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今回のタイトルはガンダムを代表とした作品を作る富野監督の言葉だ。

様々な作品を作り、経験を重ねた人間の言葉というものは非常に重い。

今回紹介するのは「ターンエーの癒し」





これは富野監督がターンエーガンダムを制作するにあたっての秘話やクリエイターや監督としての心構え、そして、ターンエーガンダムまでの監督の精神状態等をつづった作品である。

富野節が随所にちりばめられており、読みにくく感じてしまう部分もあるが、非常に面白い作品だ。

私が特に気に入ったのは歌舞伎や狂言に置ける型について、富野監督が語っているところだ。

富野監督がNHKの番組で、狂言師が子供に狂言を教え、ちょっとした芝居をさせる番組を見た時のエピソードなのだが、子供が狂言師に

「なんでそんなに大きな声がでるの?」と質問した際に

「同じ事を何度も小さい頃から練習していたからだよ」というような旨の返答をした時という話を例にだして、型について言及している。

要約すると、演技の世界において型というのは非常に重要なものであり、反復練習を重ねる事によって、美しさを増す。これを知らないものが何かをやっても非凡なものにはならないといった内容だ。

何故このエピソードが気になったのかといえば、それは今回のタイトルと関係する。
監督は常々、原理原則の重要性、そして、それにとらわれないことの大切さを語る場面を見る。

原理原則というと難しく感じてしまうが、私はこれを基本または基礎と考えている。
基礎や基本を蔑ろにして、新しいものを作る事はできない。基礎基本をおろそかにして、手癖で何かを行うというのは非常に怠惰な事だと思う。

何かに躓いた時は、一度物事の原理原則に返り、そこから新しい物を考えるというのが本当に重要なのだ。

富野監督はアニメの世界で毎作品、新しい試みをしてきた。
しかし、それは作品を壊さない。むしろ、重要なファクターになるのだ。

それが狂言で言えば、型である。
型にはめられた中でどうやって個性を出していくのか、それこそが重要なのではないだろうか。

富野監督は映画に対する憧れが非常に強い。

アニメを作る時も萌アニメにありがちな、手癖で作る感覚を嫌う。

アニメだって映画的なものを作れるという強い信念がアニメ界にガンダムというエポックメイキングな作品を登場させた理由であろう。

それ以外にも非常に性というか、人間の身体性やセクシャリティーへのこだわりが強い。
はっきり言って、理解はできるが、関心するよりも
「あ〜富野さん、そうだよね。そういう風な言い方しちゃうよね」
と富野ファンには堪らない文章を書いてくる。おそらく富野監督はこれを嫌うだろうが。

本の後半はターンエーという作品を作れた事への喜びや価値観の変化等が綴られ、思わず感動してしまった。

特に西城秀樹とのやり取りはすばらしい。西城秀樹という人間の持つプロフェッショナルな部分を見ることができる。


もちろん監督の言っている事が全て正しい訳ではない。しかし、アニメの世界でこれだけ、演劇や芸能、映画に強いこだわりをもった人間は殆どいないだろう。

アニメだけでなく、映像作品、集団で何かをする事について非常に勉強になる本だ。


是非手にとってもらいたい。ちなみに富野監督の奥様の気丈さには大変恐れ入るといった感想も付け加えておこう。

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