2015年05月17日
「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展に行って来ました。
最大の見どころは、国内過去最大級となるボッティチェリ作品17点の来日です。
イタリア、フランス、アメリカから集まった17点のうち、14点が日本初公開となる。イタリア・ウフィツィ美術館所蔵の至宝とされる、横幅5メートルのフレスコ画「受胎告知」、代表作「ヴィーナスの誕生」から女神のみ取り出して描かれた「ヴィーナス」などの名作が揃います。
15世紀のフィレンツェでは、メディチ家などの銀行家が芸術家を支援しました。
金融で稼いだ金を芸術に注ぎ込み、パトロンとして文化を担います。フィレンツェが最も繁栄した時代に活躍したのがサンドロ・ボッティチェリ(1445〜1510年)。政治・経済の実権をにぎり権勢を誇ったメディチ家の援助を受け、多くの傑作を創作しました。代表作「プリマヴェーラ(春)」の画面を彩る草花は、メディチ家の別荘の庭園で写生したといわれています。
目玉作品となっているのは「受胎告知」。
キリスト教の新約聖書に書かれているエピソードを主題にした作品。画面左には純潔の象徴の白ユリを持つ大天使ガブリエルが舞い降り、画面右にはマリアがうつむいた穏やかな表情で描かれた。ボッティチェリの最盛期の作品で横幅が5メートルを超え圧巻。作品の周囲には神聖な空気が漂っているように感じられます。
サンドロ・ボッティチェリ「受胎告知」1481年、フレスコフィレンツェ、ウフィツィ美術館
もともとはフィレンツェのサンタ・マリア・デッラ・スカラ施療院付属聖堂にあったフレスコ画で、20世紀初頭に壁からはがされ、ルネサンス絵画の宝庫として有名なウフィツィ美術館の所蔵となりました。この作品は銀行家による奉納画として制作されたという説が有力視されて、ガラスケースも何も無くむき出しのまま展示されているので、はじめ展示室で目にした時は作品ではなく、パネルか演出用の装飾かと思ってしまったほどです。
そのサイズたるや243×555cmもあります。実際に会場で観るともっともっと大きく感じます。
フラ・アンジェリコ 《聖母マリアの結婚》
ボッティチェリ 《聖母子と二人の天使》
HPより抜粋:ある日ナザレの村の大工ヨゼフの許嫁であったマリアのもとに、神から遣わされた大天使ガブリエルが舞い降り、神の子を宿ったことが告げられる。婚期が早かったこの時代の習慣から考えると、マリアはこのとき10代半ばくらいであったとも言われている。そして純潔の処女のまま身ごもったということを視覚的に表すのに使われたのが純白で大輪の百合であり、この花を捧げられた女性は、花にもまして美しい。なお、描かれているのはまさにマドンナ・リリーと呼ばれる種類で、高さは120pほどと存在感があり、地中海地方東部からイタリアなどに広まった。
聖母の持物として多くの画家によって繰り返し描かれた百合の花だが、イエスが生まれたのが12月25日とすると、受胎告知は3月ごろになるわけで、百合は咲いていない季節である。実際、聖書に記述があるわけでもなく、これは画家の想像力の賜物なのである。
門外不出の傑作とされるボッティチェリの「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」、あるいはメディチ家の人々の肖像が描き込まれたコジモ・ロッセッリの「東方三博士の礼拝」など、富豪らの依頼によって描かれた名画の数々。そうした作品に接していると、芸術とパトロンの重要性を考えさせられます。 イタリア政府の「門外不出リスト」に登録されている「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」は5月6日までの期間限定展示。所蔵元のピアチェンツァ市の協力で特別出品されました。
15世紀末、メディチ家が最盛時の当主だったロレンツォ・デ・メディチが亡くなりメディチ銀行は破綻。16世紀になると、20代半ばで死去した画家のマサッチオや、ルネサンス彫刻の創始者とされるドナテッロら多くの優れた芸術家を輩出したフィレンツェは、メディチ家とともに芸術の輝かしい表舞台から消え、ローマに地位を譲ってしまいます。
ボッティチェリの絵画の変遷と併せて、芸術とパトロンの関係についても考えさせられる展覧会です。
サンドロ・ボッティチェリ「キリストの降誕」1473-75年コロンビア美術館
「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」
会期:2015年3月21日(土・祝)〜6月28日(日)
※4月13日(月)と4月20日(月)のみ休館
開館時間:10:00〜19:00(入館は18:30まで)
※毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
