2023年11月07日
物価上昇のおり、取りあえず丸一年の節約生活へ・・・第1弾は まだやってなかった Wii版『ドラゴンクエスト25周年記念』ロト三部!(前編)
たしかに、アメリカほど過激じゃないけど、食品を中心として、そうとう値上がりが続いてますね、
アマゾンさんも『置き配(おきはい)』が主流になって、対面受け取りがほぼ不要なんで、ついつい要(い)らんモンまで買うクセがついて、これもそろそろ、どうにかせんと、
ちなみに現行の大ヒットゲーム機 Switch については、来年、下位互換性を保(たも)ったまま(=現行のゲームはすべて遊べるようにした上で)さらにパワーアップした新機種が登場するというウワサも、
そんな話もあるけれど、整備しながら何年も大事に乗り続ける自転車とちがい、ゲーム機のほうは、買って少しやってはすぐ飽きての繰り返し・・・そんな自分への反省もこめて、ここはひとつ十数年まえに購入してゼルダを一回やっただけのWii本体をしっかり使ってやろうと、
そこで選ばれたのが、和製RPG の古典的名作、ドラクエ三部作 T・U・V(ワンツースリー)ということで、
ドラクエが世に出て25周年にあたる2011年、Wiiから記念版が発売され、オリジナル版とスーファミ版、あわせて5本のゲームが収録されてるけど、せっかくやるならオリジナルのファミコン版で遊んでみたい、
ということで、ドラクエT(わん)も、こないだやっと虹の橋が架かり魔王城への道も開かれ、もう大詰めですが、どうすかここまでやってみて、
ファミコンの音源なんで、まずこの味もそっけもない電子音に慣れるまでに数時間、かなり悪い操作系に慣れるのに数日、
たしか、階段の登り降りも、いちいちコマンドしてやらんと、
話す相手の位置に合わせて東西南北をいちいち指定するなんて、今じゃありえへんし、
でも、それってマップの東西南北を覚えてもらおうという親切心からじゃないすか・・・ふつうは前後左右というはずですし、
かもしれん、なんせこのゲームが登場した1986年は、RPG(ロールプレイングゲーム)というジャンル自体、マニアックな遊びでほとんど認知されてなかったから、地図上の東西南北から覚えてもらう必要が、
YouTubeに開発当時のウラ話が紹介されてますけど、ファミコンが世に出てまもない頃は、文章を読ませるゲームじたい無かったんで、ドラクエ発売前に、わざわざアドベンチャーゲームの『ポートピア殺人事件』をリリースして、ゲーム画面上の文字を読むことに慣れてもらったり、ファミコン雑誌にRPGというゲームの解説をそれとなく載(の)せてみたり、
ゲーム容量の関係で、使える文字の種類まで制限されてたみたいやし、今じゃ考えられない高いハードルをいくつも越えて世界一のRPGを目指し、ストーリー、ゲームデザイン、モンスターデザイン、音楽制作、販売戦略とすべてに最高のメンバーをそろえ、実際その通りにしてしまった所もスゴイ、
で、じっさいに『ドラクエ1』をやり始めて、前世紀の古くさい操作系に難儀(なんぎ=苦労)しながら、ようやくこれに慣れたと思ったら、今度はレベル上げの単純反復作業が延々と、
オリジナルのファミコン版『ドラクエ1』は、とくにこれがきついんや、
ここまで1個もええ思いしてないすけど、大丈夫ですか、
たぶん止(や)めるなら、このあたりやろな、
じゃあ、ようやくこのへんで、面白さもかいま見えたと、
HP・MPも増えてきて、しぜんと行動範囲も広がってくると、『慣れたころがいちばん危ない』という格言どおり、自分の読みとチカラを過信して、強いモンスターに命を奪われる場面も増えてくるわけで、ゲームとはいえ死ぬ時は痛いし、このあたりで当時は無かったWii版お助け機能『中断セーブ』も多用するようになり、ウェブ上の攻略法も調べ始め、レベル上げの単純反復バトルや単調な電子音にも慣れてきて、
あらためてラダトーム城から魔王城まで旅してみてどうすか、
やはり良くできてる、
具体的には、
反面教師として登場させて申し訳ないけど、ドラクエのずっとあとに、PCエンジンの超大作RPGとして鳴り物入りで登場した『天外魔境U』は、ドラクエとは比較ならんほど操作系・音質・グラフィックは優れてたけど、いざプレイし始めるとビックリするほどオモロ無いのも事実で、
なんでなんすか、
いま思うに、キッチリとマニュアルどおりの作り方で意外性が無く、プレイする側がすぐ先を読めてしまうというか、プレイヤーの裏をかくハプニング的要素がほとんど無いというか、売れてほしいから難易度を下げ過ぎて、これが裏目に出たような、
いわゆる一本道のゲームになってると、
そう、敵の出現パターンもすぐ読めるし、ストーリーの分岐もこれといって無いし、大げさに言うとノベル(小説)のページをただめくって読み進めてるような、
その点、ドラクエには歯ごたえがしっかりあったと、
たとえば、出発点のラダトーム城から大きなUの字を描いて大陸が広がっていて、Uの字やから当然その先端はつながってないんで一周することは不可能・・・なもんで、どっちのエリアを進むかで、しぜんと話の展開も変わるし一本道の単調さも感じないようになってる、
ちなみに、オリジナルのファミコン版とはいっても、Wii版では所々違ってるような、
オリジナル版にあったはずの『痛恨の一撃(つうこんのいちげき)』が、一度も体験できてないので、これはホンマに残念・・・ただ自分の記憶があいまいで、2か3であった事をごっちゃにしてる可能性もあるけど、
あれって、ほんのたまに登場する予想外の大打撃という、
敵の攻撃力はこのくらいやろうと油断して戦ってると、まれに『痛恨の一撃』でその何倍もダメージを食らって即死とかいう、
その逆『会心(かいしん)の一撃』はけっこう出てきますね、心地よい効果音も昔のまま、
そこもちょっと違ってて、命中率100%のオリジナル版とはちがって、空振りがけっこうあったり・・・これも自分の記憶違いかなあ、
まあともあれ、こういう先の読めない意外性や、選択の自由度、突発的・ランダム的要素が、ドラクエを面白くしてると、
たとえば、ある町で、「橋を渡るとモンスターが強くなる」という話を聞くんやけど、じっさいは例外も多く、橋を渡っても同じ敵が続いたり、その逆に、橋の手前からいきなり強敵に出くわしたり、そういう形式ばらないハプニング性もドラクエの面白さで、
倒せば大金がかせげる、その名もずばりゴールドマンですけど、橋の手前でいきなり出くわした時は、メチャ硬くて恐怖しかないすね、
そんな中、最もゾッとしたのはドムドーラの町、
武器も体力も上がって行動範囲が広がると、ついつい橋を渡って行きたくなる北東の町すね、
橋を渡り、強いモンスター達となんとかやり合い、体力ぎりぎりで見えてきたドムドーラ・・・やっとここでひと息つけると町に入ったら、そこは無人の廃墟(はいきょ)・・・外よりさらに強いモンスターがつぎつぎ襲いかかってくるという、
この町がヤバいとか、覚えてなかったんすか、
完全に忘れてた、しかも攻略サイトも見ずに適当にやってたんで、まんまと一杯食わされた、
しかしファミコン時代、中断セーブやくわしい攻略情報も無いのに、みんなようクリアしたもんすね、
自分もそうやったけど、当時の苦労を思うとクラクラするな、
それだけに、最後までやり遂(と)げた時の達成感もハンパないすね、
魔王城のダンジョンの複雑さもかなりなもんやし、ダンジョン内部は、レミーラの呪文を使っても、ごく一部しか明るくならんし、照らす範囲もじょじょに狭まってくるし、
しかし、あらためてドラクエ攻略法のサイトをあれこれ見てみると、その多さと中身の深さには驚かされますね、
『国民的RPG』とは、まさにこのことやな・・・闇が深すぎる現皇室のイメージソング『君が代』はそろそろやめにして、ドラクエのテーマを国歌にしてほしいくらいや、
ファミコン時代は14インチのブラウン管テレビだったのが、今じゃ34インチの液晶テレビですし、最新機種のスイッチでもリニューアル版が遊べるそうですし、
これだけ時代が過ぎた今でも、やっててオモロイんやから、やっぱり日本を代表する世界一のRPGやな、
2023年11月04日
自転車ひとすじの自分も楽しく観ているバイク系ユーチューバーさんの動画を3本ほど
絶版車(ぜっぱんしゃ)となって間もないけれど、すでにレジェンド(伝説)と呼んでもいい歴史的名車、ヤマハSR400をなんと3台も所有して一躍注目されたバイク系YouTubeチャンネル『秘密基地ひろし』・・・現在は、こちらも日本を代表する名車、マツダ・ロードスターで全国を旅されてますね、
30年間の地道なサラリーマン生活から解放されて、次の人生が一気に花開いてる感じやなあ、
ご本人さんも、まさか自身がユーチューバーとなって、顔出し動画で語り始めるなんて予想もしてなかったようで、
ヤマハSR400三台持ちにビックリして、このブログでも取り上げたことがあったけど、今回はその魅力をくわしく語られていて、さすがに好きなバイクの話になると、愛情深くきわめて印象的なコトバが流れるようにあふれ出て、自転車乗りの自分まで引き込まれる、
数年前、『自転車乗りが勝手に選ぶモトブロガー大賞』で堂々の1位とさせていただいた豊山(ゆたかやま)バイクチャンネルさんもそうでしたが、バイクと共に青春時代を過ごしてきたせいで、2人ともバイクを『こいつ』と擬人化(ぎじんか)して呼ぶのがとても印象的で、
きっと彼らにとって、バイクは魂(たましい)の一部なんやな、
クルマ以上に、自分の魂が入りやすい乗り物でもあるし、
エンジンにまたがって、その音と振動を感じながら走るから、魂の乗り物になっても当然やな・・・自転車にもそういう面は同じようにあるけど、人力(じんりき)エンジンでは得られない動力性能であるぶん、より強烈な体験なのかも、
そんな中、YSP横浜戸塚の(元?)店長 島田さんが、自身のチャンネルでレストアしたヤマハSR500についていろいろと語ってますね、
若いころは、1台のバイクが2台3台と増えて、10台になったこともあったそうで、しかも自分が乗るバイクは、すべて自分で整備するという、
ちょっと前のものになりますが、こちらに紹介記事がありますね、
https://www.bikebros.co.jp/vb/shopguide/shop-yamaha/yokohamatotsuka/
というくらいの人物なんで、とにかく話が深くて面白い、
具体的に言いますと、
バイクの深いところまで知り尽くしてるから、島田氏でないと表現できないシンプルで絶妙な言い回しがあって、毎回「ああ、こういう言い方があるんや」とハッとさせられたり、
自転車しか経験が無くても、コトバからバイクがリアルにイメージできるというか、
バイクへの底知れない愛情と経験があるからこそ、ひねり出せるコトバというか、直で(ちょくで=ダイレクトにズバッと)こっちの心に刺さるコトバというか、
べた褒(ぼ)めすね、ちなみに、ホワイトベースの二宮さんについてはどうすか、
島田さんと同じくらいバイクを愛されてるけど、自身が中古バイク販売の経営者という事もあって、もう少しバランス感覚というか、バイクだけでなく、それを取り囲む社会まで視野に入れて話されてるような、
島田さんの、寝ても覚めてもバイクという求心的な感じとは、またすこし違うと、
店長と経営者の違いというか・・・こんな良い季節なのに、店にずっといたりクルマでバイクを届けたり引き取ったりで、自身がバイクを楽しむ機会は少なくなってるようやけど、
超多忙な二宮氏・・・この日も車検関連の外出を利用して作成した動画らしい。
これ見ても思うんすけど、二宮さんはバイクに乗ってなんぼというか、デスクで話されてる時よりも、バイクに乗って即興的に話すほうが、流れる車載(しゃさい)動画とあいまって、より生き生きと喜びにあふれてるような、
店の経営も大事やけど、そろそろ誰かに任せて、バイクひとり旅に出てまうとか、長年の友人、ライディングスクールの内藤さんと二人旅とか、そんな動画をまた見てみたい、
海外を放浪(ほうろう)していた若い時代もあったようですし、このさいバイクで外国を旅しながら動画配信を続けるとか、
そりゃたまらん・・・二宮さんていうと、『店のヒト』というよりも『旅のヒト』というイメージが強いし、店もYouTubeも軌道に乗ったことやし、愛犬との別れの悲しみを癒(い)やすという意味でも、今がちょうどええタイミングかもしれんな、
2023年10月31日
礼儀正しい自転車乗りであるために、歩行者・自転車・クルマと、どう接したらええんや!?
