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2017年11月23日

大和朝廷の謎(11)神功皇后(古事記最大のヒロイン)

さて、古事記最大のヒーローが日本武尊命であれば、
最大のヒロインは、神功皇后(じんぐうこうごう)
といえるでしょう。

この方は、本当に凄い。ある意味、日本武尊命を
上回るほどのご活躍です。

また、謎の多い人物でもあります。

まず、出生からして、よく解かりません。
天日矛(アメノヒボコ:新羅からの帰化人)の後裔
だという話もありますが、とにかく、但馬、近江付
近の豪族のご出身のようです。

そして、三韓征伐に出発する際、身重の体であった
にもかかわらず、お腹に月延石や鎮懐石と呼ばれる
石を当ててさらしを巻き、冷やすことによって出産
を遅らせて渡海し、朝鮮半島に出兵して新羅の国を
攻めた(三韓征伐)という逸話もあります。

そして、日本書紀では即位年が西暦201年であり、
卑弥呼に比定される記載も見受けられます(私も最
初、これに騙されていました)。

しかし、実際には西暦320年頃なので、卑弥呼で
はありません。

西暦369年、百済の肖古王(しょうこおう)より、
石上神宮につたわる七支刀を贈られているようです。

西暦390年頃亡くなられていますので、三韓征伐
では、韓国ドラマ・ヨン様の「大王四神記」でお馴
染みの広開土王(こうかいどおう:好太王とも呼ば
れる)との交戦はかろうじて実現していないようです。

最大の謎は、夫である第14代仲哀天皇とのことで
す。

仲哀天皇は、熊襲征伐を強行に主張されていましたが、
神功皇后は神のお告げにより、朝鮮を攻めるべきと
対立し、何故か仲哀天皇は、神の怒りをかって急死
してしまいます。

そして、その後すぐ、神功皇后は朝鮮に出征してい
るので、これは暗殺の可能性があります。

また、この後、生まれた「応神天皇」(オウジンテン
ノウ)は、武内宿禰(タケウチノスクネ)との不義密
通の子との疑惑があります。

皇統的には、武内宿禰も第8代孝元天皇の後裔なので
何ら、問題はありません。

いずれにしても、仲哀天皇は不運な境遇にあったので、
「仲哀」という悲しい名前を贈られたのでしょう。







posted by mydears at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和朝廷
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