2009年10月08日
君が代の歌詞を理解していく!
今、一瞬でも「うあ!恐い!」とか、俗に言う「右翼?」と思われた方は、当ブログ「僕らのシンボル!」をご覧ください。。
さて、気を取り直して、、
先日、日本国旗「日章旗(日の丸)」について記しましたので、今回は国歌「君が代」について記してみますv。
今回も、日本人として1度は知るべき内容であるという自信があります^^v
ではいきます、、
・・・「君が代」の楽曲
1869年(明治2年)に設立された薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)の隊員に対し、イギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン※(John William Fenton)が「国歌あるいは儀礼音楽を設けるべき」と薩摩藩軍楽隊隊員に進言し、それを当時薩摩藩歩兵隊長であった、大山弥助(後の大山巌(おおやま いわお)日本陸軍元帥が受け、大山の愛唱歌より歌詞が採用された。
当時日本の近代化の殆どは、当時世界一の大帝国だったイギリスを模範に行っていたため、歌詞もイギリスの国歌を手本に選んだとも言われています。
1870年(明治3年)、洋式軍楽隊を持っていた薩摩藩は、外国では儀式において、演奏する国歌があることを知り、大山巌元帥、野津鎮雄(のづ しずお)らが「君が代」の古歌を選び出し、フェントンに作曲させたのが初めと言われてます。
ところが「フェントンが作曲した君が代※」は、コラール風で、アイルランド民謡っぽく「我が国に合わない」という海軍軍楽長 中村祐庸(なかむら すねつけ)の提議により、1876年(明治9年)に廃止となりました。
その後、中村裕庸軍楽長が「君が代」楽譜を改訂する、上申書を海軍軍務局長宛に提出します。
「西洋諸国において聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに国歌の樂譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり」
もちろんフェントンも同意の上です。
そしてようやく1880年(明治13年)明治政府は、宮内省雅楽課に委嘱し、課員数名の中から奥好義※(おく よしいさ)の作品が選ばれた。
選ばれたメロディに、一等伶人(雅楽を奏する人)の林広守(はやし ひろもり)が補作して、発表されたのが、今に伝わる「君が代」です。
この曲に洋楽風の和音をつけたのは、当時音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルト(Franz Eckert)です。
君が代の旋律は、いわばイギリス、ドイツ、日本の合作なんですね。
昨今、君が代を「ダサい」とか「暗い」「別の曲に変えたほうが良い」とか色々悪く言う人達がいますが、1903年にドイツで開催された「世界国歌コンクール」で「君が代」は世界第1位を獲得しています。
・・・「君が代」の歌詞
君が代の歌詞は、古く、平安時代の905年(延喜(えんぎ)5年)に編纂(へんさん)された『古今和歌集(こきんわかしゅう)』の『巻7、賀歌の初めに「題しらず」「読み人知らず」として、掲載されています。
ちなみに、『古今和歌集※』は、実は、日本で初めての勅撰和歌集※(ちょくせんわかしゅう)で、醍醐天皇※(だいごてんのう)の勅命(ちょくめい)によって編まれました。
『枕草子※(まくらの そうし)』には『古今和歌集』集を暗唱することが、平安中期の貴族にとって教養とみなされたとも記されている。つまり「君が代」も、それだけ著名だった。
そして、その後に編纂された『新撰和歌集(しんせんわかしゅう)』にも『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』にも掲載された名歌が「君が代」です。
江戸時代になると、神様のお祭りや、仏様の供養、それに酒宴の席などでは、盲目の乙女や、琵琶法師が歌い、全国的に広く普及していました。
たとえば、婚儀の席で歌われるときは「君」とは新郎のことを指し、すなわち新郎の長寿と所帯の安息を祝い祈願する歌として用いられていました。
大山巌は、フェントンの進言を受けたとき、きっと、薩摩琵琶の歌の『蓬莱山(ほうらいさん)』の祝い歌の歌い出しにある「君が代」に、すぐにピンときたのでしょうね。
「君が代」は、当時においてもそれほどまでに一般的なものになっていました。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
さて、「君が代は」でいう「君」とはなんでしょうか。
ある考えの人達は、君とは天皇であり、この曲は天皇崇拝、軍国主義賛美の曲であると主張します。
しかし、君が代の「君」には、どこにもそんなことは書いていません。
「君」とは、友であり、親兄弟であり、恋人であり、妻であり、子や孫でもあるんです。まさに、天皇陛下を含め、全ての日本国民のことなんです。
そうした「君」が、千代に八千代に(未来永劫栄えるように、あるいは長生きして平和に幸せに暮らせるように)と詠んでいます。
