2014年11月26日
LARRY BIRD X
こんばんは!
今日は我がマイアミヒートが負けてしまったため、テンションが下がり気味です。。。
相手は、ゴールデンステート・ウォーリアーズでした
このチームには二人の若きスーパースターがいます!
ステフェン・カリーとクレイ・トンプソンです。
彼らはどちらもロングレンジからのシュート、3ポイントシュートが得意で、しぶきをあげるようにシュートを決めることから、「スプラッシュ・ブラザーズ」と呼ばれています
実績も抜群で、昨年のスリーポイントシュート成功数では、一位カリー、二位トンプソンとワンツーでランクインしています
普通、スリーポイントを決めるとなると、フリーの状態で打つなど、ある程度自分が打ちやすい状況を整える必要があります。
しかし、この二人に関しては、どんな状況でも打ってきます!そして、決まります(笑)
カリーに関しては、なんと片足でスリーを決めることもあります(笑)
トンプソンが特にそうなんですが、シュートモーションが異常に速いんです
トンプソンのシュートを集めた動画があったんでご覧ください!
パスを受けたあと、シュートに入るまでの動作がすごく速いのがおわかりいただけたと思います
パスをもらってすぐにシュートをすることを、キャッチ&リリースというんですが、トンプソンはリーグの中でこれが最も上手い選手であるといえます
ちなみに彼らは、去年のバスケ世界選手権でもアメリカ代表として優勝に貢献しています
カリー26歳、トンプソン24歳と若いので、これからの活躍に期待したいですね
さて、今日も引き続きバードの話に入っていきます
昨日は、バードの全盛期についてお話ししましたが、今日は彼の晩年について語っていきます!
@セルティクス王朝の終焉
マジックとの三度目の対決に敗れた翌年から、セルティクスは主力の高齢化が進み、思うような成績を挙げられずにいました
バード自身は、全盛期と変わらないスタッツを残しはしましたが、得点がバードに固まってしまい、チームとして機能しなくなっていました。。。
そんな中で、イーストの覇者になったのが、ピストンズでした
アイザイア・トーマスをはじめとしたバッドボーイズが、リーグを席巻するようになり、同じカンファレンスであったセルティクスは淘汰されるようになります。。
1987-88シーズンは、カンファレンス・ファイナルで顔を合わせ、延長戦を3度も行った末、ピストンズに軍配が上がります
その翌1988-89シーズンは、バードにとって辛い一年となりました。
かかとの怪我で、一年通じて6試合の出場にとどまったからです
バードを欠いたチームもなすすべなく、ファイナルどころかプレーオフ一回戦でピストンズに敗れてしまいます。。。
1989-90シーズン、バードは怪我から復帰し、平均24.3得点、7.5アシスト、9.5リバウンドとオールラウンドな活躍を見せますが、チームはファイナルには進むことができませんでした・・・
このように、ファイナルの常連チームであったセルティクスは、バードの加齢とともに衰えていったのでした。。。
Aバードの引退
チームが衰退の一途をたどる中で、バードは決定的な怪我をしてしまいます。。
背中を痛めてしまい、思うようにプレイができなくなってしまったのです
この背中の痛みは、以前から発症していたものであり、それが悪化した結果、日常生活に支障をきたすほどになっていたと言われています
1990-91シーズンは22試合欠場し、平均得点も20を下回ってしまいます
そして、1991-92シーズンが現役最後のシーズンとなってしまいました
ただし、この引退した年の夏に行われたバルセロナ五輪では、ドリームチームの一員として、アメリカの金メダル獲得に貢献しています
ドリームチームでのプレイが、バードの選手としての最後の輝きであったんですね
こうしてバードの選手としてのNBA生活は幕を閉じたのです
しかし、これはあくまで「選手」としてです
この後、バードはペイサーズの監督としてNBAに戻ってきます!
