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2018年03月26日

雨の巻 第10帖

天の岩戸開いて地の岩戸開きにかかりているのざぞ、我一力(われいちりき)では何事も成就せんぞ、手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。霊肉共に岩戸開くのであるから、実地の大峠のいよいよとなったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ、人民には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少ないし、Θも閉口ぞ。酷いところほど身魂に借銭あるのぢゃぞ、魂の悪きことしている国ほど厳しき戒(いまし)め致すのであるぞ。
五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るし、カス出さねば力出んし、それでΘは掃除ばかりしているのざぞ、Θの臣民それで神洲清潔する民であるぞ、キが元と申してあろうが、キが餓え死にすると肉体餓え死にするぞ、キ息吹けば肉息吹くぞ、Θの子はΘのキ頂いているのざから、食う物無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあろうが、キはいくらでも大きく結構に自由になる結構なΘのキざぞ。臣民利巧(りこう)なくなればΘのキ入るぞ、Θの息通ふぞ、凝りかたまるとコリになって動き取れんから苦しいのざぞ、馬鹿正直ならんと申してあろうがな、三千年余りで身魂の改め致して、因縁だけのことは否でも応でも致さすのであるから、今度の御用はこの神示読まいでは、三千世界のことであるからどこ探しても人民の力では見当取れんと申してあろうがな、どこ探してもわかりはせんのざぞ、人民の頭でいくら考へても智しぼっても学ありてもわからんのぢゃ。ちょこらわかるような仕組なら、こんなに苦労致さんぞ、ΘΘ様さえわからん仕組と知らしてあろうが、何より改心第一ぞと気つけてあろうが、神示肚に入れば先見え透くのざぞ。この地(つち)も月と同じであるから、人民の心そのままにうつるのであるから、人民の心悪くなれば悪くなるのざぞ、善くなれば善くなるのぞ。
理屈は悪と申してあろうが、悪の終わりは共食ぢゃ、共食いして共倒れ、理屈が理屈と、悪が悪と共倒れになるのが神の仕組ぢゃ、とわかっていながらどうにもならんことに今に世界がなって来るのぞ、逆に逆にと出て来るのぢゃ、何故そうなって来るかわからんのか、神示読めよ。
オロシヤの悪神の仕組、人民には一人もわかっていないのざぞ。Θにはようわかっての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、この方に任せておきなされ、一切心配なくこの方の申すようにしておりて見なされ、大舟に乗っていなされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、どこにいても助けてやるぞ。雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神様、祈りなされよ、世の元からの生き通しの生神様、拝みなされよ。日月の民を練りに練り、大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人ばかりでないぞ、大和魂とはΘの魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取り違いせんように気つけおくぞ。
出かけの港はここぢゃぞ、皆に知らしてやりて下されよ、いくら道進んでいても後戻りぢゃ、この神示が出発点ぞ、出直して神示から出て下されよ、我張りてやる気ならやりて見よれ、九分九分九厘で鼻ポキンぞ、泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気つけているのぢゃ、足あげて顔の色変える時近づいたぞ、世立て替えて広き光の世と致すのぢゃ、光の世とは光なき世であるぞ、この方の元へ引き寄せて、目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのぢゃ、気つけていて下されよ、どちら行くつもりぢゃ。
十一月二十七日、一二Θ。


「天の岩戸開いて地の岩戸開きにかかりているのざぞ、我一力(われいちりき)では何事も成就せんぞ、手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。霊肉共に岩戸開くのであるから、実地の大峠のいよいよとなったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ、人民には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少ないし、Θも閉口ぞ。酷いところほど身魂に借銭あるのぢゃぞ、魂の悪きことしている国ほど厳しき戒(いまし)め致すのであるぞ。」
天の岩戸は開いています。地の岩戸は未だ開いておりません。地の身魂磨きが終わっていないようです。状況の酷いところほど借銭があり、悪いことをしている国ほど、厳しい戒めが待っているようです。

