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2017年11月29日

大和朝廷の謎(29)壬申の乱

昨日も述べましたように、この戦いは、単に天智天皇の後継
問題というだけではなく、皇統の争奪戦の様相も呈している
ようです。

皇極天皇の前夫が高向王でその父親が”不詳”などという(か
りにも天皇の夫の父親ですよ。しかも、大昔の話ではなく
ちょっと前の事)戯言は、明らかに何かを隠しています。

そして、吉野へ逃れた大海人皇子。天智天皇の死後、
第39代弘文天皇(大友皇子)が即位します。

弘文天皇が追っ手を差し向けたという情報をいち早くつか
んだ大海人皇子は、吉野を脱出、伊賀を越え、鈴鹿に出ま
す。そこで、長男の高市皇子、三男の大津皇子と合流し、
桑名へと向かいます。

その間、美濃、伊勢、伊賀、熊野、尾張の豪族たちの支援
を受け、不破の関(関ヶ原)を封鎖、大軍を集結させまし
た。

大和、近江(琵琶湖東岸と西岸)の3方面から、弘文天皇
軍を包み込むように進撃し、大津の東、瀬田橋(現在唐橋)
で、高市皇子が率いる軍勢は、弘文天皇軍と決戦を行い
これを撃破しました。

弘文天皇は自決し、大海人皇子が第40代天武天皇として
即位します。

さて、気になるのが天武天皇の応援勢力です。

特に、尾張氏(おわりうじ)。
壬申の乱では「海部氏に養育された大海人皇子」へ私邸や
資金を提供するなど全面的に支援し、天武天皇の誕生に格
段の功績を上げているとされます。

尾張氏は、日本書紀によると「天火明命を祖神とし天忍人
命から始まる」皇后や妃を輩出した格の高い家系とされて
います。

天火明命は、ご存知「饒速日命」ですから、日向系の天忍
人命から始まるという記述について疑問はありますが、熱
田の南に拠点を持ち、その後裔は熱田神宮大宮司を代々務
めた家系であります。

大海人皇子の名前の「大海人」というのは、海部一族の凡
海氏に幼少期に養育を受けたためその名にちなんだという
説があります。

「海部氏系図」によりますと、同族に大阪「住吉大社」の
社家の津守氏、そして京都府宮津市「籠神社」の社家海部
氏が挙げられています。

「海人族」(安曇、宗像、海部、津守氏)との繋がりが
あやしく感じられます。




posted by mydears at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和朝廷
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