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2022年11月11日

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある真言宗の総本山の寺院

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある真言宗の総本山の寺院。山号は八幡山。本尊は薬師如来。真言宗の根本道場であり、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。寺紋は雲形紋(東寺雲)。食堂(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第23番札所。

東寺は、平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。明治維新まで、東寺の長官である4人の東寺長者は真言宗の最高位であり、中でも長者の筆頭である東寺一長者は律令制における仏教界の首座である法務も兼任する慣例だった。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。1934年(昭和9年)に国の史跡に指定、1994年(平成6年)12月には「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産に登録された。

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東寺(京都)

歴史
8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であった。

南北朝時代に成立した、東寺の記録書『東宝記』によれば、東寺は平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、藤原伊勢人が造寺長官(建設工事責任者)となって建立したという。藤原伊勢人については、公式の史書や系譜にはその名が見えないことから、実在を疑問視する向きもあるが、東寺では古くからこの延暦15年(796年)を創建の年としている。それから二十数年後の弘仁14年(823年)、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)は、嵯峨天皇から東寺を下賜され、真言密教の根本道場としたと弘法大師二十五箇条遺告(御遺告)に記されている。この時から東寺は国家鎮護の官寺であるととも真言密教の根本道場となった。

東寺は平安時代後期には一時期衰退するが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになる。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院であった。宣陽門院は霊夢のお告げに従い、東寺に莫大な荘園を寄進した。また、「生身供」(しょうじんく、空海が今も生きているがごとく、毎朝食事を捧げる儀式)や「御影供」(みえく、毎月21日の空海の命日に供養を行う)などの儀式を創始したのも宣陽門院であった。空海(弘法大師)が今も生きているがごとく朝食を捧げる「生身供」の儀式は、21世紀の今日も毎日早朝6時から東寺の西院御影堂で行われており、善男善女が参列している。また、毎月21日の御影供の日には東寺境内に骨董市が立ち「弘法市」「弘法さん」として親しまれている。

中世以後の東寺は後宇多天皇・後醍醐天皇・足利尊氏など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えた。文明18年(1486年)に発生した土一揆のために金堂や講堂、南大門などの主要堂塔のほとんどが焼失したが、延徳3年(1491年)には講堂が再建されている。

天正19年(1591年)、豊臣秀吉により2,030石の知行が認められている。また、金堂は慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建されている。五重塔は寛永21年(1644年)に徳川家光によって再建が行われた。

1895年(明治28年)には、豊臣秀頼が慶長6年(1601年)に建てた三十三間堂の西大門を、東寺の南大門(重要文化財)として移築している。

何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていないが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままである。

なお、東寺の執行は代々に渡って空海の母方の叔父である阿刀大足の子孫が、弘仁14年(823年)から1871年(明治4年)まで務めた。

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金堂(国宝)

金堂
国宝。東寺の中心堂宇で諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定される。当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。現存の建物は慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建されたもの。入母屋造本瓦葺きで、外観からは二重に見えるが一重裳階(もこし)付きである。建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用され、貫や挿肘木を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られる。内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されている。

なお金堂は、豊臣秀吉の造立した方広寺初代大仏殿(京の大仏)を模したものとの伝承がある。秀吉の造立した方広寺大仏殿を描いた絵図資料として、慶長11年(1606年)作とされる狩野内膳の『豊国祭礼図屏風』があるが、それに描かれた大仏殿の外観と東寺金堂の外観が極めて類似している。金堂には大仏殿のように、堂外から内部に安置されている仏像の御顔を拝顔できるようにする観相窓が設けられているが、それの高さは、安置されている薬師如来の御顔の高さと合っていないので、窓を開けても如来の光背しか見えず、観相窓としては無用の代物になってしまっているという 。ただし明かり取り窓としては機能しているという 。これは本来この建物のデザインは、大仏を安置するために意匠されたもので、丈六の薬師如来像を安置するために意匠されたものではない(東寺のために意匠されたものではない)ためとされている。

