理学者としては別にJ・J ・トムソンが居ます。



そして、トムソン卿は沢山の物理学者と議論しました。
例えば、無名だったピエール・キューリを見出し、
交流し真価を認めました。また、別項でご紹介して
いますが、日本初期の物理学者である田中舘愛橘を育て、
彼がトムソンを敬愛していた事でも広く知られています。















【舞台別のご紹介】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/13_初稿投稿
2021/01/15_改定投稿





OJISAN.png


J・R・オッペンハイマー_【原稿改定】

ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、オッペンハイマーの原稿を改定・投稿しました。日本に原爆を落とし戦争終結を早めた人物です。自身、罪悪感を明らかにしていて「科学者(物理学者)は罪を知った」との言葉を残しています。彼の感じた絶望は計り知れない物だったのでしょう。皆様も少し考えてみて下さい。少しですよ。;)

当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。2/15(月)朝の時点でのフォロワー数を昨日と比べると@コウジ@kouji_1001→1077_Aバンドリ好き太郎_742→807_B浩司_584→691_Ckouji kazeno_485→564_・合計で考えると4アカウント合計で【1001+742+584+485=2812】⇒【1077+807+691+564=3039】_【合計で227垢⇒56単体垢】、増えていますね。順調な気がするので@のアカウントで、この「物理のブログ」の宣伝をしていてAのアカウントで「呟きブログ」の宣伝をしています。SNSからのユーザーも増えていますが、追って再報告します。

【以下は原稿です】



オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面もありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)では学生からオッピーと呼ばれていた側面もありました。彼の人生は喜怒哀楽に満ちています。

個人的な着眼点としては彼もユダヤ系の血を引いているという点です。ヒットラーが民族としてのユダヤ人に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は動かしがたい事実です。強制収容所に連行されるような世相の中でユダヤ人達は非常な危機感を感じていたはずです。その危機感の中で20世紀初頭の歴史は、天才たちが育ち・団結して新しい物を生み出していたのではないでしょうか。この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度私も強調します。具体的にはアインシュタインマックス・ボルンD・J・ボームE・パウリ そしてオッペンハイマーです。
(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、追記することになるでしょう)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては19117年ロシア革命に始まった社会体制の変化にも繋がっていったと言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていると思えます。





さて実際、オッパンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。少年時代には鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示しハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進みボルンと出会います。オッペンハイマーはボルンの指導の下で研究を進め共同でボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。

その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴いオッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命されます。ここで原爆を開発したのです。この仕事は、世界のパワーバランスを変え、後の世界を大きく変えました。





晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが現代ではそれを使い各国が持つだけで攻撃対象とされたり外交で脅迫の道具として使われていたりします。そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは「罪」として捉え水爆の開発には反対していたりもしました。オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。オッペンハイマーは冷戦時代なので学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)の監視下にあったのです。1965年、がんの為にニュージャージーの自宅で静かに生涯を終えました。

合掌





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】


2020/09/21_初稿投稿
2021/01/12_改定投稿





OJISAN.png


ジョン・バーディーン_【原稿再投稿】

ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、バーディンの原稿を改定します。BCS理論の「B」の人です。

当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。2/15(月)朝の時点でのフォロワー数を昨日と比べると@コウジ@kouji_1001→1077_Aバンドリ好き太郎_742→807_B浩司_584→691_Ckouji kazeno_485→564_・合計で考えると4アカウント合計で【1001+742+584+485=2812】⇒【1077+807+691+564=3039】_【合計で227垢⇒56単体垢】、増えていますね。順調な気がするので@のアカウントで、この「物理のブログ」の宣伝をしていてAのアカウントで「呟きブログ」の宣伝をしています。SNSからのユーザーも増えていますが、追って再報告します。

