2014年06月11日
ハチ公と見る渋谷スクランブル交差点とワールドカップ
2014ブラジルワールドカップ 6月13日開幕
建物は未完成・地下鉄のスト・開催反対の市民デモ・はては警察官のストまで懸念されてます
治安の悪さでは超世界レベル。 大きなトラブルなく無事 成功して欲しいと 祈らずにはいられません
日本の1試合目 コートジボワール戦は 6月15日 (日)10時(AM) キックオフ
さてワールドカップといえば 毎回 サポーターが熱狂する 渋谷駅前 スクランブル交差点
ここには 昭和の初期に 当時貧しかった人々の心をほっとさせた物語があります
主人公は銅像となり 移りゆく人の中に 大好きな人の姿を求め 今も座っています
東京帝国大学農学部助教授(農業土木学者) 上野英三郎氏は かねてより欲しかった秋田犬を購入、名前を「ハチ」と名付ける
その可愛がり方は風呂にも一緒に入るほどだった。ハチも主人と離れがたく、仕事の送り迎えをするようになる。
だが1925年5月21日。 講義中に脳溢血で倒れた上野は、23日に帰らぬ人となる(享年52歳)。
ハチはその後9年間 渋谷駅に通い待ち続け いつもは通らない道で死んだ。
1935年3月8日。ハチ(享年11歳4か月)
実際のハチが上野と通ったのは駒場であり、渋谷駅の送迎は少なかったそうだ
だが渋谷駅ではいつも屋台で一杯飲んで帰る上野
その横で おいしそうに焼き鳥を食べるハチがいた
上野の死後。浅草に身を寄せた八重子夫人のもとから渋谷駅へ家出を繰返すハチ。
やむなく上野家に出入りしてた植木職人の小林菊三郎氏に引き取られる。
【ハチは忠犬ではないという声】
@ハチは主人の死を理解できなかったのだ⇒
●上野が亡くなるまでの3日間一切食べなかったとの証言
A野良犬となり 焼き鳥が食べたかっただけだ⇒
●ハチが座っていた朝9時と午後5時は上野の出勤時間。
時計より正確に家の前を通ったとの人々の証言
●十分な肉を与えられ
ひどい皮膚病も 菊三郎自らが治療するほど 可愛がられ 野良犬ではなかった
●ハチの左耳が垂れているのは 野犬に噛まれたためとも推測される
●亡くなる2年前(有名になる)まで、顔にいたずら書きや叩かれたりしていた
それでも毎日 渋谷駅に通い続けた事実
【ハチの縁人】
上野氏は農業土木学のパイオニア。 教え子達は関東大震災後の復興の主軸となり、
高い技術は現在もインドネシアはじめ、世界中に役立てられている。
八重子夫人は上野家より反対され 未入籍だった。 夫死後、相続なく家を出たが、
上野の教え子達に茶室をつくってもらい、茶道の先生として過ごした
渋谷駅でいじめられていた老犬ハチをみかけ、
新聞に書かせた 斉藤弘吉氏(社団法人 日本犬保存会理事)。
ハチ公の銅像だけでなく、南極観測船で有名になったタロとジロの救出にも尽力。
タロ・ジロ以外に残され死んでいった残り13頭のカラフト犬の
銅像『南極カラフト犬記念群像』も建立した
銅像は善意のお金で建てられました。序幕式が行われ、なぜかその場にハチも参列しています
いつの時代にも善意につけ込む人間がいるようです。
募金詐欺が横行し、早く建てる必要があったようです
戦時中には恩に忠誠を誓う教育やたすきをかけ「出陣式」も行われ、金属供出として撤去されるなど、愛国のシンボルとして利用されました
スクランブル交差点を見つめ 座っている二代目のハチ公
TVや雑誌で見かけたら 思い浮かべてください
赤ちょうちんの屋台に座る上野氏と主人を嬉しげに見上げるハチの後姿を
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ウィキペディア :忠犬ハチ公・上野英次郎・斉藤弘吉・より引用
画像(1)〜(3): 我が家の姫ザクロ
