鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(式内大社)、大隅国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。かつては「大隅正八幡宮」「国分八幡宮」などとも称されていた。
祭神
現在の祭神は次の通り。
主祭神
天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦)
豊玉比売命(とよたまひめのみこと) - 天津日高彦火火出見尊の后神。
相殿神
帯中比子尊(なかたらしひこのみこと、第14代仲哀天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后) - 仲哀天皇皇后。
品陀和気尊(ほむだわけのみこと、第15代応神天皇・八幡大神)
中比売命(なかつひめのみこと、仲姫命) - 応神天皇皇后。
相殿神4柱は八幡神を合祀した関係による。
歴史
創始は社伝によると遠く神代とも、あるいは「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。和銅元年(708年)に現在地に遷座され、旧社地には現在摂社石体宮(石體神社)が鎮座している。当社の北西13kmの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山陵がある。
欽明天皇5年(544年)に八幡神が垂迹したのもこの旧社地とされる。当社を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に「震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、その太子を八幡と名付けたという。継体天皇の代のことであるという。」との記載がある。なお、白井宗因が記した『神社啓蒙』では登場人物が「陳大王」と記されており、娘の名前が八幡であるとされている。
八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたと『今昔物語集』にも記載されている。
祭事
初午祭の様子(2012年撮影)
鹿児島神宮で行われる年間祭事は次の通り。
七種祭(1月7日)
初午祭(旧暦1月18日:近年は近日の日曜日)
藤祭(旧暦3月10日)
御田植祭(旧暦5月5日)
例祭(旧暦8月15日)
七夕祭
御浜下り祭(10月第3日曜日)
文化財
重要文化財(国指定)
鹿児島神宮 3棟(附 棟札1枚)(建造物) - 宝暦5年(1755年)、島津重年の寄進により工事に着手。翌年、島津重豪の代に竣工した。2022年(令和4年)2月9日指定。
本殿及び拝殿
勅使殿
摂社四所神社本殿
紺糸威鎧 兜、大袖付(工芸品)
島津家家老の樺山幸久の奉納。1953年(昭和28年)3月31日指定。
色々威胴丸 兜、大袖付(工芸品)
永禄元年(1558年)の島津貴久の奉納。鹿児島県歴史資料センター黎明館保管。1953年(昭和28年)3月31日指定。
色々威胴丸 兜、大袖付(工芸品)
永禄元年(1558年)の島津貴久の奉納。東京国立博物館保管。1953年(昭和28年)3月31日指定。
刀 無銘(伝則重)(工芸品)
戦後の進駐軍の接収で所在不明となったが、2022年(令和4年)に特徴の一致する刀がオーストラリアで見つかった[18]。1918年(大正7年)4月8日指定。
刀 銘相州住秋広 明徳三(工芸品)
明徳3年(1392年)の作。27代島津斉興の奉納。戦後の進駐軍の接収で所在不明となったが、オークションへの出品で発見されて2003年(平成15年)に神社が買い戻した。現在は鹿児島県歴史資料センター黎明館保管。1927年(昭和2年)4月25日指定。
現地情報
所在地
鹿児島県霧島市隼人町内2496
交通アクセス
鉄道:九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線・肥薩線 隼人駅(徒歩約20分)
2023年04月08日
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