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2018年03月27日

雨の巻 第11帖

日の出のΘ様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ、わかりたか。めんめめんめに心改めよと申してあろうがな、人民というものは人に言われては腹の立つことあるものぢゃ、腹立つと邪気起こるから、めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんということよくわかりておりながら、まだ智や学でやるつもり、Θの国のことするつもりでいるのか、わからんと申してあまりでないか。
何事もわかった臣民、口に出さずに肚に鎮めておけよ、言うてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのぞ、Θが申さすから心配ないぞ、それまでは気(け)も出すなよ。二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所だけ清い穢れんところ残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、Θの国、Θの子はΘのΘの生神が護っているから、いよいよとなったら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、末代のとどめの立て替えであるから、よう腰抜かさんように見て御座れ、長うかかりては一もとらず二もとらさず、Θ国は潰れ、道は滅びてしもうから、早う早うと気もない時から気つけているのぢゃが、Θの申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。
この道難しい道でないからそのままに説いて聞かしてやれよ、難かし説くとわからんようになるのぞ。平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しいことも臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。霊術も言霊(ことだま)もよいなれど、ほどほどに、三分くらいでよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さえすごして行けばよいように今の臣民まだ思っているが、それは四ツ足の四つの悪の守護であるくらいわかりておろがな。
悪とは他を退けることであるぞ、まつりまつりとくどう申してあることまだわからんのか、今外国よいと申している臣民は外国へ行っても嫌われるぞ、外国にも住むとこ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、ガイコクとは我れ善しの国のことぞ、Θ国は大丈夫ざが、外国や日本の国大丈夫とは申されんぞと言分けて申してあろうがな。
日月の集団(まどい)作り、協会作ってもならんが✓入れた集団作らなならんぞ、〇も作らず✓も入らずに力出ないくらいわかりておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろうが、盲(めくら)には困る困る。人の苦労あてにして我が進んで苦労せんような人民ではΘの気感(きかん?)にかなわんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのぞ、苦の花咲くのざぞ、富士に木花咲耶姫のΘ祀りてくれと申してあろうがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。
十二月七日、ひつ九のか三。


日の出のΘ様は、彦火火出見尊であり、本命、火遠理命=山幸彦ですが、饒速日尊(火明)の可能性もあります。また、神武天皇の諱(いみな)が彦火火出見だそうなのですが、本稿では瓊瓊杵尊に比定していますのでここでは無視しています。火遠理命も神武天皇の祖父ということになっていますが、この辺の日向の家系は錯綜していますので、綏靖天皇のことだということにしておきます(山幸=綏靖、海幸=手研耳命(たぎしみみのみこと)。須佐之男大王の子供、饒速日尊が、神武天皇(天照大御神の孫)の義父という前提でお話しています。

「人民というものは人に言われては腹の立つことあるものぢゃ、腹立つと邪気起こるから、めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんということよくわかりておりながら、まだ智や学でやるつもり、Θの国のことするつもりでいるのか、わからんと申してあまりでないか。」
腹を立てると邪気が起こるそうです。智や学で解決しようとせずに神心で応じろということでしょう。

「何事もわかった臣民、口に出さずに肚に鎮めておけよ、言うてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのぞ、Θが申さすから心配ないぞ、それまでは気(け)も出すなよ。二十二日の夜に実地が見せてあろうがな」
実地があったようですね。肚に鎮めておいてしかるべき時に言葉を発する。息吹、言霊でしょう。

「一所だけ清い穢れんところ残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、Θの国、Θの子はΘのΘの生神が護っているから、いよいよとなったら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、末代のとどめの立て替えであるから、よう腰抜かさんように見て御座れ、長うかかりては一もとらず二もとらさず、Θ国は潰れ、道は滅びてしもうから、早う早うと気もない時から気つけているのぢゃが、Θの申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。」
一か所だけは、「清く、穢れのない」場所は残しておく必要があるようです。長くかかっては国は潰れ、道は滅びてしまうそうですが、もう随分時間がたっています。

「この道難しい道でないからそのままに説いて聞かしてやれよ、難かし説くとわからんようになるのぞ。平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しいことも臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。霊術も言霊(ことだま)もよいなれど、ほどほどに、三分くらいでよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さえすごして行けばよいように今の臣民まだ思っているが、それは四ツ足の四つの悪の守護であるくらいわかりておろがな。」
身魂磨きと惟神の道ですね。

「悪とは他を退けることであるぞ、まつりまつりとくどう申してあることまだわからんのか、今外国よいと申している臣民は外国へ行っても嫌われるぞ、外国にも住むとこ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、ガイコクとは我れ善しの国のことぞ、Θ国は大丈夫ざが、外国や日本の国大丈夫とは申されんぞと言分けて申してあろうがな。」
自分だけ良ければいいという考え方は悪だそうです。Θ国は大丈夫だけど、日本の国が大丈夫とは限らないそうです。

「日月の集団(まどい)作り、協会作ってもならんが✓入れた集団作らなならんぞ、〇も作らず✓も入らずに力出ないくらいわかりておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろうが、盲(めくら)には困る困る。」
ただの寄せ集めではなく、身魂磨けた人たちでの集団は必要だそうです。集団のつくり方は神が集めるということだったと思います。ただ、見かけや身分によらず訪れた人を丁寧に扱えよということだったと思います。

「人の苦労あてにして我が進んで苦労せんような人民ではΘの気感(きかん?)にかなわんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのぞ、苦の花咲くのざぞ、富士に木花咲耶姫のΘ祀りてくれと申してあろうがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。」
他人事だと思って自ら苦労しない人には「苦の花」が咲くそうです。富士(不死)の木之花咲耶姫に永遠の誠の花が咲くそうです。


posted by mydears at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 雨の巻
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