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2022年03月03日

ファームジョブの仕事内容と普段の生活ハート黄ハート緑ハート

ファームの仕事は、朝7時に始まり、夕方の4時頃には終わります。その時期の収穫の量や、忙しさによって終わる時間は様々ですが、休憩1時間と、Cuppa(カッパ)を含み、だいたい7時間〜8時間労働です。


※Cuppa(カッパ)といって、Cup of coffeeの略でオーストラリアのスラングで休憩の意味を持ちます。午前と午後に15分ずつ、コーヒーを飲んだりする時間がもらえます。


7時に仕事開始なので、朝それぞれの家の前に集合しメンバーが揃い次第、代表の一人が車を運転し畑に向かいます。ファーム用の車は3台ほどあり、オーナーが運転する車と、従業員が運転する車でわかれていました。


畑は、日本と規模が違うので、一番のはじにある畑は移動しないかぎり見えないくらいです。オーナーの指示で、どこの畑の何の野菜を収穫するかで移動場所が決まり、野菜を採る作業と、トラクターを運転する作業とで、従業員が別れて仕事をしました。基本的にはトラクターやフォークリフトの運転の仕事は、男性の従業員がすることが多いのですが、私は農業の経験があることから、トラクター、フォークリフトと車やバイクなどの運転系の仕事を全て任されていました。


野菜収穫の仕事がひと段落すると、Shed(シェド)倉庫に野菜を運んで、そこからパッキング作業に移ります。野菜を乗せるテーブルが4台ほどあり、従業員はそのテーブルを囲みながら、パッキング作業をします。ラジオや、音楽をかけながら作業ができるので、楽しい雰囲気のまま仕事ができます。従業員は、オーナー家族以外はみんな日本人なので、ほぼ日本語環境なのですが、オーナーやその家族が、順番にテーブルを移動しながら一緒にパッキングしてくれるので、家族の中の誰かがそのテーブルで作業をしているときは、失礼のないように日本語を一切使わず、完全英語で会話をします。仕事の指示も全て英語なので、耳は英語に慣れるというか、常に英語が入ってくる環境ではありました。万が一、オーナーの言っていることが理解できなった場合は、理解出来た日本人がみんなに説明してくれたので、すごく助かりました。



パッキングの仕事が全て終わると、箱詰めした野菜をフォークリフトを使ってパレットに移動させます。パレットに箱を乗せ終わり、従業員の一人が出荷数を数えてオーナーに報告します。

それが私たちバックパッカーズの仕事内容でした。


ここまで終わると、オーナーとその家族が、パレットを大型トラックにフォークリフトで移動し、夜にシティまで野菜を運び、次の日のマーケットで新鮮な野菜を売りに出すというシステムでした。



週末の仕事が休みのときは、家の周りに店や何かがあるわけでもないので、ファーム内探検をしてみたり、外でにわとりや犬と戯れたり、英語の勉強をしたりと、みんなそれぞれ自分のやりたいことをして過ごしました。



たまたまクリスマス時期にファームで生活していたこともあり、オーストラリアではクリスマスに仕事をする人はほとんどいなく、ショッピングセンターなども全て祝日で閉まっていました。ファームの仕事ももちろんお休みで、その期間を使って、オーナー家族が従業員全員を連れてホリデーハウスに1泊する旅行をプランしてくれて、日本人総勢20人程と、オーナー家族でManjimupからさらに南に下り、Peaceful Bayという場所に連れて行ってくれました。きれいに透き通った海の水を眺め、日本とは全然違う景色を楽しみ、オーストラリアに来ることを決めて本当に良かったと思いました。


ファームのオーナー家族は、クリスマスのちょっとしたお出かけだけでなく、他にもマーケットに連れて行ってくれたり、生のロデオを見に連れて行ってくれたりしました。日本人観光客20人ほどを一緒に連れて行ってくれたこと、本当に感謝しています。とでも良い経験でした。


ファームは普通、仕事を提供してくれるだけの場所で、そのファームによっては、アコモデーションも食料も自分で調達しなければいけないところがほとんどで、自分の車なしでファームの仕事を探すのは時には難関だったりもします。今回のファームでの仕事は日本語環境だった事は少し甘えがあったかもしれませんが、生活に困ることもなく、自分と同じワーキングホリデービザで渡豪して、英語も得意ではない日本人達がどうにか見つけたセカンドワーホリを取得出来る場所、そこで同じ経験を境遇出来たことは本当に素敵な事だったなと思っています。