歌う人は、永遠に守り抜くと、詠んでいる。
永遠です。
千代に八千代にです。
攻めることではなく、守ると詠んでいる。
実に平和的で、実に優しい歌詞だと、僕は思います。
「さざれ石」というのは、細かな石です。
その細かな石が、固まって岩石になったものを「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな小石が、岩になるのです。
その順序はこうです。
日本列島の周辺に地向斜(ちこうしゃ)という細長い海ができる。
そこに大陸から運ばれてきた小さな石(さざれ石)が堆積を続ける。
何千万年という長い間に、小石が圧力で固結して岩石となる。
そこが、やがて地殻変動で、隆起して山脈となる。
そしてその山脈から発見されるのが、さざれ石の“礫岩”です。
そんなに永い間、気の遠くなるような永い間、ずっとずっと君を守り抜く。
いや、それだけじゃない。その岩に、苔がはえるまでも、ずっとずっと・・・
「君が代」で戦争をイメージするという方々に言いたいです。
戦争云々をいうなら、どこの国でも、戦争のときは国歌を歌い、その軍隊は、国旗を掲げて戦争をします。
もっと言うと、他の国々の国歌や国旗の多くは、歌詞自体が直接、戦争に繋がっています。
中国の国歌は、次のような歌詞です。
【中華人民共和国国家】
立て、奴隷となるな
血と肉もて築かむ
よき国 われらが危機せまりぬ
今こそ 戦うときは来ぬ
立て立て 心合わせ敵にあたらん
進め進め 進めよや
【アメリカ合衆国国歌】
見よや 朝の薄明かりに
たそがれゆく 美空に浮かぶ
われらが旗 星条旗を
弾丸降る 戦いの庭に
頭上を高く ひるがえる
堂々たる星条旗よ
おお われらが旗のあるところ
自由と勇気共にあり
みなさん。日本の国歌「君が代」が、いかに平和なことかわかりましたか?
明治天皇の有名な御歌・・・
四方の海
みなはらから(同胞)と思う世に
など波風の 立ちさわぐらむ
「みなはらから」です。
平和を希求し、人々が互いに争うことなく、人々が千代に八千代に栄えようとする明治天皇の御心が、この一首をみても明らかといえるのではないでしょうか。
しかし、以外にも「君が代」が正式に国歌として法制度化されたのはとても遅く、1999年(平成11年)です。
実は、それまで、君が代は、明治・大正・昭和にかけて、国歌とする法はなかったんです。それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。
法があろうがなかろうが、幾百年に渡って、広い地域で多くの先人に歌い継がれてきた御歌が「君が代」です。
「君が代」の旋律と歌詞は、それだけ多くの日本人の心の歌となっていたのではないでしょうか。
「君が代」は、建国2669年という世界最古の国「日本」の歴史の所産です。
琵琶曲から、洋風曲となってからも129年用いられて、今日に至ったている。
僕達には、親がいて、そのまた親がいて、そのまた親がいます。
代々続く歴史や伝統。先人達の努力のおかげで、僕達は今、こうして生きています。
古今和歌集編纂から1100年。
綿々と歌い継がれた「君が代」が、僕達日本人の「国歌」であることに、僕はとても誇りに思いますし、これからも大切にしていきたいと思います。
最後に豆情報麻生元総理の携帯電話の着信音は「君が代」です
では!のちほど
※フェントンは日本ではじめての吹奏楽の練習として、薩摩藩の青年たちを指導。それが「薩摩軍楽隊」で、日本初の吹奏楽団です。
「薩摩軍楽隊」は、フェントンの指導を受け、1871年(明治元年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展します。
※フェントン作曲の「君が代」はこちらhttp://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/sound/kimigayo_fenton.htm
※奥 好義は、明治・大正・昭和時代の雅楽師。
※古今和歌集は、万葉集から撰者らの時代までの140年間の名歌を集めたもので、カナで書かれた“序”の執筆は、紀貫之(きの つらゆき)です。また、天皇の勅命により、国家事業として編んだ最初の和歌集であり、平安中期の国風文化確立にも大きく寄与したといわれています。
※勅撰和歌集は、天皇や上皇の命により編集された歌集。
※醍醐天皇は、第60代の平安時代の天皇陛下。
※枕草子は、平安時代中期の女流作家、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」「春曙抄」とも表記され、最古の鎌倉時代の写本前田本の蒔絵の箱には『清少納言枕草子』とある。『清少納言記』などとともいった。
日本国歌「君が代」
http://www.youtube.com/watch?v=G21lm2rWaW4
・・・日本の食料自給率をみんなでUPしよう
「めざましテレビ」「ガイアの夜明け」「AneCan」「anan」「読売新聞」「産経新聞」「日経新聞」などなど、多くの有名メディアに特集を組まれ、最も注目されているoisix
