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2024年08月13日

玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ、玉造湯神社)は、島根県松江市玉湯町玉造にある神社

玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ、玉造湯神社)は、島根県松江市玉湯町玉造にある神社。式内社で、旧社格は県社。神紋は「二重亀甲に丸玉管玉勾玉」。

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祭神
祭神は次の4柱。

櫛明玉神 (櫛明玉命、くしあかるたまのみこと)
大名持神
少彦名神
五十猛神
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳での祭神の記載は「玉作湯神社」が1座、「同社坐韓国伊太氐(からくにいたて)神社」が1座の計2座。それぞれ『出雲国風土記』(天平5年(733年)成立か)に見える「玉作湯社」と「由宇社」に比定される。

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境内
一の鳥居 - 扁額は、第25代・第28代内閣総理大臣・若槻禮次郎による揮毫。
二の鳥居
社務所
出雲玉作跡出土品収蔵庫 - 参道石段脇にあり、1960年(昭和35年)に建てられた古代家形埴輪を模した収蔵庫で、約700点の古代玉作りに関する資料が収蔵され、そのうち、玉類及同未成品 184箇、砥石残闕共 162箇などが国の重要文化財に指定されている。
拝殿・本殿 - 本殿は安政4年(1857年)の再建によるもので、大社造を変形した様式になる。
御神水・願い石 - 社務所で叶い石を拝受し、御神水を願い石と叶い石にかけ、叶い石で願い石に、そっと触れながら願い事を3回祈念し、社務所に戻り願い札に願いを書き、複写の1枚を札入れへ入れ、もう1枚を叶い石とともに、お守り袋へ入れると願いが叶うとされる。
真玉ヶ池
摂末社 - 後述
玉造要害山城 - 境内背後の丘陵に築かれた山城跡。土塁、空堀、井戸跡などが良好に残る。

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文化財
重要文化財(国指定)
出雲国玉作阯出土品 一括(考古資料) - 昭和14年5月27日に指定、昭和33年2月8日に追加指定・名称変更・員数変更。
玉類及同未成品 184箇
砥石残闕共 162箇
硝子塊 11箇
坩堝残片等 一括
これらの出土品は境内にある収蔵庫に保管されている。
国の史跡
玉作湯神社境内は、国の史跡「出雲玉作跡」の一角(宮ノ上地区)として史跡に指定されている。大正11年10月12日指定。

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交通アクセス
西日本旅客鉄道(JR西日本)玉造温泉駅から
バス:一畑バス(玉造温泉行き)で「玉造温泉」バス停下車

所在地 島根県松江市玉湯町玉造508
位置 北緯35度24分49.26秒 東経133度0分42.35秒
主祭神 櫛明玉神
大名持神
少彦名神
五十猛神(配祀神)
社格等 式内社(小)
旧県社
創建 不詳
本殿の様式 大社造
例祭 10月10日
posted by Kazu at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 島根県

2024年08月12日

聖福寺(しょうふくじ)は長崎県長崎市にある黄檗宗の仏教寺院

聖福寺(しょうふくじ)は長崎県長崎市にある黄檗宗の仏教寺院。山号は万寿山(まんじゅさん)。

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概要
日本に黄檗宗を伝えた隠元の孫弟子に当たる鉄心道胖を開山として、長崎奉行の後援や在崎唐人、鉄心の母の実家である地元豪商西村氏などの出資を得て1677年(延宝5年)に建立された。創建時に既にあった長崎三福寺とよばれる唐寺3ヶ寺の目付寺といわれるが、後代には三福寺に当寺を合わせて「長崎四福寺」あるいは「長崎四ヶ寺」とも並び称された。堂宇の様式は他の黄檗宗寺院と同系で朱塗りを特徴としているがより和風建築に近いものとなっている。俗に広東寺ともいう。

慶応3年(1867年)のいろは丸事件では紀州藩と土佐藩の談判の舞台となった。

大雄宝殿など境内の建造物は老朽化が進んでおり、修復しなければ倒壊の危険がある状態へと陥っていた。当初は修復費用を捻出できず工事に着手できない状態が続いていたが、2014年9月18日付で長崎県指定有形文化財の建造物4棟(大雄宝殿・天王殿・鐘楼・山門)が国の重要文化財に指定されたことにより、国の補助が得られるようになった。これにより国から最大で85%の工事費の補助を受けられるようになったほか、長崎県や長崎市からの補助もあり、寺側の負担が6%ほどになったことから着工へと至った。工期は10年が予定されている。