ということなんですが、
自転車の乗り方も千差万別、色々あるしなあ、
横断歩道でもない一般道をふつうに走るクルマをむりやり静止させて横断するロードバイクの実話が、YouTubeで紹介されてましたが、
話題の部分から自動再生されます
常識破りの信じられない走り方をするごくわずかな自転車乗りのおかげで、よく聞かれるようになった『チャリカス』という耳の痛いコトバ、
ロードバイク乗りといえば、
自分も5年くらい前に変な経験があって、自転車歩行者用道路をふつうに走っていたら、ロードバイクのオジサンがメチャクチャオレに向かって怒鳴ってて、何かと思ったら、小学生くらいの息子をロードバイク乗りにさせたいのか、その子の走行レーンを邪魔するなと、
もっとひどい例もありましたね、
京都時代、信号待ちをしてたら、学校に遅刻しそうなのか、自分が目の前に停車しているのに、ノーブレーキで女子中学生が突っ込んできたり、
クルマのバックミラーがハンドルに当たったことも、
危なかったなあ、ふつうに左端をゆっくり走行してたら、普通乗用車がスレスレで追い越して、バックミラーがハンドルの端にガツンと・・・もしガードレールの無い深い用水路ぞいの道だったら、そのまま転落して大ケガしてたかも、
ダンプの恐怖体験も、
普通乗用車でも1台ぎりぎり通れるほどの細い一本道・・・国道9号線に直結するから自転車やバイクが良く走るんやけど、国道に早く出たいのか、そんな細道にダンプカーが入って来て、バイクや自転車にむかって爆音クラクションを流しながら、そこどけそこどけとか、嵯峨野の新丸太町通りでは、急に車道に出てきた老夫婦の軽自動車に腹を立てて、幅寄せ、動こうとするとまた幅寄せと、大きな獣(けもの)が小動物をなぶり殺しにするような雰囲気があって、あれは見てるだけでも恐ろしかった、
こんな良い季節は、自転車で遠出する機会も多くなるので、皆さん気をつけて走って欲しいすね、
先日も、投稿動画が話題になってたなあ・・・山あいの交通量多めの道路で、ロードバイクがバスに道をふさがれて動けなくなるという、
アレはどう思います、
バスもロードバイクも気の毒でならん・・・こんなせまく危険な道、しかも誰も歩かんような言いわけ程度の劣悪な歩道がさらに道幅をせばめていて、バス同士がすれ違うだけでも大変なのに、横を走る自転車にも気を使わなければならんし、自転車側からすれば、どれほど気づかいのある礼儀ただしい幅寄せだとしても、巨大な車体で急に道をふさがれた以上、怒りと恐怖しかないし、
そんな感じで毎日必ずどこかで、大小のトラブルが発生する危険な道路そのものが問題すね、
絶対トラブルが起こるに決まってる道路を放置してる行政を責めるほか無いなあ・・・ミッチミチのせまい道路に何もかんも押し込めといて、みんなが嫌な思いをすることがハッキリしてるのに知らん顔・・・誰か数人亡くなってから行政はやっと重い腰を持ち上げ、といういつもながらのやりくち、
こんな時こそ日本の高度な土木技術を活用してトンネルでも掘って自動車専用道路を作れば、バスやトラックやクルマは気持ちよくスムーズに流れ始めるし、ピンハネ常習犯のゼネコン様のこづかい稼(かせ)ぎにもピッタリ、
ホンマや、そうしたら現在のルートは丸ごと歩行者自転車専用道になって、危険も騒音も解消され、空気は良くなり、雨をしのぐ東屋(あずまや)とかトイレを設置するスペースも生まれ、自転車だけでなく、ランニングやウォーキングも楽しめるし、
話題は変わりますが、ホワイトベースの二宮さんとか、同じ二輪でも、自転車のマナーの悪さには、そうとううんざりしてるみたいで、
それもよう分かる・・・自分自身、自転車通学で変な動きをする中高生には出くわしたくないから、彼らが出現しそうな時間帯は通学路付近は走らないようにしたり、
横ならび、ながらスマホ、2人乗り、奇声、蛇行(だこう)、ベルメチャ鳴らし・・・ちびっ子ギャングみたいな輩(やから)中高生が群れ始めたら、その一帯カジュアルな(=日常よく見かける)地獄絵図というか、
二宮氏が『暴走族』を『珍走団(ちんそうだん)』と言い換えるように、下校時にレベルの低い学生がツルみ始めると、必ず始まる自転車版珍走団、
もっとも9割以上の学生さんは、キチンとマナーの良い走り方をしてるので、
そこが希望の光やな・・・オトナ以上にマナー良く自転車に乗る学生さんたちを多く見かけるし、そんなまともな学生さんがほとんどであることは、誤解が無いようにハッキリ言っておきたい、
思うんすけど、自転車も車両である以上、自転車通学する場合は、法律で決められた免許制度をもうけて、それなりの講習とか違反時の罰則とか、大人社会並みのきびしさが必要な気がしますが、
10代のあいだに、しっかり社会に通用する交通マナーや交通法規を覚えておけば、バイクやクルマに乗り換えた時も役立つし、親になってからも、子供に自信を持って自転車の乗り方を教えられるもんな、
子供でも乗れる自転車ですけど、じっさい法律上は、特殊車両としてあつかわれますしね、
そんな社会的責任が問われる人生初の乗り物なんで、小学校の段階から、独立したひとつの教科として、中学高校へと連続的につないで、学生の運転レベルを向上させて欲しい、
ちなみに、子供さんのヘルメット着用はかなり社会に浸透して来たので、着用義務が叫ばれてる今こそ、お父さんお母さんもヘルメットを着用するチャンスですね、
自分も自転車に目覚めた38歳当時はヘルメットをかぶらず、マウンテンバイクで山の中の危険な道を走ったりしてたんで、いま思うとゾッとする、
パンク修理を覚えたのも、40代になってからなんすね
情けない話やけどそのとおり・・・なもんで、もしパンク修理を学校の実習授業で教わって、子供たちがみんな自分の自転車をパンク修理できるようになったら、これは世界的に見ても、そうとう自慢できるんちゃうか、
これほど長く付き合える乗り物もありませんし、しっかり自転車のあつかいができるような子供達が増えれば、安全意識もしぜんと高くなって交通マナーは全体的に向上するし、交通事故もそうとう減りそうな気がしますね、
自転車の乗り方も千差万別、色々あるしなあ、
横断歩道でもない一般道をふつうに走るクルマをむりやり静止させて横断するロードバイクの実話が、YouTubeで紹介されてましたが、
話題の部分から自動再生されます
常識破りの信じられない走り方をするごくわずかな自転車乗りのおかげで、よく聞かれるようになった『チャリカス』という耳の痛いコトバ、
ロードバイク乗りといえば、
自分も5年くらい前に変な経験があって、自転車歩行者用道路をふつうに走っていたら、ロードバイクのオジサンがメチャクチャオレに向かって怒鳴ってて、何かと思ったら、小学生くらいの息子をロードバイク乗りにさせたいのか、その子の走行レーンを邪魔するなと、
もっとひどい例もありましたね、
京都時代、信号待ちをしてたら、学校に遅刻しそうなのか、自分が目の前に停車しているのに、ノーブレーキで女子中学生が突っ込んできたり、
クルマのバックミラーがハンドルに当たったことも、
危なかったなあ、ふつうに左端をゆっくり走行してたら、普通乗用車がスレスレで追い越して、バックミラーがハンドルの端にガツンと・・・もしガードレールの無い深い用水路ぞいの道だったら、そのまま転落して大ケガしてたかも、
ダンプの恐怖体験も、
普通乗用車でも1台ぎりぎり通れるほどの細い一本道・・・国道9号線に直結するから自転車やバイクが良く走るんやけど、国道に早く出たいのか、そんな細道にダンプカーが入って来て、バイクや自転車にむかって爆音クラクションを流しながら、そこどけそこどけとか、嵯峨野の新丸太町通りでは、急に車道に出てきた老夫婦の軽自動車に腹を立てて、幅寄せ、動こうとするとまた幅寄せと、大きな獣(けもの)が小動物をなぶり殺しにするような雰囲気があって、あれは見てるだけでも恐ろしかった、
こんな良い季節は、自転車で遠出する機会も多くなるので、皆さん気をつけて走って欲しいすね、
先日も、投稿動画が話題になってたなあ・・・山あいの交通量多めの道路で、ロードバイクがバスに道をふさがれて動けなくなるという、
アレはどう思います、
バスもロードバイクも気の毒でならん・・・こんなせまく危険な道、しかも誰も歩かんような言いわけ程度の劣悪な歩道がさらに道幅をせばめていて、バス同士がすれ違うだけでも大変なのに、横を走る自転車にも気を使わなければならんし、自転車側からすれば、どれほど気づかいのある礼儀ただしい幅寄せだとしても、巨大な車体で急に道をふさがれた以上、怒りと恐怖しかないし、
そんな感じで毎日必ずどこかで、大小のトラブルが発生する危険な道路そのものが問題すね、
絶対トラブルが起こるに決まってる道路を放置してる行政を責めるほか無いなあ・・・ミッチミチのせまい道路に何もかんも押し込めといて、みんなが嫌な思いをすることがハッキリしてるのに知らん顔・・・誰か数人亡くなってから行政はやっと重い腰を持ち上げ、といういつもながらのやりくち、
こんな時こそ日本の高度な土木技術を活用してトンネルでも掘って自動車専用道路を作れば、バスやトラックやクルマは気持ちよくスムーズに流れ始めるし、ピンハネ常習犯のゼネコン様のこづかい稼(かせ)ぎにもピッタリ、
ホンマや、そうしたら現在のルートは丸ごと歩行者自転車専用道になって、危険も騒音も解消され、空気は良くなり、雨をしのぐ東屋(あずまや)とかトイレを設置するスペースも生まれ、自転車だけでなく、ランニングやウォーキングも楽しめるし、
話題は変わりますが、ホワイトベースの二宮さんとか、同じ二輪でも、自転車のマナーの悪さには、そうとううんざりしてるみたいで、
それもよう分かる・・・自分自身、自転車通学で変な動きをする中高生には出くわしたくないから、彼らが出現しそうな時間帯は通学路付近は走らないようにしたり、
横ならび、ながらスマホ、2人乗り、奇声、蛇行(だこう)、ベルメチャ鳴らし・・・ちびっ子ギャングみたいな輩(やから)中高生が群れ始めたら、その一帯カジュアルな(=日常よく見かける)地獄絵図というか、
二宮氏が『暴走族』を『珍走団(ちんそうだん)』と言い換えるように、下校時にレベルの低い学生がツルみ始めると、必ず始まる自転車版珍走団、
もっとも9割以上の学生さんは、キチンとマナーの良い走り方をしてるので、
そこが希望の光やな・・・オトナ以上にマナー良く自転車に乗る学生さんたちを多く見かけるし、そんなまともな学生さんがほとんどであることは、誤解が無いようにハッキリ言っておきたい、