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さて、気を取り直して、、
先日、日本国旗「日章旗(日の丸)」について記しましたので、今回は国歌「君が代」について記してみますv。
今回も、日本人として1度は知るべき内容であるという自信があります^^v
ではいきます、、
・・・「君が代」の楽曲
1869年(明治2年)に設立された薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)の隊員に対し、イギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン※(John William Fenton)が「国歌あるいは儀礼音楽を設けるべき」と薩摩藩軍楽隊隊員に進言し、それを当時薩摩藩歩兵隊長であった、大山弥助(後の大山巌(おおやま いわお)日本陸軍元帥が受け、大山の愛唱歌より歌詞が採用された。
当時日本の近代化の殆どは、当時世界一の大帝国だったイギリスを模範に行っていたため、歌詞もイギリスの国歌を手本に選んだとも言われています。
1870年(明治3年)、洋式軍楽隊を持っていた薩摩藩は、外国では儀式において、演奏する国歌があることを知り、大山巌元帥、野津鎮雄(のづ しずお)らが「君が代」の古歌を選び出し、フェントンに作曲させたのが初めと言われてます。
ところが「フェントンが作曲した君が代※」は、コラール風で、アイルランド民謡っぽく「我が国に合わない」という海軍軍楽長 中村祐庸(なかむら すねつけ)の提議により、1876年(明治9年)に廃止となりました。
その後、中村裕庸軍楽長が「君が代」楽譜を改訂する、上申書を海軍軍務局長宛に提出します。
「西洋諸国において聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに国歌の樂譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり」
もちろんフェントンも同意の上です。
ジョン W.フェントンと中村裕庸
そしてようやく1880年(明治13年)明治政府は、宮内省雅楽課に委嘱し、課員数名の中から奥好義※(おく よしいさ)の作品が選ばれた。
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この曲に洋楽風の和音をつけたのは、当時音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルト(Franz Eckert)です。
君が代の旋律は、いわばイギリス、ドイツ、日本の合作なんですね。
昨今、君が代を「ダサい」とか「暗い」「別の曲に変えたほうが良い」とか色々悪く言う人達がいますが、1903年にドイツで開催された「世界国歌コンクール」で「君が代」は世界第1位を獲得しています。
・・・「君が代」の歌詞
君が代の歌詞は、古く、平安時代の905年(延喜(えんぎ)5年)に編纂(へんさん)された『古今和歌集(こきんわかしゅう)』の『巻7、賀歌の初めに「題しらず」「読み人知らず」として、掲載されています。
ちなみに、『古今和歌集※』は、実は、日本で初めての勅撰和歌集※(ちょくせんわかしゅう)で、醍醐天皇※(だいごてんのう)の勅命(ちょくめい)によって編まれました。
『枕草子※(まくらの そうし)』には『古今和歌集』集を暗唱することが、平安中期の貴族にとって教養とみなされたとも記されている。つまり「君が代」も、それだけ著名だった。
そして、その後に編纂された『新撰和歌集(しんせんわかしゅう)』にも『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』にも掲載された名歌が「君が代」です。
江戸時代になると、神様のお祭りや、仏様の供養、それに酒宴の席などでは、盲目の乙女や、琵琶法師が歌い、全国的に広く普及していました。
たとえば、婚儀の席で歌われるときは「君」とは新郎のことを指し、すなわち新郎の長寿と所帯の安息を祝い祈願する歌として用いられていました。
大山巌は、フェントンの進言を受けたとき、きっと、薩摩琵琶の歌の『蓬莱山(ほうらいさん)』の祝い歌の歌い出しにある「君が代」に、すぐにピンときたのでしょうね。
「君が代」は、当時においてもそれほどまでに一般的なものになっていました。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
さて、「君が代は」でいう「君」とはなんでしょうか。
ある考えの人達は、君とは天皇であり、この曲は天皇崇拝、軍国主義賛美の曲であると主張します。
しかし、君が代の「君」には、どこにもそんなことは書いていません。
「君」とは、友であり、親兄弟であり、恋人であり、妻であり、子や孫でもあるんです。まさに、天皇陛下を含め、全ての日本国民のことなんです。
そうした「君」が、千代に八千代に(未来永劫栄えるように、あるいは長生きして平和に幸せに暮らせるように)と詠んでいます。
