2014年11月22日
NBAオールスター LARRY BIRD
こんばんは!
昨日、富樫勇樹選手が、NBAの下部リーグであるDリーグの試合に出場しました
出場時間が5分足らずであったこともあり、得点はなかったのですが、守備ではスピードを生かし、ボールを奪いに行く場面がありました
試合終了後には、写真撮影やサインを求められたということで、注目されていることは間違いありません!
なんせ田臥選手以来、久しぶりに日本人のNBAプレイヤーが誕生しようとしているからです
しかも、身長が167pとバスケットボール選手にしては、非常に小柄であるため、コート上では逆に目立ちます
そして何より、富樫選手のスピードは圧巻で、周りの大男相手に俊敏に動く様はまるで忍者のようです
外からのシュートも素晴らしく、夏に行われたサマーリーグでは3ポイントシュートも決めています!!
富樫選手の活躍ぶり、ご覧下さい
小柄ながらスピードあふれるバスケットボールをするということで、NBA側からもオファーがきており、シーズン開幕直前にはダラス・マーベリックスと契約しました。
しかし、ロースターの関係もあり、解雇されてしまいましたが、Dリーグで経験を積んで、NBAデビューをしてもらいたいものです
ロースターに入るだけでなく、スターターとしてチームを牽引するような選手になってもらいたいとですね
そうなると、日本でもNBA放送が頻繁に行われるようになり、ファンも急増すると思います!!
なんかこういう話をすると楽しくなってきます
トガ、頼んだぞ!!!
(トガとは、アメリカでの富樫選手のニックネームです)
さて、未来のスターの話もいいですが、ここからはレジェンドについて語っていきます。
そのレジェンドとは、ラリー・バードです
今日はバードの生い立ち、NBA入りまでのお話しをします
@貧しい中でのバスケットボール
昨日までマジックの話をし、その中で度々バードの名前を出しました。
二人は世間誰もが認めるライバルであり、よく比較もされてきました。
しかし、NBA入りまでの評価に関しては、マジックの方が上でした
というのも、バードは大学を一度退学し、地元の短大に通った後、再び別の大学に入り直しているからです。
最初の大学を辞めた理由が、貧乏な田舎者扱いされ、それに耐えることができなかったからとされています
それだけバードが生まれ育った環境は厳しかったのです。
バードが19歳のとき、父親が自殺し、生活は困窮していきました。
その中でバスケットボールがバードを助けました
高校時代から頭角を現していたバードには多くのスカウトが訪れ、その中でインディアナ州立大学を選びます
インディアナ州立大学に再入学したバードは、やがてNCAA(大学バスケNo.1決定戦)でチームをファイナルに導き、決勝でマジックと対戦するまでになります。
地元の短大に行きながら、清掃員をしていたバードが大学バスケで頂点を取ろうというところまで行ったんです
まさにシンデレラ・ストーリーといえます
結局、その決勝でマジックには敗れますが、歴代史上最高の視聴率を記録するほど、注目度が高かったそうです
そんな二人はのちにNBA入り後もライバルとして対決していくことになります!!
Aセルティクス入団
大学時代の活躍もあり、一巡目6位指名でセルティクスに入団します
そのときの一位がマジックであり、マジックが契約した際の契約金は史上最高額でした
しかし、すぐにその金額をバードは塗り替えました。それだけバードは鳴り物入りでNBAに入ってきたのです
ただ、マジックに比べ、バードはNBAで活躍できないのでは、と考えられていました
身体能力があり、ポイントガードからセンターまでこなすことができるマジックと対照的に、バードにはこれといった武器がなかったからです
バードはそういった批判をはねのけるために、トレーニングを積み、また、バスケIQといった頭の良さで勝負しました
その結果、押しも押されぬスーパースターへと成長していったのです
NBAに入ったバードがどのような活躍をしていったかについては、次回以降お話ししていきたいと思います
ではまた!!
