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2017年12月04日

日本人のルーツを探る(7)

日ユ同祖論に対し、扶余国の民族的な繋がりは有りそうも
ありませんでした。

次は、徐福についてです。

徐福(じょふく)は、中国・秦(しん)国の方士です(紀
元前3世紀頃)。始皇帝の命を受け、東方に船出し、王とな
り戻らなかったとの記述があります。

紀元前3世紀頃といえば、須佐之男命の奴国建国の少し前と
いうところでしょうか。

始皇帝の信用厚く、おそらく一族または同郷の出であったの
かもしれません。方士ですから、道教だったのでしょう。
本人にユダヤとの直接の関係は見いだせません。

連れて来た仲間の中にそういった人もいた可能性もあります。

そもそも秦の本拠地は、黄河の支流・渭水の近く、西安の西
に位置し、青海湖の南東にありました。

その地はシルクロードにもほど近く、古くより、西方の異民
族との交流もあったはずだと思われます。

イスラエルの「失われた10支族」は、北王国が、紀元前722
年頃にアッシリアにより滅ぼされたため、行方知れずとなっ
た古代ユダヤ民族です。

その間500年、ユダヤ民族が東方へ向かいたどり着いたと
すれば、何ら不思議なことではありません。

ただ、始皇帝自身がユダヤ人という説は否定しておきます。
もし、そうであれば、中国の歴史自体が塗り替えられていた
はずだからです。始皇帝は皇帝になったのですから。

中国にユダヤの痕跡が殆どない以上、始皇帝がユダヤ人であ
ったことなど有り得ないと思います。

さて、徐福ですが、「王となり戻らなかった」との記述が引
っかかります。

これについて、次に述べることにします。

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