歌う人は、永遠に守り抜くと、詠んでいる。
永遠です。
千代に八千代にです。
攻めることではなく、守ると詠んでいる。
実に平和的で、実に優しい歌詞だと、僕は思います。
「さざれ石」というのは、細かな石です。
その細かな石が、固まって岩石になったものを「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな小石が、岩になるのです。
さざれ石
その順序はこうです。
日本列島の周辺に地向斜(ちこうしゃ)という細長い海ができる。
そこに大陸から運ばれてきた小さな石(さざれ石)が堆積を続ける。
何千万年という長い間に、小石が圧力で固結して岩石となる。
そこが、やがて地殻変動で、隆起して山脈となる。
そしてその山脈から発見されるのが、さざれ石の“礫岩”です。
そんなに永い間、気の遠くなるような永い間、ずっとずっと君を守り抜く。
いや、それだけじゃない。その岩に、苔がはえるまでも、ずっとずっと・・・
「君が代」で戦争をイメージするという方々に言いたいです。
戦争云々をいうなら、どこの国でも、戦争のときは国歌を歌い、その軍隊は、国旗を掲げて戦争をします。
もっと言うと、他の国々の国歌や国旗の多くは、歌詞自体が直接、戦争に繋がっています。
中国の国歌は、次のような歌詞です。
【中華人民共和国国家】
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進め進め 進めよや
【アメリカ合衆国国歌】
見よや 朝の薄明かりに
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弾丸降る 戦いの庭に
頭上を高く ひるがえる
堂々たる星条旗よ
おお われらが旗のあるところ
自由と勇気共にあり
みなさん。日本の国歌「君が代」が、いかに平和なことかわかりましたか?
明治天皇の有名な御歌・・・
四方の海
みなはらから(同胞)と思う世に
など波風の 立ちさわぐらむ
「みなはらから」です。
平和を希求し、人々が互いに争うことなく、人々が千代に八千代に栄えようとする明治天皇の御心が、この一首をみても明らかといえるのではないでしょうか。
しかし、以外にも「君が代」が正式に国歌として法制度化されたのはとても遅く、1999年(平成11年)です。
実は、それまで、君が代は、明治・大正・昭和にかけて、国歌とする法はなかったんです。それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。
法があろうがなかろうが、幾百年に渡って、広い地域で多くの先人に歌い継がれてきた御歌が「君が代」です。
「君が代」の旋律と歌詞は、それだけ多くの日本人の心の歌となっていたのではないでしょうか。
「君が代」は、建国2669年という世界最古の国「日本」の歴史の所産です。
琵琶曲から、洋風曲となってからも129年用いられて、今日に至ったている。
僕達には、親がいて、そのまた親がいて、そのまた親がいます。
代々続く歴史や伝統。先人達の努力のおかげで、僕達は今、こうして生きています。
古今和歌集編纂から1100年。
綿々と歌い継がれた「君が代」が、僕達日本人の「国歌」であることに、僕はとても誇りに思いますし、これからも大切にしていきたいと思います。
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では!のちほど
※フェントンは日本ではじめての吹奏楽の練習として、薩摩藩の青年たちを指導。それが「薩摩軍楽隊」で、日本初の吹奏楽団です。
「薩摩軍楽隊」は、フェントンの指導を受け、1871年(明治元年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展します。
※フェントン作曲の「君が代」はこちらhttp://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/sound/kimigayo_fenton.htm
※奥 好義は、明治・大正・昭和時代の雅楽師。
※古今和歌集は、万葉集から撰者らの時代までの140年間の名歌を集めたもので、カナで書かれた“序”の執筆は、紀貫之(きの つらゆき)です。また、天皇の勅命により、国家事業として編んだ最初の和歌集であり、平安中期の国風文化確立にも大きく寄与したといわれています。
※勅撰和歌集は、天皇や上皇の命により編集された歌集。
※醍醐天皇は、第60代の平安時代の天皇陛下。
※枕草子は、平安時代中期の女流作家、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」「春曙抄」とも表記され、最古の鎌倉時代の写本前田本の蒔絵の箱には『清少納言枕草子』とある。『清少納言記』などとともいった。
日本国歌「君が代」
http://www.youtube.com/watch?v=G21lm2rWaW4
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