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そういえば、この映画の感想を書いてなかったので書いてみようと思う


サマーウォーズ



時をかける少女で一躍世間の注目をあび、日テレが次世代のジブリとして注目している監督、細田守の作品だ。

まず、正直言うとあんまり好きではない作品だ。

ちょっと評価が高すぎる作品であるように思えてならない。これは完全なる主観だから、異論反論はもちろんあるだろうけど。

この作品はネットでの仮想空間で何かをする事自体が労働になっていて、世界のインフラも一本化されている。そこに変なウイルスが登場、世界が危機に陥る。という話。

すべてのインフラを一本化する分けないやろという突っ込みはさておき、その危機を救うのがアナログな田舎に住む家族。

日本の伝統的な、そして今はもう存在すら危ぶまれる古典的な家族構成だ。

デジタルの問題をアナログが解決する。また、手段もアナログだ。これが作品の物語の中心。

結局は説教なんだ。やっぱり大切なのはデジタルでは無く、アナログの人間同士の触れ合いだったり、身体性であるのだというメッセージが伝わってくる。

でも、この作品の世界くらいネットが発達しているのであれば、現実に置ける身体性とネットにおける身体性って差がないのでは?と思う。

なぜコミュニケーションに優越をつけるのかが自分にはわからない。どちらも大事にすれば、いい事だし、好きな方を選択すればいい。選べる手段が増えた分可能性が広がっただけであって、別にどちらが優れているなんて事はないのに。

今の世界ではまだ、人と人とがふれあうというのがネットを介して出来るまでの技術ではないけど、サマーウォーズの世界観であれば、それは可能なんじゃないかと思う。

一番この作品で納得いかなかったのは、ナツキの家族の長のおばあちゃん。彼女はピンチになった時に電話帳と電話で様々な人脈を活かして危機に立ち向かう。

それは無いよと思った。それって技術を信じていないって事でしょ?ネットで出来た関係なんて所詮上っ面な物で、本当に大事なのはアナログの人間の触れ合いなんだと言われているような感じがした。

今は確かにそうかもしれない。でも、アバター間を自分の分身として、社会のインフレを構築しているシステム上で動けるような世界ならば、それこそアナログな人間関係と同等なはず。

どうしても納得できない。あの説教は宮崎駿や富野監督がするべき説教ではあっても、細田監督のような若い人間がするべき説教ではないんだ。

むしろ、細田守監督がするべき説教はそういう新しい技術を頭から否定し、未来を生きようとしない老人だと思う。

原監督はそれをやった。大人帝国で。

過去の思い出は美化されるし、尊い物に見える。確かに大切な物ではあるけど、その呪縛を乗り越えて未来に向かうのが人間の進化だと思う。

そりゃ〜アナログが大切といえば、老若男女は喜ぶよ。今までの価値観を否定されずにすむから。

そこに一歩踏み込んで、宮崎駿程度の説教で終わらないで、未来に向かう何かを細田監督には提示してもらいたかった。


今まで紹介した作品のまとめ

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