2017年11月05日
神社・仏閣は入っていいの?
顕正会でタブーとされている事にまず「謗法」というのがあります。
謗法とは正しくは「謗仏・謗僧」であり、仏を謗り僧を謗るのが謗法です。
顕正会においては他宗教を全て謗法としています、もちろん他宗教では間違った教えである故に成仏できませんし功徳どころが罪障を積んでしまいます。
日蓮正宗においては、他宗を拝んだり信じたりする事はもちろんいけませんが、その施設に入る事は特に禁じておりません。
ようは他宗の神社・仏閣に足を踏み入れるのは問題ないとされています。
これは第9世日有上人の化儀抄において
「一、他宗の神社に参詣し、一礼をもなし、散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法なり。(中略)但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず。」
とあります。
つまり見学するのは構わない、とされています。浅井会長は日蓮正宗信徒であったわけですから、化儀抄を知らないはずがないのです。
また第五十九世日享上人は「有師化儀抄註解」において、第75条について端的に、
『「但し物見・遊山等」とは・信仰帰依の為の参詣にあらざれば差支(さしつかえ)なし』(富士宗学要集1−158ページ)
と仰せです。
では何故、顕正会では神社仏閣に入る事を禁じているのか、顕正会にいた時は第9世日有上人の事は教えられませんでした。日有上人とは中興の祖と言われるほどの方です
先日、自分の通ってるお寺にて顕正会員が訪問して来ました、自分はその時いなかったのですが、最初から最後までお寺には足を踏み入れなかったそうです
御僧侶も信徒の方も「どうぞ中へお入りください」と座って話すよう促されたそうなのですが、頑なに拒否をしたそうです。
組織によって指導は違いますが、自分の所の組織では「日蓮正宗の寺院は本物の御本尊様であるから入っても構わない」と言われていました、組織によって違うのが分かりますね。
また以前鎌倉に諌暁書を配布した時も、みんなで他宗の寺に入りそこの住職と話に行ったものです。つまり法論をする際は入ってもいいというルールがありました。
そもそも足を踏み入れてはいけないとなると、仕事の時はどうするのでしょうか。
警察官や消防士などは寺や神社内で事件や火災があったら当然入らなくてはいけません。
うちの会社の路線でも寺の境内を入るルートがあります。
また、顕正会時代に貸切乗務員(ようは観光バスですね)の募集があり、貸切乗務員に興味があった私は応募を考えました、しかしそういった事情もあり上司に相談してみた所
「伊勢神宮なんかは中に駐車場があるよ、大きい所は入らざるを得ないよねー」
と言われ、貸切乗務員を断念した事がありました。
じゃあ顕正会員は貸切の仕事はできないのだろうか?と悶々とした気持ちになったのは言うまでもありません。
また顕正会歴の長い方の情報では浅井会長のお父さんの甚兵衛さんはテキ屋の仕事をしている講員に対して
「神社に布施としてお金を出すのはダメだけど場所代としてお金を出すのは構わない」
と指導していたと聞きました。
これも化儀抄において
「一、絵師、仏師、或は鍛治、番匠等の他宗なるをつかう事はは、御堂、坊等にも苦しからず、作料を沙汰するが故なり」
例えば大工をしている本宗信徒が他宗の寺の建築を依頼された、などという場合も、
「作料を沙汰する故なり」
すなわち、賃金貰って受けるのであれば、謗法にならないという事になります。
つまり顕正会員で
「誤って謗法の中に入ってしまった、どうしよう」
と悩んでる方(自分も同じ事があり悩んだ事がありましたが・・)、ハッキリ言って問題ありません。
拝んだり寄付したらもちろんいけません。
罰などおきません、それを信じられないという方は日有上人を信じられないという事です。
そんな事よりニセ本尊を拝んでる事の方がよっぽど悪質です
ちなみに日興上人の遺誡置文は、
「旦那の社参物詣でを禁ずべし、何に況や其の器にして一見と称して謗法を到せる悪鬼乱入の寺社に詣ずべけんや。返す返すも口惜しき次第なり。是全く己義に非ず、経文御抄等に任す云云」
(1884ページ)
とあります、化儀抄とは相反するようにも見えますが「化儀抄にやさしい解説」によりますと
『日興上人の当時は、大聖人様の仏法が建立されて間もない頃であり、入信はしたが、まだ大聖人の教えがよくわからない、という人が大勢いた。そういう、まだ信仰の在り方も徹底されていない時であるから、神社仏閣に行けば、信仰の迷いに繋がり、ついつい頭を下げたり手を合わせたり、ということに繋がっていってしまうことが多い。それ故に日興上人は、たとえ一見のつもりでも行ってはいけない、と、神社仏閣へ行くこと自体を堅く禁じられたのである。
しかし、第九世日有上人の頃になると、時代も経過してきており、信徒の間にも大聖人の教えがほぼ浸透してきた。謗法厳誡の精神も徹底され、四箇の格言も心に入っている、という状況である。その堅い信心を持っているならば、仮に、行かざるをえない事情があって神社に見学に行ったとしても、謗法に引きずられるようにはならない。それ故、日有上人は、見物を直ちに謗法と呼ぶわけにはいかない、と示されたのである。』』
という事なのですね。
SOPH・・・さんのブログ「邪教 顕正会はいらない」には顕正会のある総務が「化儀抄はクソだ」ととんでもない暴言を吐いたという記事があります。
現役の皆さんは第9世日有上人の言われる事を信じますか?それとも浅井先生を信じますか?