思うんすけど、自転車も車両である以上、自転車通学する場合は、法律で決められた免許制度をもうけて、それなりの講習とか違反時の罰則とか、大人社会並みのきびしさが必要な気がしますが、
10代のあいだに、しっかり社会に通用する交通マナーや交通法規を覚えておけば、バイクやクルマに乗り換えた時も役立つし、親になってからも、子供に自信を持って自転車の乗り方を教えられるもんな、
子供でも乗れる自転車ですけど、じっさい法律上は、特殊車両としてあつかわれますしね、
そんな社会的責任が問われる人生初の乗り物なんで、小学校の段階から、独立したひとつの教科として、中学高校へと連続的につないで、学生の運転レベルを向上させて欲しい、
ちなみに、子供さんのヘルメット着用はかなり社会に浸透して来たので、着用義務が叫ばれてる今こそ、お父さんお母さんもヘルメットを着用するチャンスですね、
自分も自転車に目覚めた38歳当時はヘルメットをかぶらず、マウンテンバイクで山の中の危険な道を走ったりしてたんで、いま思うとゾッとする、
パンク修理を覚えたのも、40代になってからなんすね
情けない話やけどそのとおり・・・なもんで、もしパンク修理を学校の実習授業で教わって、子供たちがみんな自分の自転車をパンク修理できるようになったら、これは世界的に見ても、そうとう自慢できるんちゃうか、
これほど長く付き合える乗り物もありませんし、しっかり自転車のあつかいができるような子供達が増えれば、安全意識もしぜんと高くなって交通マナーは全体的に向上するし、交通事故もそうとう減りそうな気がしますね、
2023年10月27日
自転車という乗り物について(後編)『Wレバー・フロント3速・リア8速最強説』
ところで、ピスト以外の3台は、いずれもリア(=うしろ)8速ですが、これでいいんすか・・・時代は11速12速へ進んでますが、
8速と9速、2台持ちだったころ、ハッキリ分かるほど9速のほうが早くチェーンが伸びるんもんで、じっさい比べてみたら、9速のほうが明らかに細いんで、なるほど便利さの代わりに耐久性を失ってると納得・・・レースに出るわけでなし、むしろ8速の耐久性が大事なんで、この時点から8速だけでいこうと、
ちなみに、リア8速最強説を根拠立てて主張されている自転車系ユーチューバーは、飯倉(いいくら)氏のみ!(話題の部分から再生されます。)
3台とも8速なら、パーツも使いまわしが効(き)いて何かと便利ですしね・・・ちなみにこの3台、フロントもすべて3速ですが、今どきは2速、なんならフロントシングル(1速)もありますが、なんでまた、
変速がある以上、どんな登り坂も自転車から降りずに登り切りたいわけで、そんなときはフロント3速でしか使われない激軽(げきかる)22t(teeth=ギアの歯数)が必要に・・・それに加えてダブルレバーで変速するようになってから、リア(=うしろ)側は変速させずに、フロント(=前)側だけ3段変速として使うことを覚えたんで、
フロントだけ3段変速って、どういうことすか、
リア8速のうち中間の2速から7速のあいだで、その道に最適な歯数を選んでおけば、あとはフロント側で理想的な3段変速が実現できるという、
つまり、こまめな変速から解放されて、ゆったり気分で走れると、
しかし2速だとちょっと厳しいから、最低3速は欲しいんで、そうなるとフロントのチェーンホイールも古典的な3枚のほうがむしろ好都合、
古典的といえば、ドロハン(ドロップハンドル)の2台ともWレバーですけど、デュアルコントロールレバー(=ブレーキレバーと変速レバーが一体化した便利なドロップハンドル)にもどる気は無いんすか、
いちど、変速機能が無いブレーキレバーを使ってしまうと、デュアルコントロールレバーよりも、はるかに低予算で質感の高いブレーキレバーが購入できることが分かって、それに変速をWレバーにすると、指先の感覚だけが頼りなんで、自分が操作してる感がより強まって、デュアルコントロールレバーみたいな機械まかせのワンタッチ変速よりも、効率は落ちるけど、生きてる実感はより強くなる、
ここでもピストバイクに通じるような不便さから来る楽しさや充実感があると、
なもんで、最新のワイヤレス変速機とか、電動アシストとか、まあ好きな人はどんどんハマればええし、そこでしか味わえない楽しさもあると思うけど、逆にそこまでするなら、いっそ中型バイク免許を取得してモーターサイクルに乗った方が早いんちゃうか、と思ってみたり、
ちなみに、乗るとするなら、
スズキGSX250R 2023年モデルの『パールグレッシャーホワイトbQ』一択(いったく=しかない)、
そのココロは、
250ccには珍しく身長180pにちょうど良い大きさ、疲れにくいシート、日本の田舎の景色を楽しみながら、シフトチェンジを気にせず、中低速でのんびり走る楽しさが味わえる点、同時に高速道路での安定性、振動や排気音が控えめなのもありがたい・・・2017年に登場した時は恐ろしく安い価格やったけど、現在はかなり値上がりしてるみたいやなあ・・・そのぶん質感も走りもそれなりに向上してるから、それはそれでええけど、
しかし、近い将来カワサキさんから、惜しまれつつ絶版になってしまった名車『エストレヤ』の後継モデル、メグロばりにクラシックな外観の230ccの空冷単気筒が登場しますよ、
しかし、先週あたりホンダGB350を納車したばかりのライダーさんは、これ見てどう思うんやろ、
でも、このバイク、まだ発売日すら決まってないし、人気のバイクは手に入りづらい状況はまだありますし、何とも思わんのとちゃいます・・・それよりも、いつもオートバイ(=モーターサイクル)と比べて、圧倒的に自転車がスゴいと思うのは、ライポジ(=ライディングポジション、乗車姿勢)を納得の行くとこまで、ミリ単位で極めることができる点、
たしかに、サドルひとつにしても、高さや前後や傾きなど、ミリ単位で変えられるし、それに合わせてハンドルの幅や高さや傾きも調整できるし、やったこと無いけど、クランクの長さも5ミリ単位で変えられるし、それらがピタッと気持ちよく決まった時のしっくりした乗り心地は、自転車乗りだけに許された極楽(ごくらく)かもしれんな・・・カラダがその車体に慣れるたびにわずかずつ変化するライディングポジションにも敏感かつ繊細に対応できるし、『人馬一体(じんばいったい)』感とは、まさにこのことやな、
あとモーターサイクルと圧倒的に異なるのが、当然ですが、車両を持ち上げて歩けるほど軽量な点、
ガソリンも電気も使わんから軽くできるし、構造も簡単やから、ショップに頼らんでも自分ですべて整備できるし、
ちなみに、モーターサイクル(=オートバイ)に乗らない最大の理由は、
買う寸前まではいくけど、足先のちょっとした動き以外、ずっとカラダが車体に固定されたまま動かせないのがどうにも苦痛で・・・自転車の場合、自分がライダーであると同時にエンジンでもあるから、足腰を中心に全身をしっかり動かし続ける必要があって、そこで生きてる実感も味わえるんやけど、
自転車よりはるかに複雑な構造で、見た目の多様性もじつ豊かなんで、動画であれこれ視聴するのは楽しいモーターサイクルですけど、購入までには至(いた)らないと、
自転車の何倍も高価やし、あれこれかかる費用を思うと、そのぶんカメラに回したなるし、たまに現れるマナーの悪いクルマのドライバーは恐怖でしか無いし、後続車両が来るのに景色の良いせまい橋の上でカメラ撮影なんてムリやし、自分じゃまったく修理できんし、バイク用ヘルメットは重いし窮屈(きゅうくつ)やし、強風にさらされながらじっとしてるから、カラダが芯から冷えるし、自然のかなでる繊細な音も聴き取れへんし、
ふつうの感覚だと、足を動かさずに遠くまで楽に移動できるからこそ、モーターサイクルなんですが、まさにそこがネック(=気になる問題点)なんすか、
という事からも分かるように、自分は心底(しんそこ)自転車が好きなんで、モーターサイクルについては、動画をあれこれ視聴するくらいで、すでに大満足というか、
数年まえ偶然発見したCCMというイギリスの小さなバイクメーカーのデザインセンスにひとめぼれして以来、他メーカーのモーターサイクルがすべて物足りなく見えてしまうほど・・ ・
2023年10月25日
自転車という乗り物について(中編)『不便(ふべん)だからこそ奥深く楽しい』
ところでこの4台中、最も異色なのが、コロナ給付金で購入した、ジオス・ビンテージピスタという、シングルスピード(=ピストバイク・無変速自転車)、
自転車に目覚めて四半世紀(しはんせいき=25年間)、フロント3速、リアは7速8速9速と、変速付きの自転車ばかりやもんな、
なんでまたこんなキワモノっぽい(=ごく少数にしか受け入れられないような)自転車を購入したんすか、
まずは見た目の美しさから、どうしても欲しくなり、もうひとつは、重いとされるクロモリフレームでありながら9sを割る軽さに感動して、最後は幅25oの細いタイヤは1度も経験が無かったんで、
じゃあ変速機が無いという点に魅力を感じたわけではないと、
そう、乗るまではいったいどんな感じがするのかまったくの未知数で、
で、じっさい走らせてみてどうでした、
じっさいに乗ってみないと分からない予想外の楽しさ、というか変速が無いだけで、これほど深く自転車と付き合えるようになるとは、正直自分でもビックリするくらいで、
じゃあ大正解ってことすか、
ずいぶん遅くなってからの経験になったけど、ほんまシングルスピード(ピストバイク=無変速自転車)に出会えて良かった、
ぱっと見、不便そうなだけに見えますが、違うんすか、
変速が無くなって不便になったからこそ楽しいというか、たった一つのギア比だけであらゆる道を走ることになるんで、全身が心地よい緊張感に包まれるというか、
どういうことすか、
今までなら変速まかせで、こぎ方が相当ええ加減でもごまかしがきいたけど、変速が無くなると、その不便さをぜんぶ自分がしょいこむから、走る道に合わせて多様なこぎ方が必要になって、登り坂が近づけば、それに負けないスピードやトルクを全身で確保する必要も出てくるし、走行中の感覚が変速がある時のひと回りもふた回りも鋭くなって、ああ生きてるなあという感覚がより強くなる、
じゃあ、幅25oのメチャ硬いタイヤも、そのマイナス面はすべてプラスに転じると、
細くて硬いタイヤなんで、ちょっと荒れた路面でも正確に突き上げが来るから、これを全身で器用に受け流しながら走ることになるし、細くて硬いからちょっとした路面の突起でも即転倒の危険があって、感覚がより鋭くなるし・・・なもんで、そんな悪路をやりくりしながら出会う、舗装したてのなめらかな路面はより感動的に感じるし、わずかな時間走っても、旅したような充実感が得られる、