個人的には、セカンドワーホリの取得を関係なく、オーストラリアに来たらファームジョブを経験してみるとことをお勧めします。日本での仕事の仕方とも違いますし、田舎に行けば行くほどオーストラリアなまりの英語を聞くことができて面白いですよ黄ハート














posted by Mookie at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

2022年03月02日

ファームジョブ🥦🥬🥔

今まで住んでいたシェアハウスに別れを告げて、やっと見つけた住み込みのファームの仕事とするために移動です。



電話で教えてもらったとおり、パース駅から出ている長距離電車にのり、南に3時間。そこからバスで2時間ほど行くと、Manjimupという小さな街に着きました。言われたとおり、バス停の前で待っていると、それらしい人の車が前に止まり、中から女性二人が出てきました。そのうちの一人が日本人で、

「Mookieさんですか?」


と声をかけられました。そうです、というと、簡単に自己紹介をしてくれて、その日本人の方はファームで仕事をしている従業員で、もう一人の女性はファームのオーナーの奥さんでした。


さっそくだけど、買い物があるから付き合ってほしいと言われ、近くのスーパーに。オーストラリアならどこに行ってもあるWoolworths(ウールワース)というスーパーマーケット。着くなりすぐに、カートを押すように頼まれて1台取りに行くと、2人ともそれぞれカートを取りに行きました。


ん?自分の食糧は自分で調達か?電話で話したときは、食事と宿泊先は用意されると言われた気が。。。


ちなみにオーストラリアのカートは、日本のカートとは大違いで、サイズが3倍ほどあります。大人一人が入れるほどのサイズです。実際、子供と食料を一緒にカートの中に入れて買い物している母親を見かけることは日常茶飯事です。


とりあえず一緒についていくと、オーナーの奥さんが躊躇いもなく次々を食料をカートに放り込んで行きました。3台のカートはすぐにいっぱいになり、その食料を車に詰め込んだら、ファームに向かうと言われました。これはManjimupの中心部からファームまでは車で1時間弱ほどかかりました。



ファームの入り口から家までまた車で5分ほどかかり、木のトンネルを潜り抜けるとそこは広大な大自然が広がっており、その中に家が2軒建っていました。


メインの家には、ファームの家族と、長期間住み込みで働いている従業員が生活。もう一軒の家では、バックパッカーズが生活していると聞きました。従業員は全員で20人ほどらしいです。しかも全員日本人!!
なぜ日本人なのか聞くと、仕事が丁寧だからだそうです。さすがですね八分音符




これで謎が解けました。カート3台必要なほどの食糧は、みんなこの従業員と家族のための食糧調達でした。それにしても、オーナーの奥さんが、全員の食事も毎日作っていると聞いて本当に驚きました。それから、食料調達は数週間に一度しかしないそうで、どおりであの量なんだなと納得でした。


私の部屋は、メインの家から徒歩2,3分ほど離れた一軒家の一室で、一部屋に4人が一緒に生活していました。部屋は3部屋あり、当時は8人ほどが一緒の家で生活していました。



仕事について説明を受けました。

*朝7時から仕事開始
*6時45分には集合場所に集まり、車3台ほどで畑に移動
*朝起きたら、メインの家で朝ごはんを食べ、それぞれ準備をしてから全身黄色のレインスーツと長靴を履いて、作業場に移動する

だそうです。仕事の内容は、野菜のピッキングとパッキング、掃除等です。


無事に住処と仕事、それからセカンドワーホリを取得出来るということで、すごく安心したのを覚えています。元々田舎育ちということで、畑作業は得意なので、すごく楽しみでした黄ハート


















posted by Mookie at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

2022年03月01日

仕事探索力こぶ

私が保有していたビザは、ワーキングホリデービザでした。(以下ワーホリ)


ワーホリのビザ期間は1年です。その間なら旅行をしてもよし、学校に通ってもよし、仕事をしてもよし、わりと行動に自由のきくビザです。ただ、就労するにあたって決まり事がありました。それは、同じ職場で6ヶ月以上の就労は許されないこと。


ワーホリと全く同じ条件で、セカンドワーキングホリデービザというビザもあります。当時セカンドワーホリとうビザが出たばかりの頃で、私はその情報を得てから、セカンドワーホリの取得に興味を持ちました。セカンドワーホリを取得さえしてしまえば、1年目のワーホリを終わってそのまま更にもう1年滞在しても良し、もしくは一度オーストラリア外に出てまた戻ってきたとしてもそのセカンドワーホリのビザを使えるということだったので、取得することに損はないだろうと考えていました。ただ、新しいビザだったことからあまり情報がなく、情報収集から色々始めました。



セカンドワーホリを取得するには、オーストラリア政府が定めた地域と就労先で3ヶ月以上働き、
雇用主から就労証明書を発行してもらい、政府に提出する必要があるという情報を得ました。しかもファームジョブらしい。。。ファームジョブって?牛や馬の世話?それとも野菜やフルーツなどの畑作業!??それにしても、どこがオーストラリア政府に認められた地域なのか、どこの地域まで行けばいいのか全くわからず、ネットで調べようにも、どのウェブサイトに載っているのか、そもそも英語が読めなければ理解も出来ないしどうしよう。。。そんな状態でした。


