2018年03月23日
雨の巻 第9帖
Θの智と学の智とは、始めは紙一重であるが先に行くほどンプ(?)出来て来て天地の差となるぞ、ΘのΘの薬のやり方、悪のΘの毒のやり方となるぞ、Θの御用が人の御用ぞ、人の御用がΘの御用であるなれど、今の臣民
Θの御用するのと人の御用するのと二つに分けているが、見苦しき者にはこれからは御用致させんことに決まりたから気つけておくぞ。
何事も順正しくやりて下されよ、Θは順であるぞ、順乱れたところに、Θのはたらき現われんぞ。何もせいで善きことばかり待ちていると物事後戻りになるぞ、Θの道には後戻りないと申してあろがな、心得なされよ、一(はじめ)の火消えているでないか、まだわからんか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾(が)のような心では今度の御用出来はせんぞ、表面(うわつら)飾りて誠のない教えのところへは人集まるなれど、誠の道伝えるところへは臣民なかなか集まらんぞ、見て御座れよ、いくら人は少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、縁ある者は一時にΘが引き寄せると申してあろうがな、人間心で心配致してくれるなよ。
目眩(めまい)する人も出来るぞ、(ふんのびる人も沢山に出来て来るぞ、)行けども行けども白骨ばかりと申してあろうがな、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、上にあがりきらんうちにグレンぞ、せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、こうなることは世の元からわかっているのであるから、もう無茶なことは許さんぞ。軽い者ほど上に上にとあがって来るぞ、仕組通りになっているのざから、臣民心配するでないぞ。今度Θの帳面から除かれたら永遠に世に出ること出来んのであるから、近慾に目くれてせっかくのお恵みはずすでないぞ、Θ気つけておくぞ。人の苦しみ見て、それ見たことかと申すような守護神に使われていると気の毒出来るぞ。
世立て替えて先のわかる世と致すのぢゃ、三S(さんエス)の神宝と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、毒と薬で裏腹であるぞ。 五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生まれんぞ、力生まれるから、カラ(カス?)出来るのぞ、カラ掃除するのがΘの大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除すること大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗(つ)きまぜてこねまぜて、天晴れこの世の宝と致す仕組みざぞ、わかりたか。一方の3Sよりわからんから、人民いつも悪に落ち込むのぢゃ、この道は中行く道と申して知らしてあろうがな、力余ってならず、力足らんでならず、しかと手握りてじっと待っていて下されよ、誠の教えばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行い出来んとこの道開けんぞ、理屈申すでないぞ、いくら理屈立派であっても行い出来ねば悪であるぞ、この世のことは人民の心次第ぞ。
十一月二十七日、ひつ九のか三。
智のやり方は薬のやり方、学のやり方は毒のやり方、最初は同じようですが段々差が出て来て、最後には天地の違いになるようです。神の御用と人の御用の話が出て来ました。神の御用は神を受け入れ惟神(かんながら)の道を目指すことで、人の御用は日々の生活を真面目に取り組むということでしょうが、「二つに分け」ることは見苦しき者になるようです。人の御用を果たす上でも惟神の道を踏まえた上で行えということでしょう。悪事(学のやり方)に手を染めることは悪神の手先になることと同意なので注意しなさいということだと思われます。
何事も順序が大事だそうです。高き所から低きところへ水が流れるように自然に物事を運べということです。後戻りは神の道ではないそうです。
一(はじめ)の火は、「霊=魂」のことだと思われます。都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾のように
表面ばかりで虚飾に満ちた誠のない教えのもとに人が集まっているぞということです。
戦後のどさくさにまぎれて悪魔は「軽い者ほど上に上にとあがって来る」仕組を作っているが、これは、神の仕組でもあり、全て分かっていることだから、心配する必要はないとのことです。今度は、永遠に世に出ることが出来なくならないよう、近慾に目をくれず、せっかくのお恵みを受け取れよとのことです。人の苦しみを見て、それ見たことかと考えるような悪い守護神に使われていると残念な結果になるとのことです。
世の中の立て替えが行われると、先に起こることが全て分かるようになるそうです。
「三S(さんエス)の神宝と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、毒と薬で裏腹であるぞ」
三Sの神宝は、三種の神器で薬です。3Sの神宝は、「sex(セックス)、screen(映画)、sports(スポーツ)」です。毒だそうです。この3Sの娯楽を使って人間を思考力のない奴隷にすることが「悪の仕組」だそうです。気をつけましょう。
「五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生まれんぞ、力生まれるから、カラ(カス?)出来るのぞ、カラ掃除するのがΘの大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除すること大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗(つ)きまぜてこねまぜて、天晴れこの世の宝と致す仕組みざぞ、わかりたか。一方の3Sよりわからんから、人民いつも悪に落ち込むのぢゃ」
三種の神器(火、水、魂)と3Sの神宝を搗きこね混ぜて、カスを取り除き、「この世の宝」とするそうです。
「この道は中行く道と申して知らしてあろうがな、力余ってならず、力足らんでならず、しかと手握りてじっと待っていて下されよ、誠の教えばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行い出来んとこの道開けんぞ、理屈申すでないぞ、いくら理屈立派であっても行い出来ねば悪であるぞ、この世のことは人民の心次第ぞ。」