【以下は原稿】



本稿は何度か追記する事になるでしょう。
それは私にとって、とても関心のある
低温電子物性の話だからです。

さて、バーディンは二回の
ノーベル賞を受けています。
一回目はトランジスタの発明、
二回目は以下に記載する
BCS理論です。



前述したカメリー・オネスの発見以後、
色々な考えが試みられたでしょうが、
イリノイ大学のバーディンを中心とした
3人がBCS理論を確立します。
バーディン、クーパーシュリーファー
3人の頭文字を使いBCS理論と呼ばれます。
このコンビの始まりはバーディンが
クーパーを招聘する事から始まります。
そこにバーディン研究室の大学院生、
シュリーファーが加わり研究が進みます。




その中身はフォノンを介した電子対が
スピンを打ち消し合って結合する
という理論でした。相転移温度を
その理論で説明し、今日の超伝導理論の
基礎となっています。



そもそも、金属中を移動する電子を単純な
質点のモデルで考えると正の荷電をもった
原子核の間を負の電荷が自由自在に
動き回る事は到底出来ません。
何らかの相互作用が起きて
抵抗に繋がります。ところが、
電子の波動関数を考え、波動的側面が顕著に
現れる状態を作っていくのが超伝導現象
と言えます。その条件として大事な尺度
の一つが温度だったのです。










以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】


2020/09/15_初稿投稿
2021/01/05_改定投稿





OJISAN.png


エドワード・テラー_【原稿改定】

ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、エドワード・テラーの原稿を改定します。水爆を作った人です。色々あったのでしょうね。

当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。2/15(月)朝の時点でのフォロワー数を昨日と比べると@コウジ@kouji_1001→1077_Aバンドリ好き太郎_742→807_B浩司_584→691_Ckouji kazeno_485→564_・合計で考えると4アカウント合計で【1001+742+584+485=2812】⇒【1077+807+691+564=3039】_【合計で227垢⇒56単体垢】、増えていますね。順調な気がするので@のアカウントで、この「物理のブログ」の宣伝をしていてAのアカウントで「呟きブログ」の宣伝をしています。SNSからのユーザーも増えていますが、追って再報告します。

【以下は原稿】



エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、
晩年のオッペンハイマーと対立します。

エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。ハイゼンベルグの下で博士論文を書き、ボーアとの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。





アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。そんな中、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に反共思想を持ちます。オッペンハイマーとの確執の始まりが続きます。特に兵器としての利用に関してはエドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。

実際、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。









以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】


2020/09/22_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿





OJISAN.png



2021年02月21日

ファラデー_【原稿投稿】

以下、ファラデーの原稿を落とします。ろうそくの考察が有名ですね。ご覧ください。

【以下は原稿】





イギリスのファラデーは電磁力学の礎を築きました。
近接作用・変動した時の作用などを一つ一つ
実験で明らかにしていきます。優れた実験家でした。



無料レッスンいかがですか?


伝記を読んでいて思うのは、ファラデーはとても
庶民的な感覚を持っていたということです。
人々がどう思っているか、というより感じているかを
他の科学者よりも共感できる点が多いかと思います。
一緒にお酒でも飲めたら色々語れるでしょう。

ファラデーは子供向けにクリスマスレクチャー
をしたり、ろうそくの科学をひも解いてみたり、
一人で考えを極めていく他に
社会全体の意識を高めていこうとしていた
と感じられます。私もこの点は見習いたいです。





ただ、当時は階級社会であり、
食事や馬車の乗り方等でファラデーは
差別的な扱いを受けていていたようです。
色々な発見をして科学で名を成した彼は
晩年、ナイトの称号を何度も 辞退しました。

また、ファラデーはクリミア戦争時に
兵器開発の依頼に対して言葉を残して
いますので結びの言葉と致します。
私はファラデーの感性が好きです。

(兵器を)「作ることは容易だ。しかし
絶対に手を貸さない!」(引用・Wikipedia)



以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/09/03_初回投稿
2021/01/01_改定投稿






OJISAN.png


ロバート・フック_【原稿投稿】





イギリスに生まれたフックは若い時代にボイルの下で実験助手を務め、様々な経験を積みます。そしてまた、ユークリッドの原論や力学、光の屈折など様々な考え方を身に着けていきます。この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、最終的にフックは寂しい人生を送っています。フックには子孫が居ませんでした。また、同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。年配のフックをニュートンは敬っていたようですが最後はどうしても論戦になり、科学的な思考の深さと明快な視点で反論されてしまったのでしょう。相手が相手ですから。



