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2017年11月29日
日光東照宮陽明門40円赤のD欄分室名入り櫛型印
日光陽明門40円赤の発行は1962年5月10日、発行目的は書状額面の速達単貼り用になります。また、書留の1000円までの料金でもあり加貼り用でも1966年6月まで使用されています。外信でも船便書状額面で使用されています。1968年5月の青色改色まで使用されています。今回の消印は昭和40年のD欄分室名入り櫛型印ですので、速達あるいは書留などで使用されたものと推測されます。名古屋中央局名古屋駅内分室印です。
(廃止)
・1937年2月1日〜1990年4月14日=名古屋中央郵便局 名古屋駅内分室(廃止)
・1990年4月16日〜2000年3月5日=名古屋駅デイリー1郵便局
・2000年3月6日〜2015年12月13日=タワーズ内郵便局
・2015年12月14日〜=名古屋柳橋郵便局
(廃止)
・1937年2月1日〜1990年4月14日=名古屋中央郵便局 名古屋駅内分室(廃止)
・1990年4月16日〜2000年3月5日=名古屋駅デイリー1郵便局
・2000年3月6日〜2015年12月13日=タワーズ内郵便局
・2015年12月14日〜=名古屋柳橋郵便局
2017年11月26日
新能面70円の分室局和文ローラー印
新能面70円は旧能面を改色して発行されました。これは、万国郵便連合の新規則による切手印面への国名ローマ字表記と、1962年7月に始まった色検知式の郵便自動取り揃え押印機導入によるものです。これにより多くの切手が改色・改版されました。新能面70円は1971年8月10日に発行されましたが、本来の発行目的は1971年(昭和46年)6月30日までの書状速達単貼りですが、1972年2月1日以降の定形外郵便や外信書状などにも多く使用され、1980年11月の笛吹飛天70円発行まで使用されています。今回の消印は、淀川局新大阪駅内分室の和文ローラー印です。
(局の変遷)
・1965年2月1日〜1974年2月28日=東淀川郵便局 新大阪駅内分室
・1974年3月1日〜2014年2月15日=淀川郵便局 新大阪駅内分室
(局の変遷)
・1965年2月1日〜1974年2月28日=東淀川郵便局 新大阪駅内分室
・1974年3月1日〜2014年2月15日=淀川郵便局 新大阪駅内分室
2017年11月23日
コブハクチョウ5円の分室局エラー櫛型印
昭和61年4月1日から全国306の特定局で丸型印が導入されました。昭和62年度末には全国のほとんどの集配局で櫛型印から丸型印へ移行されましたが、簡易局や分室などでは移行が進まず尚且つ櫛型印と丸型印の更埴部サイズが同じであったために、様々なエラー印が発生しています。今回の分室も丸二タイプといわれるエラー印でDE欄の櫛部が抜けています。淀川局新大阪駅内分室印になります。
(局の変遷)
・1965年2月1日〜1974年2月28日=東淀川郵便局 新大阪駅内分室
・1974年3月1日〜2014年2月15日=淀川郵便局 新大阪駅内分室
(局の変遷)
・1965年2月1日〜1974年2月28日=東淀川郵便局 新大阪駅内分室
・1974年3月1日〜2014年2月15日=淀川郵便局 新大阪駅内分室
2017年11月20日
弥勒菩薩像50円赤ペアの分室局和文ローラー印
前回のブログでは別納和文ローラー印をご紹介しましたが、今回の分室「大阪東局大手前分室」も別納印の多い分室になります。動植物国宝切手での昭和40年代の別納100面シートをかなりの頻度で見かけますし、私自身も保有しています。今回の消印は別納ではなく、おそらく実逓使用であると思われる消印になります。実逓ですとこのように正位置ではなく斜めが多くなるようです。
2017年11月17日
国定公園「秋吉台」ペアの分室局和文ローラー印
分室局でビジネス街にある局では別納使用での和文ローラー印が多く存在しています。この別納印に共通している点は消印が正位置で、尚且つ田型やペアが多いのです。このような消印は単辺でも別納だと判断しても間違いはありません。11月5日にブログで紹介しました近代美術切手の東京中央局日比谷パークビル内分室も同様です。今回の阿倍野局阿部野橋分室も昭和30年代の正位置消印の多くは別納です。
2017年11月14日
音声菩薩像200円青緑ペアの分室局櫛型印
音声菩薩像200円青緑(通称:緑音声)は高額切手として定形外郵便や小包、特殊料金混貼りなどに使用されました。しかし、最も多く使用されたのは別納で50面シートの和文ローラー印や波消しは多く見かけます。高額切手ならではの使用ですが、櫛型印は非常に少なくまた凹版印刷で刷色が暗いために消印が判読しにくいと言う欠点があり、満足に見える櫛型印は稀少です。今回の消印はペアの分室局櫛型印、京都中央局中央市場内分室印になりますが、やはり鮮明ではありません。
