新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2015年10月26日
★愛にまよっているあなたへ20★
捨てる能力、捨てる勇気がすっかり
身についてくると
得たものの中からふるいにかけて
いらないものを捨てられるようになります。
ところが
多くの人たちは、
いったん得たものだから、ということで
捨てません。
得たものを背負って生きています。
いいものも悪いものも一緒です。
過去の恨み、つらみにしても、
捨てたふり、忘れたふりではなく
本当に捨てることなのです。
得ることも、もちろん人間必要ですが
一方で捨てることができて、バランスが
とれてきます。
得たものを捨てなければならない
というときがあるのです。
今とても必要なものでも、
一度使えばいらなくなるものというもの
があります。
たとえば
川を渡るとき、橋の代わりになる丸太を
持ってきて渡りました。
この先にも川があるだろうから と
その丸太を担いでいくわけではないのですね。
そこで
潔く置いていくわけです。
ところが
それを捨てないで担いでいくと
途中でばてて先へ進めなくなります。
今必要なものであっても、捨てる
勇気をもたなくてはならないときが
あります。
生命同様、得たものはいつかは失う
という心得を胸に
常に勇気を失わないで恐れを克服し
戦い抜かなければ成らないのです。
つづく・・・
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2015年10月25日
★愛にまよっているあなたへ19★
2015年10月24日
★愛にまよっているあなたへ18★
人間という生き物は、
「得ること」にのみ価値を置き
仕事や学問に取り組んでしまいます。
その結果
「失うこと」を恐れ、いつもおびえながら
生きてしまうことになりがちです。
この世に生を受けて、命を得ても
いつかは失います。
「得ること」と「失うこと」とは
抱き合わせになっています。
別々に分けて考えることのできない
もの、二つで一つ。
それが自然界の摂理です。
人生は得ることばかりではありません。
ところが
得ることだけを教えられ
「先々にこれこれの物が得られるから
今努力しなさい、頑張りなさい」
と、得ることだけを価値観として
育ってしまいます。
企業に入ってからも
得ること、増やすことばかりを植え付けられ
進歩だとか、繁栄だとかの、理由付けのもと
進んでしまいます。
その結果
何事につけても捨てることが
恐くなっているのです。
つづく・・・
2015年10月23日
★愛にまよっているあなたへ17★
子供の頃からの親との接し方に問題が
あって
しつけが厳しくて、充分に親の愛情を
受けることができなかった場合・・
その子は大人になってからも
大人になりきれず
欲求不満の塊になってしまうことが
多々あるのです。
あるいは
情緒不安定な人間になってしまいます。
欲求不満とか情緒不安定に陥っている
男性に対して
どんなに女性が愛情を降り注いでみても
男性側はどうしても我慢できません。
仕事人間にそういうタイプが多く
欲求不満で仕事に逃げている部分が
あるのです。
本人は
仕事を立派にやっている
というかもしれないが
家を留守にしたり、家族に対して手抜きも
しているわけです。
残された奥さんや子供たちはというと・・
苦しんだり、違うものを欲しがっている。
そして
奥さんも子供も欲求不満になっていきます。
男というのは
妻に対して与えるだけでいいのです。
自分がこうやるから、おまえもこうやってくれ
といった
交換条件などはあってはならないのです。
執着心や依存心などは
「さあ、おまえならばどうする?」
と生まれ持って人間に与えられた永遠のテーマ
なのです。
欲望も含めて、それらに呑まれないで
それからちょっと離れて外から眺めることが
できなければならないのです。
つづく・・
2015年10月22日
★愛にまよっているあなたへ16★
仮にどちらかが悪いことをしていて
それにつられて、自分も崩れていく
とするならば
自分が一番惨めなのです。
「あなたのせいで自分はこうなって
しまった」
と、後で愚痴っても、そうなったのは
自分なのです。
相手のせいにしてもしようがありません。
いいことは他人のせいにして感謝
悪いことは自分のせいにして反省材料
にしなければ
自己教育にはなりません。
だれのせいでもなく自分のせいなのです。
愛と欲求不満と情緒不安定を
ごちゃまぜにしてしまっている人が
男女とも多いのです。
欲求不満や情緒不安定を満たしたい
という心の飢えを、愛と錯覚してしまって
男女関係が生じる場合が多く見受けられます。
これは仕事人間と言われている人に
特に多いのです。
つづく・・・
2015年10月20日
★愛にまよっているあなたへ15★
結婚もそうです。
愛ゆえにと思っているかもしれませんが
依存心で結婚したケースも多いのです。
心のどこかに依存心があり
依存する気持があって結婚したところが・・
じつは精神的にも経済的にも依存できるような