とはいえ、その業績は特筆に値します。有名な仕事はバネでの、フックの法則です。ばねに働く力が長さの一乗に比例するという法則は非常に明快で今でも色々な分野に応用されています。また、惑星間に働く力が距離のマイナス2乗に働くという法則もフックの発案であるという主張もありました。もはや今となっては真相は不明です。
理論として体系立てることも大事ですが先ずは気付きを与えるという事も大事です。その意味でフックは議論をしてたというだけで素晴らしいと感じます。










以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全てに返事が出来ていませんが
問題点に対しては適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/09/11_初版投稿
2021/01/03_改定投稿





OJISAN.png


エンリコ・フェルミ__【原稿改定】

ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、フェルミの原稿を改定・投稿しました。今でも素粒子を論じる時に彼の名前を冠した「フェルミオン」という言葉は欠かせません。

当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。2/14(日)朝の時点でのフォロワー数を2日前と比べると@コウジ@kouji_881→1001_Aバンドリ好き太郎_644→742_B浩司_512→584_Ckouji kazeno_413→485_・合計で考えると4アカウント合計で【881+644+512+413=2450】⇒【1001+742+584+485=2812】_【2日の合計で90垢弱/単体垢】、増えていますね。順調な気がするので@のアカウントで、この「物理のブログ」の宣伝をしていてAのアカウントで「呟きブログ」の宣伝をしています。SNSからのユーザーも増えていますが、追って再報告します。

【以下は原稿です】



フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで死没しています。
その業績は社会的側面が大きいものもある一方で
純理論を突き詰めた後世の誰しもが使う原理・概念もあります。
まさにパラダイムシフトを起こした立役者です。



そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さを備えています。一歩一歩、フェルミは議論を展開してノーベル賞を受け、その授賞式の際にイタリアからアメリカに亡命しました。その後。フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、原子力発電所の創設に携わり、フェルミは社会を大きく変えていきます。アメリカを中心とする資本主義圏が自由を謳歌した点でフェルミの業績は計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や福島での原発事故を思い起こすと、気楽に賞賛ばかりはしていられません。




このブログの中で私が何回か主張しているように識者が
知恵を集結して問いかけなければいけません。かっての
ラッセルーアインシュタイン宣言のように。一方で
我々、大衆も皆さんが分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねば。
民衆の英知を集結させるべきです。政治家に頼れない昨今です。





さてフェルミに戻します。フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。
別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミと
ディラック
は別の粒子群に着目します。
後世の理解ではスピン角運動量が
半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)
と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはク
ォークや電子、ミュー粒子、
ニュートリノ、陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。
こうした概念は伝導率の物性を
議論するときには欠かせません。




こうして沢山の業績を世に残し、
フェルミは天に召されました。
彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、
その流速を出していたと言われています。
フェルミこそ、生粋の物理学者でした。
謹んでご冥福をお祈り致します。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/09/13_初回投稿
2021/01/03_改訂版投稿






OJISAN.png


ハリー・ナイキスト_【原稿改定】

ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、ナイキストの原稿を改定・投稿しました。この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。SEO対策での投稿でもあります。制御関係で理論的土台を作った人で、その考えは今でも様々な工学的応用がなされています。

当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。2/14(日)朝の時点でのフォロワー数を2日前と比べると@コウジ@kouji_881→1001_Aバンドリ好き太郎_644→742_B浩司_512→584_Ckouji kazeno_413→485_・合計で考えると4アカウント合計で【881+644+512+413=2450】⇒【1001+742+584+485=2812】_【2日の合計で90垢弱/単体垢】、増えていますね。順調な気がするので@のアカウントで、この「物理のブログ」の宣伝をしていてAのアカウントで「呟きブログ」の宣伝をしています。SNSからのユーザーも増えていますが、追って再報告します。