会場:Bunkamuraザ・ミュージアム
最大の見どころは、国内過去最大級となるボッティチェリ作品17点の来日です。
イタリア、フランス、アメリカから集まった17点のうち、14点が日本初公開となる。イタリア・ウフィツィ美術館所蔵の至宝とされる、横幅5メートルのフレスコ画「受胎告知」、代表作「ヴィーナスの誕生」から女神のみ取り出して描かれた「ヴィーナス」などの名作が揃います。
15世紀のフィレンツェでは、メディチ家などの銀行家が芸術家を支援しました。
金融で稼いだ金を芸術に注ぎ込み、パトロンとして文化を担います。フィレンツェが最も繁栄した時代に活躍したのがサンドロ・ボッティチェリ(1445〜1510年)。政治・経済の実権をにぎり権勢を誇ったメディチ家の援助を受け、多くの傑作を創作しました。代表作「プリマヴェーラ(春)」の画面を彩る草花は、メディチ家の別荘の庭園で写生したといわれています。
目玉作品となっているのは「受胎告知」。
キリスト教の新約聖書に書かれているエピソードを主題にした作品。画面左には純潔の象徴の白ユリを持つ大天使ガブリエルが舞い降り、画面右にはマリアがうつむいた穏やかな表情で描かれた。ボッティチェリの最盛期の作品で横幅が5メートルを超え圧巻。作品の周囲には神聖な空気が漂っているように感じられます。
サンドロ・ボッティチェリ「受胎告知」1481年、フレスコフィレンツェ、ウフィツィ美術館
もともとはフィレンツェのサンタ・マリア・デッラ・スカラ施療院付属聖堂にあったフレスコ画で、20世紀初頭に壁からはがされ、ルネサンス絵画の宝庫として有名なウフィツィ美術館の所蔵となりました。この作品は銀行家による奉納画として制作されたという説が有力視されて、ガラスケースも何も無くむき出しのまま展示されているので、はじめ展示室で目にした時は作品ではなく、パネルか演出用の装飾かと思ってしまったほどです。
そのサイズたるや243×555cmもあります。実際に会場で観るともっともっと大きく感じます。
フラ・アンジェリコ 《聖母マリアの結婚》
ボッティチェリ 《聖母子と二人の天使》
HPより抜粋:ある日ナザレの村の大工ヨゼフの許嫁であったマリアのもとに、神から遣わされた大天使ガブリエルが舞い降り、神の子を宿ったことが告げられる。婚期が早かったこの時代の習慣から考えると、マリアはこのとき10代半ばくらいであったとも言われている。そして純潔の処女のまま身ごもったということを視覚的に表すのに使われたのが純白で大輪の百合であり、この花を捧げられた女性は、花にもまして美しい。なお、描かれているのはまさにマドンナ・リリーと呼ばれる種類で、高さは120pほどと存在感があり、地中海地方東部からイタリアなどに広まった。
聖母の持物として多くの画家によって繰り返し描かれた百合の花だが、イエスが生まれたのが12月25日とすると、受胎告知は3月ごろになるわけで、百合は咲いていない季節である。実際、聖書に記述があるわけでもなく、これは画家の想像力の賜物なのである。
門外不出の傑作とされるボッティチェリの「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」、あるいはメディチ家の人々の肖像が描き込まれたコジモ・ロッセッリの「東方三博士の礼拝」など、富豪らの依頼によって描かれた名画の数々。そうした作品に接していると、芸術とパトロンの重要性を考えさせられます。 イタリア政府の「門外不出リスト」に登録されている「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」は5月6日までの期間限定展示。所蔵元のピアチェンツァ市の協力で特別出品されました。
15世紀末、メディチ家が最盛時の当主だったロレンツォ・デ・メディチが亡くなりメディチ銀行は破綻。16世紀になると、20代半ばで死去した画家のマサッチオや、ルネサンス彫刻の創始者とされるドナテッロら多くの優れた芸術家を輩出したフィレンツェは、メディチ家とともに芸術の輝かしい表舞台から消え、ローマに地位を譲ってしまいます。
ボッティチェリの絵画の変遷と併せて、芸術とパトロンの関係についても考えさせられる展覧会です。
サンドロ・ボッティチェリ「キリストの降誕」1473-75年コロンビア美術館
「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」
会期:2015年3月21日(土・祝)〜6月28日(日)
※4月13日(月)と4月20日(月)のみ休館
開館時間:10:00〜19:00(入館は18:30まで)
※毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
会場:Bunkamuraザ・ミュージアム