ちなみに、タイヤ幅を25oから28oにしたら面白さが半減して即25oにもどしたというのは、
28oのほうがショック吸収性も安全性も向上するけど、その反面、登り坂や加速時にダンシング(=立ちこぎ)する場面では、28o幅より25o幅のタイヤのほうが、左右にヒラヒラと車体を倒しながらよりシャープにチカラを路面に伝えやすいんで、この鋭い力強さは25oでしか味わえない魅力があって、
ところで、ピストバイクは固定ギアというイメージですがそのへんはどうすか、
コアな(より極めようとする)ライダー達は、固定ギアがメインで、さらトリックとかワザを極めようとすれば、ハンドルからブレーキやワイヤーケーブルを取っ払ってクルクル回るようにしたり・・・自分の場合、坂の町に住んでるせいもあって、固定ギアだといずれ大転倒をやらかしそうで、子供の頃から慣れ親しんだフリーギアのままやけど、それでもじゅうぶんに魅力的、
じゃあ固定ギアにことさらこだわる必要も無いと、
というか、あまり言う人も居ないけど、フリーギアのピストバイクで無いと味わえない快感もあって、たとえば下り坂を固定ギアでくだる場合、ペダルを強制的に回し続けることになって、快感どころか危険と苦痛ばかりという地獄のような状況になるわけで、その点フリーギアなら、足を休めて、鳥が滑空(かっくう)するように、景色を楽しみながらひたすら下り坂のスピードを楽しめるわけで、
ちなみに、もともと付いてたフロント44t・リア16tをより軽い、フロント50t・リア20tに交換したのは、そんな登り坂のために、
山がちなエリアに住んでるから、たいていの登り坂はそれほど苦しまないでも登れるようにしたかったのがひとつ、もうひとつは、見た目的にフロントの歯数が多い方がカッコいいというのもあって、
でも、平坦(へいたん)な道ではペダル軽すぎて足が回り切るという、
そこも考えようで、こんな機会でも無いと、わざわざ高回転でペダリングすることもないし、そうなればスムーズなペダリングの練習にもちょうど良いし、回転数を上げさえすれば、けっこうなスピードも出せるわけで、
より軽めのセッティングのほうが、場所を選ばず多彩な走り方もできて、なおかつヒザや腰への負担も軽くなると、
変速が無いぶん、トルクをかけて走る場面が多くなるんで、軽めのギア比のほうが長く付き合えるんちゃうかなあ・・・もっとも、たまにはフラットな道ばかり探して、重めのギア比でゆったり流すのも楽しいし、固定ギア(コグ)にしても、安全をじゅうぶん確保した上で乗り方がわかり始めたら、もっと楽しくなるはず、
ピストの代名詞 FUJI『FEATHER(フェザー=羽根)』の開発にもかかわったピスト業界の御意見番。東京時代は写真関係の仕事をされていて現在でもフィルムカメラの熱心なユーザーさんです。
イタリアデザインはそのままに、実質的な企画・製造・組み立ては日本と台湾が行う自転車メーカー GIOS(ジオス)。純粋なイタリア製じゃないとのマイナス評価もあるけれど、価格的・品質的にこの組み合わせがベストに思えるのは自分だけか・・・ちなみに唯一の弱点である石より硬いサドルは、より上質な走りと健全な股間(こかん)のためにも、1万円の上乗せになりますが、カラダにやさしく美しいイタリアSMP社製に交換することを強くオススメします。
(後編に続く)
自転車に目覚めて四半世紀(しはんせいき=25年間)、フロント3速、リアは7速8速9速と、変速付きの自転車ばかりやもんな、
なんでまたこんなキワモノっぽい(=ごく少数にしか受け入れられないような)自転車を購入したんすか、
まずは見た目の美しさから、どうしても欲しくなり、もうひとつは、重いとされるクロモリフレームでありながら9sを割る軽さに感動して、最後は幅25oの細いタイヤは1度も経験が無かったんで、
じゃあ変速機が無いという点に魅力を感じたわけではないと、
そう、乗るまではいったいどんな感じがするのかまったくの未知数で、
で、じっさい走らせてみてどうでした、
じっさいに乗ってみないと分からない予想外の楽しさ、というか変速が無いだけで、これほど深く自転車と付き合えるようになるとは、正直自分でもビックリするくらいで、
じゃあ大正解ってことすか、
ずいぶん遅くなってからの経験になったけど、ほんまシングルスピード(ピストバイク=無変速自転車)に出会えて良かった、
ぱっと見、不便そうなだけに見えますが、違うんすか、
変速が無くなって不便になったからこそ楽しいというか、たった一つのギア比だけであらゆる道を走ることになるんで、全身が心地よい緊張感に包まれるというか、
どういうことすか、
今までなら変速まかせで、こぎ方が相当ええ加減でもごまかしがきいたけど、変速が無くなると、その不便さをぜんぶ自分がしょいこむから、走る道に合わせて多様なこぎ方が必要になって、登り坂が近づけば、それに負けないスピードやトルクを全身で確保する必要も出てくるし、走行中の感覚が変速がある時のひと回りもふた回りも鋭くなって、ああ生きてるなあという感覚がより強くなる、
じゃあ、幅25oのメチャ硬いタイヤも、そのマイナス面はすべてプラスに転じると、
細くて硬いタイヤなんで、ちょっと荒れた路面でも正確に突き上げが来るから、これを全身で器用に受け流しながら走ることになるし、細くて硬いからちょっとした路面の突起でも即転倒の危険があって、感覚がより鋭くなるし・・・なもんで、そんな悪路をやりくりしながら出会う、舗装したてのなめらかな路面はより感動的に感じるし、わずかな時間走っても、旅したような充実感が得られる、
ちなみに、タイヤ幅を25oから28oにしたら面白さが半減して即25oにもどしたというのは、
28oのほうがショック吸収性も安全性も向上するけど、その反面、登り坂や加速時にダンシング(=立ちこぎ)する場面では、28o幅より25o幅のタイヤのほうが、左右にヒラヒラと車体を倒しながらよりシャープにチカラを路面に伝えやすいんで、この鋭い力強さは25oでしか味わえない魅力があって、
ところで、ピストバイクは固定ギアというイメージですがそのへんはどうすか、
コアな(より極めようとする)ライダー達は、固定ギアがメインで、さらトリックとかワザを極めようとすれば、ハンドルからブレーキやワイヤーケーブルを取っ払ってクルクル回るようにしたり・・・自分の場合、坂の町に住んでるせいもあって、固定ギアだといずれ大転倒をやらかしそうで、子供の頃から慣れ親しんだフリーギアのままやけど、それでもじゅうぶんに魅力的、
じゃあ固定ギアにことさらこだわる必要も無いと、
というか、あまり言う人も居ないけど、フリーギアのピストバイクで無いと味わえない快感もあって、たとえば下り坂を固定ギアでくだる場合、ペダルを強制的に回し続けることになって、快感どころか危険と苦痛ばかりという地獄のような状況になるわけで、その点フリーギアなら、足を休めて、鳥が滑空(かっくう)するように、景色を楽しみながらひたすら下り坂のスピードを楽しめるわけで、
ちなみに、もともと付いてたフロント44t・リア16tをより軽い、フロント50t・リア20tに交換したのは、そんな登り坂のために、
山がちなエリアに住んでるから、たいていの登り坂はそれほど苦しまないでも登れるようにしたかったのがひとつ、もうひとつは、見た目的にフロントの歯数が多い方がカッコいいというのもあって、
でも、平坦(へいたん)な道ではペダル軽すぎて足が回り切るという、
そこも考えようで、こんな機会でも無いと、わざわざ高回転でペダリングすることもないし、そうなればスムーズなペダリングの練習にもちょうど良いし、回転数を上げさえすれば、けっこうなスピードも出せるわけで、
より軽めのセッティングのほうが、場所を選ばず多彩な走り方もできて、なおかつヒザや腰への負担も軽くなると、
変速が無いぶん、トルクをかけて走る場面が多くなるんで、軽めのギア比のほうが長く付き合えるんちゃうかなあ・・・もっとも、たまにはフラットな道ばかり探して、重めのギア比でゆったり流すのも楽しいし、固定ギア(コグ)にしても、安全をじゅうぶん確保した上で乗り方がわかり始めたら、もっと楽しくなるはず、
ピストの代名詞 FUJI『FEATHER(フェザー=羽根)』の開発にもかかわったピスト業界の御意見番。東京時代は写真関係の仕事をされていて現在でもフィルムカメラの熱心なユーザーさんです。
イタリアデザインはそのままに、実質的な企画・製造・組み立ては日本と台湾が行う自転車メーカー GIOS(ジオス)。純粋なイタリア製じゃないとのマイナス評価もあるけれど、価格的・品質的にこの組み合わせがベストに思えるのは自分だけか・・・ちなみに唯一の弱点である石より硬いサドルは、より上質な走りと健全な股間(こかん)のためにも、1万円の上乗せになりますが、カラダにやさしく美しいイタリアSMP社製に交換することを強くオススメします。
(後編に続く)
2023年10月23日
自転車という乗り物について(前編)『前世紀、全盛期だった26インチMTB(マウンテンバイク)』
じゃあけっきょく、何やかんや自転車の増車(ぞうしゃ)が続いて、ここ数年で2台持ちが4台持ちに、
順番にいうと、1台目は2010年、つまり京都を去る2年前に信頼の日本製テスタッチのフレーム&フォークセットを購入、そこへJRのイライラ移動販売カートにぶつけられフレームにひびが入って廃車になったジェイミス・オーロラの全パーツを移植して組み上げたシクロクロス、2台目は2020年だったか、コロナ給付金で購入したジオス・ビンテージピスタ(フリーギアのピストバイク)、で3台目は2022年夏、
泣く泣く廃車にした例のアルミMTB(マウンテンバイク)の代役として購入したアレすか、
たまたま見ていたYouTubeで、製造から20年を過ぎると、乗っても乗らなくても金属疲労が始まるアルミフレームという恐ろしい説を聞き、そこまで言われた以上、きっぱり廃車にした方が得策(とくさく=かしこい選択)かと、
左下『見るYouTube』をクリックすると別ウインドウが開いて話題の部分から自動再生されます。
というわけで、1996年から乗り続けた相棒、26インチのアルミフレームMTB(マウンテンバイク)『リッジランナー』を泣く泣く廃車とし、その代役として昨年購入したのが、1996年当初からすでに気になっていた、ミヤタのライバル、名門アラヤのMTB『マディーフォックス・ダート(=MFD)』、