【以下は原稿です】



ナイキストはスウェーデンに生まれました。
1907年に家族がアメリカ合衆国に移り住み
その後、帰化しています。

その時点でナイキストはハイスクール修了
くらいでしょうか。アメリカの名門イェール大学
を卒業した後に1917年からAT&T研究所で研究します。
後にベル研究所で研究します。





ベル研究所でナイキストは熱雑音や
FB増幅器の安定性を研究しますが、
特筆すべきは離散化された信号の
サンプリングに関する物でしょう。

そのナイキストが提唱した周波数は
ナイキスト周波数と呼ばれ
信号処理の世界では基礎的な
理念となっています。実用的には
2の8乗である256から2.56倍の
サンプリング周波数を使い計測する事
でナイキスト周波数を保証しています。





また、彼の考案したナイキスト線図は
極座標を使い対象系の安定性を議論します。
ナイキスト線図も系の安定性を考える為に
現代の信号処理の世界で使われていて
市販のアナライザーに機能として
搭載されています。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/11/10_初稿投稿
2021/01/21_改定投稿





OJISAN.png


オットー・シュテルン_【原稿再投稿】

登場場所の整理に伴い、シュテルンの原稿を改定・投稿しました。SEO対策での投稿でもあります。有名な実験物理学者ですよね。よくよく調べてみるとユダヤ系だったのでアインシュタインと繋がりが強かったみたいです。しかも、シュテルンはドイツが侵攻していたポーランドに居たんです。アメリカに逃げないと大変だった筈ですね。

当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。2/14(日)朝の時点でのフォロワー数を2日前と比べると@コウジ@kouji_881→1001_Aバンドリ好き太郎_644→742_B浩司_512→584_Ckouji kazeno_413→485_・合計で考えると4アカウント合計で【881+644+512+413=2450】⇒【1001+742+584+485=2812】_【2日の合計で90垢弱/単体垢】、増えていますね。順調な気がするので@のアカウントで、この「物理のブログ」の宣伝をしていてAのアカウントで「呟きブログ」の宣伝をしています。SNSからのユーザーも増えていますが、追って再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類を紹介していますが別途、国別の紹介も再整理していて、その中でアメリカ人物理学者の紹介をしています。

【以下は原稿です】



シュテルンはドイツ生まれの物理学者でナチスに追われアメリカへ移ります。
シュテルンは先ず、ポーランドのプラハ大学でアインシュタインに会い、共にチューリッヒ工科大学に移ります。
気の合う議論相手だったのでしょうか。

シュテルンはドイツ本国で当時の感心事であった原子線の研究をします。
連続して特定の粒子を放出する事で粒子の性質を明らかにしていくのです。
結果としてゲルラッハと共に歴史的な実験を成し遂げました。

戦争に伴い、ナチスにハンブルグ大学の地位を追われた
シュテルンはアインシュタインと共に1933年アメリカに亡命します。この時は
戦後、ナチ政権下で教授を続けたゲルラッハと対照的ですね。

最終的にはUCB(カリフォルニア大学バークレー校)で
名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2021/01/18_改定投稿





OJISAN.png


2021年02月20日

アイザック・バロー_【原稿投稿】

以下原稿を投稿します。今回はアイザック。バロー、ニュートンを見出し、ケンブリッジ大学で初代ルーカス職を務めていた教授です。ご覧ください。

【以下、原稿】



今回の記事は
イギリスの数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて
任命されています。

私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。

Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided his pupil was..…

上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子がニュートン
なのです。バローはニュートン
ルーカス職を譲ります。彼の方が
職位に相応しいと判断したのです。

異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を見ると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みに、その後名誉あるルーカス職は
ディラック
ホーキング
引き継いでいきます。






上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。

また、バローが残した業績で
特筆すべきは微分と積分が
真逆の数学的行為であると幾何学的
に証明した事だと言われています。
今では当たり前なのかも知れません
がバローが整理、体系化した結果
なのでしょう。















以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/06_初稿投稿
2021/01/15_改定投稿





OJISAN.png




【舞台別のご紹介】