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2019年06月16日
昔の人だって高度な知識を持ってたんだぞ!
今日、ご紹介したいのは『天地明察』冲方 丁 (著)という本である。
なぜこの本を紹介したかったかというと、
この本は吉川英治文学新人賞を受賞し、かつ本屋大賞も受賞しているほどの作品であるから、面白さはある程度保証されてるといってもよいくらいで、かつ自分で読んでみても結構面白かった.
だから当ブログ読者の皆様にご紹介申し上げてもよろしかろう、というそういう一般的な理由もあるのであるが、それ以外にも当ブログの趣旨からして、この本をご紹介する理由があるんである。
そうして、当ブログはワナビの皆様のために資料本とかオススメ本とかを紹介するブログであるから、それはもちろんワナビ的な視点からの理由になるのである。
全日本のワナビの皆様にとって最もホットなサイトは何か?
それはもちろん『小説家になろう』という小説投稿サイトであると当ブログは固く信じるものである。
なぜかといえば小説家になろう経由で実際に小説家になり得た(商業本の出版に成功した)元ワナビ現小説家が100人200人単位でいるからである。
そして、その小説家になろうのサイトにおいては、異世界トリップ系の小説が人気なのである。
異世界トリップ系と小説というのは、現代社会で生きている主人公が、何らかの別世界にトリップして、そこで冒険するというような設定のお話のことである。
小説家になろうのサイトで多いのは、いわゆる「中世ヨーロッパ風」というべき異世界に主人公がトリップする設定である。(中世ヨーロッパといいつつ実際の発展具合は近世ヨーロッパっぽい異世界を舞台にとる作品が多いようである)
そしてそういうような設定にもさらに細かいジャンル分けがあって、その一つに「NAISEI系」というものがあるんである。
これはどういうのかというと、現代の知識をもつ人間が、もっと遅れた、それこそ中世ヨーロッパなみの技術・知識水準の異世界にトリップし、現代では一般常識として当たり前になっている、ごく初歩の農業上の知識や公衆衛生上の知識を未開の現地住民にご披露し、その技術・知識格差をもって主人公が社会改革を行い、活躍するというような筋立てである。
つまり「NAISEI」とは「内政」のことなんである。
現代社会の知識でもって発展途上の異世界を「内政」する、とそういう意味なのであるね。
まあ若干設定や展開に無理がある作品も多いので揶揄の意味をこめて?「NAISEI」と表記される由である。
まあそういう話の筋立てはアリかもしれないと私は思う。
なんでもそれこそ史実の中世ヨーロッパにおいては、細菌の概念がまだ存在しなかったので『ウ〇コ』がいかに汚いのかがまだよく理解されておらず、子供たちは『ウ〇コ』を若干臭いが楽しい遊び道具と見なしていたとか、水が伝染病を媒介すると信じられていたので、人々はほとんど風呂に入らなかったとか、瀉血が医療行為としてひろく行われていたとか、まあ社会の迷妄というのはあったのである。
そこに現代の一般的知識を持った人物がトリップすれば、立場をうまく作れば、社会改革を行って現地住民を善導することは可能であろうかと思う。
その過程にストーリー展開上のヨロコビを見出すことも可能であろう。
……がしかし、である。
そのような設定の小説作品群のなかには、現代社会出身の主人公を容易に活躍させようとするあまり、現地住民の技術・知識レベルを異様なまでに低く設定する弊がある作品もあるのは事実である。
私の以前読んだ作品には、現地住民が腐葉土とか肥料とかいう概念を知らず、そのため主人公が施肥によって農作物の収量を増大させて褒められるという展開があった。
これはちょっと幾らなんでも現地住民ナメ過ぎではなかろうか。
そもそも草木の灰ですら肥料になるのであって、日本であればその利用は鎌倉時代からあったそうで、そうであればそもそも肥料の概念を現地人が知らないというのは……と、これ以上はもうやめておくが、ネット小説界隈で話題になった『肉の両面焼き』に至っては何をかいわんやである。
これについても詳述は避けるので詳しくは読者の皆様においてググっていただきたい。
というわけで、当記事の枕部分が終わり、本題に入るのであるが、
今回ご紹介する『天地明察』という作品は、簡単なあらすじを言うと、かつての日本では中国から輸入した暦を使っていたのであるが、これがどうもズレてきているようで、新たに暦を作らなければいけないということになり、数学者であり囲碁棋士でもあり天文学者でもある主人公に、その暦の作成という大役が任せられるというようなお話である。
この作品の主人公や登場人物は実在する歴史上の人物で、つまりはこの作品は歴史小説の一種と言えるだろう。
作品中に徳川家綱とか水戸光圀とかが登場するので、そのあたりの時代のお話である。
西暦で言うと1650年代後半あたりから1600年代終わりあたりにかけてくらいになる。
中世ヨーロッパと言いつつよく見ると近世っぽい作品が多いなろう小説の通例からすると、日本の江戸時代あたりを現実の歴史の参考モデルとするのもちょうど良いように思えるのだがどうだろうか。
まあそれはともかく、主人公は本職が幕府お抱えの囲碁棋士なのであるが、趣味で算術や暦術などもやるのである。
ここらあたりの描写も、社会がまだ十分に成熟してないので、色々な分野にそれだけのスペシャリストがいるのでなくて、頭の良い個人が色々な分野を掛け持ちしているわけである。
つまりレオナルド・ダ・ヴィンチが万能の天才であって、科学者でありつつ画家という文化人でもあったのと同じようなことである。
そしてそのような、文化人である科学者の社会的な立場とか、そういう彼が江戸城に出仕したら、どういう動きをするのかとか、そういうことも作品に臨場感を持たせるために色々と書いてある。
実に面白くこれはプロの仕事であると読ませるところである。
そしてそんな彼が改暦のために、日本全国で天体観測をしまくり、暦を作り直し、日蝕をピタリと当てたりなどするわけである。
つまり何が言いたいかというと、現地住民には現地住民なりの技術や知識がちゃんとあり、近世に差し掛かった中世というほどのレベルになれば、それもかなりのものであろうと思われるわけである。
だから現地住民を作品中であまりアホの子のように描写してしまうと、それは作品の瑕になりかねないのでよろしくないのではなかろうかというのが当ブログの主張なわけである。
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