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みっきいナムナム
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2019年06月13日

妙法蓮華経(本編)その14

安楽行品第十四

お釈迦様は法華経を説くには、身体言葉意識の三つと人々を救いに導きたいという誓願において揺るがないこと。すなわち、四つの安楽行を示されました。

第一の身安楽行は菩薩の行処(行ずるべきこと)と親近処(近づくべきところ)に心を定めて人々に説くことです。菩薩の行処とは忍耐において揺るがず、しなやかに法を悟り粗暴にならないことです。菩薩の親近処とは国王、王子、大臣など世俗の力に近づかないことです。異教の徒や呪術を学ぼうとする者、賭け事や遊びふける者たちなど近づけずにいることです。ただし、仏道を開こうとするならば、愛しみの心をもって近寄り、心を静かに保って法を説きなさい。それが菩薩の親近処です。

第二の口安楽行では、その人の良さ・悪さ、長所や欠点を口にしてはなりません。また、嫌悪の心を持ってはいなりません。菩薩の道をゆく求法者は、人々の安穏を願って法を説きなさい。和顔をもって語り相手の問いに適切に答えなさい。ただ一心に伝導者であることの因縁をもって「自ら仏道を成じ、人々もまたそのようにあらしめたい」とのみ念じるのです。知恵ある者はこのように心を修めることによって安楽です。

第三の意安楽行は、ねたみ、怒り、おごり、へつらい、あざむき、偽りの心を離れて常に素直であることです。人々に慈悲の心をもたらし諸仏には慈父への思いを起こし、求法者たちには師への思いをおこして、深く敬いの心をもって礼拝しなさい。

第四の誓願安楽行は、このように願うことです。「世の人々の過ちは大きくて方便の教えさえ聞こうとしない。しかし、たとえそうであっても自分が無上の悟りに達したときには人々を無上菩提に至る道に導こう」と

菩薩の道をゆく求法者が安楽行において揺るぎないならば、どんな世でも完全に法を説くことができます。なぜなら、この経は過去、現在、未来の一切の諸仏の人力によって護られているからです。そのことを一つの例えによって説きましょう。

かの転輪聖王(伝説の帝王)がその威勢をもって諸国を平定するときのことを思いなさい。将兵に戦の手柄があればどんな褒美でも与えますが、ただ髻(もとどり)の中の明珠だけは与えません。その珠は帝王の頭頂に輝く象徴でありただ転輪聖王だけが持てる宝玉なのです。それを与えれば諸王や家臣たちは驚き必ずや大きな疑惑にとらわれてしまいます。

如来もまた同じです。禅定と知恵の威力をもって真理の王国を築き、三界(全世界)の帝王たる者が如来です。しかるに、従わない魔王がいるゆえに如来の弟子たる修行者たちが共に戦うのです。そして順次に涅槃(悟りの境地)の城を与えてついには法華経を説くのです。

法華経は生けとし生ける者を一切智に至らしめるものであっても、どの世でも批判されやすく信じることが難しい経典です。それゆえ、これまで説かれることはなかったのです。それを今、私が説きます。

この法華経は諸仏の第一の教説であり、諸経の中で最も深いものです。この法華経は諸仏、如来の秘密の蔵であり諸経の最上なるものです。諸仏が長夜に守護しみだりに説くことがなかった法華経を今はじめてあなた方のために広く説き示すのです。私が世を去った後、あなた方の身と言葉と意識と誓願において四つの安楽行を心に抱きなさい。法華経を読誦すれば、その人に憂いと苦しみはなく病苦もなく貧困にあえぐこともありません。どこに行くにもその人に畏れのないことは、あたかも獅子王であるかのようです。知恵の光明は太陽のようにその人の道を照らします。

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2019年06月12日

妙法蓮華経(本編)その13

勧持品第十三

そのとき薬王菩薩ら二万の菩薩たちとお釈迦様の養母であった摩訶波闍波提ら六千人の比丘尼(尼僧)と八千万億もの法を求める者たちがお釈迦様から宣教を命じられることを願い申し上げました。

