2017年06月07日
メイドさんのいる社会は晩婚なんですってよ
さて、ほとんど放置気味になりながらも細々と更新が続いてきた当ブログもついに100回目の更新である。
100回というとなかなかのものではないか。
なろう小説でも100話越えというとなかなか「おっ」と思わせるものである。
さて閑話休題
今日ご紹介したいのは『イギリス近代史講義』川北 稔(著) である。
この本を見る限りの個人的な感想であるが、この川北 稔という先生は中々のものである。
学者先生の本というのは、
・まず研究の対象が面白いこと。
・それから本の書き方が作品として優れていること。
この二つの条件を満たさないと面白くない。
どうでもいいような興味をそそられない研究内容であったり、
研究の内容自体は面白くても、読ませる書き方ができてないので本としては面白くなかったりするのも多いが、この本はそうではない。
内容が、面白くかつ読ませる本である。
この本読んで、ワナビ視点でとりわけ面白く感じたのは、イギリス人のライフステージというか人生の設計についての話だった。
なんでもイギリスにおいては、十代の前半から十代の半ばごろになると、家を出てよその家庭に働きにでる習慣が一般的にあったようであったとのことである。
つまり若者は外へ奉公に出て、そこで10年かそこら働いて、なにがしかの財産を作り、それから結婚するというような流れになっていたそうである。
ということは晩婚になるのである。
さらにもっと言えば、子供が実家で住んで家業を手伝うというというのでなくて、奉公先に出て働き、その奉公先の家の半分家族みたいな、つまり一門ということであるが、一員になってしまうので、当然ながら実家には年老いた両親が残されるかたちになるのである。
なんだか核家族化した現代日本みたいな話であるね。
イギリスの歴史では、やたら救貧法とかそういうような法律が頻々と出てくるそうであるが、それは子供が実家に居残って、その居残った子供が親の世話をするという流れがないために生じたものでもあるということである。
これをワナビ的に具体的に当てはめて言えば、
イギリスのようにメイドさんが普通にそこらじゅうにいる社会というのは、
つまり晩婚な社会なのであるということなんである。
よそで奉公して一人前になって、それから結婚という流れだからである。
昔の日本みたいに大家族で早婚な社会とはちょっと違うんだということなんである。
このように、ある社会における普通の人生の流れというのはどのようなものであるか、という思考が、作品の中の登場キャラクターの行動を決定し、世界観に深みをもたらすんである。
◆
あと、もうひとつ気になったところであるが、それは貴族とはなんであるかということについての言及である。
私が読んだ限りではであるが、
貴族とは土地の所有をもってする資本家であって、
後の時代には成功した貿易商や銀行家なども、ジェントルマンとして、貴族階級の一部をなしたとのことである。
当ブログの過去記事の
『君は英国王の戴冠式の手順を知っているか!』
でも少し書いたことであるが、貴族とはすなわち資本家であるのである。
そして政治家も兼任している。
そして、法的な特権と大資本に守られた金持ち、というのが、貴族の正体なのである。
だから貴族を横暴で暴力的な姿で描くのは事実に即さない面もあるということなのである。
金持ちというとビルゲイツさんでも、孫正義さんでもいいが、そんな人は一見してわかるほど粗暴で暴力的だったりはしない。
むしろ人当たりがよく礼儀正しかったりするのではなかろうか。
貴族や金持ちと貧乏人との間には、もちろん格差があるのだけれど、その搾取の構造みたいのがもしあったとしても、それは法律とか社会制度のなかに根深く固定されているのであって、豚みたいな横暴貴族が貧乏人を苛め殺すみたいな描写ももちろん真実の一面ではあるのだが、そればかりに偏るのもおかしいというものである。
富裕層の上位1%が世界の富の半分を持っているなどとよく言われるところであるが、
そこに何らかの搾取や不道徳な要素があるのかないのかは私にはよくわからない。
ただ、そのような富の偏在は鞭を振り回すような、分かりやすい暴力によって担保されているのではないというのは事実であろう。
そうであれば、自作品に登場する貴族の姿というのもいくらか再考の余地があるのではないかと思うのである。