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文化財
重要文化財(国指定)
大雄宝殿 - 江戸時代中期(1697年)の建立。桁行三間、梁間四間、二重、入母屋造、北面切妻屋根付、本瓦葺、西面及び北面軒下張出し付。平成26年(2014年)9月18日指定。
天王殿 - 江戸時代中期(1705年)の建立。桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺。平成26年(2014年)9月18日指定。
鐘楼 - 江戸時代中期(1716年)の建立。桁行三間、梁間三間、二重、入母屋造、本瓦葺。平成26年(2014年)9月18日指定。
山門 - 江戸時代中期(1703年)の建立。桁行三間、梁間二間、一重、切妻造段違、本瓦葺。平成26年(2014年)9月18日指定。

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アクセス
長崎電気軌道桜町電停下車、徒歩4分。

所在地 長崎県長崎市玉園町3-77
位置 北緯32度45分10.97秒 東経129度52分37.47秒
山号 万寿山
宗旨 黄檗宗
創建年 1677年
開基 鉄心道胖
正式名 萬壽山聖福禪寺
別称 廣東寺
文化財 大雄宝殿・天王殿・鐘楼・三門(国の重要文化財)
posted by Kazu at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 長崎県

2024年08月10日

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来。南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

南円堂(本尊・不空羂索観音)は西国三十三所第9番札所、東金堂(本尊・薬師如来)は西国薬師四十九霊場第4番札所、菩提院大御堂(本尊・阿弥陀如来)は大和北部八十八ヶ所霊場第62番

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歴史
創建
藤原鎌足夫人の鏡王女が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)に山背国山階(現・京都府京都市山科区)で創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。

和銅3年(710年)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。

その後も、天皇や皇后、また藤原氏によって堂塔が建てられ、伽藍の整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営が国家の手で進められるようになった。天平10年(738年)3月28日には山階寺(興福寺)に食封千戸が朝廷から施入されている。

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五重塔
国宝。応永33年(1426年)再建。6代目。本瓦葺の三間五重塔婆である。1897年(明治30年)12月28日、当時の古社寺保存法に基づく特別保護建造物(旧国宝(文化財保護法における「重要文化財」に相当))に指定。1952年(昭和27年)3月29日、文化財保護法に基づく国宝に指定されている。創建は天平2年(730年)で、光明皇后の発願によるものである。現存の塔は、応永

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中金堂
2018年(平成30年)10月再建。9代目。創建当初の建物は藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための、寺の中心的な堂として和銅3年(710年)の平城京遷都直後に造営が始められたと推定される。後に東金堂・西金堂が建てられてからは中金堂と呼ばれるようになった。創建以来たびたび焼失と再建を繰り返したが、江戸時代の享保2年(1717年)の火災による焼失後は1世紀以上再建されず、文政2年(1819年)、町屋の篤志家達の寄付によってようやく再建された。この文政再建の堂は仮堂で、規模も従前の堂より一回り以上小さかったが、1959年(昭和34年)の国宝館の開館までは、高さ5.2メートルの千手観音立像をはじめ、国宝館で現在見られる仏像の多くを堂内に安置していた。また、朱色に塗られていたため「赤堂」として親しまれていた。あくまで仮の堂として建てられたため、長年の使用に不向きである安価な松材が使用され、瓦も安物が使われており、経年による雨漏りは年々ひどくなっていった。そこで、仏像への雨漏り被害を防ぐために1974年(昭和49年)11月23日に中金堂北側の講堂跡地に仮金堂(現・仮講堂)として薬師寺の旧金堂を移築し、本尊の釈迦如来坐像などがそちらに移された。文政再建の仮堂の中金堂は老朽化のため移築再利用も不可能と判断され、一部の再利用できる木材を残して2000年(平成12年)に解体された。その後、中金堂解体後に発掘調査が行われ、創建当初の姿を再現した新・中金堂の建設と境内各所の整備が始められた。創建1,300年となる2010年(平成22年)に中金堂再建工事が着工され、2017年(平成29年)、翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を早くも中金堂に移し、2018年(平成30年)10月に9代目となる中金堂が落慶した。