あれから四半世紀(しはんせいき=25年)も経過した最新モデルは、ブレーキも油圧ディスク、フレームもひとまわり大きい 27.5インチ、
ところが、どうも 27.5インチフレームがしっくり来ないため、どうしても乗り慣れた26インチMTBが欲しくてたまらず、この夏とうとう4台目を増車するはめに、
『サイクリー』という中古自転車通販サイトで、わずか1万円という下地(したじ)塗装のみの出所(でどころ)不明な26インチクロモリMTBフレームを発見・・・これは購入後丹念に調べたら、1990年代製アラヤ・マディーフォックスと判明するんやけど、これを現代に蘇(よみがえ)らせることは、還暦(かんれき=60歳)過ぎの初老マウンテンバイカーに課せられた『ぼくの夏休み』的使命であると勝手に思い込み、使えるパーツはリッジランナーからすべて移植し、バーハンドルはドロップハンドルに換装(かんそう)し、いわば20インチ小径車(しょうけいしゃ)ならぬ、26インチ中径車(ちゅうけいしゃ)のグラベルバイクとして復活の日を迎えることに、
ちなみにアラヤさんからは、小径車でかつグラベルバイクという、ここでしか購入できないユニークなモデルが存在していて、じわじわと人気上昇中・・・常識的に考えても、これ以上の増車はアカンけど、ミニベロ(=小径車)経験ゼロやしなあ・・・
で、この4台のうち、唯一のバーハンドルでもある27.5インチ街乗りMTB、マディーフォックスダート(MFD)2022年モデルだけが、ほとんど乗らなくなってますが、これはどういうことすか・・・快適性とか言うのであれば、メチャ硬いジオスのピストバイクより、はるかに安楽ですけど、
油圧ディスクブレーキは確かに素晴らしいし、大柄(おおがら)な27.5インチフレームならではの巡航(じゅんこう=定速走行)性能にも感動したけど、何か一本調子というか、自分が操(あやつ)るというよりも、自分がお客さんになって自転車に乗っけてもらってるような受け身の感覚があって、そこがどうしてもなじめず、
しかし残念すね、最新の技術を盛り込んだMTBにほとんど乗らないというのも、
思うに街乗りメインで作られた2022年製アラヤMFD(マディーフォックスダート)やけど、MTBの老舗(しにせ)メーカーが設計されている以上、真の面白さや実力が体感できるのは、やっぱり山ん中やオフロードに入ってからなんとちゃうんかなあ・・・その証拠に、バックフォーク(=シートステー)には、街乗りマウンテンバイクとは思えないような誇らしげな表現が・・・『MF Hardtail Geometric Philosophy』
(マディーフォックス・ハードテイル・ジオメトリック・フィロソフィー)
(中編に続く)
2023年10月18日
自分の不注意で立て続けに琵琶湖で亡(な)くしたコンデジ2台の思い出(後編)
びわ湖も彦根に近い野田沼公園で踏みつぶしてしまったオリンパス『ミュー40』から、心機一転、キヤノン『パワーショット G7』に買い替え、画素数も500万から一気に1000万(いっせんまん)へ、
ズームも35oフィルム換算 35〜105oの3倍ズームから、一気に35〜210oの6倍ズームへ、
風景写真では、まだまだ物足りない望遠105oも、倍の210oもあればまず問題無いすね、
とは言っても、近年のズームレンズはスゴイことになって、28oは当然のこと、今では24oが常識になりつつあるんで、広角35oからのズームレンズなんて欲しくても得られないような状況・・・ただこの画角、オジサンたちには長年にわたって広角レンズの主役だったんで、フィルムカメラ時代の終わりに、タムロンから革命的高倍率ズームレンズ(28〜200mm) が登場した時も、広角28mmは広すぎて持て余すような、
そんなわけで、画角28oひとすじのGRシリーズの初号機となるフィルムカメラ RICOH GRー1(リコー・ジーアール・ワン)を購入してもなお、画角35oのオリンパス『ミュー』も並用(へいよう)していたと、
そんな習性は今も続いていて、メチャややこしい言い方で恐縮やけど、35oフィルム換算で画角31oになるAPS-C用21oPENTAXリミテッドレンズは、常用レンズとしてはイマイチ広すぎて、もっと標準レンズ寄りの広角レンズが欲しくなって、フィルム時代の28o中古レンズをAPSーC機に装着して画角42oのレンズとして使ってみたり、
広すぎるの苦手なんすか、
空の雲がメインなら28oはベストやし、それどころか、フィルム時代から現在にいたるまでPENTAXユーザーだけのひそかな楽しみ『フィッシュアイズーム』もメチャ使えるけど、何でもかんでもこれ一本という常用レンズとして考えると、やはり標準レンズの画角帯(がかくたい)、つまりフルサイズ換算(=35oフィルム換算)でいう 40oから60oくらいがいちばんしっくり来るわけで・・・なもんで、13万もするから絶対購入せえへんけど、2年前、画角28oひとすじのGRシリーズに突如(とつじょ)として現れた画角40oの『RICHO GRーVx(スリーエックス)』については、なんならこれ一台で済ますこともできれば、一眼レフのサブカメラ的使い方もできるんで、ココロがかなりグラついてるんや・・・画角28oの『RICHO GRーV(ジーアールスリー)』に登場したダイアリーエディションみたいな色が出たらもう買ってまうかも・・・
ところで、そろそろ話を元にもどしては、
というわけで、広角35oから本格望遠210oまでカバーする6倍ズームのハイエンドコンデジ、キヤノン『パワーショットG7』は、オリンパスミューシリーズよりひと回り大きいけれどたいへん使いやすく、フィルムカメラ時代の落ち着きを取りもどしたスタイルには持つ喜びもあって、すっかり愛着のカメラに、
カクカクとしたデザインで、手から滑り落ちることも無さそうですしね、
さほど深いグリップや無いけど、ミューよりひと回り大きいから、両手であつかうことも多くなり、この両手で包み込む感触とかサイズ感もちょうどええ感じで、
そんな愛着のカメラにまた何か異変が、
ショッキングなカメラ踏みつぶし事件もすっかり忘れた数年後のこと、その日は荒神山より少し内陸に入った田園地帯を走っていて、そこはかなり路面の悪い農道で、砂利が敷かれて水たまりの穴もあったりして、自転車もけっこうガタピシ跳(は)ねて、そんなおり、運悪くフタを閉め忘れたレンズポーチからG7が勢いよく飛び出して、こともあろうか梅雨時(つゆどき)で水かさの増した道ばたの用水路へドボン・・・カメラの姿も見えず、流れの速い用水路に入れば自分がおぼれそうで、
きついすね、数年後とはいえ2回連続で、
1回目なら、これで次のカメラが買えると、内心喜んだりするかもしれんけど、さすが2回目ともなるとすっかり意気消沈(いきしょうちん)・・・改めてパワーショットGシリーズの新型を買う気にもなれず、とにかくアウトドアに特化したような、水や衝撃にメチャ強く、なおかつ失ってもショックがそこそこで済む価格帯のコンデジは無いかと、
そんなおり、もともと生活防水が売りだったオリンパス『ミュー』シリーズに、衝撃にも強いモデルが登場したんで迷わずこれに飛びついたと、
じっさい、走る自転車から落としたこともあったけど、まったくへこたれずに動き続けたオリンパス(現在のOM SYSTEM)『ミュー1050 SW』・・・けっきょく一回も故障しなかったタフなコンデジとしばらく旅をすることに、
その数年後、G7を水没させた心の傷もすっかり癒(い)えて、ふたたびパワーショットGシリーズへもどりたくなり、
コンデジ以上一眼レフ未満という絶妙の立ち位置や外観のカメラらしさも魅力なんで、
G7から時代はすでにG12 へ、
操作系や描写もさらに洗練され、今度は一度もしくじることなく、電源オフでもズームレンズが引っ込まなくなるまで約5年間ほども愛用し続け、最後のコンデジとなる名機SONY『サイバーショット RX-100』へと、
そんなコンデジリレー最終走者のRX-100ですが、数年愛用してセンサーゴミが入った時点で、メーカー修理に出そうか、デジタル一眼レフに乗り換えるようか迷っていて、
そんなおり、海外サイトでダントツの高評価を受けていた『HD PENTAX-DA 16-85mmF3.5-5.6ED DC WR』というAPS-C用ズームレンズ(35oフィルム換算 24.5mm〜130mm)を知り、コンデジを大きく上回るその描写に感動し、以降(いこう) PENTAXデジタル光学一眼レフユーザーへ、
ちなみに、さいきんは落としたりとか、何かやらかしたりとか、
さいわい、琵琶湖で2回もつづけて苦い経験をしたおかげか、一度もやらかすことなく・・・
筆者が愛用する PENTAX KP・・・PENTAXのレンズシリーズでも大きな割合を占めるリミテッドレンズ専用に設計された小ぶりでネオクラシックなデザインが秀逸(しゅういつ=バッチグー)な中級機・・・1代かぎりで終わらすにはあまりに魅力的なんで、再度復活させて、今後のシリーズ化を強く望みたい。
2023年10月16日
自分の不注意で立て続けに琵琶湖で亡(な)くしたコンデジ2台の思い出(前編)
カメラに目覚めたのはフィルムカメラ時代末期(まっき)・・・わずか数年後、デジタルカメラという明治維新なみの動乱が巻き起こるとも知らず、のんきに暮らしてたと、
いきなり、タラレバを言わせてもらうけど、もしカメラに目覚めるのがあと5〜6年遅かったら、庶民にも手が届く300万画素程度のデジタルカメラが出回っていたから、なにも迷うことなくデジカメひとすじで行けたんや・・・ところが、こともあろうか(=よりにもよって)1996年当時、フィルムカメラはジュラ紀の恐竜なみに市場を独占していたので、とりあえずそこに首までどっぷり浸(つ)かり、そのわずか数年後には、早くもフィルムカメラの深い沼からはいあがって、1からデジタルカメラと向き合う、という最もやっかいな道すじをたどることに、
でも、わずか数年間とはいえ、フィルムカメラの世界をかなり深く体験できて、それはそれで良かったんちゃいます・・・今じゃカメラもフィルムも絶滅の危機にあって、体験の幅もメチャ狭(せま)なってますし、
プラス思考は大事なんで、そういうことにしとくけど、アナログレコードを全部CDに買い替えたように、カメラも全部デジタルに入れ替えるには、経済的にも心理的にもけっこう大変なわけで、
ちなみに、どのへんでデジタルカメラに移行したんすか、
