昨日のブログでは、おととい12/7の11:20頃、縁側の水飲みの中で水死している子ネズミを発見している内容を書いた。改めて計測してみた所、この白いプラスチック製の水飲みは直径19センチ、高さ5センチあった。多分、ダイソーの食器売り場に置かれてあった物だと思う。食器のフチが下からせり上がっているタイプなので、子ネズミが自ら器の中に飛び込むことは不可能と思われる。
それはそれとして、その翌朝、たまたまこんな夢を見た。徳川家康(松本潤)の家臣が、あえて刃が切れないように徳川家康自らが打ち直した刀を拝領していた。その家臣は、これは殿が本気で天下統一する気であることをと悟ったようだ。それと同時に徳川家康は鎌も並べて用意していた。そんな夢から覚めて、徳川家康が鎌とは、愛知県にある猿投(さなげ)神社に奉納される鎌ではなかったのかとピンときた。
11/29放送の「にっぽん百低山」で吉田類さんが遼河はるひさんと登った山がその猿投山(629m)で、観たばかりだったもので、その影響を受けたのかも。豊田市と瀬戸市の境にある山だそうで、東海一人気の山だそうで山登りの人が一杯いた。地元のトヨタ系企業が、毎年鎌を猿投神社に奉納しているという。ちなみに瀬戸市とは将棋の藤井聡太さんの出身地なので、この山のことは知ってるはず。
この猿投神社の由来だが、景行天皇は可愛がっていた愛猿を一緒に船に乗せて、現在の愛知県の辺りの海を渡っていたようだが、この猿が船中でのイタズラが過ぎて景行天皇がブチ切れてしまい、猿を海に投げ捨ててしまった。ところがこの猿が海を泳ぎ渡り、陸に辿り着いた先が猿投神社になったのだとか。この奉納される鎌とは、景行天皇の双子の息子の兄・大碓皇子(おおうすのみこ)がこの地を開拓して農業を盛んにしたことから、その象徴となる鎌がこの神社に奉納されるのだとか。
ちなみに、この双子の弟とは、あの日本武尊(やまとたける)だとか。兄は温厚で農業など開拓に精を出した一方で、弟の日本武尊は武勇に優れるも、父・景行天皇に恐れ嫌われていた。その前日、子ネズミが死んだ時点では、子ネズミがいるということは親ネズミもいるのではないのかと多少身構えたけれど、翌朝に徳川家康が出てくるという変な夢を見たせいで、何だか水死した子ネズミと、その徳川家康が鎌を奉納した夢が結び付くような気がしてきて。
景行天皇の愛猿は船から海へと投げ捨てられた。逆にあの子ネズミは、丸い船のような水の一杯入った容器に、当家の猫らによって投げ入れられた、ようなものかも。景行天皇の船の中は安全だが、辺りは落ちたら死ぬしかない海。逆に、子ネズミは辺りはどこもかしこも好きに歩ける家の中なのに、唯一丸い船の中に水が張られたような器の中に落ちて死ぬとは。何だかこの二つに接点があるような気がしてならなかったもので、今日のネタに取り上げてみた。
猿は奇跡的に海を泳ぎ切って東海一の人気の山にある有名な神社になったが、あの子ネズミは水が満杯の丸い器のフチにつかまることができずに溺れ死に、後世にまで語り継がれるかもしれない子ネズミにはなれなかった。
猫日記より(2021.12.9)
手術以来か?。シロタンが朝4時、ワイの布団に入ってきて寝てた。朝3時頃、布団の上で咳き込んでるのかなと思って30分後、縁側でオエッと(空腹で)吐いていたのがシロタンで、それで入ってきたのかも。