「五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るし、カス出さねば力出んし、それでΘは掃除ばかりしているのざぞ、Θの臣民それで神洲清潔する民であるぞ、キが元と申してあろうが、キが餓え死にすると肉体餓え死にするぞ、キ息吹けば肉息吹くぞ、Θの子はΘのキ頂いているのざから、食う物無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあろうが、キはいくらでも大きく結構に自由になる結構なΘのキざぞ。臣民利巧(りこう)なくなればΘのキ入るぞ、Θの息通ふぞ、凝りかたまるとコリになって動き取れんから苦しいのざぞ、馬鹿正直ならんと申してあろうがな」
五と五は安定ではあるが、凝りでもあり、動きが取れず苦しくて力が出ない。四と六や三と七は動きがあり力が出るが汚れも出る。その汚れは神が掃除する。全てはキが元なので、屁理屈をなくして神の気を入れればどんどん大きく自由になっていくぞということです。

「三千年余りで身魂の改め致して、因縁だけのことは否でも応でも致さすのであるから、今度の御用はこの神示読まいでは、三千世界のことであるからどこ探しても人民の力では見当取れんと申してあろうがな、どこ探してもわかりはせんのざぞ、人民の頭でいくら考へても智しぼっても学ありてもわからんのぢゃ。ちょこらわかるような仕組なら、こんなに苦労致さんぞ、ΘΘ様さえわからん仕組と知らしてあろうが、何より改心第一ぞと気つけてあろうが、神示肚に入れば先見え透くのざぞ。この地(つち)も月と同じであるから、人民の心そのままにうつるのであるから、人民の心悪くなれば悪くなるのざぞ、善くなれば善くなるのぞ。」
今度の御用は、三千年の総決算ということです。この間の因縁はどうしても取り除かなければならないので、何より改心が必要だということです。地上の出来事も月と同じように人々の心をそのまま写し出すので善くも悪くもなるということです。

「理屈は悪と申してあろうが、悪の終わりは共食ぢゃ、共食いして共倒れ、理屈が理屈と、悪が悪と共倒れになるのが神の仕組ぢゃ、とわかっていながらどうにもならんことに今に世界がなって来るのぞ、逆に逆にと出て来るのぢゃ、何故そうなって来るかわからんのか、神示読めよ。」
どんな理想・理屈を掲げようと人間の浅知恵では、最後は共食い・共倒れだそうです。ライフサイクル(生存競争)の頂点に立つ人間も、人間同士の競争や飽食、環境破壊で、最後には終末を迎えるということでしょう。

「オロシヤの悪神の仕組、人民には一人もわかっていないのざぞ。Θにはようわかっての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、この方に任せておきなされ、一切心配なくこの方の申すようにしておりて見なされ、大舟に乗っていなされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、どこにいても助けてやるぞ。雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神様、祈りなされよ、世の元からの生き通しの生神様、拝みなされよ」
オロシヤの悪神の仕組は、神の仕組に見せかけた共産主義(に名を借りた独裁・専制)のことでしょうか。
本家は破綻しましたが、今なお、その亜流・亜種が世界中にはびこっています。また、その対極をなす自由主義もいたるところにほころびを見せ始めています。これもオロシヤの悪神の仕組の一部なのでしょうか。

「日月の民を練りに練り、大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人ばかりでないぞ、大和魂とはΘの魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取り違いせんように気つけおくぞ。」
大和魂は、現在の日本人が思っているようなものではなく、和の心、思いやりの心、神を敬う心のことです。世界中の人々にもある「善と愛の心」です。

「出かけの港はここぢゃぞ、皆に知らしてやりて下されよ、いくら道進んでいても後戻りぢゃ、この神示が出発点ぞ、出直して神示から出て下されよ、我張りてやる気ならやりて見よれ、九分九分九厘で鼻ポキンぞ、泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気つけているのぢゃ」
日月神示に書かれていることを実践しないと、やり直しになるので注意してくださいとのことです。

「足あげて顔の色変える時近づいたぞ、世立て替えて広き光の世と致すのぢゃ、光の世とは光なき世であるぞ、この方の元へ引き寄せて、目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのぢゃ、気つけていて下されよ、どちら行くつもりぢゃ。」
今は辛いが結果的に楽な道を行きましょう。

posted by mydears at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雨の巻
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