↓↓よければ、下のリンクをクリックしてみてください↓↓
NBAランキングへ
昨日、富樫勇樹選手が、NBAの下部リーグであるDリーグの試合に出場しました
出場時間が5分足らずであったこともあり、得点はなかったのですが、守備ではスピードを生かし、ボールを奪いに行く場面がありました
試合終了後には、写真撮影やサインを求められたということで、注目されていることは間違いありません!
なんせ田臥選手以来、久しぶりに日本人のNBAプレイヤーが誕生しようとしているからです
しかも、身長が167pとバスケットボール選手にしては、非常に小柄であるため、コート上では逆に目立ちます
そして何より、富樫選手のスピードは圧巻で、周りの大男相手に俊敏に動く様はまるで忍者のようです
外からのシュートも素晴らしく、夏に行われたサマーリーグでは3ポイントシュートも決めています!!
富樫選手の活躍ぶり、ご覧下さい
小柄ながらスピードあふれるバスケットボールをするということで、NBA側からもオファーがきており、シーズン開幕直前にはダラス・マーベリックスと契約しました。
しかし、ロースターの関係もあり、解雇されてしまいましたが、Dリーグで経験を積んで、NBAデビューをしてもらいたいものです
ロースターに入るだけでなく、スターターとしてチームを牽引するような選手になってもらいたいとですね
そうなると、日本でもNBA放送が頻繁に行われるようになり、ファンも急増すると思います!!
なんかこういう話をすると楽しくなってきます
トガ、頼んだぞ!!!
(トガとは、アメリカでの富樫選手のニックネームです)
さて、未来のスターの話もいいですが、ここからはレジェンドについて語っていきます。
そのレジェンドとは、ラリー・バードです
今日はバードの生い立ち、NBA入りまでのお話しをします
@貧しい中でのバスケットボール
昨日までマジックの話をし、その中で度々バードの名前を出しました。
二人は世間誰もが認めるライバルであり、よく比較もされてきました。
しかし、NBA入りまでの評価に関しては、マジックの方が上でした
というのも、バードは大学を一度退学し、地元の短大に通った後、再び別の大学に入り直しているからです。
最初の大学を辞めた理由が、貧乏な田舎者扱いされ、それに耐えることができなかったからとされています
それだけバードが生まれ育った環境は厳しかったのです。
バードが19歳のとき、父親が自殺し、生活は困窮していきました。
その中でバスケットボールがバードを助けました
高校時代から頭角を現していたバードには多くのスカウトが訪れ、その中でインディアナ州立大学を選びます
インディアナ州立大学に再入学したバードは、やがてNCAA(大学バスケNo.1決定戦)でチームをファイナルに導き、決勝でマジックと対戦するまでになります。
地元の短大に行きながら、清掃員をしていたバードが大学バスケで頂点を取ろうというところまで行ったんです
まさにシンデレラ・ストーリーといえます
結局、その決勝でマジックには敗れますが、歴代史上最高の視聴率を記録するほど、注目度が高かったそうです
そんな二人はのちにNBA入り後もライバルとして対決していくことになります!!
Aセルティクス入団
大学時代の活躍もあり、一巡目6位指名でセルティクスに入団します
そのときの一位がマジックであり、マジックが契約した際の契約金は史上最高額でした
しかし、すぐにその金額をバードは塗り替えました。それだけバードは鳴り物入りでNBAに入ってきたのです
ただ、マジックに比べ、バードはNBAで活躍できないのでは、と考えられていました
身体能力があり、ポイントガードからセンターまでこなすことができるマジックと対照的に、バードにはこれといった武器がなかったからです
バードはそういった批判をはねのけるために、トレーニングを積み、また、バスケIQといった頭の良さで勝負しました
その結果、押しも押されぬスーパースターへと成長していったのです
NBAに入ったバードがどのような活躍をしていったかについては、次回以降お話ししていきたいと思います
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