石岡第一発電所(いしおかだいいちはつでんしょ)は茨城県北茨城市にある水力発電所である。1911年(明治44年)に発電を開始し、2016年現在も東京発電の管理下で稼働している。茨城県内で稼働中の水力発電所としては中里発電所(1908年発電開始)に次ぐ歴史を持ち、施設全体が日本国の重要文化財に指定されている。
発電所仕様
本設備
石岡第一発電所は1911年(明治44年)8月に竣工した水力発電所である。本発電所は茨城県北茨城市に位置し、二級河川である大北川水系の本流から取水し発電している。この大北川本流は総長22.2キロメートル、流域面積195.5平方キロメートルの河川であり、茨城県北茨城市の磯原市街東端に河口がある。大北川水系では、石岡第一発電所の他に石岡第二発電所・横川発電所が本流沿いに、花園川発電所が支流沿いに設けられている。
本発電所は、取水堰堤・沈砂池・水路橋・水槽・調圧水槽・発電機室・変圧器室といった施設から構成される。取水堰堤から取り入れられた水は、総延長約3,500メートルの水路を通り石岡第一発電所へ到達する。水路は導水路と水圧鉄管から成り、導水路の部分が2,892メートル、水圧鉄管の部分が568メートルの長さとなる。導水路は隧道と開渠から成り、主要部の平均幅は2.1メートルで、高さも2.1メートルである。水圧鉄管は管径が1.6メートルで、石岡第一発電所の竣工当初は継ぎ目無しの溶接鉄管が使われていた[6]。石岡第一発電所での発電後は放水され、これが下流にある石岡第二発電所にて再利用される。
石岡第一発電所の発電設備は、同期発電機1台と出力5,540キロワット横軸フランシス水車から成る。本発電所の竣工当初は、発電設備は二組の発電機と水車から構成されていた。一組目はゼネラル・エレクトリック(GE)製の1,000キロワット発電機とエッシャーウイス製の横軸フランシス水車で、二組目も同じくGE製の3,000キロワット発電機とエッシャーウイス製の横軸フランシス水車であった。
2009年5月22日時点での石岡第一発電所の諸元は下記の通り。
河川名:大北川水系大北川
発電形式:水路式
発電方式:流込み式
最大出力:5,500キロワット
常時出力:1,100キロワット
最大使用水量:3.90立方メートル毎秒
有効落差:161.10メートル
流域面積:87.9平方キロメートル
水車:横軸フランシス水車 出力5,540キロワット1台
発電機:同期発電機1台
所有者:東京発電
国家管理・東京電力時代
日立電力による運営後、石岡第一発電所は電力国家管理に伴い関東配電株式会社の所有となった。1941年(昭和16年)9月6日、配電統制令により関東配電株式会社設立命令が発せられた。日立電力は「関東配電となるべき会社」に指定され、全資産をあげて関東配電に統合することとなった。1942年(昭和17年)3月30日に創立総会が開かれた後、4月1日に関東配電株式会社が設立された。
第二次世界大戦後には電気事業再編令が公布され、石岡第一発電所は東京電力の所有となった[39]。東京電力に所有されていた間、石岡第一発電所は出力増加改修や周波数変更が行われた。1957年(昭和32年)5月18日には水圧鉄管が取り替えられ、出力が4,000キロワットから4,600キロワットまで増加した。1968年(昭和43年)11月3日には、鉄筋コンクリート製の逆サイフォン管が銅製の物に置き換えられ、出力が4,600キロワットから4,800キロワットまで増加した。また、石岡第一発電所ではそれまで交流60ヘルツが使用されてきたが、東京電力が茨城県内に残していた60ヘルツ地区を50ヘルツに切り替える方針を受けて、1961年(昭和36年)6月には50ヘルツ用発電所に改められた。しかし、なお残った60ヘルツ地域が電力不足に陥る度に、需要の波動調整用となる再改造を石岡第一発電所は受けた。
国 日本
所在地 北茨城市
座標 北緯36度46分39秒 東経140度40分46秒
現況 運転中
運転開始 1911年(明治44年)10月
事業主体 東京発電
開発者 久原鉱業
2022年12月18日
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