自分は、自民党の裏金問題に、大して重要とは感じていない。なぜなら、きれいだが仕事をしない政治家は使えないと思っているからだ。自民党は政治資金規正法改正案を公明党と共同で、提出するのを諦め、単独で提出するそうだ。自民党は、反省していないのかもしれないが、大して重要とは感じていない。
自分は、今は退社したが、B製薬で1998年の26歳の頃、社長候補だった。自分は、正論を実行し、やって出来なかったのだからと、会社とも喧嘩するような正義感の持ち主で、ドラマ「踊る大捜査線」の青島みたいな感じだった。会社の中でも、きれいごとを言う人は、会社の言う通りに従いますよ、責任は取りませんよ、ただ従っただけですからねという人ばかりだった。嘘の報告を平気でし、この会社の文化・風習なんだと自分に言い聞かせて、自分は正しいんだと信じ込み、保身ばかり考え正義の実行を出来ない人ばかりだった。本当の報告をする事は自分自身に責任があり、それを聞いて会社が対応できなかったのは会社の責任で、報告をする事を果たそうとする正義感が彼らは欠如していた。嘘の報告とは、社長の方針の、全ドクターを訪問するという活動で、実際会ってくれないドクターは沢山いるのに、訪問出来ませんでしたと言う事が出来ず、会ってくれましたと会社に報告する事だった。それは、1200人位いる営業(MR)で、最終的には自分以外の全てだった。理由は、以前、社長に会ってくれませんでしたと言うと、他の人は出来ている(嘘をつけている)出来ない訳が無いと左遷を頻発し粛清する事と、社長は融通が利かず、激怒するとコントロール不能になるので恐れられていた為だった。そんなきれいごとを言うが、責任を果たさない人が多いのを見ているので、世の中の大半の人が、極限の世界では駄目なんだろうなと感じている。
たぶん、野党も、本気で国民を守るために、一番怖いと思う人とは戦えないだろう。いわゆる、使えない政治家だろう。では、自民党は使えるのだろうか?自分は、十分使えるとは、感じない。しかし、政治は、ダーティーな面も多い。国民の意見をただ聞くだけでは、出来ないだろう。そんな点で、自民党は、現実的であると思う。かつて、ケ小平は、現実を見て、国民の為に良いと思い、きれいごとをだけではなく、改革を行った。彼は、頭が良かったのだろう。野党を見ていると、きれいごとは言うが、実行はどこまでできるか、それほどの俊傑は見当たらない。
じゃあ自分が、立候補すればいいんだと、主張したい読者も多いだろう。しかし、彼らは、ブログのコメントも出来ないし(許されていないからだろうが)、自分の周りの同僚達はブログ読んでますよとさえ言えない状況だ。そんな中で、ドン・キホーテみたいに、(何か規制がかかっている)現実を見ず、立候補などは出来ない。党員・支持者さえいない(連絡取れないのだろうが)ので、孤軍奮闘・徒手空拳な感じで、まずは、ブログ政党をやって行こうと思う。
自分が、自民党のダーティーな面を黙認するのは、本当に国民の為になるのはどっちかを、熟慮しての判断だ。今の日本は、人口が増え続けた高度成長期みたいに余裕は無い。自民党を選ぶのは、いわゆる、ギリギリの選択だ。ただ、次の国政選挙では、比例代表制では自民党でなく、公明党に入れる事を検討している。元自民党の吉川赳衆議院議員みたいに、3度選挙で落選していても、3度比例で復活当選する事が、比例代表制で自民党に入れると起きてしまうだろう。お灸はすえなければいけない。
文章は、まとまっていませんが、一人でやっているので、ご了承ください。自分は、現代の「アンタッチャブル」なのだろう。かつて1997年に、とある人に直訴する前の日に、レンタルビデオ店で、映画「アンタッチャブル」を借りて、勇気をもらい、直訴した事がある。その直訴の前の夜、繰り返し映画のシーンで観たのは郵便局へのガサ入れで、ショーンコネリーさんが「このドアを破ったら最後だぞ。後へは戻れんぞ」と言う場面で、自分も「分かってる」というセリフを何度も繰り返し観て、言葉にして勇気を奮い立たせていました。あの時は25歳の夏だったが、自分がやらねば誰がやると、自分に繰り返し言い聞かせていた。直訴の時は、素手で刀の前に飛び込んで行く感じでした。
私・久木野謙司は、諸葛亮の再来です。慎重極まり無く、誠実極まり無い性格をしていて、とても優しく、とても頭がいいです。自分は、政治関係のブログの投稿で、「投稿する」のボタンを押す時、映画『真夏のオリオン』の(玉木宏さんが演じる)艦長が魚雷発射時のセリフ「撃てぃ!」と必ず言ってしまいます。自分の中の戦いなんでしょうね。
「撃てぃ!」(映画『真夏のオリオン』の艦長のセリフより)。
ブログ政党キリスト教自由党党首・久木野謙司