所在地 奈良県奈良市登大路町48
位置 北緯34度40分59.7秒 東経135度49分52.2秒
山号 なし
宗派 法相宗
寺格 大本山
本尊 釈迦如来
創建年 天智天皇8年(669年)
開基 藤原不比等
札所等 西国三十三所第9番(南円堂)
西国薬師四十九霊場第4番(東金堂)
大和北部八十八ヶ所霊場第62番(菩提院)
南都七大寺第2番
神仏霊場巡拝の道第16番(奈良第3番)
文化財 五重塔、木造弥勒仏坐像、乾漆八部衆像ほか(国宝)
南円堂、木造薬王菩薩、薬上菩薩立像ほか(重要文化財)
世界遺産
posted by Kazu at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良県

2024年08月09日

清見寺(せいけんじ)は、静岡市清水区興津清見寺町[1]にある臨済宗妙心寺派の寺院

清見寺(せいけんじ)は、静岡市清水区興津清見寺町[1]にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は巨鼇山(こごうさん)、正式には「巨鼇山 求王院 清見興国禅寺」(こごうさん ぐおういん せいけんこうこくぜんじ)と称する。

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歴史
寺伝では奈良時代の創建と伝える。平安時代は清見関(清見ヶ関)に置かれた比叡山を総本山とする天台宗の寺院であった。

鎌倉時代に禅寺として復興し、足利尊氏や今川義元の帰依を受けて繁栄した。また、その頃、徳川家康は今川氏に人質としてであったが、当寺の住職太原雪斎に師事し、当寺で勉強していた。交通の要衝であり、武田氏による駿河侵攻の際には、今川氏真が本陣を構えたものの、薩埵峠の戦いによる家臣の相次ぐ離反、武田方への内通により戦わずして駿府城に撤退している。

江戸時代には徳川氏の庇護を受けたほか、東海道の目の前にあることから、朝鮮通信使や琉球使の接待がここで行われた。広島県福山市鞆町にある福禅寺、岡山県瀬戸内市牛窓町にある本蓮寺と共に朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されている。また庭園も国の名勝に指定されている。

また、駿河湾を望む風光明媚な高台にあり、室町時代には雪舟が、明治時代には夏目漱石や高山樗牛、島崎藤村が訪れている。

なお、寺の境内を東海道本線の線路が横切っている。

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交通アクセス
JR東海道本線興津駅から徒歩約15分
しずてつジャストライン三保山の手線清見寺前停留所(JR清水駅前停留所から10分弱)から徒歩1分
静清バイパス清見寺インターチェンジより車で3分

所在地 静岡市清水区興津清見寺町418-1
位置 北緯35度2分51.45秒 東経138度30分47.15秒
山号 巨鼇山(こごうさん)
院号 求王院
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 (伝)白雉年間(650年 – 654年)
中興年 弘長2年(1262年)
中興 関聖、円爾(勧進中興)
正式名 巨鼇山求王院清見興國禪寺
文化財 宋版石林先生尚書伝(重要文化財)
朝鮮通信使遺跡清見寺境内(国の史跡)
庭園(国の名勝)
posted by Kazu at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 静岡県

2024年08月08日

苗村神社(なむらじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡竜王町にある神社

苗村神社(なむらじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡竜王町にある神社。延喜式神名帳に長寸(なむら)神社として列座された格式高い式内社。旧社格は県社。近郷の33ヶ村にわたって氏子を有する総社。

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歴史
くわしい創祀は不詳であるが、社伝によれば垂仁天皇の時代に祖霊信仰により始まった神社とされる。東苗村古墳群の地に地名の那牟羅と同音の長寸(長は最高位、寸は村の古字)と呼ばれる社、現在の東本殿が建立された。

平安時代、延喜式神名帳に記載されて式内社に列せられる。

安和2年(969年)3月28日、大和国芳野金峯山の国狭槌命の御神霊が神域の西方に鎮座し、この際、新たな社殿が造営された。この社はこれまでの本殿(東本殿)に対し西本殿と呼ばれる。

寛仁元年(1017年)正月、朝廷に門松用の松苗を献上して以来、年々の吉例となったことから、後一条天皇から苗村の称号を賜り、苗村と呼ぶようになった。

天文5年(1536年)3月2日、後奈良天皇から「正一位」の神位を授かる。同年4月9日には勅使中御門宗藤・山科言継により、神位記が奉納される。次いで同年5月9日、「正一位苗村大明神」の勅額を下賜される。

