2009年11月13日
天皇皇后陛下のサイパンご訪問!
先日、天皇陛下ご即位20年の祝賀式典を観ていた時、天皇皇后両陛下が2005年にサイパンをご訪問された際の「ちょっといい話」を思い出しましたので、簡単に記してみます^^
今から4年前の2005年6月、天皇皇后両陛下は27-28日の2日間、戦没者慰霊の為、サイパンをご訪問されました。
終始、歓迎の場面では笑みを絶やさない天皇陛下でしたが、一度だけ表情が固まった瞬間がありました。2日目の敬老センターを訪問された時です。
センターでは、戦争経験のある方々が、歓迎の気持ちを込め『海ゆかば』という曲を歌われました。この曲は、戦時中の国民であれば全ての人が知っている有名な曲です。その一方、1944年7月にサイパン陥落を知らせるラジオ放送の背景で流れた曲でもあります。
みなさんご周知の通り、サイパンは日本の委任統治領でした。
アメリカ軍は日本本土空襲の基地にする為にサイパン攻略を目指し、1944年6月15日から、激しい攻撃を開始しました。人も物資も乏しかったサイパン守備隊は、玉砕戦術を取りました。その結果、日本軍は約43000人、サイパンの民間人は約12000人が、帰らぬ人となりました。この中には、追い詰められ、北部の崖から自ら飛び降りた方もおり、その際「天皇陛下バンザイ!」と叫びながら飛び降りた事から、今でもそこは「バンザイクリフ」という地名が残っています。
天皇皇后両陛下がその「バンザイクリフ」を訪れた時、海から強い風が吹いていました。黒のスーツに身を包んだ天皇陛下は、白の上下の皇后様の右腕を支えながら、岸壁まで歩まれました。両陛下は姿勢を正し頭を下げて、10秒以上もの間、多くの方が身を投げた海に向かって黙祷を捧げられました。
天皇陛下を迎えるサイパンでは、陛下は「日本人慰霊碑」や、多くの民間人が亡くなった「バンザイクリフ」や「スーサイドクリフ」を慰霊されると発表されていました。
そんな中、竹島の領有権や歴史教科書の問題等で、韓国国内で非常に強い反日運動が高まっていました。そういった伏線もあり、サイパンに住む韓国人達が、韓国人戦没慰霊碑のある場所に、陛下を中傷する様な横断幕を、陛下の御訪問前に掲げたのです。
そこは、陛下が「バンザイクリフ」ご慰霊の時に必ず通るルートになっており、そこに張られた横断幕は、嫌がおうにも陛下の目につく事になります。これには韓国と日本の複雑な歴史問題が絡んでおり、強行に撤廃を要求できず、現地の領事や日本人会もお手上げ状態で困惑していました。
その時この難問題を一気に解決したのが、日本統治時代を経験した、現地チャモロ人の年配女性でした。この女性(現地最大のスーパーマーケット「ジューテン」の経営者の母親)が「自分達の島で韓国人達が勝手な振る舞いをする事は許さない!」と怒り出したのです。「天皇陛下は神様であり、その神様が我々の島に来て下さるというのに、韓国人達は何と不届きな事をするのだ!」と言い放ったのです。すると、この女性の発言に他の多くのチャモロ人も同調し「陛下を中傷する様な不届きな横断幕を撤収しろ!」と騒ぎ出したのです。これには現地政府から査証を発給して貰っているという弱みを持つ韓国人達は、なす術もなく、天皇皇后両陛下のご訪問(6月27日)直前に撤収したのです。この一連の出来事、僕達日本人としては、何とも複雑な心境ではありますが、とりあえずこれで一件落着となりました。
ご慰霊でサイパンへ訪れた天皇皇后両陛下の為に、義憤を持って立ち上がってくれた現地の方々に、僕は日本人として心から感謝をしています。
ちなみに戦地で日本兵として亡くなった朝鮮の人達は、自ら志願して日本兵になった人達です。韓国で制度的に徴兵制度が行われたのは1944年の秋からなので、この時期から徴兵されて戦地で亡くなった朝鮮の人達はいません。
では!のちほど
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今から4年前の2005年6月、天皇皇后両陛下は27-28日の2日間、戦没者慰霊の為、サイパンをご訪問されました。
終始、歓迎の場面では笑みを絶やさない天皇陛下でしたが、一度だけ表情が固まった瞬間がありました。2日目の敬老センターを訪問された時です。
センターでは、戦争経験のある方々が、歓迎の気持ちを込め『海ゆかば』という曲を歌われました。この曲は、戦時中の国民であれば全ての人が知っている有名な曲です。その一方、1944年7月にサイパン陥落を知らせるラジオ放送の背景で流れた曲でもあります。
みなさんご周知の通り、サイパンは日本の委任統治領でした。
アメリカ軍は日本本土空襲の基地にする為にサイパン攻略を目指し、1944年6月15日から、激しい攻撃を開始しました。人も物資も乏しかったサイパン守備隊は、玉砕戦術を取りました。その結果、日本軍は約43000人、サイパンの民間人は約12000人が、帰らぬ人となりました。この中には、追い詰められ、北部の崖から自ら飛び降りた方もおり、その際「天皇陛下バンザイ!」と叫びながら飛び降りた事から、今でもそこは「バンザイクリフ」という地名が残っています。
天皇皇后両陛下がその「バンザイクリフ」を訪れた時、海から強い風が吹いていました。黒のスーツに身を包んだ天皇陛下は、白の上下の皇后様の右腕を支えながら、岸壁まで歩まれました。両陛下は姿勢を正し頭を下げて、10秒以上もの間、多くの方が身を投げた海に向かって黙祷を捧げられました。
天皇陛下を迎えるサイパンでは、陛下は「日本人慰霊碑」や、多くの民間人が亡くなった「バンザイクリフ」や「スーサイドクリフ」を慰霊されると発表されていました。
そんな中、竹島の領有権や歴史教科書の問題等で、韓国国内で非常に強い反日運動が高まっていました。そういった伏線もあり、サイパンに住む韓国人達が、韓国人戦没慰霊碑のある場所に、陛下を中傷する様な横断幕を、陛下の御訪問前に掲げたのです。
そこは、陛下が「バンザイクリフ」ご慰霊の時に必ず通るルートになっており、そこに張られた横断幕は、嫌がおうにも陛下の目につく事になります。これには韓国と日本の複雑な歴史問題が絡んでおり、強行に撤廃を要求できず、現地の領事や日本人会もお手上げ状態で困惑していました。
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ご慰霊でサイパンへ訪れた天皇皇后両陛下の為に、義憤を持って立ち上がってくれた現地の方々に、僕は日本人として心から感謝をしています。
ちなみに戦地で日本兵として亡くなった朝鮮の人達は、自ら志願して日本兵になった人達です。韓国で制度的に徴兵制度が行われたのは1944年の秋からなので、この時期から徴兵されて戦地で亡くなった朝鮮の人達はいません。
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