ダメ元で、ファーム情報が載っているウェブサイトをかたっぱしからリサーチしてみました。それから、バックパッカーズホテルをはしごし、ホテルの掲示板に載ってる情報をかき集めてきました。そこでわかったのは、仕事募集をしているファームはだいたいパースから数時間以上離れた場所。
ただ、これでもしラッキーなことにすぐ仕事がもらえてすぐに移動しないといけなくなった場合、今現在の仕事(日本食レストラン)をいきなり辞めることはできない・・そう思った私は、次の仕事を見つける前に、当時の日本食レストランを2週間後に辞めるということをオーナーに伝えました。その2週間の間に仕事を見つければ、すぐに移動できると思っていました。



まず、連絡してみようと思ったファームをリストにまとめ、その後に電話をかけるためにどんな質問をするか、何を伝えるかを紙に全て英語で書きつづりました。電話先でどもって話せなくならないように、文章にし、いろんなファームに電話をかけてみました。


思った以上に簡単なことではありませんでした。。。私の英語で外国人だと察知してくれた電話の相手は、ゆっくり話してくれる人もいれば、電話をがっちゃり切ってしまう人もいました。中には、わざわざ電話をかけてくれて申し訳ないけど、今は収穫をしていないから、数か月後なら募集するかもしれないという説明をしてくれる相手もいました。



日本食レストランでの仕事の最終日は残酷にもすぐに来てしまい、次の仕事を見つける前に、仕事を無くしてしまいました。早く仕事を見つけないと生活していけませんでした。数か月も待っていたら、私のビザも切れてしまうし、セカンドワーホリ取得の目的も果たせなくなってしまう。。。焦りを隠しきれずに、色んな情報を探し続けました。



持ち金も底をつきそうなある日、日本人コミュニティセンターの掲示板を何気なく見ていると、まさかまさかの

「セカンドワーホリ取得できます!!」

の表示を見つけました!!!️しかも日本語で!!!???この際日本語環境だろうが、日本人がいようが、セカンドワーホリが取れるなら行ってみようか️


すぐに電話をかけてみました。日本語で募集しているので日本人が電話に対応しているのかと思い、余裕をかましていると、ファームのオーナーらしき人が電話に出て、思いっきり英語でした。焦った私は、カタコトで仕事を探していることを説明し、セカンドワーホリの取得を考えていること、それからアコモデーション(住む場所)のことなど質問しました。最後まで聞きたいことを聞き終わる前に、


「あーあー、あなた日本人?うちに日本人がいるからその子に代わるから日本語で話して?」


と途中で電話を代わられました。

・・・一生懸命話したのに、理解はしてもらえたのだろうか??

そう思いながらも、その日本人の方と話すと、簡単に仕事の内容と、住み込みで働いてもらうということ、それから次の週にでも来ていいと言うことを言われました。場所は、パースから電車とバスで片道5時間。5時間️️と思いながらも、一生懸命に手元にある紙に目的地の行き方をメモし、なんとかお礼を言って電話を切りました顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)


今まで数週間、ファームの仕事を探しまくって、色んな場所に連絡して、最終的にはまさかの日本語で仕事をもらえるとは。。。しかも手持ち金が残り2万ほどで、本当にあと数週間仕事が決まらなければ、日本に帰らないといけないところでした。ギリギリのところでファームの仕事、それからセカンドワーホリも取得出来る、オーストラリア政府が認定している職場が見つかって、本当に一安心でした🇦🇺🇦🇺🇦🇺勝ち誇り勝ち誇り















posted by Mookie at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ビザ

ワーキングホリデー

私がオーストラリアに行ったときに取ったビザは、ワーキングホリデービザです。
ビザ取得にかかった費用はだいたい5万円ほどでした。


ネットで調べればすぐに情報は出てくるのですが、ビザの種類は様々で、そのビザによって色々な条件や決まり事があります。数種類だけ簡単に説明すると↓



観光ビザ:
期間→3ヶ月以内
仕事→禁止


学生ビザ:
期間→政府認定校のコースを週20時間受講している限り、何年でもOK
仕事→週20時間までの就労は認められる


ワーキングホリデービザ:
期間→1年間
仕事→同じ職場で6ヶ月以内の就労が許される(3ヶ月以降は職場を変更すれば、その後も仕事は可能)


セカンドワーキングホリデービザ:
期間→1年目のワーキングホリデーを終えた後の更に1年間
学校や仕事などのルールはワーキングホリデーと同じ

※セカンドワーキングホリデーを申請するには、オーストラリア政府が定めた地域と就労先で88日間以上労働し、雇用主に就労証明書を発行してもらい、オーストラリア政府に提出する必要があります。