天正年間(1573年 - 1593年)には、織田信長が馬鞍一具、太刀七振りを寄進している。

1881年(明治14年)郷社に、1920年(大正9年)に県社に昇格している。

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滋賀県 苗村神社西本殿(国宝)

祭神
主祭神 - 那牟羅彦神(なむらひこがみ)・那牟羅姫神(なむらひめがみ)・国狭槌尊(くにのさづちのみこと)。西本殿の祭神。
相殿神 - 大国主命(おおくにぬしのみこと)・事代主神(ことしろぬしのかみ)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)。東本殿の祭神。

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苗村神社 東本殿

文化財
国宝
西本殿 附:厨子1基、棟札1枚
重要文化財
東本殿 附:棟札 2枚
八幡社本殿
十禅師社本殿
楼門 附:古材 2点
神輿庫
木造不動明王立像

交通アクセス
JR琵琶湖線 近江八幡駅下車 バス20分 川守バス停下車
名神竜王IC 車10分

所在地 滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸467
位置 北緯35度3分53.5秒 東経136度7分40.5秒
主祭神 那牟羅彦神、那牟羅姫神、国狭槌尊(西本殿)
大国主命・事代主神・素盞嗚尊(東本殿)
社格等 式内社(小)
旧県社
創建 垂仁天皇の時代
本殿の様式 三間社流造(西本殿)
一間社流造(東本殿)
例祭 苗村祭(4月20日)
式年祭(33年毎9月5日)
主な神事 節句祭(5月5日)
posted by Kazu at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 滋賀県

2024年08月07日

西岡家住宅(にしおかけじゅうたく)は、佐賀県嬉野市塩田津重要伝統的建造物群保存地区にある、商家にして歴史的建造物

西岡家住宅(にしおかけじゅうたく)は、佐賀県嬉野市塩田津重要伝統的建造物群保存地区にある、商家にして歴史的建造物。国の重要文化財に指定されている。

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概要
西岡家は、長崎街道の宿場町と有明海の川港として栄えた塩田津で、廻船問屋を営んでいた豪商であった。この地には、1810年(文化7年)頃移住した。現在の家屋は江戸時代末期の1852年(嘉永5年)に建築を始め1855年(安政2年)に完成した。当時は裏庭が川に面しており、資材の船運による搬出入作業をそこで行っていた。商家であったため、家屋の通りに面した部分は、全体を開放できる作りになっており、土間と店の間の前面は、全体が開放できるよう、出入り口は「吊大戸(つりおおど)」にして空間を確保している。

西岡家住宅は1974年(昭和49年)2月5日に国の重要文化財に指定された。またこの塩田津一帯は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

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建築概要
建築年代は1855年。
屋根は切妻造T字形、桟瓦葺、平入り。
大屋根の正面に破風が見られる、大壁造り。
正面11.8m、桁行17.9m。
背面突出部 桁行8.8m、梁間6.0m。
風呂場及び便所附属。

所在地
〒849-1411 佐賀県嬉野市塩田町大字馬場下甲720

アクセス
JR長崎本線肥前鹿島駅から祐徳バス塩田経由嬉野温泉行き、もしくは佐世保線・西九州新幹線武雄温泉駅から嬉野市役所塩田庁舎経由祐徳神社前行き乗車、「塩田下町」下車。

公開時間
公開自由(但し外観のみ)
内部は日曜と祝日に公開
posted by Kazu at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐賀県

2024年08月06日

聖天院(しょうでんいん)は、埼玉県日高市にある真言宗智山派の寺院

聖天院(しょうでんいん)は、埼玉県日高市にある真言宗智山派の寺院。武蔵野三十三観音霊場二十六番札所。

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歴史
高麗王若光の菩提寺として創建された。寺号は若光が高句麗より持参した歓喜天を本尊とすることから名付けられたという。1345年に法相宗から真言宗に改宗。天正18年に徳川家康が関東に入国すると、翌年(1592年)、寺領として高麗郷内に15石を寄進された。