男性も女性もいないのです。
それで、愛がさめてしまう・・・
「お互いに協力して助け合って生きていきましょう。」
などという言葉を結婚式の席上で聞かされることが
ままあります。
が
協力し合って、などという言葉はまず間違い
なのです。
協力という言葉には
これだけのことをやってあげたのだから
キミもそれに応えてよ
というのが本音としてあります。
協力する以上、キミも私のやることに
協力してくれなければ・・・・
ということになるわけです。
ですから
「協力して幸せになろうね」
などというのではなく
幸せはあげるだけ
それでいいのです。
男性であれば、相手にただただ
与えるだけであるべきなのです。
ところが
「妻が協力してくれなくては
やってられない」
となりがちです。
妻がやろうがやるまいが関係なく
自分がやっていればいいのです。
つづく・・・
2015年10月19日
★愛にまよっているあなたへ14★
2015年10月18日
★愛にまよっているあなたへ13★
男性と女性が一緒になって長続きするのは・・
そこに「愛着」というものが残るからなのです。
愛情にかげりがみえてきた時期に
「愛着心」を持っていれば
そこで踏みとどまることができます。
「愛」に執着の「着」というものが
つくのです。
辞書によれば
「愛着」には
「愛情のために思い切れないこと」
という意味があります。
その思い切れない部分で
情が深いとか、恩義があるとかがくっついて
きて
関係が長持ちする場合もあり、
愛着すらも途切れてしまうと
関係がなくなってしまいます。
ですから
愛にすがっているわけではなく
「愛着心」にすがって、男性と女性が
一緒に生活しているのが現実なのです。
人はよく
「私にはあなたが必要だから結婚して
ください」
などということを口にします。
「必要」という言葉を言い換えるなら
「要求」ということです。
愛というのは、一方的に与えるだけですから
必要や要求とは正反対のものであるはずです。
大事なことは、必要であるかないかではなく
まず愛があるかどうかなのです。
愛が先です。
必要を考えているから、必要ではなくなったら
愛も冷めてしまうのです。
つづく・・・
2015年10月17日
★愛にまよっているあなたへ12★
体温は、体温計で測れば異常がわかり
自分は病気だとわかります。
身体は熱っぽくても、冷えすぎでも
困ります。
身体の正常な機能が失われてしまう
ので、
当然、人は薬を飲んだり、病院に行ったり
して治療をします。
だれしも身体の熱を正常に戻そうとする
わけですね。
しかし
心の温度が今どうなっているのかは
なかなかわかりません。
というよりも
心に関しては「心温」があることを
まず知りません。
だから
自分の心が過熱していても冷めていても
放りっぱなしなのです。
周りの人々も、心が冷めても放っておくので
自分の心の状態に気づくことが難しいのです。
心の温度、リズムが今どうなっているのか
がなかなかわかりません。
たとえば
ここに温泉があるとしましょう。
だれかがその温泉の手入れをして、適度の温度に
保っておかなければ、利用できません。
心の強さといいましょうか、「心温」を
温泉のように、適温に温めているときが
一番心が強いのです。
心の適温というのを「平常心」という言葉に
置き換えてもかまいません。
「今日は適温だな」
「今日は、適温より少しダウンしているな」
といったことに気が付けるかどうか
そして
世の中の動き、これから起こることが測れるか
これが「平常心」ということと思います。
心を適温にするように心がけていると・・
普段には出せなかった力が、能力が
出せるようになります。
つづく・・・
自分は病気だとわかります。
身体は熱っぽくても、冷えすぎでも
困ります。
身体の正常な機能が失われてしまう
ので、
当然、人は薬を飲んだり、病院に行ったり
して治療をします。
だれしも身体の熱を正常に戻そうとする
わけですね。
しかし
心の温度が今どうなっているのかは
なかなかわかりません。
というよりも
心に関しては「心温」があることを
まず知りません。
だから
自分の心が過熱していても冷めていても
放りっぱなしなのです。
周りの人々も、心が冷めても放っておくので
自分の心の状態に気づくことが難しいのです。
心の温度、リズムが今どうなっているのか
がなかなかわかりません。
たとえば
ここに温泉があるとしましょう。
だれかがその温泉の手入れをして、適度の温度に
保っておかなければ、利用できません。
心の強さといいましょうか、「心温」を
温泉のように、適温に温めているときが
一番心が強いのです。
心の適温というのを「平常心」という言葉に
置き換えてもかまいません。
「今日は適温だな」
「今日は、適温より少しダウンしているな」
といったことに気が付けるかどうか
そして
世の中の動き、これから起こることが測れるか
これが「平常心」ということと思います。
心を適温にするように心がけていると・・
普段には出せなかった力が、能力が
出せるようになります。
つづく・・・