2017年11月11日
顕正会時代の活動
顕正会時代、自分の組織は体育会系でした、今はそこまでひどくはありませんが当時はとてもハードな活動をしていました。
今回はちょっと趣きを変えて体験談的な事を記事にします。
平成12年に入信しましたが当初の隊長は優しい隊長でした、その前の隊長がかなりハードだったのもありどことなく組織の雰囲気も良かった気がします。
しかし平成13年にある隊長が来てからかなりハードになりました。
当時は高校生でしたが夕方に帰るなんて言えば怒られました、また専門学校に上がってからも土曜日にアルバイトを入れようものなら、隊長から電話がかかって来て携帯電話が爆発するかのごとく怒鳴られました。
スーパーのアルバイトでしたから日曜日も無理して休ませて貰ってる以上、土曜日の出勤まで断るのは申し訳ないと思っていたからです。
また夕方からの出勤でも、折伏で3時間近く遅刻をした事もありました。
とにかく全てにおいて仏法を優先していたものです。
特に当時は学校の名簿がありましたから上から順番に電話をかけて段取りを当たっていました。
会館の電話コーナーで隊長が見張る中、朝から晩まで電話を掛けていたものでした。
「おい、まだかよ」
「早く出せよ」
「あと30分で出せ、いいな」
外に出ようものなら
「どこへ行くんだ?」
誰かから着信があれば
「誰?」
きつかったです。
折伏も激しいもので、対象者が反発し、帰ろうとすれば追っかけ回して、前に周り込み、しつこく入信を促します。
逃げ帰ろうものなら時には罵声を浴びせ止めさせたりもしました(自分も性格的にキツくなってたのかと思います)
また自分ではありませんが応援の副長が追っかけて勢いで対象者のTシャツを破ってしまったり、
またマクドナルドで痺れを切らした対象者が、「今日はこれで・・」と1000円札を出した所、
「なんなんだお前はー!」
と怒鳴りイスごと吹っ飛ばしてしまった事もありました。
しかしこのような折伏は法を下げるだけです。顕正会を名を下げるだけならいいですが、日蓮大聖人の御名を下げるという事を肝に銘じておかないといけません。
また、街中で声を掛けて折伏というのも禁止でした(自分のいた組織では「ゲット」と呼ばれていました。) がいつからか「諫暁書を使うならやってもいい」というよく分からない理由によりOKとなったのです。
また会館の閉館(22時30分)後も帰れません。駅まで行って公衆電話で電話をかけます。
また車を手に入れてからはまるで家と反対方向の幹部を送っていくのも日常茶飯事でした、当然ガソリン代等は出ません。むしろ説教されていました
人生経験も未熟で世間も知らぬ若者だったから「こういうもの」と捉えていましたが今思えば常識外れですね。
ただ今はそこまではハードでは無いと思いますが・・自分が最後にいた時の隊長は、きちんと社会人として働き、家庭を持ってるからか常識的な人でした。
ガソリン代も出してくれるし次の日の仕事が早ければ早く帰らせてくれ、世間話もするなど、人としての信頼はしていました。
支隊長は世法上がだらしない所があり、人としてどうかという部分はありましたが信心は強情でした。入信した時から一緒でしたが未活動も退転もなくどんなに踏まれようが叩かれようが健気に貫く所は尊敬していました。
しかし二人とも、自分が日蓮正宗に移り真実を話しても素直に話を聞き入れなく、自分からも隔離しようとしている事、残念です。
また組織の人たちに
「キッコーマンからのメールを着信拒否やブロックをしてほしい」
と必死なまでに隔離させようとする事、本当に正しいならば堂々と説明し、自分を法論、破折できるはずです。
冒頭に出てきた鬼の隊長も今は部長ですがよく登壇してるせいか顕正会内では有名な人です、性格はキツかったですが確かに指導力に溢れ、指導を受けて決起した事もありました。
みんな信心はあると思います、しかしその信心が浅井先生にいってしまってる、そんな気すらします。
なので相手によっては破折をあきらめて「相手にするな」となってしまいます。自分はそれが不服でもありました。
竜ノ口において逃げ出した兵士達が次々と念仏を捨て大聖人様に帰依する光景。
佐渡流罪の際の、塚原三昧堂での邪宗の者どもに対する大聖人様のお振る舞い。
自分は大聖人様のお振る舞いを聞き、身体が痺れるような思いとなりました。
