当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。2/15(月)朝の時点でのフォロワー数を昨日と比べると@コウジ@kouji_1001→1077_Aバンドリ好き太郎_742→807_B浩司_584→691_Ckouji kazeno_485→564_・合計で考えると4アカウント合計で【1001+742+584+485=2812】⇒【1077+807+691+564=3039】_【合計で227垢⇒56単体垢】、増えていますね。順調な気がするので@のアカウントで、この「物理のブログ」の宣伝をしていてAのアカウントで「呟きブログ」の宣伝をしています。SNSからのユーザーも増えていますが、追って再報告します。
【以下は原稿】
エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、
晩年のオッペンハイマーと対立します。
エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。ハイゼンベルグの下で博士論文を書き、ボーアとの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。
アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。そんな中、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に反共思想を持ちます。オッペンハイマーとの確執の始まりが続きます。特に兵器としての利用に関してはエドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。
実際、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
【舞台別のご紹介】
2020/09/22_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿
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