2013年11月11日
戦争は補給が大事とよく言うけれど
今回、紹介するのは、戦争における補給、について書かれた本である。
小説を書いていると戦争シーンなんかが出てくることはあるかもしれない。
なろう小説で戦記とか、戦記でなくても戦争のシーンのある小説なんか書くときはそうかもしれない。
そのようなときに役立つかもしれない本である。
戦争は 『補給と情報が大事』 って、よく言う。
なろう小説とかでは単に会戦のシーンだけ書くのではなくて、その前段階の下準備、つまり補給の算段なんかも描写しておくと、一気にストーリーにリアル感マシマシでもあろう。
それでそのための資料となるだろうこの本には、
昔の自動車化されていない軍隊にとって、補給がいかに大変だったかが書かれている。
そのために、戦争は必然的に略奪をともない、
それゆえにも、戦争はどうしようもない陰惨さをともなうのだということが、よく分かる。
どういうことかというと、
自動車のない昔の時代には、当然ながら兵士の食糧とかそういう補給物資も、
人の背中やら馬の背中やら馬車やらで運んでいたんである。
そうすると、
その補給部隊に所属する、人やら馬やらも、
前線部隊に補給物資を運んでいくその行程で物資を消費してしまうのである。
補給基地と、前線部隊の距離が近ければ、そういうロスはほとんどないが、
部隊が戦闘に勝って、どんどん前線が押し上げられていくと、補給もどんどん大変になってくる。
話を単純化するために補給物資をハンバーガーだと考えてみよう。
補給部隊の兵1人に、補給物資としてハンバーガーを100個ほど背負わせて、
前線に運ばせるとする。
そうすると補給部隊の彼の食事として、
朝食・昼食・夕食で1日あたり3個消費するわけである。
もし彼が前線まで10日かかって歩くとしたら、前線に着くころには、ハンバーガーは70個に減っていることになる。
前線まで20日かかったら、40個しか届かない。
しかし補給部隊の兵士の彼は手持ちの食料を全て前線部隊に渡すわけにはいかないのである。
なぜなら彼が出てきた元の場所に帰るまでの食料も必要だからなのである。
つまりハンバーガーを100個背負って10日かかって前線に着くと、
行く道での食料に30個消費する。
そして前線部隊に40個渡し、
帰り道での食料に30個消費するわけだ。
もちろんハンバーガーなら100個と言わずもっと背負えるだろう。
だからもう少し効率は改善するかもしれない。
あるいはその辺の草とかを食料にしてくれる馬やらを用いることはできるだろう。
けれども、これは全く人間の食料のことだけ考えた場合の話であって、
実際は、弾薬がどうとか、予備の武器がどうとか、炊飯のための薪が必要だとか、
なんだかんだと色々いるわけである。
補給部隊の負担はさらに増し、ということは荷物を運ぶ人間やら馬やらがさらに増え、
そうなると補給部隊が消費する食料はさらに多くなり・・・・・・
そんなんやってられっか! となるわけである。
それならどうするかというと、
前線になるであろう国境近くにあらかじめ補給物資を集積した倉庫を建てておくとか、
色々とやりようはあるみたいであるが、
まあ現地調達すれば補給部隊要らないよねとなるのは、当然の流れである。
戦場で軍隊に物資を売ってくれる酒保商人に、お金を払って買うとかできればいいが、そううまくいかない場合には、徴発ということになって、つまりは現地住民からの略奪である。
軍隊ってのはつまり暴力のための集団でもあるから、ときに自制心を失うこともあって、略奪、暴行、強姦、殺人、放火と、このように流れて行ってしまうのは少なくとも近代以前の軍隊ではありがちなことである。
だからこそ、この本を読んだ後は、
『正義の』主人公が神算鬼謀を尽くして戦争に勝つ
というような小説を書くことができなくなるかもしれない。
戦争にはおそらく必然として悪が内在しているのだという認識を得てしまうからである。
小説を書いていると戦争シーンなんかが出てくることはあるかもしれない。