金堂の修理工事では、金堂の棟札が確認された。それには豊臣秀頼の寄進によることや片桐且元を奉行として造立工事がなされたことが記されていた。また方広寺の鐘銘に類似した「国家太平 臣民快楽」の文言の記載があった。方広寺の鐘銘では「国家安康 君臣豊楽」と刻字され、それが家康の諱を分断して呪詛し、豊臣を君主とする意図があると徳川方に解釈され、方広寺鐘銘事件に発展してしまったことは周知の通りである。

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金堂本尊・薬師如来坐像

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金堂本尊・薬師如来坐像

木造薬師如来および両脇侍像(重要文化財) - 像高は中尊(薬師如来)が288センチメートル、左脇侍(向かって右)の日光菩薩が290センチメートル、右脇侍(向かって左)の月光菩薩が289センチメートル。中尊が座す裳懸座の腰回りに12体の十二神将像が立つ。三尊像は寄木造、漆箔仕上げ、玉眼(眼の部分に水晶を嵌め込む)。台座に付属する十二神将像は寄木造、彩色、玉眼。中尊の像内納入の木札、十二神将像の像内銘や納入品、及び、東寺長者を務めた義演の日記である『義演准后日記』の記載などから、この三尊像は慶長7年から同9年(1602年 - 1604年)にかけて、七条大仏師康正が康理、康猶、康英らとともに制作したことがわかる。中尊の台座を蓮華座でなく裳懸座とする点、中尊が左手に薬壺(やくこ)を持たない点などは古い要素で、本像が平安時代前期の当初像の形制にならって制作されたことを窺わせる(薬師如来の像は、左手に薬壺を捧持する形が一般的だが、奈良・薬師寺金堂薬師如来像(奈良時代)のような古像は薬壺を持っていない)。

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アクセス
東寺駅(近鉄京都線)徒歩10分。
京都駅八条口から徒歩15分。
バス
京都駅前バス停から
B3乗り場から京都市営バス208号系統水族館西大路駅行きで東寺南門前下車
C4乗り場から京都市営バス42号系統洛西口駅前行きで東寺東門前下車(1時間に1本程度)
C4乗り場から京都市営バス16号系統南区総合庁舎方面行きで東寺西門前下車(1時間に2本程度)
C4乗り場から京都市営バス19号系統横大路車庫行きで東寺南門前下車(1時間に1本程度)
京都駅八条口から
F1乗り場から京都市営バス71号系統・特71号系統松尾橋行きで東寺東門前下車(日中は1時間に2本程度)
F1乗り場から京都まちづくり交通研究所(京都市営バスが受託運行)「東寺・梅小路エクスプレス」で東寺東門前下車(土曜・休日のみ運行・1時間に4本程度)
G1乗り場から京都市営バス16号系統南区総合庁舎方面行きで東寺西門前下車(1時間に2本程度)
G1乗り場から京都市営バス19号系統横大路車庫行きで東寺南門前下車(1時間に1本程度)
H6番乗り場から京阪バス26号経路京阪淀駅行きで東寺南門下車(1日2往復のみ)
大宮駅(阪急京都本線)前「四条大宮」バス停から
3乗り場から京都市営バス18号系統久我石原町行きで東寺東門前下車(1時間に2本程度)
3乗り場から京都市営バス特18号系統久世橋東詰行きで東寺東門前下車(1時間に1本程度・平日は1時間に1〜2本)
3乗り場から京都市営バス71号・特71号系統京都駅八条口行きで東寺東門前下車(日中は1時間に2本程度)
3乗り場から京都市営バス207号系統東寺・東福寺方面行きで東寺東門前下車(10分前後おき)
淀駅(京阪本線)前バス停から
京阪バス26号経路京都駅八条口行きで東寺南門下車(1日2往復のみ)

所在地 京都府京都市南区九条町1
posted by Kazu at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都府
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