バードの選手時代の特徴と併せて、次回にそのお話しはしていきたいと思います
ではまた!!
よければ、下のリンクをクリックしてください
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今日は我がマイアミヒートが負けてしまったため、テンションが下がり気味です。。。
相手は、ゴールデンステート・ウォーリアーズでした
このチームには二人の若きスーパースターがいます!
ステフェン・カリーとクレイ・トンプソンです。
彼らはどちらもロングレンジからのシュート、3ポイントシュートが得意で、しぶきをあげるようにシュートを決めることから、「スプラッシュ・ブラザーズ」と呼ばれています
実績も抜群で、昨年のスリーポイントシュート成功数では、一位カリー、二位トンプソンとワンツーでランクインしています
普通、スリーポイントを決めるとなると、フリーの状態で打つなど、ある程度自分が打ちやすい状況を整える必要があります。
しかし、この二人に関しては、どんな状況でも打ってきます!そして、決まります(笑)
カリーに関しては、なんと片足でスリーを決めることもあります(笑)
トンプソンが特にそうなんですが、シュートモーションが異常に速いんです
トンプソンのシュートを集めた動画があったんでご覧ください!
パスを受けたあと、シュートに入るまでの動作がすごく速いのがおわかりいただけたと思います
パスをもらってすぐにシュートをすることを、キャッチ&リリースというんですが、トンプソンはリーグの中でこれが最も上手い選手であるといえます
ちなみに彼らは、去年のバスケ世界選手権でもアメリカ代表として優勝に貢献しています
カリー26歳、トンプソン24歳と若いので、これからの活躍に期待したいですね
さて、今日も引き続きバードの話に入っていきます
昨日は、バードの全盛期についてお話ししましたが、今日は彼の晩年について語っていきます!
@セルティクス王朝の終焉
マジックとの三度目の対決に敗れた翌年から、セルティクスは主力の高齢化が進み、思うような成績を挙げられずにいました
バード自身は、全盛期と変わらないスタッツを残しはしましたが、得点がバードに固まってしまい、チームとして機能しなくなっていました。。。
そんな中で、イーストの覇者になったのが、ピストンズでした
アイザイア・トーマスをはじめとしたバッドボーイズが、リーグを席巻するようになり、同じカンファレンスであったセルティクスは淘汰されるようになります。。
1987-88シーズンは、カンファレンス・ファイナルで顔を合わせ、延長戦を3度も行った末、ピストンズに軍配が上がります
その翌1988-89シーズンは、バードにとって辛い一年となりました。
かかとの怪我で、一年通じて6試合の出場にとどまったからです
バードを欠いたチームもなすすべなく、ファイナルどころかプレーオフ一回戦でピストンズに敗れてしまいます。。。
1989-90シーズン、バードは怪我から復帰し、平均24.3得点、7.5アシスト、9.5リバウンドとオールラウンドな活躍を見せますが、チームはファイナルには進むことができませんでした・・・
このように、ファイナルの常連チームであったセルティクスは、バードの加齢とともに衰えていったのでした。。。
Aバードの引退
チームが衰退の一途をたどる中で、バードは決定的な怪我をしてしまいます。。
背中を痛めてしまい、思うようにプレイができなくなってしまったのです
この背中の痛みは、以前から発症していたものであり、それが悪化した結果、日常生活に支障をきたすほどになっていたと言われています
1990-91シーズンは22試合欠場し、平均得点も20を下回ってしまいます
そして、1991-92シーズンが現役最後のシーズンとなってしまいました
ただし、この引退した年の夏に行われたバルセロナ五輪では、ドリームチームの一員として、アメリカの金メダル獲得に貢献しています
ドリームチームでのプレイが、バードの選手としての最後の輝きであったんですね
こうしてバードの選手としてのNBA生活は幕を閉じたのです
しかし、これはあくまで「選手」としてです
この後、バードはペイサーズの監督としてNBAに戻ってきます!
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