2017年10月24日
顕正会とはどんな団体なのか
顕正会に勧誘された方はまず色々検索してみると思います、で大抵の方はWikipediaを見るでしょう、しかし今、何故か顕正会寄りに改変されております。
単純に言うと、顕正会とは日蓮正宗の一講中であった「妙信講」という団体が元になっています、有名な創価学会も、元は日蓮正宗の中の一つだったのです。
よく間違えられるのは日蓮宗と日蓮正宗です。 日蓮宗とは身延の久遠寺が総本山であり、日蓮正宗とは富士の大石寺が総本山となります。
この2つは似ているようでまるで中身が違います、じゃあなんで日蓮正宗の方が正しいのかというと、六人のお坊さんがいてその中の一人である日興上人という方が唯一、日蓮大聖人より血脈相伝されました。
最初は六人とも日蓮大聖人の仰せのままで正しかったのですが、日興上人以外の五人のお坊さんは日蓮大聖人の言われた事を破ってしまいます、日興上人は、五人のお坊さんに対して何度諌めても聞かないので、日蓮大聖人が唯一残された「本門戒壇の大御本尊」を持ち、身延を去りました。そして身延に残った末裔が今の日蓮宗になるのです。
身延を去った日興上人は富士の地に大石寺を建立しました、そして日蓮大聖人の御遺命を守り、代々血脈相伝されてきたのが今の日蓮正宗なのです。
そして戦後、信教の自由が法律で制定されると、信徒団体であった創価学会は大きく信徒を増やしていきました、今現在、創価学会員が多いのはこの時の名残とも言えます。
そしてもう一つの信徒団体が妙信講、現在の顕正会です。
じゃあ何故顕正会は日蓮正宗から解散処分になったのか、単純に「国立戒壇」という言葉に執着し、日興上人から続く血脈相伝の御法主上人猊下に反発し続けました。
最終的には創価学会本部に対して暴力事件を起こし浅井会長(当時は講頭)33名の幹部が除名処分になったのです。
その後は、「日蓮正宗 顕正会」と名乗りましたが日蓮正宗は間違っているから恥ずかしい等と述べ「冨士大石寺 顕正会」と名前を変えました。
「自分達こそが正しく日蓮大聖人の仏法を実践している」と顕正会側は言っていますが、日蓮大聖人の御書(お手紙等)を見ていくと顕正会の矛盾が数多くあるのです。
その矛盾点などを次回以降簡単に記事にしていきたいと思います
単純に言うと、顕正会とは日蓮正宗の一講中であった「妙信講」という団体が元になっています、有名な創価学会も、元は日蓮正宗の中の一つだったのです。
よく間違えられるのは日蓮宗と日蓮正宗です。 日蓮宗とは身延の久遠寺が総本山であり、日蓮正宗とは富士の大石寺が総本山となります。
この2つは似ているようでまるで中身が違います、じゃあなんで日蓮正宗の方が正しいのかというと、六人のお坊さんがいてその中の一人である日興上人という方が唯一、日蓮大聖人より血脈相伝されました。
最初は六人とも日蓮大聖人の仰せのままで正しかったのですが、日興上人以外の五人のお坊さんは日蓮大聖人の言われた事を破ってしまいます、日興上人は、五人のお坊さんに対して何度諌めても聞かないので、日蓮大聖人が唯一残された「本門戒壇の大御本尊」を持ち、身延を去りました。そして身延に残った末裔が今の日蓮宗になるのです。
身延を去った日興上人は富士の地に大石寺を建立しました、そして日蓮大聖人の御遺命を守り、代々血脈相伝されてきたのが今の日蓮正宗なのです。
そして戦後、信教の自由が法律で制定されると、信徒団体であった創価学会は大きく信徒を増やしていきました、今現在、創価学会員が多いのはこの時の名残とも言えます。
そしてもう一つの信徒団体が妙信講、現在の顕正会です。
じゃあ何故顕正会は日蓮正宗から解散処分になったのか、単純に「国立戒壇」という言葉に執着し、日興上人から続く血脈相伝の御法主上人猊下に反発し続けました。
最終的には創価学会本部に対して暴力事件を起こし浅井会長(当時は講頭)33名の幹部が除名処分になったのです。
その後は、「日蓮正宗 顕正会」と名乗りましたが日蓮正宗は間違っているから恥ずかしい等と述べ「冨士大石寺 顕正会」と名前を変えました。
「自分達こそが正しく日蓮大聖人の仏法を実践している」と顕正会側は言っていますが、日蓮大聖人の御書(お手紙等)を見ていくと顕正会の矛盾が数多くあるのです。
その矛盾点などを次回以降簡単に記事にしていきたいと思います
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