庭園の他、高麗王若光王陵(墓碑は金鍾泌韓国元首相の揮毫)、在日韓民族無縁慰霊塔などが境内に所在している。寺の紋章は菊花紋章。

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慰霊塔
関東大震災朝鮮人虐殺事件や太平洋戦争中の朝鮮人の犠牲者を悼み、在日韓民族無縁慰霊塔および納骨堂が敷地内に建立されている。韓国併合の大日本帝国支配36年間を象徴し、36段高さ16mの石塔が2000年(平成12年)に建立した。毎年慰霊祭が行われている。塔の下には日韓親善協会中央会会長三塚博により建立された慰霊碑がある。

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アクセス
JR八高線・川越線 高麗川駅より徒歩30分
首都圏中央連絡自動車道 狭山日高インターチェンジより15分

所在地 埼玉県日高市新堀990‐1
位置 北緯35度53分45.6秒 東経139度19分13秒
山号 高麗山
院号 聖天院
宗旨 新義真言宗
宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王
創建年 (伝)天平勝宝3年(751年)
正式名 高麗山 聖天院 勝楽寺
麗山 聖天院 勝樂寺
札所等 武蔵野三十三観音霊場26番札所
文化財 梵鐘(重要文化財)など
posted by Kazu at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 埼玉県

2024年08月05日

宗安寺(そうあんじ)は、宗安禅寺とも呼ばれ高知県高知市にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院

宗安寺(そうあんじ)は、宗安禅寺とも呼ばれ高知県高知市にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院。鏡川の上流から流れてきた不動明王を川の畔の現在地に祀ったことが起源と伝えられ、別称を川上不動ともも云われている。四国三十六不動第17番札所に定められている。

御詠歌:あなとうと 鏡河畔の 不動尊 よろず厄難 くだきみちびく

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歴史
大同2年(807年)の創建とも伝えるが、草創の事情は定かでない。中世には裏山の不動堂とともに修験の道場となっていた。戦国時代、朝倉城主の本山梅慶(本山茂宗)が当寺を保護し、同家の菩提寺となった。この際に禅寺に改められたとみられる。

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文化財
重要文化財
木造不動明王坐像(明治44年8月9日指定) - 檜材、一木造、像高142.3cm、鎌倉時代作
木造持国天・増長天立像(明治44年8月9日指定) - 持国天像は欅材、一木造、像高160.2cm、鎌倉時代作。増長天像は檜材、一木造、像高135.3cm、平安時代後期作。

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交通アクセス
県交北部交通「宗安寺橋」下車徒歩5分。

所在地 高知県高知市宗安寺598番地
位置 北緯33度34分18.3秒 東経133度28分42.5秒
山号 朝日山
宗派 臨済宗妙心寺派
創建年 (伝)大同2年(807年)
別称 宗安禅寺、川上不動
札所等 四国三十六不動第17番札所
文化財 木造不動明王坐像、木造持国天立像、木造増長天立像(以上は重要文化財)
posted by Kazu at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 高知県

2024年08月04日

世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市世良田町にある神社

世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市世良田町にある神社である。「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つである。1617年(元和3年)に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建された。太田市内の他の社寺、館跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。

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歴史
この地は新田氏の開祖・新田義重の居館跡とされ、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた。

寛永21年(1644年)、3代将軍・徳川家光の命により、徳川氏の遠祖の世良田義季の墓があり、天海僧正が住職をしていた長楽寺の境内に創建された。歴代徳川将軍から信仰され、江戸時代は大いに栄えた。明治8年(1875年)、神仏分離によって長楽寺から分離し、明治12年(1879年)に郷社に列格した。

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社殿
社殿は、創建の際に日光東照宮の古社殿を移築したもので、一間社流造の本殿、入母屋造の拝殿、唐門は国の重要文化財に指定されている。他に、元和4年作の大鉄燈籠等が重要文化財の附(つけたり)指定となっている。

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文化財
重要文化財
建造物
本殿 (附 厨子及び須弥壇、鉄燈籠、棟札7枚) - 江戸時代前期(1644年)の建立。一間社流造、銅瓦葺。昭和31年(1956年)06月28日指定。
唐門 - 江戸時代前期(1644年)の建立。四脚平唐門、銅瓦葺。昭和31年(1956年)06月28日指定。
拝殿 - 江戸時代前期(1615年-1624年)の建立。桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。昭和31年(1956年)06月28日指定。

交通
倉賀野宿で中仙道から分岐する日光例幣使街道の境宿と木崎宿のほぼ中間地点にある。
自動車
東北自動車道館林ICより約50分
関越自動車道花園ICより約30分
北関東自動車道伊勢崎インターチェンジより約20分
電車
JR東日本高崎線、深谷駅よりタクシーで20分
東武伊勢崎線世良田駅より徒歩15分、太田駅よりタクシーで35分。