100回というとなかなかのものではないか。
なろう小説でも100話越えというとなかなか「おっ」と思わせるものである。
さて閑話休題
今日ご紹介したいのは『イギリス近代史講義』川北 稔(著) である。
この本を見る限りの個人的な感想であるが、この川北 稔という先生は中々のものである。
学者先生の本というのは、
・まず研究の対象が面白いこと。
・それから本の書き方が作品として優れていること。
この二つの条件を満たさないと面白くない。
どうでもいいような興味をそそられない研究内容であったり、
研究の内容自体は面白くても、読ませる書き方ができてないので本としては面白くなかったりするのも多いが、この本はそうではない。
内容が、面白くかつ読ませる本である。
この本読んで、ワナビ視点でとりわけ面白く感じたのは、イギリス人のライフステージというか人生の設計についての話だった。
なんでもイギリスにおいては、十代の前半から十代の半ばごろになると、家を出てよその家庭に働きにでる習慣が一般的にあったようであったとのことである。
つまり若者は外へ奉公に出て、そこで10年かそこら働いて、なにがしかの財産を作り、それから結婚するというような流れになっていたそうである。
ということは晩婚になるのである。
さらにもっと言えば、子供が実家で住んで家業を手伝うというというのでなくて、奉公先に出て働き、その奉公先の家の半分家族みたいな、つまり一門ということであるが、一員になってしまうので、当然ながら実家には年老いた両親が残されるかたちになるのである。
なんだか核家族化した現代日本みたいな話であるね。
イギリスの歴史では、やたら救貧法とかそういうような法律が頻々と出てくるそうであるが、それは子供が実家に居残って、その居残った子供が親の世話をするという流れがないために生じたものでもあるということである。
これをワナビ的に具体的に当てはめて言えば、
イギリスのようにメイドさんが普通にそこらじゅうにいる社会というのは、
つまり晩婚な社会なのであるということなんである。
よそで奉公して一人前になって、それから結婚という流れだからである。
昔の日本みたいに大家族で早婚な社会とはちょっと違うんだということなんである。
このように、ある社会における普通の人生の流れというのはどのようなものであるか、という思考が、作品の中の登場キャラクターの行動を決定し、世界観に深みをもたらすんである。
◆
あと、もうひとつ気になったところであるが、それは貴族とはなんであるかということについての言及である。
私が読んだ限りではであるが、
貴族とは土地の所有をもってする資本家であって、
後の時代には成功した貿易商や銀行家なども、ジェントルマンとして、貴族階級の一部をなしたとのことである。
当ブログの過去記事の
『君は英国王の戴冠式の手順を知っているか!』
でも少し書いたことであるが、貴族とはすなわち資本家であるのである。
そして政治家も兼任している。
そして、法的な特権と大資本に守られた金持ち、というのが、貴族の正体なのである。
だから貴族を横暴で暴力的な姿で描くのは事実に即さない面もあるということなのである。
金持ちというとビルゲイツさんでも、孫正義さんでもいいが、そんな人は一見してわかるほど粗暴で暴力的だったりはしない。
むしろ人当たりがよく礼儀正しかったりするのではなかろうか。
貴族や金持ちと貧乏人との間には、もちろん格差があるのだけれど、その搾取の構造みたいのがもしあったとしても、それは法律とか社会制度のなかに根深く固定されているのであって、豚みたいな横暴貴族が貧乏人を苛め殺すみたいな描写ももちろん真実の一面ではあるのだが、そればかりに偏るのもおかしいというものである。
富裕層の上位1%が世界の富の半分を持っているなどとよく言われるところであるが、
そこに何らかの搾取や不道徳な要素があるのかないのかは私にはよくわからない。
ただ、そのような富の偏在は鞭を振り回すような、分かりやすい暴力によって担保されているのではないというのは事実であろう。
そうであれば、自作品に登場する貴族の姿というのもいくらか再考の余地があるのではないかと思うのである。
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