200万画素くらいだと粗(あら)過ぎて無理やったけど、300万画素を超えたあたりで、パソコンモニターで鑑賞する分には何とかいけそうな画質になってきて、価格もだんだん庶民的になったのも追い風となり、最初のデジカメはオリンパスの『ミュー10』を、
たしか実家で昭和40年代に購入した最初のフィルムカメラもオリンパス(現在の OM SYSTEM )製でしたね・・・ハーフサイズとかペンサイズとか言って、当時まだ高価だった35oフィルムを2枚分に分割して倍の枚数撮影できるどの家庭にも最低1台はあった国民的大ヒットコンパクトカメラ『オリンパスペン』、
ちなみに、実家にあった最後のフィルムカメラも、オリンパス製で、『オリンパスペン』と同じくらい国民に支持されたコンパクトカメラ『ミュー』シリーズの末弟(まってい=末っ子)、最もシンプルで簡易防水で広角35oのシブい奴(やつ)、
たしか、森山大道氏もこの機種だけで大阪中心部をスナップしまくってモノクロ写真集を出されたとかいう、
ところが、デジタルカメラになって登場した最初の『ミュー』は、フィルムカメラ時代の愛機 RICHO GR-1のシブいマグネシウムボディに比べると、何から何まで小学校低学年向けみたいなオモチャっぽさでガックリ・・・けれども、そんなガッカリと同時に、フィルムカメラで味わった現像の苦労から解放された喜びもかなりなもんで、
ちなみに、当時コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)とは対照的にデジタル一眼レフは、まだまだありえない価格帯で、しかも年々性能が上がっていくから、買ったとたんに次の新型に買い替えるという嵐のような状況が続いてたと、
だもんで、一眼レフなんかとても買う気になれず、性能がやっと安定期を迎えた2015年になって、ようやく最初のデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)、1600万画素のPENTAX K-50を購入・・・それまでの10数年間は、ひたすらコンデジを渡り歩くことに、
そんなデジタルカメラ黎明期(れいめいき=幕開け時代)ですけど、自転車とコンデジをセットで考えると、身軽さという点ではかなり有利だったのでは、
たしかに、オリンパス『ミュー』シリーズなら、バックパックのショルダーパッドにベルクロで取り付けた小さなカメラポーチだけでじゅうぶん・・・モニター見ながら直感的・瞬間的に露出も決まってメチャ便利やし生活防水やし、電源スイッチを兼ねた大きなレンズバリアは安心感しかないし、とくに荷物を軽く小さくしたい輪行時は、これしかないほど便利で、
結果、フィルムカメラ時代よりも、さらにのびのびと、ほぼ毎週輪行するように、
カメラの画素数も、300万、500万、1000万(いっせんまん)と年々精細さを増し、価格もよりこなれてきて、320万画素のオリンパス 『ミュー10 (テン)』の次に購入したのが、500万画素の『ミュー40』、
これがびわ湖エリアで犠牲になった最初のカメラであると、
週末は京都駅で9割以上の乗客が降りてしまい、ニンマリするほどガラ空(す)きな琵琶湖行き普通列車を活用し、びわ湖エリアへの輪行も完全に習慣化したそんなある日のこと、夏の終わりか秋ごろだったか忘れたけど、その日は荒神山(こうじんやま)あたりの素晴らしい景色をミュー40で写しながら、気ままに移動していて、
荒神山ってどのあたりすか、
久々に地図でも埋め込んでおこうか、
なるほど、琵琶湖も東エリアの沿岸部としては珍しく、ここだけちょっとした小山が、
道も頂上まで完全に舗装されて走りやすく、その気になれば、自転車でも気軽に登れるくらいの坂で、頂上付近からはびわ湖が一望できたり、北麓(ほくろく=北の山すそ)は、県立の文化スポーツ施設が集中したり、ちょっと足を伸ばせば彦根の城下町もすぐそこという、カメラで撮影するには何かと楽しいエリアで、
そんな荒神山(こうじんやま)のすぐ北に広がる小さい沼地でやらかしたんすか、
ショルダーパッドのカメラケースからコンデジを取り出しては写し、またケースに収めての繰り返しもすっかり板について(=習慣化して)、なにも考えんでも自然な動作として出来るようになったのが良かったのか悪かったのか、ケースから取り出したコンデジ、ミュー40がスラッとスリム過ぎたのが仇(あだ)になったのか、わずかな気のゆるみから、カメラは手から滑り落ちて地面へ・・・それだけならまだしも、気が動転して自転車まで動き出し、前輪がカメラを押しつぶす結果に、
野田沼(のだぬま)っていうとこすね、
沼地という陰気な雰囲気は無く、すぐそばに広がる琵琶湖の良い面だけを集めてギュッとコンパクトにまとめたような静かで雰囲気の良い公園で、バス釣りの若者たちがいつも数名水辺に立っているような、
しかし、落とすだけならまだしも、前輪で踏みつぶすとは、
どう見ても修理不能というか、修理したら新品よりも高くなりそうで、これを機に、オリンパス『ミュー』シリーズからはいったん離れ、ずっと気になっていたキヤノンのハイエンド(イチバン性能の高い)コンデジ『パワーショットG7』を中古で購入、
これならひとまわり大きくグリップもそれなりに付いてるし、不注意から手を滑らして落とす危険性も少なそうな、
その代わり、カメラケースもひとまわり大きなモノが必要になり、大きめのレンズポーチをハンドル前に取り付けて、そこからG7を出し入れするように、
(後編につづく)
2023年10月12日
カメラ生活初日はコンビニで購入した『写ルンです』!
で、7月にはマウンテンバイクと輪行袋を購入し、早くも翌月、京都から新幹線でふるさとに降り立ったと、
待ちに待った1996年8月のお盆休み・・・早朝、嵐山に最も近いJR嵯峨駅前で、たどたどしくマウンテンバイクを輪行袋に収納して出発・・・しかし、ずっと楽しみにしていた人生初の輪行は、予想外の心理的苦痛を伴(ともな)うもので、これに慣れるには数年かかったほど、
どういうことすか、
新幹線で現地に到着するまでは良かったけど、いざ自転車を組み上げて走り出したら、なんかいつもとぜんぜん違って、地に足が付いてないというか、自分がそこに居る実感が湧(わ)いてこないというか・・・自転車で自走して行ける範囲をはるかに超えた場所に居るせいか、自転車に乗ってるんやけど、カラダがまだそれを納得してないような、じつに変な気分で、
人生初の輪行だからじゃないすか、
さいわいそんな違和感も、駅から降りて小一時間も走れば自然と消えてくんやけど、最初の2〜3年はどこに輪行しても、必ずそういう変な気分で走り始めてた、
で、念願だった故郷の里山へ、マウンテンバイクで乗り入れたんすか、
1996年当時は、マウンテンバイクが里山からじわじわ追い出されていく直前の時期で、初回の盆休みや2度目となる正月休みは、思い切り里山走りを楽しむことができて・・・けど、それが最初で最後の里山となり、それ以降は、じわじわと迷惑者(もの)あつかいの空気が山々にただよいはじめ、せっかくのマウンテンバイクも山をあきらめ、ツルツルのスリックタイヤに履き替えて街乗り仕様へ成り下がっていくことに、
ちなみに、この輪行がきっかけになって、カメラも本格的な趣味になってくと、
マウンテンバイクで里山へ向かう途中、急にカメラが欲しくなり、コンビニで購入した『写ルンです』・・・これが自分で購入した最初のカメラに、
フィルムカメラを知らない世代も多くなってるし、簡単な説明が必要じゃないすか、
1996年といえば、デジタルカメラが世に出る直前で、フィルムカメラの全盛期・・・なもんで、カメラもフィルムもありとあらゆる選択肢から選べたけど、中でもいちばんお手軽な使い捨てカメラが『写ルンです』・・・お菓子と同じようなアルミコーティングの外袋を破くと出てくるフィルムカメラは、安っぽい紙やプラスチックのボディに、固定焦点レンズが付いていて、シャッター押すたびに指でフィルムを巻き上げるタイプ・・・枚数写し終わると、カメラごと店の人に渡し、後日フィルムが現像処理されて印画紙にプリントされもどってくるという仕組み、
使い捨てカメラなんで、カメラ本体は店の方で回収すると、
レンズはリサイクルされたんかどうか・・・それすら知らんけど、後(あと)にも先にも、『写るんです』を手にしたのはこの時だけやったなあ、
使い捨てカメラという発想自体、フィルムカメラ全盛期ならではの退廃(たいはい)的症状というか・・・ちなみに、現在のデジタルカメラでいう、フルサイズやAPS-Cというセンサーサイズも、この当時のフィルムカメラが元になってると、
当時ごく一般的に使われてた35oフィルムが、今でいうフルサイズに相当していて、これより少し小さいフィルムサイズが APS-C やけど、この規格が登場したのがちょうどこの頃で、
Advanced Photo System (アドバンスド・フォト・システム) の略で『APS』と、
CはクラシックのCやけど、これはデジタルでなくフィルム時代に作られた規格ですよと言うほどの意味あいか、
ともあれ、コンビニで『写ルンです』を購入後、ふるさとの慣れ親しんだ里山を走っては、立ち止まってパシャリを繰り返し、すっかり自分のカメラが欲しくなったと、
で、インターネットが無いもんで、自転車の時と同様、カタログをあれこれ集めるだけ集めて、ああでも無いこうでも無いと、夢をふくらむだけふくらまし、けっきょくカメラ業界の販売戦略にまんまと乗せられて、APS規格のカメラの中でも人気独走だったキヤノンのコンパクトカメラIXY(イクシ)を4万ちょっとで購入、
現在もコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)の第一線で活躍するイクシですが、初代はフィルムカメラだったんすね、
写りはさておき、今まで無かった斬新なデザイン性で人気が爆上げされたようで、自分もまんまとそのデザイン戦略にハマってもうた、
しかし、写りはイマイチだったと、
だもんで、さっそく手放すことになり、写りと経済性から、ミノルタ(ソニーの前身である歴史あるメーカー)の一眼レフをしばらく愛用・・・しかし、写りはともかく外観があまりに安っぽいので、最終的には写りと外観の美しさが両立した、京セラ CONTAX RX とカールツァイスの50o標準レンズの組み合わせと、RICHO GR シリーズ初号機となる高級コンパクトフィルムカメラ RICHO GR1(リコー・ジーアールワン) の2台体制で落ち着くことに、
