スイスでは安楽死が合法化されている。日本人でも選択できるという事例の紹介。
仮に、反対の意図があるなら、留まらせた事例の紹介であるべき。
せっかく取材したから・・・
だとすれば全くポリシーがない記者としか言いようがない。
最後に、
「誰かに甘えてでも、生きてもらいたかった」
ってなんだろう?
やっていること、恥ずかしくないのだろうか?
世界を見渡せばこういう選択肢もできる。これを日本で?というのは議論としては早すぎると思うところ。
Yahoo!より、
独りで戦い、生き抜いた――安楽死≠オた日本人女性 病による耐え難い苦痛と、頼ることをできなくした家庭環境
7/13(土) 18:02配信
TBS NEWS DIG Powered by JNN
https://news.yahoo.co.jp/articles/a88d59ffbeaa3f735f777d37a61a777f132df3d1
記事より、
「安楽死することは悲しくない。やり残したことは何もないし、本当に幸せな人生だったの。私のゴールはここ。やっと夢が叶うのよ」
スイスのある施設で、まもなく安楽死を遂げようとしていた迎田良子さん(64)は、一点の曇りもない、晴れ渡った表情をしていた。
記者として、他人の人生に、ましてや、その人の命の決定に口を挟む資格はない。そのことを重々理解しつつも、私は「あなたは死が差し迫っているわけではないし、まだ生きられると思うんです」と問いかけた。迎田さんの中に生きる選択肢がわずかにでも残されていないかを確認したかったからである。
「誰かに頼って生きるなんて嫌なのよ」。澄んだ瞳で、そう話す迎田さんに、私は返す言葉を持ち合わせていなかった。なぜなら、私はこれまでの取材を通して、彼女が生きてきた「過酷な人生」と、それでも、たった一人で自身の人生を切り拓いてきた「誇り」を、知っていたからだ。
ほどなく、医師から処方された致死薬が入った点滴のバルブを自ら開けて、迎田さんは永遠の眠りについた。(TBSテレビ 西村匡史)
ただ、同時に、こうも思う。
「誰かに甘えてでも、生きてもらいたかった」
コメント
この記事を読んで感じたのは、記者のスタンスが一貫していないことへの疑念です。スイスでの安楽死が合法化され、日本人でも選択できるという事例を紹介する一方で、記者は「誰かに甘えてでも、生きてもらいたかった」と述べています。この記事の意図が、安楽死を支持するのか、反対するのか明確でないため、読者にとって混乱を招く結果となっています。報道としての役割を果たすのであれば、賛成・反対の両面をしっかりと掘り下げ、公平な視点から論じるべきです。記者の中途半端な姿勢は、ポリシーの欠如を示していると感じざるを得ません。読者に真の理解を促すためには、もっと明確な立場と深い洞察が求められます。
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