私は、学校に行ったり仕事をしたり、バックパッカーとしてオーストラリア内を旅行したりと、行動範囲広く活動できることがメリットだと思い、ワーキングホリデービザにしました。あと金銭的にも仕事をしないと生活が出来なさそうだったのと、海外で仕事体験や、経験も積んでみたかったからです。



私のワーキングホリデー1年目と2年目を簡単に振り返ってみると↓

1年目:

語学学校→3ヶ月

日本食レストランで仕事→3ヶ月

ファームで住み込み仕事→5ヶ月

最後の1か月で遊びまくって日本に帰国

2年目:

旅行→1か月

ファームで仕事→5か月

旅行→2か月

日本食レストランで仕事→3ヶ月



何をするにも一生懸命、いっぱいいっぱいで、色んな人達との出会い、たくさんの経験、毎日が充実した日々でした。

















posted by Mookie at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外留学

2022年02月28日

勢いでアパートを飛び出して。。。

次のシェアハウスに移動するまでまだ1週間程残っていました。




勢いでアパートを飛び出したものの、まだ行くところがない。半分パニックの状態で出てきたので、気づいたらお世話になったホストマザーに電話をしていました。


今まで起きたことの説明をうまく出来なかった私は、


「Can you please come to get me? (迎えに来てくれませんか)?」



これを言うだけで精一杯でした。急なお願いだったのにも関わらず、何かを察したホストマザーは、ホストファーザーにすぐに私を迎えに行くように頼んでくれました。




アパートの住所を教えると、車ですぐに迎えに来てくれて、荷物を運び、2か月お世話になっていたホームステイ先に連れて帰ってくれました。家に帰るとホストマザーが私をきつく抱きしめてくれ、何があったかをゆっくりでいいから説明してほしいと言ってきました。


カタコトながらに説明すると、次のシェアハウスに移動するまで家にいなさいと言ってくれました。


本当に感謝してもしきれません。日本から一緒に来た友達と、一緒に助け合いながら海外留学を楽しむ予定だったのが、その唯一一緒に来た友達を無くし、まだ知り合って2、3ヶ月のホストファミリーにこんなにも良くしてもらい、助けられるとは思ってもいませんでした。ホストマザーは、こんなことを言ってくれました。


「何かあったらいつでも連絡してきなさい、いつでも助けになるからね。」




シェアハウスに移るまでの1週間で、私はまたいつもの元気を取り戻し、感謝をしてもしきれないほどの感謝をしていることをホストファミリーに伝えて、次のシェアハウスに引っ越しました。





アイエス留学ネットワーク

ワーホリや語学学校の手続き代行

ホームステイの手配など。









次の家は、シティからバスで15分ほどで、移動が便利が場所でした。職場までもそんなに時間もかからず、遊びに行くにも、買い物に行くにもすごく便利な場所でした。

シェアハウス自体は、日本人がオーナーで、住んでいる3人のシェアメイトも全員日本人。日本人のいない環境にしようかたくさん悩んだ挙句、家賃の安さと場所の便利さ、それから私自身のメンタルを保つために、日本人のいる環境に決めました。良かったことは、シェアメイト全員が私よりも英語が出来たおかげで、わからないことや、知らないことを色々教えてもらうことが出来ました。


前回のアパートと違うことは、一切契約書など提出する必要もなかったことです。一緒には住んではいませんでしたがオーナーがいたことで、アパートを借りるときと違い、ただシンプルに2週間ほどの期間を報告すれば、いつでも家を出ても良いし、部屋さえ空いていればいつ戻ってきてもいいとのことでした。それから、掃除当番や、トイレットペーパーなどの購入の順番が決まっており、シェアメイト全員がみんな公平でした。


アパートに住んでいたときは、友達同士で生活していたからこそ、ルールや順番など何も決めていませんでした。これは良い勉強になったなと思いました。当たり前のようなことが一切できていなかったことで、友達とギクシャクしてしまったことを、すごく反省しました。


その後、そこのシェアハウスで2か月程生活をするとになりました。














2022年02月27日

2回目の引っ越し&またもトラブル

仕事にも慣れて、毎日充実した生活を送っているときでした。


アパート生活も始めのうちは、日本から一緒に来た友達と一緒に住める嬉しさと、語学学校で仲良くなった兄弟とも一緒に暮らせるのが楽しかったです。

ただ、私以外の3人はまだ学生で、私一人だけ仕事をする生活だったため、1日の生活のルーティンの違いから、どんどんすれ違いになっていきました。朝家を出る時間も違えば、帰ってくる時間も違い、夜ご飯を食べる時間も違い、週末も一緒に過ごす時間はどんどん減っていきました。


