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2017年10月31日

顕正会の御本尊

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このチラシは顕正会の誤りについて書いてあるチラシです。
御住職様、宗務院より許可を得て作成しています。




さてこのチラシで最初に目に入る所は御本尊の写真です。前々より色々なブログで顕正会の本尊疑惑について挙げられておりますが・・。自分の方でも挙げさせて頂きます。



まず本尊というのはその宗教にとって一番大事なものです。もしこれがニセモノであったらと思うととんでもない話ですよね。



日蓮正宗では戒壇の大御本尊様が根本です。創価学会は否定してしまいましたが・・
そして戒壇の大御本尊様を「法華を心得たる智者」によって書写・開眼し奉るのが各寺院や家庭に安置する御本尊様です。




御本尊様には直接、御法主上人猊下が書写された直筆の御本尊である「常住御本尊」、そして直筆の御本尊を印刷した「御形木御本尊」というのがあります。




常住御本尊は各寺院等に安置される御本尊、及び個人においても熱烈な信心の功績を以て特別に授与される事があります。その場合は脇書に必ず安置場所や授与された者の名が認められます。




御形木御本尊は「仮」の御本尊であり、各家庭に安置される御本尊で貸与されます。




では顕正会の会館や事務所等に安置される御本尊とはいかなるものか、内訳として

本部会館礼拝室→第28世日詳上人書写 常住
東京会館礼拝室→第60世日開上人書写 常住
神奈川会館礼拝室→第54世日胤上人書写 常住
その他の各地方会館礼拝室・本部会館第一集会室・芙蓉会館→第55世日布上人書写 御形木
柏崎事務所・各会館集会室・各自宅拠点→第26世日寛上人書写 御形木


となります。三福事務所のみ確認がとれません。




横浜会館集会室や、藤沢事務所・新富士事務所といった各事務所安置の少し小さい日布上人御形木本尊もありましたが現在隠すように急激に数を減らしています、事務所の御本尊といえばこの御本尊でしたが現在2つしか事務所がありません、柏崎事務所は2年ほど前に自分の目で確認しましたが日寛上人の御本尊でした、また近年は入る機会が無かったのですが東京会館第一集会室もそうです。



平成6年12月15・25日号の顕正新聞掲載の横浜会館御入仏式における浅井会長の指導では3階礼拝室が大正2年9月書写の常住御本尊で2階集会室が大正5年12月書写の御形木御本尊となっています。
恐らくこの大正5年の御本尊が各事務所に安置された御本尊でしょう。


ここで浅井会長の発言を見てみます
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分 が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持 されていた 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。

この七幅の常住御本尊とは、
・二十八代日詳上人
・五十四代日胤上人
・五十五代日布上人
・五十六代日応上人
・六十代日開上人
・六十四代日昇上人

等の歴代上人御書写の御本尊であり、 このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。
 また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。 松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。 いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」(顕正新聞 昭和60年3月15日号)


そして10数年後においては
「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの
歴代上人の御直筆御本尊七幅、
それから日寛上人の御形木御本尊、
並びに日布上人の御形木御本尊を多数
用意して下さったのであります。(中略) 私は、この異常事態の宗門の中で、ひとり顕正会だけが、あの清らかな日寛上人・日布上人の御本尊様を拝めるということ、こんな有難いことはないと思っております。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)



いきなり日布上人御形木御本尊が現れます、そう、この10数年間で多くの事務所や地方会館が建設された時期と重なります。



ちなみに色々な人の話を聞くと横浜会館の礼拝室の御本尊は途中から変わったという話を耳にします。
変わる前は年季の入った御本尊様だったとか・・しかし自分の記憶に無い事を見ると平成10年かその辺りに変わったと推測されます。




では日布上人常住御本尊はどこに行ってしまったか、大正5年の小ぶりな日布上人御形木御本尊が急激に数を減らしてるのは何故か。 また日応上人書写の常住御本尊は昔顕正寺(今の典礼院)に安置されており、板本尊ですが非常に小ぶりだったそうです。今はどこにあるのでしょうか



更に日昇上人の御本尊様も全く公表されておりません。



そして最後に日寛上人ですが、このチラシにある通り本来よりも115%拡大されています。
私は確かに参詣してて両脇のスペースとサイズの割にお文字が小さいなと思っていました。
そして某会館では集会室が2つあってその2つの御本尊様の表装(枠ですね)の色が違うのです。




そして何よりも御本尊様が綺麗で白い、私の参詣寺院の客殿には昭和59年に日顕上人が書写された紙幅の御本尊様が安置されていますが白くないです、変色しておりまさにチラシの右の本物の御本尊様のように変色しています。33年前の御本尊様でこれだけ変色していれば50年以上前の日寛上人の御本尊様が真っ白なわけがないのです。



また、正直言うと本部・東京・神奈川の常住御本尊も時代の割には白すぎる気がします。まさかとは思いますが・・



しかしいくら御本尊様が本物であろうとニセであろうと、所詮血脈が繋がっていなければ功徳はありませんし、むしろ悪鬼・魔神が入り罪障を積んでしまいます。



日蓮正宗においてその辺りは厳格であり、御本尊下付を受ける際はしっかりと所属寺院の御住職様を通さなければいけません、それは「筋目」だからです。



御住職様は誰の許可を得てるかといえば御法主上人猊下です、御法主上人猊下は日顕上人より相承を受けています、日顕上人は日達上人から、日達上人は日淳上人から・・とやっていくと最終的に行き着くのは・・。




同じ御本尊様でも何か誰かから貰った。とかいう御本尊様に功徳はありません。




では顕正会の御本尊はどうでしょうか、誰の許可を得たか、浅井先生→では浅井先生は誰の許可を得たか。
そうです、先生は除名を受けていますね。ここで筋道が切れてしまうのです。




それでもあなたは顕正会の御本尊様を拝みますか?



一秒でも早く正法に帰依しなくてはいけません

この記事へのコメント
顕正会に入会して10年位になります。会社の友人に誘われファミレスへ、そこで宗教の話をされ「何だよ!宗教かよ。」と断り、懲りずに1年後今度は幹部の方も連れて来て宗教の話し、絶体絶命で入信してしまいました。
入信勤行の後は何だか心地よく幸せな気分、そして次第に体が若返っていくよう。成仏の相って亡くなった後に髪の毛が黒くなるって教わったけれど私の髪の毛も白髪が黒くなってきました。私はまだ生きていますけれど。私は65歳です。この感激、嬉しくて家族や友達、親族次々に話してしまう。初めは皆に非難されていたけれど、今は誰も文句言いません。時々頷いています。宗門がどうこうとか、創価学会がどうこうとか難しい話は分かりません。でもお金の苦労も娘の心配も無くなりました。昔、他の宗教に入っていた時に虚しさしか感じなかった。今は本当に仏様っていたんだっていう喜びでいっぱいです。
Posted by 礒 惠子 at 2019年01月11日 17:31
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