フィルムの方も、カラーネガやリバーサルをへて、最終的にはランニングコストが最も安いモノクロフィルムに落ち着くと、
いちいち店に出して現像してたらカネかかるし、カラーフィルムの現像は、劇薬もあつかうから素人(しろうと)には危険すぎるし、けっきょくモノクロフィルムをロールで購入・・・36ショットずつ、パトローネ(フィルムケース)に詰め替え、自分で現像するのがいちばん経済的で、これでやっと出費を気にせず、好きなだけ枚数写せるように、
じゃあ、印画紙にプリントすることも無く、
ほんのたまにプリントする程度で、基本的にはネガフィルムを、専用装置でテレビに映して楽しむていど、
もったいないすね、せっかくの高画質なのに、
だもんで、膨大なネガフィルムは今もだいじに保管していて、いつかきっと、デジタル技術の助けを借りて、手早く高画質で復元させてやりたいんや、
四半世紀も前の記録なんで、それだけでもじゅうぶん新鮮な驚きがありそうすね、
今はデジタルで、驚くほど安く高画質な画像が楽しめるんで、スマホもええけど、どうせなら持つ喜びを感じられる分身のようなカメラと共に自転車生活を送って欲しいなあ、
現在は、PENTAX KPをメイン機とする APS-C光学一眼レフカメラひとすじの筆者ですが、一眼レフに移行する直前まで愛用していたソニーサイバーショット『RX100』は、今もときどきメーカー修理に出して現役復帰させようかと本気で思うほど、写りや操作感や持つ喜びがきわだっていて、程度の良い中古であれば迷うこと無く購入をお勧めします。
こちらの写真家さんの気持ちが痛いほどよくわかるくらい、初代は価格や性能や外観など、すべてのバランスが優秀で、とりわけフィルム時代に何度も回したツァイス標準レンズのマニュアルフォーカスリングとRX100のレンズまわりの多機能ダイヤルの感触が全く同じなのはゾクッとするほど感動的でした。
待ちに待った1996年8月のお盆休み・・・早朝、嵐山に最も近いJR嵯峨駅前で、たどたどしくマウンテンバイクを輪行袋に収納して出発・・・しかし、ずっと楽しみにしていた人生初の輪行は、予想外の心理的苦痛を伴(ともな)うもので、これに慣れるには数年かかったほど、
どういうことすか、
新幹線で現地に到着するまでは良かったけど、いざ自転車を組み上げて走り出したら、なんかいつもとぜんぜん違って、地に足が付いてないというか、自分がそこに居る実感が湧(わ)いてこないというか・・・自転車で自走して行ける範囲をはるかに超えた場所に居るせいか、自転車に乗ってるんやけど、カラダがまだそれを納得してないような、じつに変な気分で、
人生初の輪行だからじゃないすか、
さいわいそんな違和感も、駅から降りて小一時間も走れば自然と消えてくんやけど、最初の2〜3年はどこに輪行しても、必ずそういう変な気分で走り始めてた、
で、念願だった故郷の里山へ、マウンテンバイクで乗り入れたんすか、
1996年当時は、マウンテンバイクが里山からじわじわ追い出されていく直前の時期で、初回の盆休みや2度目となる正月休みは、思い切り里山走りを楽しむことができて・・・けど、それが最初で最後の里山となり、それ以降は、じわじわと迷惑者(もの)あつかいの空気が山々にただよいはじめ、せっかくのマウンテンバイクも山をあきらめ、ツルツルのスリックタイヤに履き替えて街乗り仕様へ成り下がっていくことに、
ちなみに、この輪行がきっかけになって、カメラも本格的な趣味になってくと、
マウンテンバイクで里山へ向かう途中、急にカメラが欲しくなり、コンビニで購入した『写ルンです』・・・これが自分で購入した最初のカメラに、
フィルムカメラを知らない世代も多くなってるし、簡単な説明が必要じゃないすか、
1996年といえば、デジタルカメラが世に出る直前で、フィルムカメラの全盛期・・・なもんで、カメラもフィルムもありとあらゆる選択肢から選べたけど、中でもいちばんお手軽な使い捨てカメラが『写ルンです』・・・お菓子と同じようなアルミコーティングの外袋を破くと出てくるフィルムカメラは、安っぽい紙やプラスチックのボディに、固定焦点レンズが付いていて、シャッター押すたびに指でフィルムを巻き上げるタイプ・・・枚数写し終わると、カメラごと店の人に渡し、後日フィルムが現像処理されて印画紙にプリントされもどってくるという仕組み、
使い捨てカメラなんで、カメラ本体は店の方で回収すると、
レンズはリサイクルされたんかどうか・・・それすら知らんけど、後(あと)にも先にも、『写るんです』を手にしたのはこの時だけやったなあ、
使い捨てカメラという発想自体、フィルムカメラ全盛期ならではの退廃(たいはい)的症状というか・・・ちなみに、現在のデジタルカメラでいう、フルサイズやAPS-Cというセンサーサイズも、この当時のフィルムカメラが元になってると、
当時ごく一般的に使われてた35oフィルムが、今でいうフルサイズに相当していて、これより少し小さいフィルムサイズが APS-C やけど、この規格が登場したのがちょうどこの頃で、
Advanced Photo System (アドバンスド・フォト・システム) の略で『APS』と、
CはクラシックのCやけど、これはデジタルでなくフィルム時代に作られた規格ですよと言うほどの意味あいか、
ともあれ、コンビニで『写ルンです』を購入後、ふるさとの慣れ親しんだ里山を走っては、立ち止まってパシャリを繰り返し、すっかり自分のカメラが欲しくなったと、
で、インターネットが無いもんで、自転車の時と同様、カタログをあれこれ集めるだけ集めて、ああでも無いこうでも無いと、夢をふくらむだけふくらまし、けっきょくカメラ業界の販売戦略にまんまと乗せられて、APS規格のカメラの中でも人気独走だったキヤノンのコンパクトカメラIXY(イクシ)を4万ちょっとで購入、
現在もコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)の第一線で活躍するイクシですが、初代はフィルムカメラだったんすね、
写りはさておき、今まで無かった斬新なデザイン性で人気が爆上げされたようで、自分もまんまとそのデザイン戦略にハマってもうた、
しかし、写りはイマイチだったと、
だもんで、さっそく手放すことになり、写りと経済性から、ミノルタ(ソニーの前身である歴史あるメーカー)の一眼レフをしばらく愛用・・・しかし、写りはともかく外観があまりに安っぽいので、最終的には写りと外観の美しさが両立した、京セラ CONTAX RX とカールツァイスの50o標準レンズの組み合わせと、RICHO GR シリーズ初号機となる高級コンパクトフィルムカメラ RICHO GR1(リコー・ジーアールワン) の2台体制で落ち着くことに、
フィルムの方も、カラーネガやリバーサルをへて、最終的にはランニングコストが最も安いモノクロフィルムに落ち着くと、
いちいち店に出して現像してたらカネかかるし、カラーフィルムの現像は、劇薬もあつかうから素人(しろうと)には危険すぎるし、けっきょくモノクロフィルムをロールで購入・・・36ショットずつ、パトローネ(フィルムケース)に詰め替え、自分で現像するのがいちばん経済的で、これでやっと出費を気にせず、好きなだけ枚数写せるように、
じゃあ、印画紙にプリントすることも無く、
ほんのたまにプリントする程度で、基本的にはネガフィルムを、専用装置でテレビに映して楽しむていど、
もったいないすね、せっかくの高画質なのに、
だもんで、膨大なネガフィルムは今もだいじに保管していて、いつかきっと、デジタル技術の助けを借りて、手早く高画質で復元させてやりたいんや、
四半世紀も前の記録なんで、それだけでもじゅうぶん新鮮な驚きがありそうすね、
今はデジタルで、驚くほど安く高画質な画像が楽しめるんで、スマホもええけど、どうせなら持つ喜びを感じられる分身のようなカメラと共に自転車生活を送って欲しいなあ、
現在は、PENTAX KPをメイン機とする APS-C光学一眼レフカメラひとすじの筆者ですが、一眼レフに移行する直前まで愛用していたソニーサイバーショット『RX100』は、今もときどきメーカー修理に出して現役復帰させようかと本気で思うほど、写りや操作感や持つ喜びがきわだっていて、程度の良い中古であれば迷うこと無く購入をお勧めします。
こちらの写真家さんの気持ちが痛いほどよくわかるくらい、初代は価格や性能や外観など、すべてのバランスが優秀で、とりわけフィルム時代に何度も回したツァイス標準レンズのマニュアルフォーカスリングとRX100のレンズまわりの多機能ダイヤルの感触が全く同じなのはゾクッとするほど感動的でした。
2023年10月10日
自転車生活最初の一台は、W(ダブル)サスペンションの際物(きわもの)クロスバイク
京都に住み始めて10年以上も経過した40手前になって、何を思ったか、ママチャリなみに重い三段変速で、だんだん遠くへ走るようになり、とうとう本格的な趣味として自転車購入に至(いた)るのが、1996年春のこと、
まだインターネットも無かった時代で、ママチャリなみに重いアラヤの自転車を購入したJR嵯峨駅前の自転車店から、あれやこれやカタログをたくさん持ち帰り、ああでも無いこうでも無いと、自転車選びを始めることに、
その中には、先日新品フレームから組み上げたアラヤの名作マウンテンバイク『マディーフォックス』もあったんすね、
でもそれ以上に、外観のデザインにひと目ぼれしたのが、ブリヂストンの『レイダックSE』というダブルサスペンションのクロスバイク、定価8万・・・今から思うと、バブル期のカネ余りで、試しに作ってみました感、満載(まんさい)のキワモノクロスバイクやけど、これがどうしても欲しくなり、
ヒトそれぞれ好みはあると思いますけど、よりにもよって見るからに華奢(きゃしゃ)で寿命短そうなの選ばんでも、
当時、マウンテンバイクもロードバイクもまったく興味が無かった38歳の自分には、これ以外まったく目に入らないほど、レイダックSEのデザインが気に入ってしまい、色もグレーじゃなく深いブルーと決めて、すでに後もどりできないほど買う気満々になっていて、
1996年当時の8万といえばけっこうな額ですが、
サクラ咲く嵐山のアパートから徒歩で嵐電(らんでん)嵐山駅まで向かい、帷子の辻(かたびらのつじ)で北野行きに乗り換え、次の常磐(ときわ)駅で下車、歩くこと約3分、常磐商店街の自転車店でついに『納車の儀』(ぎ=儀式みたいに改まった気分で新車とご対面)、