謗法とは正しくは「謗仏・謗僧」であり、仏を謗り僧を謗るのが謗法です。
顕正会においては他宗教を全て謗法としています、もちろん他宗教では間違った教えである故に成仏できませんし功徳どころが罪障を積んでしまいます。
日蓮正宗においては、他宗を拝んだり信じたりする事はもちろんいけませんが、その施設に入る事は特に禁じておりません。
ようは他宗の神社・仏閣に足を踏み入れるのは問題ないとされています。
これは第9世日有上人の化儀抄において
「一、他宗の神社に参詣し、一礼をもなし、散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法なり。(中略)但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず。」
とあります。
つまり見学するのは構わない、とされています。浅井会長は日蓮正宗信徒であったわけですから、化儀抄を知らないはずがないのです。
また第五十九世日享上人は「有師化儀抄註解」において、第75条について端的に、
『「但し物見・遊山等」とは・信仰帰依の為の参詣にあらざれば差支(さしつかえ)なし』(富士宗学要集1−158ページ)
と仰せです。
では何故、顕正会では神社仏閣に入る事を禁じているのか、顕正会にいた時は第9世日有上人の事は教えられませんでした。日有上人とは中興の祖と言われるほどの方です
先日、自分の通ってるお寺にて顕正会員が訪問して来ました、自分はその時いなかったのですが、最初から最後までお寺には足を踏み入れなかったそうです
御僧侶も信徒の方も「どうぞ中へお入りください」と座って話すよう促されたそうなのですが、頑なに拒否をしたそうです。
組織によって指導は違いますが、自分の所の組織では「日蓮正宗の寺院は本物の御本尊様であるから入っても構わない」と言われていました、組織によって違うのが分かりますね。
また以前鎌倉に諌暁書を配布した時も、みんなで他宗の寺に入りそこの住職と話に行ったものです。つまり法論をする際は入ってもいいというルールがありました。
そもそも足を踏み入れてはいけないとなると、仕事の時はどうするのでしょうか。
警察官や消防士などは寺や神社内で事件や火災があったら当然入らなくてはいけません。
うちの会社の路線でも寺の境内を入るルートがあります。
また、顕正会時代に貸切乗務員(ようは観光バスですね)の募集があり、貸切乗務員に興味があった私は応募を考えました、しかしそういった事情もあり上司に相談してみた所
「伊勢神宮なんかは中に駐車場があるよ、大きい所は入らざるを得ないよねー」
と言われ、貸切乗務員を断念した事がありました。
じゃあ顕正会員は貸切の仕事はできないのだろうか?と悶々とした気持ちになったのは言うまでもありません。
また顕正会歴の長い方の情報では浅井会長のお父さんの甚兵衛さんはテキ屋の仕事をしている講員に対して
「神社に布施としてお金を出すのはダメだけど場所代としてお金を出すのは構わない」
と指導していたと聞きました。
これも化儀抄において
「一、絵師、仏師、或は鍛治、番匠等の他宗なるをつかう事はは、御堂、坊等にも苦しからず、作料を沙汰するが故なり」
例えば大工をしている本宗信徒が他宗の寺の建築を依頼された、などという場合も、
「作料を沙汰する故なり」
すなわち、賃金貰って受けるのであれば、謗法にならないという事になります。
つまり顕正会員で
「誤って謗法の中に入ってしまった、どうしよう」
と悩んでる方(自分も同じ事があり悩んだ事がありましたが・・)、ハッキリ言って問題ありません。
拝んだり寄付したらもちろんいけません。
罰などおきません、それを信じられないという方は日有上人を信じられないという事です。
そんな事よりニセ本尊を拝んでる事の方がよっぽど悪質です
ちなみに日興上人の遺誡置文は、
「旦那の社参物詣でを禁ずべし、何に況や其の器にして一見と称して謗法を到せる悪鬼乱入の寺社に詣ずべけんや。返す返すも口惜しき次第なり。是全く己義に非ず、経文御抄等に任す云云」
(1884ページ)
とあります、化儀抄とは相反するようにも見えますが「化儀抄にやさしい解説」によりますと
『日興上人の当時は、大聖人様の仏法が建立されて間もない頃であり、入信はしたが、まだ大聖人の教えがよくわからない、という人が大勢いた。そういう、まだ信仰の在り方も徹底されていない時であるから、神社仏閣に行けば、信仰の迷いに繋がり、ついつい頭を下げたり手を合わせたり、ということに繋がっていってしまうことが多い。それ故に日興上人は、たとえ一見のつもりでも行ってはいけない、と、神社仏閣へ行くこと自体を堅く禁じられたのである。
しかし、第九世日有上人の頃になると、時代も経過してきており、信徒の間にも大聖人の教えがほぼ浸透してきた。謗法厳誡の精神も徹底され、四箇の格言も心に入っている、という状況である。その堅い信心を持っているならば、仮に、行かざるをえない事情があって神社に見学に行ったとしても、謗法に引きずられるようにはならない。それ故、日有上人は、見物を直ちに謗法と呼ぶわけにはいかない、と示されたのである。』』
という事なのですね。
SOPH・・・さんのブログ「邪教 顕正会はいらない」には顕正会のある総務が「化儀抄はクソだ」ととんでもない暴言を吐いたという記事があります。
現役の皆さんは第9世日有上人の言われる事を信じますか?それとも浅井先生を信じますか?
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