所在地 群馬県太田市世良田町3119番地1
位置 北緯36度15分43.02秒 東経139度16分31.61秒
主祭神 徳川家康公
社格等 郷社
創建 寛永21年(1644年)
本殿の様式 一間社流造
例祭 4月17日
posted by Kazu at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 群馬県

2024年08月03日

本妙寺(ほんみょうじ)は、熊本市西区の熊本城北西にある日蓮宗六条門流の寺

本妙寺(ほんみょうじ)は、熊本市西区の熊本城北西にある日蓮宗六条門流の寺で大本山本圀寺から「六条門流九州総導師」の特別寺格を与えられている。山号は発星山。本尊は十界曼荼羅。親師法縁。日蓮宗の熱心な信者であり肥後熊本藩の初代藩主・加藤清正を祀る浄池廟(じょうちびょう)があることで知られる。浄池廟の奥には長い石段があり、これを上ると清正の銅像がある。

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概要
境内入口の巨大な仁王門は鉄筋コンクリート造で、出雲大社の大鳥居などでも知られる小林徳一郎の寄進で1920年(大正9年)に建立された。国の登録有形文化財に登録されている。門をくぐると桜並木の長い参道が続き、両側に12の塔頭が並ぶ。

参道を進むと右手に本妙寺の大本堂(勅願道場)がある。そこから先には胸突雁木(むなつきがんぎ)と呼ばれる176段の急勾配の石段があり、その中央に信者から寄進された多数の石灯籠が並んでいる。これを登ったところに浄池廟があり、境内の宝物館には清正の遺品や加藤・細川家に関する文書・書画・工芸品・鎧兜等、国の重要文化財を含む約1400点が収蔵、展示されている。

かつては宿泊する参拝客も多かったというが、今は浄池廟の手前に1軒だけ古い旅籠が残る。さらに浄池廟の裏手から300段の石段を登ると、鑓を持ち長烏帽子形兜を被った清正像が立っている。ここからは熊本市内をよく見渡すことができる。

毎年清正の命日である7月24日の前夜、僧侶や信者が写経した法華経を奉納する頓写会(とんしゃえ)が行われ、10万人の参拝客で賑わう。清正の一周忌に本妙寺第三世日遥が法華経一部八巻を一夜で写経し、追善供養したことが起源とされる。

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歴史
1585年(天正13年)、加藤清正の父・清忠の冥福を祈るため、日真の開山により大阪に開創されたのに始まる。清正が熊本城主になった後の1600年(慶長5年)、熊本城下に創建されていた瑞龍院に移された。1611年に清正が没し、遺言により中尾山上の浄池廟に清正像を奉安した。1614年(慶長19年)、火災で焼失した本妙寺を浄池廟下の現在地に移転した。

明治時代の神仏分離令によって浄池廟と本妙寺は神社と寺として分けられ、1871年(明治4年)に社殿だけが熊本城内に移され、加藤神社となった。浄池廟の拝殿も撤去された。その後、西南戦争で焼失した大本堂と同時に浄池廟の建物も再建され(明治27年)、現在の姿になった。

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交通アクセス
路面電車
熊本市電B系統本妙寺入口電停下車、西へ約1.1Km(山門まで約400m)。
路線バス
熊本桜町バスターミナルより以下の路線に乗車
熊本都市バス柿原公民館ゆきで本妙寺前バス停下車、西へ約900m(山門まで約200m)。
九州産交バス河内温泉ゆきで花園バス停下車、北へ100m、西へ約200m。
自家用車
九州自動車道熊本インターチェンジより10q

所在地 熊本県熊本市西区花園4-13-1
位置 北緯32度49分0.4秒 東経130度41分22.4秒
山号 発星山
宗派 日蓮宗六条門流
寺格 六条門流九州総導師
本尊 十界曼荼羅
創建年 1585年(天正13年)
開基 加藤清正、日真(開山)
文化財 仁王門(登録有形文化財)
短刀 銘光世・紙本墨書日本紀竟宴和歌上下2巻ほか(国の重要文化財)
安南国書(国の重要美術品)
短刀 備州長船祐定・刀 同田貫正国(県文化財)
posted by Kazu at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊本県
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