なろう小説で戦記とか、戦記でなくても戦争のシーンのある小説なんか書くときはそうかもしれない。
そのようなときに役立つかもしれない本である。
戦争は 『補給と情報が大事』 って、よく言う。
なろう小説とかでは単に会戦のシーンだけ書くのではなくて、その前段階の下準備、つまり補給の算段なんかも描写しておくと、一気にストーリーにリアル感マシマシでもあろう。
それでそのための資料となるだろうこの本には、
昔の自動車化されていない軍隊にとって、補給がいかに大変だったかが書かれている。
そのために、戦争は必然的に略奪をともない、
それゆえにも、戦争はどうしようもない陰惨さをともなうのだということが、よく分かる。
どういうことかというと、
自動車のない昔の時代には、当然ながら兵士の食糧とかそういう補給物資も、
人の背中やら馬の背中やら馬車やらで運んでいたんである。
そうすると、
その補給部隊に所属する、人やら馬やらも、
前線部隊に補給物資を運んでいくその行程で物資を消費してしまうのである。
補給基地と、前線部隊の距離が近ければ、そういうロスはほとんどないが、
部隊が戦闘に勝って、どんどん前線が押し上げられていくと、補給もどんどん大変になってくる。
話を単純化するために補給物資をハンバーガーだと考えてみよう。
補給部隊の兵1人に、補給物資としてハンバーガーを100個ほど背負わせて、
前線に運ばせるとする。
そうすると補給部隊の彼の食事として、
朝食・昼食・夕食で1日あたり3個消費するわけである。
もし彼が前線まで10日かかって歩くとしたら、前線に着くころには、ハンバーガーは70個に減っていることになる。
前線まで20日かかったら、40個しか届かない。
しかし補給部隊の兵士の彼は手持ちの食料を全て前線部隊に渡すわけにはいかないのである。
なぜなら彼が出てきた元の場所に帰るまでの食料も必要だからなのである。
つまりハンバーガーを100個背負って10日かかって前線に着くと、
行く道での食料に30個消費する。
そして前線部隊に40個渡し、
帰り道での食料に30個消費するわけだ。
もちろんハンバーガーなら100個と言わずもっと背負えるだろう。
だからもう少し効率は改善するかもしれない。
あるいはその辺の草とかを食料にしてくれる馬やらを用いることはできるだろう。
けれども、これは全く人間の食料のことだけ考えた場合の話であって、
実際は、弾薬がどうとか、予備の武器がどうとか、炊飯のための薪が必要だとか、
なんだかんだと色々いるわけである。
補給部隊の負担はさらに増し、ということは荷物を運ぶ人間やら馬やらがさらに増え、
そうなると補給部隊が消費する食料はさらに多くなり・・・・・・
そんなんやってられっか! となるわけである。
それならどうするかというと、
前線になるであろう国境近くにあらかじめ補給物資を集積した倉庫を建てておくとか、
色々とやりようはあるみたいであるが、
まあ現地調達すれば補給部隊要らないよねとなるのは、当然の流れである。
戦場で軍隊に物資を売ってくれる酒保商人に、お金を払って買うとかできればいいが、そううまくいかない場合には、徴発ということになって、つまりは現地住民からの略奪である。
軍隊ってのはつまり暴力のための集団でもあるから、ときに自制心を失うこともあって、略奪、暴行、強姦、殺人、放火と、このように流れて行ってしまうのは少なくとも近代以前の軍隊ではありがちなことである。
だからこそ、この本を読んだ後は、
『正義の』主人公が神算鬼謀を尽くして戦争に勝つ
というような小説を書くことができなくなるかもしれない。
戦争にはおそらく必然として悪が内在しているのだという認識を得てしまうからである。
補給戦 何が勝敗を決定するのか (中公文庫) [ マーティン・ヴァン・クレヴェルト ] 価格:1,571円 |
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