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2017年12月02日

日本人のルーツを探る(4)

日本におけるユダヤの痕跡は、

@諏訪神社(御頭祭、守屋山他多数)
A四国・剣山(アーク聖櫃伝説)
B三種の神器(八咫鏡のヘブライ語)
C日本語とヘブライ語の類似
Dエルサレム神殿の16弁菊花紋
E水や塩で身を清める禊の方法

F伊勢神宮参道灯篭の六芒星
G籠神社の裏家紋(六芒星)

H大避神社
I仁徳天皇陵の中島の形(マナの壺)
Jお神輿
K朱塗りの鳥居
L木嶋坐天照御魂神社の三ツ鳥居
M狛犬
N祇園祭の山鉾「鯉山」(ダビデ王)
O正月の餅(過越祭)

他、たくさん有ります。

もう、ここまで証拠がそろえば、何らかの関係があることに
疑いの余地はありません。

実際に、間違いなく関係があると思われるのは、H〜Oです。

それは、応神天皇の時代、大陸からやって来た秦氏の存在です。
秦氏は、大陸の景教(キリスト教)を持ち込んだと思われます。

しかも、京都を中心に八幡神社を始めたくさんの神社を建立し
日本古来の神道と融合させた文化を浸透させていった可能性が
あります。

しかし、@〜Gは秦氏とあまり関係がなさそうです。

特にFとG(@も可能性がありますが)は、奴国系と関係があ
りそうです(Fは天照大神が饒速日尊だとすると)。

Fは、GHQが関与したとの説がありますが、GHQと関係があり
そうもない天皇家系の地方の神社でも目撃したことがあります
ので、これは違うと思います。

そうすると、前稿で触れましたように、弥生民族とユダヤの繋が
りは遺伝的にありませんし、また、日向系にはその痕跡は有りま
せんので、あるとすれば、須佐之男命の家系の中にあることにな
ります。

どうも、扶余国を調べてみる必要がありそうです。

もう一つ、残された可能性は、徐福です。徐福は秦の始皇帝と関
係がありますので、これも調べてみないといけません。始皇帝は
西方からやって来たという説もありますので、可能性は否定でき
ません。

その場合不思議なのは、徐福を祀る神社があまりにも少ないこと
です。

他の祖先たちが神として祀られる中でその存在感が希薄過ぎます。

扶余と徐福、この辺に日ユ同祖論のカギがありそうです。

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