私どもにこの経を説き広めるよう勅命されますならば、私どもはお釈迦様のみ教えのままに妙法を宣教いたします。お釈迦様の滅後の悪世においても妙法を説き広めます。人々の中には私どもをののしり刀や杖で暴力をふるう者もおりましょう。私どもはそれに耐えてゆきます。

悪世の比丘たちはよこしまな知識を持ち、心のゆがみは強く悟りさえ得ていると思い込んで歪んだ誇りに身をゆだねるでしょう。

彼らは私どもを誹謗してこのように語るでしょう。「あの者たちは利益や名誉を得たいと思って偽りの教えを説いている。自分たちで法華経を作り世間をたぶらかしているのだ。法華経の修行者たちは邪見の者である」と・・・

汚れ多い悪世には恐怖が満ちています。悪鬼が修行者の変装をして私どもをののしり罵詈雑言を浴びせるでしょう。けれども私どもは仏を敬い信じることによって忍耐の鎧を身につけます。私どもは身命を愛さず、ただ無上道(このうえなく優れた道、すなわち仏道)が見失われることのみを惜しみます。お釈迦様にはお見通しのごとく、濁世のよこしまな僧たちは仏の方便の威力を知らず私どもを僧院から追放して塔や寺院にさえ近づけないようにするでしょう。それでも私どもは、お釈迦様の勅命を奉じてどんなことにも耐えてゆきます。

村や里でも都でも、法を求める者があればそこに行って御教えを説きます。私どもはお釈迦様の使者ゆえ恐れるものはありません。お釈迦様は心配することなく安穏でおられますように。

私どもはお釈迦様の前において、また、ここに参集の十万の御前において誓います。

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妙法蓮華経(本編)その12

提婆達多品第十二

お釈迦様は語りました

遠い過去の世に私はある国の王でした。そのとき阿耨多羅三藐三菩提(無上のさとり)に至る方法を求めて太子に国政を委ねこのように布告しました。

「大乗の教えを授けてくれる者があれば、私は生涯その人の部下として仕えよう」
そのとき一人の仙人が「もし大王が忠実な部下になるなら妙法蓮華経を説きましょう」と言いました。

私は仙人に仕えることになり、ついに仏になることができたのです。

そのときの仙人というのが今の提婆達多(だいばだった)です。大悪人として知られる提婆達多は私の善智識(良き友)だったのです。私は提婆達多に導かれて菩薩の道である六波羅蜜(布施、精進などの六つの徳目)において完全な者となりました。この提婆達多もこの後に仏になります。その仏の名を天王如来(神々の王)といい、その世界を天道(神々の階梯)といいます。

男であれ女であれ妙法蓮華経を聞き疑惑を生じることがなければ、仏のもとに生まれて聖なる蓮の花に包まれるのです。

そのとき文殊菩薩が大きな蓮華に着座して霊鷲山の上空に現れました。龍王の海中の宮殿から戻ってきたのです。文殊菩薩は龍王の海で法華経だけを説き無数の者を導きました。わずか八歳の龍王の娘もおり無上の悟りに達しました。

しかし舎利弗らはそのことを信じられません。そとへ当の龍女が忽然と表れ、お釈迦様に宝珠を差し出しました。お釈迦様は快く受け取ります。法華経の力によって龍女が悟りに達するのと同じように速やかだったと申します。

龍女は、たちまち男子に変身して遠く南の世界に行き、聖なる蓮に着座して仏の姿を現しました。そして南方世界の神々や人々に法を説く姿を霊鷲山の上空から遥かに望むことができたのでした。




2019年06月10日

妙法蓮華経(本編)その11

見宝塔本第十一

そのとき、金銀他様々の宝玉に輝く塔が地面から湧き出して霊鷲山上の空中に高くそびえました。そして塔から「讃えよ、讃えよ。。。お釈迦様が妙法蓮華経を説かれたことを。お釈迦様が説かれたことはまさに真理なり」と声が響きました。