なので大聖人様の精神とは「どのような者でも破折し、正法に帰依させ参る」とのご精神であると思っていたので逃げてしまう事に不服を感じていました。
しかしあまりにも教学力が少ない、当然です、御書も無いし教えてくれるはずの浅井先生は社会情勢の話が中心で破折に対する勉強などできない。
なので日蓮正宗で出している「邪宗破折ガイド」という本は見た時に「これは・・」と感じたものでした。
また同じ所属寺院である樋田さんは私の折伏親のセロリさんの折伏親でもありますが邪宗破折に対する法論には長けており、学会・顕正会だけでなく内道・外道問わず相手を破折し、動画をyoutubeにあげています。
最近ではエホバの証人
https://www.youtube.com/watch?v=S9wUmt53o1M&feature=youtu.be
金光教
https://www.youtube.com/watch?v=qEF1o9Dakuk&feature=youtu.be
念法真教
https://www.youtube.com/watch?v=vMSd56eeaZw&feature=youtu.be
仏所護念会
https://www.youtube.com/watch?v=GgZLkylROqU&feature=youtu.be
このように樋田さんのように法論に長けている法華講の諸先輩方の人達の折伏を参考にし、邪宗を相手にしていく・・そして少しでもこの世から邪教を減らし正法に帰依させる事こそ真の正しい日蓮大聖人の仏法であると自分は思います。
浅井先生を師としては正しい仏法はできません、師とは血脈相伝の御法主上人猊下であり、小師である菩提寺の御住職様であります。法に依って人に在らざれ です。
浅井教になってしまった、それはもう「邪教」なのです。
今回はちょっと趣きを変えて体験談的な事を記事にします。
平成12年に入信しましたが当初の隊長は優しい隊長でした、その前の隊長がかなりハードだったのもありどことなく組織の雰囲気も良かった気がします。
しかし平成13年にある隊長が来てからかなりハードになりました。
当時は高校生でしたが夕方に帰るなんて言えば怒られました、また専門学校に上がってからも土曜日にアルバイトを入れようものなら、隊長から電話がかかって来て携帯電話が爆発するかのごとく怒鳴られました。
スーパーのアルバイトでしたから日曜日も無理して休ませて貰ってる以上、土曜日の出勤まで断るのは申し訳ないと思っていたからです。
また夕方からの出勤でも、折伏で3時間近く遅刻をした事もありました。
とにかく全てにおいて仏法を優先していたものです。
特に当時は学校の名簿がありましたから上から順番に電話をかけて段取りを当たっていました。
会館の電話コーナーで隊長が見張る中、朝から晩まで電話を掛けていたものでした。
「おい、まだかよ」
「早く出せよ」
「あと30分で出せ、いいな」
外に出ようものなら
「どこへ行くんだ?」
誰かから着信があれば
「誰?」
きつかったです。
折伏も激しいもので、対象者が反発し、帰ろうとすれば追っかけ回して、前に周り込み、しつこく入信を促します。
逃げ帰ろうものなら時には罵声を浴びせ止めさせたりもしました(自分も性格的にキツくなってたのかと思います)
また自分ではありませんが応援の副長が追っかけて勢いで対象者のTシャツを破ってしまったり、
またマクドナルドで痺れを切らした対象者が、「今日はこれで・・」と1000円札を出した所、
「なんなんだお前はー!」
と怒鳴りイスごと吹っ飛ばしてしまった事もありました。
しかしこのような折伏は法を下げるだけです。顕正会を名を下げるだけならいいですが、日蓮大聖人の御名を下げるという事を肝に銘じておかないといけません。
また、街中で声を掛けて折伏というのも禁止でした(自分のいた組織では「ゲット」と呼ばれていました。) がいつからか「諫暁書を使うならやってもいい」というよく分からない理由によりOKとなったのです。
また会館の閉館(22時30分)後も帰れません。駅まで行って公衆電話で電話をかけます。
また車を手に入れてからはまるで家と反対方向の幹部を送っていくのも日常茶飯事でした、当然ガソリン代等は出ません。むしろ説教されていました
