2016年04月07日
貯蓄増強宣伝記念切手の日付ゾロ目印
今回の切手は1968年発行の「貯蓄増強宣伝」記念切手です。貯蓄増強とは何か危ない宣伝活動のように感じますが、財務省のホームページは下記の通り記載されています。少し長いですが。今回の消印は日付ゾロ目印です。昭和ですと戦後では、昭和22年2月2日、昭和22年2月22日、昭和33年3月3日、昭和44年4月4日、昭和55年5月5日です。
(戦後の貯蓄運動〜財務省より抜粋)
戦後の貯蓄運動については,昭和21年11月、衆議院内に設置された「通貨安定対策本部」が中心となり、インフレ抑制を目的とした「救国貯蓄運動」を展開したことをもってこう矢とするが,昭和24年にドッジ・ラインによる超均衡財政が実施され,インフレが収束したため通貨安定対策本部は昭和24年12月に解散し,救国貯蓄運動は終結した。
その後,昭和27年4月15日には,中央に貯蓄増強中央委員会が結成され,都道府県の貯蓄推進委員会と相互に緊密な連絡を保ち,全国統一された歩調で運動を実施する体制がとられ,昭和33年には各地方貯蓄推進委員会が中心となり,貯蓄実践地区が全国で132地区設けられた。
昭和44年には,地方自治法に地方公共団体の事務として貯蓄の奨励が明記されたことに伴い,大蔵・自治両省の共同通達「地方公共団体における貯蓄奨励事務の推進について」(昭44.8.20,蔵銀2,293号)が出され,地方公共団体と財務局及び財務部の協力関係をより緊密なものとした。
(戦後の貯蓄運動〜財務省より抜粋)
戦後の貯蓄運動については,昭和21年11月、衆議院内に設置された「通貨安定対策本部」が中心となり、インフレ抑制を目的とした「救国貯蓄運動」を展開したことをもってこう矢とするが,昭和24年にドッジ・ラインによる超均衡財政が実施され,インフレが収束したため通貨安定対策本部は昭和24年12月に解散し,救国貯蓄運動は終結した。
その後,昭和27年4月15日には,中央に貯蓄増強中央委員会が結成され,都道府県の貯蓄推進委員会と相互に緊密な連絡を保ち,全国統一された歩調で運動を実施する体制がとられ,昭和33年には各地方貯蓄推進委員会が中心となり,貯蓄実践地区が全国で132地区設けられた。
昭和44年には,地方自治法に地方公共団体の事務として貯蓄の奨励が明記されたことに伴い,大蔵・自治両省の共同通達「地方公共団体における貯蓄奨励事務の推進について」(昭44.8.20,蔵銀2,293号)が出され,地方公共団体と財務局及び財務部の協力関係をより緊密なものとした。