2008年11月22日
キリバス共和国旅行記 その5
キリバス滞在中はマリーズモーテル(MARY's MOTEL) という宿を主に利用しました。
先に紹介した「DE JA1KAJ 津村さん」のHPに写真が掲載されています。
http://www.tsumura.net/T30QQshukuhakujouhou.html
いやー懐かしいです。
おかみ(というのか)のマリーさん、ほかメイドのおばさん(力士くらいのいい体格)、ウエイトレスの可愛いお嬢さん、みんな陽気でいい人たちでした。
食事はキリバスでは上等なほうでしたが、さすがに年長者はあきてしまい持参のレトルト日本食を食べたりしてましたけど。
あと、1ヶ月以上の長期滞在だったので、衣類はメイドのおばさんが手洗いでやってくれました。(ありがたいけど、恥ずかしかったなあ)
唯一ダメだったのは夜中に出てくるゴキブリ!!これさえなければよかったのですがwww
最初は何故オシンタイホテル(確か国営だったと聞きました)にしてくれなかったのかなあと思いましたが、2回目の滞在時にオシンタイに宿泊して納得。食事と従業員の愛想がよくなかったですね。(^^;
そうそう先の記事でミネラルウォーターが切れたときの話を書きましたが、住民と違い生水が飲めないので、椰子の実ジュース(現地名モイモトといったと思いますが、唯一覚えている言葉w)を飲んでいました。
先に紹介した「DE JA1KAJ 津村さん」のHPに写真が掲載されています。
http://www.tsumura.net/T30QQshukuhakujouhou.html
いやー懐かしいです。
おかみ(というのか)のマリーさん、ほかメイドのおばさん(力士くらいのいい体格)、ウエイトレスの可愛いお嬢さん、みんな陽気でいい人たちでした。
食事はキリバスでは上等なほうでしたが、さすがに年長者はあきてしまい持参のレトルト日本食を食べたりしてましたけど。
あと、1ヶ月以上の長期滞在だったので、衣類はメイドのおばさんが手洗いでやってくれました。(ありがたいけど、恥ずかしかったなあ)
唯一ダメだったのは夜中に出てくるゴキブリ!!これさえなければよかったのですがwww
最初は何故オシンタイホテル(確か国営だったと聞きました)にしてくれなかったのかなあと思いましたが、2回目の滞在時にオシンタイに宿泊して納得。食事と従業員の愛想がよくなかったですね。(^^;
そうそう先の記事でミネラルウォーターが切れたときの話を書きましたが、住民と違い生水が飲めないので、椰子の実ジュース(現地名モイモトといったと思いますが、唯一覚えている言葉w)を飲んでいました。
私が行った10数年前は当然のことですが、今のように海外で使える携帯電話とかインターネットはありませんでした。でも日本へ国際電話を掛けることができたので、1週間ごとに実家へ電話を掛けていました。
その国際電話ですが、なんと宿のそばにある公衆電話からオペレーターを介さず直接掛けることができました。
数十秒2A$なので、掛けるたびに2ドル硬貨を何枚も用意しておく必要があります。
何か買うとき必ず2ドル硬貨でおつりをもらうようにしてました。w
電話といえども衛星通信なので、無線通信と同じように一呼吸置いて会話をしなくてはいけません。
うちの母親はその間合いがわからないので、「もしもし」のやりとりだけで10ドルくらい使ってしまうという漫才みたいなことも経験しました。
後日帰国途中のグアムから国際電話を掛けたのですが、普通の電話と同じように話せる(海底ケーブルだから)ので、最初母は私がもう日本についたと思ったらしいです。w
【広告】
その国際電話ですが、なんと宿のそばにある公衆電話からオペレーターを介さず直接掛けることができました。
数十秒2A$なので、掛けるたびに2ドル硬貨を何枚も用意しておく必要があります。
何か買うとき必ず2ドル硬貨でおつりをもらうようにしてました。w
電話といえども衛星通信なので、無線通信と同じように一呼吸置いて会話をしなくてはいけません。
うちの母親はその間合いがわからないので、「もしもし」のやりとりだけで10ドルくらい使ってしまうという漫才みたいなことも経験しました。
後日帰国途中のグアムから国際電話を掛けたのですが、普通の電話と同じように話せる(海底ケーブルだから)ので、最初母は私がもう日本についたと思ったらしいです。w
【広告】
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image