(局の変遷)
・1927年12月11日〜1949年1月31日=七条郵便局 中央市場内分室
・1949年2月1日〜2007年7月29日=京都中央郵便局 中央市場内分室
・2007年7月30日〜=右京郵便局 中央市場内分室
(局の変遷)
・1927年12月11日〜1949年1月31日=七条郵便局 中央市場内分室
・1949年2月1日〜2007年7月29日=京都中央郵便局 中央市場内分室
・2007年7月30日〜=右京郵便局 中央市場内分室
2017年11月11日
ふるさと切手東京都のD欄分室名入り丸型印
今回の消印は実逓ではあまり見かけない分室印になります。オークションなどで見かける満月印のほとんどはが注文消しになります。東京郵便局羽田分室でD欄に分室名が入っています、消印は年賀丸型印になります。
(局の変遷)
・1984年2月1日〜1986年9月30日=東京鉄道郵便局 東京空港分局
・1986年10月1日〜1990年8月5日東京輸送郵便局 東京空港センター
・1990年8月6日〜2002年9月30日=羽田郵便局
・2002年10月1日〜2007年10月1日=新東京郵便局 羽田分室
(局の変遷)
・1984年2月1日〜1986年9月30日=東京鉄道郵便局 東京空港分局
・1986年10月1日〜1990年8月5日東京輸送郵便局 東京空港センター
・1990年8月6日〜2002年9月30日=羽田郵便局
・2002年10月1日〜2007年10月1日=新東京郵便局 羽田分室
2017年11月08日
平成コアオハナムグリ10円ペアの分室局和文ローラー印
今回の消印は、ほとんど無名に近い分室局印になります。荻窪郵便局小包分室で、荻窪郵便局の100mほどの場所に別の建物があり小包専用の作業用の分室がありました。年賀や繁忙期に本局があまりにも狭いので別の場所で別れて業務を行う「作業分室」のひとつです。現在では「荻窪ゆうパックセンター」に改称されているようです。2007年10月1日に廃止されています。
(分室の種類)
・窓口分室(例:千代田霞が関局財務省内分室)
・集配分室(例:新宿北局落合長崎分室)
・作業分室(例:荻窪局小包分室)
・私書箱分室(例:渋谷局新大宗ビル内分室)
(分室の種類)
・窓口分室(例:千代田霞が関局財務省内分室)
・集配分室(例:新宿北局落合長崎分室)
・作業分室(例:荻窪局小包分室)
・私書箱分室(例:渋谷局新大宗ビル内分室)
2017年11月05日
近代美術4集「裸婦」の分室局和文ローラー印
東京中央郵便局には様々な分室局が存在しました。しかし現在ではそのほとんどが廃止されています。下記の主な分室を記載しました。今回の消印はその中のひとつ、日比谷パークビル内分室印です。近代美術シリーズ切手への月日まで判読できる満月印です。この局は別納の和文ローラー印を多く見かけます。
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日〜2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
(東京中央局の主な分室)
東京駅内、永楽町、銭瓶町、大手町、立川、飛行場、郵政局内、ホテル東京内、帝国ホテル内、共同印刷株式会社内、羽田飛行場、林野庁内、人事院ビル内、羽田分局、観光ビル内、大蔵省内、ユニバーシアード村、財務省内、丸の内
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日〜2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
(東京中央局の主な分室)
東京駅内、永楽町、銭瓶町、大手町、立川、飛行場、郵政局内、ホテル東京内、帝国ホテル内、共同印刷株式会社内、羽田飛行場、林野庁内、人事院ビル内、羽田分局、観光ビル内、大蔵省内、ユニバーシアード村、財務省内、丸の内
2017年11月02日
日光東照宮陽明門45円のD欄分室名入り櫛型印
日光陽明門東照宮45円は書留書状用(発行時1952年10月〜1961年5月)に多用されたために櫛型印は非常に多く残っています。従って、分室局印も比較的多く残っておりますが状態の良いものは少し難しいようです。今回の消印はD欄分室名入りの櫛型印、大阪中央局毎日ビル内分室印です。
(局の変遷)
・1956年8月1日〜1999年3月31日=大阪中央郵便局 毎日ビル内分室
・1999年4月1日〜=堂島アバンザ郵便局
(局の変遷)
・1956年8月1日〜1999年3月31日=大阪中央郵便局 毎日ビル内分室
・1999年4月1日〜=堂島アバンザ郵便局