人生経験も未熟で世間も知らぬ若者だったから「こういうもの」と捉えていましたが今思えば常識外れですね。
ただ今はそこまではハードでは無いと思いますが・・自分が最後にいた時の隊長は、きちんと社会人として働き、家庭を持ってるからか常識的な人でした。
ガソリン代も出してくれるし次の日の仕事が早ければ早く帰らせてくれ、世間話もするなど、人としての信頼はしていました。
支隊長は世法上がだらしない所があり、人としてどうかという部分はありましたが信心は強情でした。入信した時から一緒でしたが未活動も退転もなくどんなに踏まれようが叩かれようが健気に貫く所は尊敬していました。
しかし二人とも、自分が日蓮正宗に移り真実を話しても素直に話を聞き入れなく、自分からも隔離しようとしている事、残念です。
また組織の人たちに
「キッコーマンからのメールを着信拒否やブロックをしてほしい」
と必死なまでに隔離させようとする事、本当に正しいならば堂々と説明し、自分を法論、破折できるはずです。
冒頭に出てきた鬼の隊長も今は部長ですがよく登壇してるせいか顕正会内では有名な人です、性格はキツかったですが確かに指導力に溢れ、指導を受けて決起した事もありました。
みんな信心はあると思います、しかしその信心が浅井先生にいってしまってる、そんな気すらします。
なので相手によっては破折をあきらめて「相手にするな」となってしまいます。自分はそれが不服でもありました。
竜ノ口において逃げ出した兵士達が次々と念仏を捨て大聖人様に帰依する光景。
佐渡流罪の際の、塚原三昧堂での邪宗の者どもに対する大聖人様のお振る舞い。
自分は大聖人様のお振る舞いを聞き、身体が痺れるような思いとなりました。
なので大聖人様の精神とは「どのような者でも破折し、正法に帰依させ参る」とのご精神であると思っていたので逃げてしまう事に不服を感じていました。
しかしあまりにも教学力が少ない、当然です、御書も無いし教えてくれるはずの浅井先生は社会情勢の話が中心で破折に対する勉強などできない。
なので日蓮正宗で出している「邪宗破折ガイド」という本は見た時に「これは・・」と感じたものでした。
また同じ所属寺院である樋田さんは私の折伏親のセロリさんの折伏親でもありますが邪宗破折に対する法論には長けており、学会・顕正会だけでなく内道・外道問わず相手を破折し、動画をyoutubeにあげています。
最近ではエホバの証人
https://www.youtube.com/watch?v=S9wUmt53o1M&feature=youtu.be
金光教
https://www.youtube.com/watch?v=qEF1o9Dakuk&feature=youtu.be
念法真教
https://www.youtube.com/watch?v=vMSd56eeaZw&feature=youtu.be
仏所護念会
https://www.youtube.com/watch?v=GgZLkylROqU&feature=youtu.be
このように樋田さんのように法論に長けている法華講の諸先輩方の人達の折伏を参考にし、邪宗を相手にしていく・・そして少しでもこの世から邪教を減らし正法に帰依させる事こそ真の正しい日蓮大聖人の仏法であると自分は思います。
浅井先生を師としては正しい仏法はできません、師とは血脈相伝の御法主上人猊下であり、小師である菩提寺の御住職様であります。法に依って人に在らざれ です。
浅井教になってしまった、それはもう「邪教」なのです。
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そんな激しい組織でカルトまがいのことを
活動するようなのが日常茶飯事だったら
ついていけなくて音信不通になる人
多いの本当わかりますよ
仕事にも生活にも体にも支障が出て当たり前だなあって思いますm(_ _)m
本当に大変だったと思いますm(_ _)m
でもキッコ-マンさんの活動 体験 決して無駄にはなってないと本当思います!
そうなんです、やはりついていけなくて音信不通になってしまった人達もけっこういました。
こんなやり方でなくても数を挙げてる所はいくらでもあるんですよね、当然結集なんて伸びるはずもありませんでした
頑張って活動してましたね(//∇//)
私だったら逃げちゃうっちゅうの(^_-)