アパートの場所的にも、職場から離れていることから、ついにアパートを出ることを決めました。知り合いの勧めもあり、だいたいの引っ越し先の目途もついていました。


それを一緒に住んでいる友達に報告すると、別にいいけど変わりに入る人を探してから家を出てと言われました。私が出たら、私が今まで払っていた分の家賃を残りの3人で払っていくのが大変だからという理由でした。それは納得がいくので、さっそくコミュニティー掲示板にシェアメイト募集の張り紙を張りに行ったり、ネットで募集をかけたりしました。うれしいことに連絡はすぐに数人からもらい、面接をして、アパートを見せに行き、一緒に住む友人達との面会も済ませました。


ただ問題だったのは、面接に来てくれた方たちはすごく感じの良い人達ばかりだったのですが、私の友達が顔合わせには不向きな対応をしたのです。笑顔で挨拶をすることもなく、受け入れ体制ではありませんでした。


面接が終わり、家を見に来てくれた方が帰った後、もう少し感じの良い対応をしてくれないと、シェアメイトを見つけるのは難しいと思うと思うと友達に話しました。

するとこんなことを言ってきました。


「さっき来た人の見た目が気にくわない(3人で笑いながら)。あと、新しく入ってくるシェアメイトの払う分のアパート代を値上げしてくれ」


えっ!?本気で言ってんの!?自分達が払う分を安くして、新人の家賃を上げろと。。。しかもその人の見た目が気にくわないという理由は!??ちょっとがっかりしました。もうこの先関わることのない人たちだろうとその時に確信しました。


始めはあんなにみんな仲が良かったのに、私の気持ちはどんどんその友達から離れていきました。



言われた通りに、家賃の値上げをして募集をすると、連絡をくれる人が一気にいなくなりました。その間にどんどん私の引っ越し予定の日にちが近づいてきました。すると友達は、シェアメイトが私の引っ越し予定日までに見つからなければ、見つかるまで私に家賃を払い続けろと要求してきたのです。


さすがに言い返しました。


「せっかくアパートを見にきてくれた人の見た目が気に食わないとか、家賃を上げろとか、希望を聞いたとおりに募集したせいで、人が来なくなったとは思わない?」


「そんなことはどうでもいい。Mookieにはシェアメイトを探さなければいけない義務がある」



もううんざりでした。

今すぐその場から逃げ出したい衝動に駆られました。

その場を離れ、自分の部屋の荷物を片付け、家をすぐにでも出る用意をしました。


その様子に気づいた3人のうちの一人が来て、「悪かった、ごめん」と謝ってきました。でも私は、一緒に日本から来た友達に謝ってほしかったのです。あの留学を一緒に決めた日、あんなに作戦を練って、頑張ってお金を貯めてようやく夢を叶えたとき、一緒にオーストラリアに来た初日、いろんな思い出や感情を思い出しました。当の本人はそっぽを向いているのが見えました。


もういいや。


こんな終わり方するんだな。そう思いながら荷物をまとめ、アパートを出て行きました。



この後どうしよう、引っ越しはまだ先だし行くところがない。。。





















英語の勉強の仕方

オーストラリアに来る前は、海外にさえ行ってしまえば、嫌でも英語を話さないといけない環境にいるから自然と英語を覚えて行くだろう・・・そう思っていました。



実際来て見ると、確かにホームステイ先では、ホストファミリーとの会話は完全に英語でしたし、必要なことはどう頑張ってでも調べて話さないといけなかったので、その点に関しては、英語を使わないといけない環境にいました。

しかし、ホームステイ先を出てしまうとあとは実際のところは自分次第です。



私は常にこんな感情がありました。



英語を話すことに抵抗がある。↓


*間違って話してたらどうしよう
*言いたいことが通じずに、相手に嫌な思いをさせているのではないか
*相手の言っていることが理解できなかったらどうしよう
*聞き間違えて、違うことをしてしまったらどうしよう


心配しだしたらキリがありませんでした。ネイティブの人と話すのが怖かったのです。


決定的だったのが、アルバイト先の日本食レストランでの出来事。お客さんに怒鳴られたときです。それとオーナーに迷惑をかけてしまったという申し訳ない感情とそれに伴う見捨てられたような何とも言えない悲しい想い。


でもそれがキッカケで、何がなんでも英語を話せるようになって見返してやろうという気持ちが芽生えました。



最初に始めたことは、同じ学校に通っていた私よりも英語力のある友達や知り合いに、普段の英語の勉強の仕方を聞き、できることから真似してみようと思いました。以下がいろんな人達からの情報↓



@日本人以外の友達とシェアハウスに住む
Aローカルの職場で働く
BGeneral Englishコースではなく、アイエルツやケンブリッジの英語コースを受ける
C現地で購入できる英語教材を使う


