徘徊とひとり歩きが同じ意味であるはずがない。意味が違う。
言論の自由を大切にしない議論は偽善以外の何物でもない。
例えば痴呆を認知症に置き換えたことで、本当の痴呆の恐ろしさが伝わらなくなった事は明白だ。
だから、認知症の徘徊者が増えるということもあるだろう。
痴呆と言われても軽い人もいるのは現実。
だが、酷い場合は、想像を絶する行動をしながら次の日、次の瞬間は本人は覚えておらず責任能力もないのだ。
見下すなどと考えるのは、言葉をそういう風に捉えるからであって、コミュニケーションとしては正確に早く伝われる言葉でなければ意味がない。
例えば、死にかけ、という言葉が適切でないから、死ぬかもしれない人、といったらどうだろう。
切迫性は全く伝わらない。
また、うちの親が今ちょっとひとり歩き中で困っているんですと言っても何のことか皆目分からない。
これが、うちの親が今徘徊しているんですと言ったら、すぐに、これは大変だとなる。そういうものだ。
言葉には伝えるために必要な意味があるのであって、その言葉の姿だけを見て話をするロクでもない学者やアホな役人に勝手に言葉狩りをさせてはいけないのだ。
徘徊だって、広辞苑にしっかり載っているじゃないか?
Yahoo!より、
認知症の「徘徊」、「ひとり歩き」に言い換え…自治体の動きに賛否両論
12/17(月) 10:46配信 読売新聞(ヨミドクター)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181217-00050007-yomidr-sctch
記事より、
・徘徊は「どこともなく歩きまわること。ぶらつくこと」
・鳥取市は7月、原則的に公文書で使用しないことを決めた。市の保健師が昨年、「認知症の人には散歩や買い物など外出の目的があり、記憶違いで迷ってしまうだけ。徘徊では意味が違うし、誤解や偏見を招く」と問題提起。検討の結果、「ひとり歩き」などに改めた
・福岡県大牟田市が先駆けとされる。同市は本人らに配慮し、「安心して徘徊できるまち」のスローガンを「安心して外出できるまち」に変更。同年度に兵庫県が続き、16年度に東京都国立市、鳥取県米子市、18年度に愛知県大府(おおぶ)市、兵庫県川西市が使用をやめ、「外出中に行方不明になる」「ひとり歩きで道に迷う」などと言い換えている
・青森県十和田市は、認知症の行方不明者の早期発見・保護対策の事業名に「徘徊」を使い、チラシで周知する。市では「散歩」や「ひとり歩き」も検討したが、担当者は「『徘徊』の方が行方不明だと市民に緊急性が伝わる」と説明。北信越のある市の担当者は、「『ひとり歩き』では、本人の状況を軽くとらえている感じで、かえって危険にさらすことになるのでは」と懸念
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image