それは多宝如来の塔でした。はるかな過去の世に一人の菩薩が「もし仏とならば入滅の後、十方国土のいずれにても法華経が説かれるところに我が塔廟を現じよう。そして法華経が真の教えであることを証明する者となろう」と誓願を立てて修行し多宝如来となったのです。そして入滅のとき「我が遺骨を分かつことなく全身を塔に納めよ」と弟子たちに命じました。

この如来の力と誓願によって法華経が説かれているところに塔が出現し、空中にそびえて「讃えよ、讃えよ」と声を発するのです。その塔の扉が開かれると中に多宝如来が座しておりました。

そして多宝如来は宝塔の中の座の半分をあけてお釈迦様に呼びかけました。「お釈迦様、どうぞこの座に」おつきください」と

こうして人々は宝塔に二人の如来が並んで座した姿を仰ぐことができたのです。そればかりかお釈迦様は人々を空中に引き上げ、虚空の高みの仏の近くに置かれました。そしてお釈迦様は人々に告げました。

「あなた方の中で、この娑婆世界において妙法蓮華経を説き広める者は誰であろうか?今、その人の時が近づいています。私はまもなく入滅します。私はその人に妙法蓮華経をゆだねたいと望みます」と





2019年05月19日

妙法蓮華経(本編)その9

授学無学人記品第九

そのとき、阿難と羅睺羅(らごら)の二人の比丘(修行者)も阿耨多羅三藐三菩提(無上のさとり)の祝福を与えられるように願いました。阿難はお釈迦様の身近に長く仕えてきた弟子です。常にお釈迦様のそばにいて誰よりも多く教えを聞き学んできました。そして羅睺羅(らごら)はお釈迦様の子供でよく戒めを守り、ひたすら修行していました。

そこでお釈迦様が記を授けられますには、阿難は未来に山海恵自在通王如来(大海のような知恵に通じた者)となり、羅睺羅(らごら)は蹈七宝宝草如来(七宝の紅蓮を踏みゆく者)という仏になるということでございました。

また、お釈迦様はそのとき2000人の修学中の僧、修学を終えた僧にも記を授けました。「この者たちは微塵の数ほど多くの諸仏のもとで法を保持し、十方において同時にさとりを得て仏になります。その名はみな同じで法相如来(宝玉の輝きの王)と呼ばれます。」と


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妙法蓮華経(本編)その8

五百弟子受記品第八

お釈迦様の弟子のなかで弁舌にすぐれて「説法第一」といわれる富楼那(ふるな)という比丘に記を授け未来に法明(真理の輝き)という名の仏になると告げました。さらに1500人の比丘たちに順次に阿耨多羅三藐三菩提(無上のさとり)の記を与えたのです。

比丘たちは歓喜し、お釈迦様の足をいただいて礼拝しました。そして衣裏繫珠の譬喩をもってその心を懴悔しました。

私どもは愚かにも如来の知恵を得られますのに、わずかな知恵さえあれば十分と満足しておりました。
例えば、ある人が友の家で酒に酔って眠りこけてしまったようなものでございます。友は公用があって出かけなければならなかったのでその人の衣服の裏に高貴な宝玉を縫いつけて家を出ました。しかし彼は酔いつぶれておりそのことを知りません。彼は衣食を求めて他国におもむき、はなはだ困窮して少しでも得るものがあれば、とそれで満足しておりました。その後、友と偶然に出会ってその友は「あなたはどうして貧しさに苦しんでいるのか?」と尋ねました。「私は昔、あなたが望みを叶えられるように宝玉を衣服の裏に縫いつけておきました。その宝玉をあなたは今も持っています。」

お釈迦様に申し上げます。仏もまたこの友のようであります。お釈迦様は無上のさとりへの願いを植えつけてくださいました。それなのに私どもは無知であるがゆえに覚えず、知らず阿羅漢の聖者の道において平安を得たと思い、貧しいまま小さな望みに満足していました。しかし、私どもも実際には菩薩への道であることを知り、無上のさとりの記を受けることができました。この喜びはかつてないものでございます。



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