基本的には、日本語の環境を無くすことが一番なようでした。


当時の私は、日本食レストランで働いていたことと、ハウスメイトの一人が日本人だったことから、完全英語環境にするのは、難しいところがありました。言い訳のようですが、あの頃の私には息抜きのために日本語で話す時間も必要だったと思います。


上記の@〜Cで、私がすぐに実行することが出来ることは、現地で購入できる英語教材を使って勉強してみるというものでした。知り合いに勧められたのは、English Grammar in Useでした。レベル分けされており、自分に合ったレベルのものを選べるということでした。


なぜ日本の教材ではダメなのかというと、このGrammar in Useは、問題も説明も当たり前ですが英語で書いてあります。日本の教材は、日本語で問題が書いてあり、答えだけ英語で記述するタイプの物が多いからです。もちろんレベルにもよるのでしょうが、私のレベルはほぼ初級で、基本中の基本を覚える必要がありました。そんなレベルで、全て英語で書いた教材が役に立つのだろうか・・・と疑問に思っていました。


とにかく行動に移したく、早速本屋に行き、教材を探してみるとすぐ見つかりました。値段は日本円でおよそ6000円ほどだったと思います。家に帰るなりさっそく読んでみると、問題を理解するだけでも相当な時間がかかりました。こんなんで本当に大丈夫だろうか?と思いながら、とりあえず1日1ページは最低やると自分で決めて、進めていきました。
※教材の写真は参考までに。

24DCCC10-CD40-4241-856F-A761401C312D.jpeg




この教材を使って勉強を始めて1か月程経った頃でした。なんとなくお店でお客さんが言っていること、バスや電車に乗っているときに周りの人たちが話していることが、理解できるようになってきたのです。留学して5か月が経ったくらいだったと思います。「耳が慣れる」というのはこういうことか!?と実感しました。この教材が全てだとは思いませんが、分法や言い回しをこの教材で学び、学校で習った事と合致して納得した部分など色々重なり、プラス耳が慣れてきたことから、英語が理解できるようになってきたのを自分で実感した時でした。



こうなると職場でお客さんと話すのが楽しくなってきます。普段は挨拶をして、オーダーを取るだけの仕事でしたが、先輩の助けがなくてもお客様のリクエストオーダーが理解出来たり、たわいのない話を少しだけ出来たりと、出来ることが増えてきました。


職場のオーナーと、他の従業員に、「Mookieちょっと英語力伸びた?」と言われたりと、少しずつ自分の中で何かが変わっていくのを感じました。




オンライン英語コーチ「スピークバディ パーソナルコーチング」
















posted by Mookie at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学

2022年02月26日

ストレス爆発

海外留学でパースに来て、4か月程が経った頃でした。順調に進んでいた海外生活でしたが、私の中でプツンと何かが切れました。



今までの流れを簡単に説明すると、

3月→渡豪、ホームステイ2か月と語学学校を3か月行く。
5月→アパートに住みながら、残り一か月の語学学校を行き、5月いっぱいで学校を卒業。
6月→日本食レストランで働き始める


本当に全てが思った以上に上手く進んでいました。私の感情以外は。。。


私が思ったことを全て話して、解決しようと努力すれば良かったのでしょうが、それが上手くできませんでした。自分の中に溜めに溜め込んでいました。


アパートに住み始めて思ったこと。それは、私以外の3人はオーストラリアに来る前に一人暮らしの経験がありませんでした。みんな親と暮らしていたのです。それもあってか、誰も掃除や料理を全くしませんでした。誰か出来る人がやればいい、そんな雰囲気の中、誰も作らないならと私が料理をし始めたことがキッカケで、毎日私が作るのがルーティーン化していきました。
日本食レストランで働いていたこともあり、仕事後には余ったお寿司をもらって帰ってくることも多かったので、それをみんなの夜ご飯にしたりしていました。でも、料理なんて上手じゃなくても、米くらいなら炊けるだろう、サンドイッチくらいなら作れるだろ?何度もそう思いました。


一度、友達に

「今日の夜ご飯何にする?」

と聞くと、

「何でもいいよ?Mookieが作るごはんなら何でも美味しいから」


、、、私が作ること前提の会話じゃん!?

