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境内風景、手水舎、阿弥陀堂(奥)
歴史
「播州太山寺縁起」によれば、元正天皇の勅願寺として霊亀2年(716年)に発願者である藤原鎌足の孫の藤原宇合が堂塔伽藍を建立したとされる。
開山(初代住職)は勧請開山として藤原鎌足の長男・定恵(「定慧」「貞恵」とも書く)としている。創建時の建物は弘安8年(1285年)の火災で焼失しており、現存する建物はそれ以降に再建されたものである。
開山とされる定恵は、藤原鎌足の長男で(次男は藤原不比等)、若くして出家し、遣唐使とともに唐に渡った。生涯について謎の多い人物で、没年についても『日本書紀』『藤氏家伝』は天智天皇4年(665年)、『元亨釈書』は和銅7年(714年)とするなど定かでない。太山寺の境内および周辺からは定恵の時代までさかのぼる遺跡、出土品等は確認されておらず、実際の創建は平安時代に降るとみられている。
南北朝時代の建武元年(1334年)には大塔宮護良親王の令旨を受けて南朝方勢力として行動している。支院41ヶ坊、末寺8ヶ寺・末社6ヶ社に僧兵を有していた往時の繁栄をしのばせる大規模な本堂は国宝で、重要文化財は仁王門、阿弥陀如来坐像をはじめ19件を数える。また安土桃山時代の枯山水名園、安養院庭園は国の名勝に指定されている。なお現在塔頭は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の5ヶ坊のみとなっている。
太山寺境内の内外は原生林が残る深森になっている。周辺の55.9haは「太山寺風致地区」として保護され、ひょうごの森百選にも選ばれており、春は桜、秋は紅葉の名所として知られている。
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仁王門
境内
本堂(国宝)
鎌倉時代、正安2年(1300年)頃の建立。入母屋造、銅板葺き。桁行(間口)7間、梁間(奥行)6間(ここで言う「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する。以下同じ)。実寸は柱真々間正面20.82m・側面17.76mである。弘安8年(1285年)の火災後、13世紀末頃の建立とみられる。本尊の薬師如来のほかに、新西国三十三箇所第25番札所本尊の十一面観音も祀る。人の空間である外陣と仏の空間である内陣を結界(本建物では格子戸)で分ける、中世密教仏堂の典型である。内部は板敷で、手前の梁間3間分を外陣とする。後方は桁行5間、梁間2間分を内陣、その左右と背面の1間通りを脇陣及び後陣とする。内陣の後寄りに桁行3間の須弥壇を設け、その中央の間に厨子を置き、内部に本尊薬師如来像を安置する。厨子には弘安元年(1278年)の墨書がある。組物は出三斗、中備を間斗束(けんとづか)とする。柱間装置は正面7間をすべて蔀戸(しとみど)とし、側面は前から1間目を幣軸(扉回りに取り付ける枠状の部材)付きの板戸、2間目を蔀戸、3間目を格子戸引違い、5間目を板戸とする。背面は中央間のみ板戸とし、他を土壁とする。以上のように、建物前方の外陣部を開放的な扱いとするのに対し、内陣部は開口の少ない閉鎖的な構えである。柱には隅延び[2]があり、これによって軒反りを形成している。建築様式は蔀を多用するなど和様を基調としているが、頭貫の木鼻などに禅宗様の要素がみられる。本建物で特異な点は、組物の肘木に和様のものと禅宗様のものが混在している点で、建物の東半分の肘木は木口を直線的に構成した和様、西半分の肘木は曲線で構成した禅宗様になっている。
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本堂
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本堂内部(外陣の入側柱列)
文化財
国宝
本堂
重要文化財
仁王門
所在地
〒651-2108 兵庫県神戸市西区伊川谷町前開224
交通アクセス
神戸市営地下鉄西神・山手線 学園都市駅 徒歩25分
神姫バス14系統 (明石駅-伊川谷駅-太山寺-名谷駅) 下車すぐ
JR神戸線 明石駅から…「太山寺」行きまたは「名谷駅」行きで35分
神戸市営地下鉄西神・山手線 伊川谷駅から…「太山寺」行きまたは「名谷駅」行きで7分
神戸市営地下鉄西神・山手線 名谷駅から…「明石駅」」行きで18分
拝観料・拝観時間
拝観料:300円(元日は無料)
拝観時間:8:30 - 17:00(12月 - 2月は16:30)