誠の教えと誠の行い、両立して初めて成就するので、それまで、じっと誠の行いの実践をして待っていなさいよとのことです。
Θの御用するのと人の御用するのと二つに分けているが、見苦しき者にはこれからは御用致させんことに決まりたから気つけておくぞ。
何事も順正しくやりて下されよ、Θは順であるぞ、順乱れたところに、Θのはたらき現われんぞ。何もせいで善きことばかり待ちていると物事後戻りになるぞ、Θの道には後戻りないと申してあろがな、心得なされよ、一(はじめ)の火消えているでないか、まだわからんか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾(が)のような心では今度の御用出来はせんぞ、表面(うわつら)飾りて誠のない教えのところへは人集まるなれど、誠の道伝えるところへは臣民なかなか集まらんぞ、見て御座れよ、いくら人は少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、縁ある者は一時にΘが引き寄せると申してあろうがな、人間心で心配致してくれるなよ。
目眩(めまい)する人も出来るぞ、(ふんのびる人も沢山に出来て来るぞ、)行けども行けども白骨ばかりと申してあろうがな、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、上にあがりきらんうちにグレンぞ、せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、こうなることは世の元からわかっているのであるから、もう無茶なことは許さんぞ。軽い者ほど上に上にとあがって来るぞ、仕組通りになっているのざから、臣民心配するでないぞ。今度Θの帳面から除かれたら永遠に世に出ること出来んのであるから、近慾に目くれてせっかくのお恵みはずすでないぞ、Θ気つけておくぞ。人の苦しみ見て、それ見たことかと申すような守護神に使われていると気の毒出来るぞ。
世立て替えて先のわかる世と致すのぢゃ、三S(さんエス)の神宝と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、毒と薬で裏腹であるぞ。 五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生まれんぞ、力生まれるから、カラ(カス?)出来るのぞ、カラ掃除するのがΘの大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除すること大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗(つ)きまぜてこねまぜて、天晴れこの世の宝と致す仕組みざぞ、わかりたか。一方の3Sよりわからんから、人民いつも悪に落ち込むのぢゃ、この道は中行く道と申して知らしてあろうがな、力余ってならず、力足らんでならず、しかと手握りてじっと待っていて下されよ、誠の教えばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行い出来んとこの道開けんぞ、理屈申すでないぞ、いくら理屈立派であっても行い出来ねば悪であるぞ、この世のことは人民の心次第ぞ。
十一月二十七日、ひつ九のか三。
智のやり方は薬のやり方、学のやり方は毒のやり方、最初は同じようですが段々差が出て来て、最後には天地の違いになるようです。神の御用と人の御用の話が出て来ました。神の御用は神を受け入れ惟神(かんながら)の道を目指すことで、人の御用は日々の生活を真面目に取り組むということでしょうが、「二つに分け」ることは見苦しき者になるようです。人の御用を果たす上でも惟神の道を踏まえた上で行えということでしょう。悪事(学のやり方)に手を染めることは悪神の手先になることと同意なので注意しなさいということだと思われます。
何事も順序が大事だそうです。高き所から低きところへ水が流れるように自然に物事を運べということです。後戻りは神の道ではないそうです。
一(はじめ)の火は、「霊=魂」のことだと思われます。都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾のように
表面ばかりで虚飾に満ちた誠のない教えのもとに人が集まっているぞということです。
戦後のどさくさにまぎれて悪魔は「軽い者ほど上に上にとあがって来る」仕組を作っているが、これは、神の仕組でもあり、全て分かっていることだから、心配する必要はないとのことです。今度は、永遠に世に出ることが出来なくならないよう、近慾に目をくれず、せっかくのお恵みを受け取れよとのことです。人の苦しみを見て、それ見たことかと考えるような悪い守護神に使われていると残念な結果になるとのことです。
世の中の立て替えが行われると、先に起こることが全て分かるようになるそうです。
「三S(さんエス)の神宝と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、毒と薬で裏腹であるぞ」
三Sの神宝は、三種の神器で薬です。3Sの神宝は、「sex(セックス)、screen(映画)、sports(スポーツ)」です。毒だそうです。この3Sの娯楽を使って人間を思考力のない奴隷にすることが「悪の仕組」だそうです。気をつけましょう。
「五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生まれんぞ、力生まれるから、カラ(カス?)出来るのぞ、カラ掃除するのがΘの大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除すること大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗(つ)きまぜてこねまぜて、天晴れこの世の宝と致す仕組みざぞ、わかりたか。一方の3Sよりわからんから、人民いつも悪に落ち込むのぢゃ」
三種の神器(火、水、魂)と3Sの神宝を搗きこね混ぜて、カスを取り除き、「この世の宝」とするそうです。
「この道は中行く道と申して知らしてあろうがな、力余ってならず、力足らんでならず、しかと手握りてじっと待っていて下されよ、誠の教えばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行い出来んとこの道開けんぞ、理屈申すでないぞ、いくら理屈立派であっても行い出来ねば悪であるぞ、この世のことは人民の心次第ぞ。」
誠の教えと誠の行い、両立して初めて成就するので、それまで、じっと誠の行いの実践をして待っていなさいよとのことです。
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