「〇〇も何か作ってみたら?私も〇〇が作ったもの食べてみたいな八分音符


と言うと、

「えーいいよ〜、私はMookieと違って料理苦手だからー」



最初から作る気が全くないことに気づきました。


その時から、ちょっと納得がいかなかったのですが、初めのころは、それでも友達と一緒に住むことが楽しい方が勝っていました。


ところが、語学学校に持っていくランチまでも私が作ることが多くなり、みんな誰もやろうともしなければ、最初の方は「作ってくれてありがとう」の言葉があったのに、その言葉すら日に日になくなっていきました。

掃除をしてるのも私だけで、友達3人ともしてるところを見たことがありませんでした。


こんなことが続いたある日、語学学校で出来た別な友達にこんなことを言われました。

「Mookieっていつもあの3人と一緒にいるから遊びに誘いづらいけど、一緒にどこか行こうって言ったら行けるの?」


えっ!?そんな風に見えてたの!?もう周りから見たらそう見えていたのですね。それをキッカケに、他の友達とも出かけるようになってまた楽しい日々を過ごし始めていました。




アルバイトも始めて1か月以上経ち、英語はまだカタコトながらも仕事も慣れてきていた頃、こんなことが起きました。

注文を取るためにフロントに立っていると、一人のお客様がいらして、何か質問をしてきます。でもいつものCan I have〇〇ではありません。その時に限って頼りにしている先輩はいませんでした。英語が聞き取れず、もう一度お願いします、と2回ほど聞き返した時です。


「I don't need to talk to you, you are useless! Is there anyone who can speak English properly not like this one」こんな奴とは話す必要はない、使えねぇ。誰かきちんと英語が話せる奴はいねーのか、こんな奴じゃなく!!


ものすごく怒鳴り散らかされました。大きな声を聞いて、オーナーが中から出てきて対応してくれました。結局そのお客さんは、この店ではデリバリーサービスはしているのか、しているんだったらオーダーしたい物があるっていうことを言っていたようでした。


私はびっくりし、同時に自分の英語の出来なさのせいで、周りに迷惑をかけてしまったことにすごく反省しました。

お客様が帰ったあとにオーナーに謝りに行くと、オーナーは私の目を見るどころか、顔すら見てくれず、そっぽを向き話してもらえませんでした。



私は完全に怒らせたと思い、すごく落ち込みました。他の従業員も妙な雰囲気を感じ取り、店中が凍てついたように静かになりました。


その日の仕事は、嫌な空気の中なんとかやり遂げ、お疲れ様でしたと声をかけて店を出ました。店を出た瞬間、堪えていたものが溢れ、帰りの道を一人泣きながら帰りました。


家の前に着く前に泣き止まないと、みんなに何か言われると思い、涙を拭き、何もなかったかのように家に帰ると、友達が一言いいました。

「今日は寿司ないの?」


これには私もブチ切れました。

「私はあんた達の家政婦でもお手伝いでもない!ごはんも自分で作って食べればいい!学校のランチも自分で作ったらいいでしょ!?」


何も知らない友達はポカーンとしながらも、

「、、、そうだよね、これからそうするよ」

と言って部屋に入っていきました。



その次の日から、友達3人は、自分達でごはんを作るようになりました。しかし、ひとつ違ったのは、学校のランチも、夜ご飯も、私の分は分けてありませんでした。自分達の分しか作らなかったのです。わざとなのかはわかりません。私が自分から私のはー?と声をかけに行けば良かったのかもしれませんが、もううんざりしていたので、むしろ自分のことだけすればいい環境になったのだと思えば、スッキリでした。


後日、大きな声を出したことに関しては友達にも謝りましたが、みんなの分のごはんを毎日作ることが負担になっていたことも正直に話し、和解は出来ました。私一人だけが仕事をして、他の3人はまだ学生を続けていたので、その日を境に生活のルーティンがバラバラになっていきました。



次の日に仕事に行くと、オーナーは挨拶はしてくれたので、もう一度私の方から迷惑かけたことを謝りました。内心は、英語出来ないって言ってんのにオーナーがフロントに行かせるからだろ!?って思っていました。しかし、英語を出来ないことを理由に、私がネイティブの人との会話から逃げようとしていたのは事実で、オーナーは、ローカルのお客さんと話しをするキッカケを与えてくれた人、そう前向きに捉えるようにしました。


あの事件をきっかけに、私の英語への勉強に火が付きました。あのローカルのお客さんが次に来ることがあったら見返してやる、オーナーにも英語が話せるようになって見返してやる!!!という変な闘争心が芽生えました。






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posted by Mookie at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外留学

アパート生活と苦悩

日本から一緒に来た友達と、語学学校で仲良くなった兄弟と私とでの4人でアパートを借りてシェアハウス生活を始めて生活はとても有意義なものでした。英語環境と日本語環境、どちらもあり、学校の行き帰りも常に誰かと一緒という生活が続きました。



ちょうど2か月ほど経った頃でした。1通の手紙が届きました。表紙を見ると、Western Powerからです。光熱費の支払いの連絡でした。中を見てみると、光熱費の支払い額がかなりの額になっていて、よく確認すると私たちが引っ越してきた日にちの半月前からの支払いも含まれていました。つまり、前の住人の分も支払い要求がきているということです。