どうでした、乗り出し最初の印象は、
地面すれすれを滑空(かっくう)するツバメのような、軽やかさ・・・これほど路面からの抵抗なく魔法の絨毯(じゅうたん)みたくフワフワした乗り物は生まれて初めてみたいな、
ちなみに、サスペンション付きはこの時が初体験すか、
それでなおさら感動したんやと思う、
たしかに、鋭い加速とか力強い登坂力(とはんりょく)とか求めないなら、これほど安楽な乗り物も無いすね、
中学時代は陸上競技部の部長だった自分も、当時は完全な文科系で、タバコもけっこう吸ってたし、遠出するとしても隣町へ行って帰るていどで十分やったし、この乗り物は、そんな自分には最高の1台で、
ところが、さっそく乗り始めると、意外にも最初の苦痛は腰の痛みであったと、
それまで完全な直立姿勢だったんで、ほんのわずかな前傾姿勢でも、30分も乗れば腰が痛くなり・・・でも、走り自体はその苦痛をはるかに上回るほど気持ちええもんで、カラダのほうが自転車にだんだんと慣れてきて、ひと月もすれば痛みもすっかり無くなり、それでもタバコは続けていて、くわえタバコで乗ることもけっこうあったし、ハンドルに灰皿をつけたいとさえ真剣に思ったことも、
ちなみに、当時は、空気圧の測り方もしらなければ、パンク修理もできなかったと、
それに加えてヘルメットもかぶらんし・・・そんな状態で、ようもまあ、おとなりの向日市(むこうし)まで連日出かけたもんや、
フレンチバルブを見たのもこのレイダックSEが始めてと、
自転車の修理も仕組みも全く知らん自分やったけど、じっくり選んだ1台だけあって、傾ける愛情はじつに深いものがあって、いつもシリコン系の光沢材でピカピカに磨いて、フロントフォークが壊れるまで、それこそ10年くらい日々大事に乗ってた、
しかし、そんなレイダックSEだけでは得られないものを発見して、さっそくその夏には2台目となる本格的マウンテンバイクを購入することに、
レイダックSEに乗り始めるようになって、ふとまったく別の願望が一気に湧き出して来て、中学時代に陸上部で走り回った郷里(きょうり)の里山をマウンテンバイクでどうしても走りたくなったんや、
それで購入したのがアラヤの『マディフォックス』じゃなくミヤタの『リッジランナー』・・・それと新幹線に乗せるための輪行袋も、
カタログにあった最上位のサス無しモデルで、レイダックSEの12.9sに対して驚きの10.9s・・・本気で作られたフレームだけあって、つい昨年まで現役(げんえき)バリバリ、
ちなみに、ヘルメットはいつごろからかぶるように、
禁煙に成功したその翌年くらいか、
タバコはいつごろまで、
自転車生活が始まって3年くらいたったころ、姉からニコチンパッチを勧められて、これが最高に効果的で、ウソみたいにすんなりと禁煙に成功、
ニコチンパッチって何すか、
3p×3pくらいの絆創膏(ばんそうこう)を腕とかに貼っておくと、そこからニコチンが吸収されるんで、その分タバコを吸わないでも平気になってきて、段階的にニコチンの量を減らしたパッチに変えていくことで、気がついたら禁煙に成功してるというスグレモン、
自転車乗り出したんで、タイミングも良かったんじゃないすか、
息切れしながら坂を登って、それでもタバコ吸ってたんで、タバコやめたら急にカラダが楽になって・・・けど、同時に抑えられてた食欲も復活して、一気に10s近く太ることになり、それはそれで元にもどすのも大変やったけど・・・
そんなにして始まった自転車人生も、あっという間に27年すか、
38歳と、かなりオジサンになって始めた趣味やけど、ホントあの時、思い切って2台購入して良かったと、今ふり返ってもしみじみそう思う、
つまり40才前後だろうと、自転車を始めるタイミングとしては全く問題ないと、
そう思うけどなあ・・・若いころとはまたひと味違った年相応なシブい乗り方ができるもんやし、オジサンになってから自転車が何か気になり始めたら、とにかく手持ちの1台で、近所を適当に走ってみて、すぐ飽きたらそんなもんやし、そうでなかったら、カラダの奥から沸々(ふつふつ)と、旅の感情が湧き出して来て、自分のスタンド(精神エネルギーが具現化した乗り物)みたいな1台が欲しくなるはずやし、
やっと秋めいて自転車シーズン到来(とうらい)・・・モノは試しでこぎ始めたら、オジサンにも何かええこと起こるんちゃいます・・・
2011年創業、日本人スタッフも多く活躍する街乗りが得意な自転車メーカー『tern(ターンという小鳥の名から)』。来年モデルは特にデザインがイケてるような…
まだインターネットも無かった時代で、ママチャリなみに重いアラヤの自転車を購入したJR嵯峨駅前の自転車店から、あれやこれやカタログをたくさん持ち帰り、ああでも無いこうでも無いと、自転車選びを始めることに、
その中には、先日新品フレームから組み上げたアラヤの名作マウンテンバイク『マディーフォックス』もあったんすね、
でもそれ以上に、外観のデザインにひと目ぼれしたのが、ブリヂストンの『レイダックSE』というダブルサスペンションのクロスバイク、定価8万・・・今から思うと、バブル期のカネ余りで、試しに作ってみました感、満載(まんさい)のキワモノクロスバイクやけど、これがどうしても欲しくなり、
ヒトそれぞれ好みはあると思いますけど、よりにもよって見るからに華奢(きゃしゃ)で寿命短そうなの選ばんでも、
当時、マウンテンバイクもロードバイクもまったく興味が無かった38歳の自分には、これ以外まったく目に入らないほど、レイダックSEのデザインが気に入ってしまい、色もグレーじゃなく深いブルーと決めて、すでに後もどりできないほど買う気満々になっていて、
1996年当時の8万といえばけっこうな額ですが、
サクラ咲く嵐山のアパートから徒歩で嵐電(らんでん)嵐山駅まで向かい、帷子の辻(かたびらのつじ)で北野行きに乗り換え、次の常磐(ときわ)駅で下車、歩くこと約3分、常磐商店街の自転車店でついに『納車の儀』(ぎ=儀式みたいに改まった気分で新車とご対面)、
どうでした、乗り出し最初の印象は、
地面すれすれを滑空(かっくう)するツバメのような、軽やかさ・・・これほど路面からの抵抗なく魔法の絨毯(じゅうたん)みたくフワフワした乗り物は生まれて初めてみたいな、
ちなみに、サスペンション付きはこの時が初体験すか、
それでなおさら感動したんやと思う、
たしかに、鋭い加速とか力強い登坂力(とはんりょく)とか求めないなら、これほど安楽な乗り物も無いすね、
中学時代は陸上競技部の部長だった自分も、当時は完全な文科系で、タバコもけっこう吸ってたし、遠出するとしても隣町へ行って帰るていどで十分やったし、この乗り物は、そんな自分には最高の1台で、
ところが、さっそく乗り始めると、意外にも最初の苦痛は腰の痛みであったと、
それまで完全な直立姿勢だったんで、ほんのわずかな前傾姿勢でも、30分も乗れば腰が痛くなり・・・でも、走り自体はその苦痛をはるかに上回るほど気持ちええもんで、カラダのほうが自転車にだんだんと慣れてきて、ひと月もすれば痛みもすっかり無くなり、それでもタバコは続けていて、くわえタバコで乗ることもけっこうあったし、ハンドルに灰皿をつけたいとさえ真剣に思ったことも、
ちなみに、当時は、空気圧の測り方もしらなければ、パンク修理もできなかったと、
それに加えてヘルメットもかぶらんし・・・そんな状態で、ようもまあ、おとなりの向日市(むこうし)まで連日出かけたもんや、
フレンチバルブを見たのもこのレイダックSEが始めてと、
自転車の修理も仕組みも全く知らん自分やったけど、じっくり選んだ1台だけあって、傾ける愛情はじつに深いものがあって、いつもシリコン系の光沢材でピカピカに磨いて、フロントフォークが壊れるまで、それこそ10年くらい日々大事に乗ってた、
しかし、そんなレイダックSEだけでは得られないものを発見して、さっそくその夏には2台目となる本格的マウンテンバイクを購入することに、
レイダックSEに乗り始めるようになって、ふとまったく別の願望が一気に湧き出して来て、中学時代に陸上部で走り回った郷里(きょうり)の里山をマウンテンバイクでどうしても走りたくなったんや、
それで購入したのがアラヤの『マディフォックス』じゃなくミヤタの『リッジランナー』・・・それと新幹線に乗せるための輪行袋も、
カタログにあった最上位のサス無しモデルで、レイダックSEの12.9sに対して驚きの10.9s・・・本気で作られたフレームだけあって、つい昨年まで現役(げんえき)バリバリ、
ちなみに、ヘルメットはいつごろからかぶるように、
禁煙に成功したその翌年くらいか、
タバコはいつごろまで、
自転車生活が始まって3年くらいたったころ、姉からニコチンパッチを勧められて、これが最高に効果的で、ウソみたいにすんなりと禁煙に成功、
ニコチンパッチって何すか、
3p×3pくらいの絆創膏(ばんそうこう)を腕とかに貼っておくと、そこからニコチンが吸収されるんで、その分タバコを吸わないでも平気になってきて、段階的にニコチンの量を減らしたパッチに変えていくことで、気がついたら禁煙に成功してるというスグレモン、
自転車乗り出したんで、タイミングも良かったんじゃないすか、
息切れしながら坂を登って、それでもタバコ吸ってたんで、タバコやめたら急にカラダが楽になって・・・けど、同時に抑えられてた食欲も復活して、一気に10s近く太ることになり、それはそれで元にもどすのも大変やったけど・・・
そんなにして始まった自転車人生も、あっという間に27年すか、
38歳と、かなりオジサンになって始めた趣味やけど、ホントあの時、思い切って2台購入して良かったと、今ふり返ってもしみじみそう思う、
つまり40才前後だろうと、自転車を始めるタイミングとしては全く問題ないと、
そう思うけどなあ・・・若いころとはまたひと味違った年相応なシブい乗り方ができるもんやし、オジサンになってから自転車が何か気になり始めたら、とにかく手持ちの1台で、近所を適当に走ってみて、すぐ飽きたらそんなもんやし、そうでなかったら、カラダの奥から沸々(ふつふつ)と、旅の感情が湧き出して来て、自分のスタンド(精神エネルギーが具現化した乗り物)みたいな1台が欲しくなるはずやし、
やっと秋めいて自転車シーズン到来(とうらい)・・・モノは試しでこぎ始めたら、オジサンにも何かええこと起こるんちゃいます・・・
2011年創業、日本人スタッフも多く活躍する街乗りが得意な自転車メーカー『tern(ターンという小鳥の名から)』。来年モデルは特にデザインがイケてるような…