建物は未完成・地下鉄のスト・開催反対の市民デモ・はては警察官のストまで懸念されてます
治安の悪さでは超世界レベル。 大きなトラブルなく無事 成功して欲しいと 祈らずにはいられません
日本の1試合目 コートジボワール戦は 6月15日 (日)10時(AM) キックオフ
さてワールドカップといえば 毎回 サポーターが熱狂する 渋谷駅前 スクランブル交差点
ここには 昭和の初期に 当時貧しかった人々の心をほっとさせた物語があります
主人公は銅像となり 移りゆく人の中に 大好きな人の姿を求め 今も座っています
『忠犬ハチ公』 ウィキペディア 出展
東京帝国大学農学部助教授(農業土木学者) 上野英三郎氏は かねてより欲しかった秋田犬を購入、名前を「ハチ」と名付ける
その可愛がり方は風呂にも一緒に入るほどだった。ハチも主人と離れがたく、仕事の送り迎えをするようになる。
だが1925年5月21日。 講義中に脳溢血で倒れた上野は、23日に帰らぬ人となる(享年52歳)。
ハチはその後9年間 渋谷駅に通い待ち続け いつもは通らない道で死んだ。
1935年3月8日。ハチ(享年11歳4か月)
実際のハチが上野と通ったのは駒場であり、渋谷駅の送迎は少なかったそうだ
だが渋谷駅ではいつも屋台で一杯飲んで帰る上野
その横で おいしそうに焼き鳥を食べるハチがいた
上野の死後。浅草に身を寄せた八重子夫人のもとから渋谷駅へ家出を繰返すハチ。
やむなく上野家に出入りしてた植木職人の小林菊三郎氏に引き取られる。
画像(1)
【ハチは忠犬ではないという声】
@ハチは主人の死を理解できなかったのだ⇒
●上野が亡くなるまでの3日間一切食べなかったとの証言
A野良犬となり 焼き鳥が食べたかっただけだ⇒
●ハチが座っていた朝9時と午後5時は上野の出勤時間。
時計より正確に家の前を通ったとの人々の証言
●十分な肉を与えられ
ひどい皮膚病も 菊三郎自らが治療するほど 可愛がられ 野良犬ではなかった
●ハチの左耳が垂れているのは 野犬に噛まれたためとも推測される
●亡くなる2年前(有名になる)まで、顔にいたずら書きや叩かれたりしていた
それでも毎日 渋谷駅に通い続けた事実
画像(2)
【ハチの縁人】
上野氏は農業土木学のパイオニア。 教え子達は関東大震災後の復興の主軸となり、
高い技術は現在もインドネシアはじめ、世界中に役立てられている。
八重子夫人は上野家より反対され 未入籍だった。 夫死後、相続なく家を出たが、
上野の教え子達に茶室をつくってもらい、茶道の先生として過ごした
渋谷駅でいじめられていた老犬ハチをみかけ、
新聞に書かせた 斉藤弘吉氏(社団法人 日本犬保存会理事)。
ハチ公の銅像だけでなく、南極観測船で有名になったタロとジロの救出にも尽力。
タロ・ジロ以外に残され死んでいった残り13頭のカラフト犬の
銅像『南極カラフト犬記念群像』も建立した
画像(3)
銅像は善意のお金で建てられました。序幕式が行われ、なぜかその場にハチも参列しています
いつの時代にも善意につけ込む人間がいるようです。
募金詐欺が横行し、早く建てる必要があったようです
戦時中には恩に忠誠を誓う教育やたすきをかけ「出陣式」も行われ、金属供出として撤去されるなど、愛国のシンボルとして利用されました
スクランブル交差点を見つめ 座っている二代目のハチ公
TVや雑誌で見かけたら 思い浮かべてください
赤ちょうちんの屋台に座る上野氏と主人を嬉しげに見上げるハチの後姿を
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『HACHI』 約束の犬 YouTube
ウィキペディア :忠犬ハチ公・上野英次郎・斉藤弘吉・より引用
画像(1)〜(3): 我が家の姫ザクロ