シェアメイト達に手紙を見せて相談すると、電話を持っているのは私だけなのでWestern Powerに電話して聞いてみろと言うのです。


また私か・・・。


それが本音でした。好きで海外に来て、好きでアパート暮らしをし、必要と思ってケータイを買い、好きで友達を住んでいる。しかし、アパートの契約にしろ、ケータイの契約にしろ、プラス好きで始めたアルバイトも、100パーセント英語環境ではなかったにしろ、毎日英語を必要とされる生活に気づかないうちにストレスを感じていたのです。

わかっているんです。全て自分が決めたこと。友達は間違ってない、確かに私しか電話をもっていないから誰も他に連絡が取れない。でも電話でネイティブの人と話をすると、聞き取りづらいから話すのが怖いっていうのが正直な感情でした。


そこで私はこう提案しました。電話で話すと聞き取りづらいから、みんなで直接Western Powerに出向かないか?と。そこで友達はそこで納得してくれて、一緒に行くことになりました。
英語ができないのはみんな同じです。みんな同じレベルのクラスでしたから、私を含めみんなまだネイティブの人を話すのが怖いのです。でもここまで来たからには、あんな高額の光熱費を払っていられないので、引っ越した日にちを証明する物を手に持ち、カウンターに行きました。友達も後ろからついてきます。カタコトながらも、何とか説明し、理解してもらい、無駄な支払いをせずに済むことができました。解決後はみんなで喜びました。私は特に達成感を感じていました。出来ないながらも英語で説明したという、ゲームをクリアしたように喜びを感じていました。




こんな小さなことが、全てチャレンジなのです。日本語だったら簡単なことが、英語になるだけでこんなにも緊張し、焦りを感じるなんて。。こんなに英語を話せずに海外に来るなんて、ほんとに無謀なことをしたと何度も思いました。







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日本食レストランで働く

とてもラッキーなことに仕事を見つけることが出来て、学校卒業後、アルバイトという形で仕事をさせてもらうことになりました。仕事を始める前にオーナーとの顔合わせは一度しているのですが、その一回きりでした。



仕事一日目、早めに職場に行きました。仕事場に来たら始めにやることなど、一通りの説明を受けた後、一言こう言われました。


「フロントやってね」


・・・最初は言葉が出ませんでした。なぜかというと、顔合わせに行って話したときに、英語での日常会話がまだ出来ないので、できればキッチンで働かせてほしいとお願いしていたからです。その時は、「うん、わかったよ」と軽く返事は頂いていたのですが、まさか初日にフロントをお願いされるとは思っていませんでした。



「キッチンではないのですか」


と尋ねてみました。すると、、、

「日本食レストランだよ?食べ物の名前くらい聞き取れるよね?」


ものすごい圧を感じました。それ以上は何も言えず、「わかりました」としか返せませんでした。



仕事をもらえて喜んでいたのは束の間、緊張で心臓が喉から出てきそうでした。


お客さんが来るのは11時オープン後なので、それまではオーナーが作った海苔巻きや、揚げ物をコンテイナーにパッキングする仕事をし、店を開ける前に棚に並べておきます。レストランのメニューはだいたいこんな感じでした。


*海苔巻き
*寿司の握り
*揚げ物(エビフライ、唐揚げ、餃子)
*うどん
*カレーライス
*照り焼きチキン+ライス
*お好み焼き
*親子丼

単品で、みそ汁や枝豆も売っていました。

この他に、イベントや催し物用に、特別注文を受けたりしていました。

店内にもテーブルやいすはあったのですが、持ち帰りがメインのお店だったので、メニューもとても少なかった印象です。



フロントの仕事は、オーダーの受付、会計、出来上がったオーダーを袋に詰めてお客様にお渡しする。

日本のお弁当屋さんと大体同じですよね。ただお客さんがみんな外国人だっただけです。
(あ、私が外国人か。。)



このレストランで働くまで、「〜をください」という注文の仕方させ知らないほどの英語のレベルでした。本当に慣れるまで大変でした。〜をくださいはちなみに、Can I have 〇〇〇 pleaseです。Can I getという人もいますが言い方はそれぞれです。そのCan I have の後の言葉と何個注文したいかだけを聞き取れれば、なんとかオーダーは取れるので、とにかく耳を澄ませて神経を集中させていました。ただ、注文だけではなく、色んなリクエストをされる時があったので、その時はさすがに理解できず、数年働いている先輩に助けを求めたりして何とか切り抜けました。


勝手にキッチンで働けるものだと思い込み、仕事をもらえてウキウキだったあの感情が全て打ち砕け、でもそのおかげでフロントで、実際にローカルのお客様と会話をできる環境をもらえたのは、本当に良い経験になったと思います。















posted by Mookie at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事
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